第21話 林檎
「このあたりまで来たら当分追ってはこられないだろ。まずは飯にするよ!」
月が大分傾いた頃に、まだ開いていた酒場兼宿屋に入った途端、三人は面食らった。
「今月こそは溜まったツケを払って貰うんだから!」
紙束を手にした女の子が、自分より頭ひとつは大きい男とにらみ合っている。
「俺がツケたのはおめえのお袋であっておめえじゃねえんだ。黙ってな!」
「母さんがおっ死んでからもう三か月だよ! その間だって、一度だって払って貰ってないじゃないの! 墓に供える花代にもなりゃしない!!」
ジョンと歳の変わらなさそうな、それでいて健康的な丸顔が特徴的な娘が額に青筋を浮かべている。
「今夜という今夜こそは……」
「おめえ、顔はブサイクだが身体の方は悪くはねえ。一発ヤればそれでチャラにしてやってもいい……」
ジョンとイザベラとポーリーが目を見交わし、イザベラが一歩進み出てジョンとポーリーが一歩下がる。
「何だい、お取り込み中だったかい? ちょっと遅い時間に悪いけど、夕食を三人前頼むよ。そこの生焼けの小さいソーセージは抜きでよろしく」
店を切り盛りしているらしい丸顔の娘が思わず吹き出し、娘と対峙していた男が顔を真っ赤にして振り返る。
「枯れたババアに用はないんだよ。すっこんで……」
目にも止まらぬ速さで抜剣したイザベラの剣先が、そんな男の首元でぴたりと止まる。
「今日は暴れ損ねてここまできたんだ。一発やり合ってチャラにしてやってもいいんだけど?」
首元に冷たい剣を突きつけ、イザベラが目を細めてニィッと笑う間に、ジョンとポーリーが席について言う。
「次のお題は『悲しきソーセージの歌』にしましょうか。酒場の陽気な歌も、旅の手すさびにはちょうどいい」
ペンと紙を取り出すジョンと、
「ポーリー、ケイサン、トクイ。セイカクニ、ケイサンスル。ムラノ、オンナノ、リッパナオシゴト」
『侍女の心得』が大切にしまわれている革のポシェットから、ポーリーが丸い小石と細い紐を取り出して笑う。
「南の国の計算方法ですか」
「コウヤッテ、マッスグニ、イシヲ、ナラベル。セイカクニ、ケイサン、デキルヨ!」
「ああ、本で読んだことがあります。古代の計算方法ですね。正確に使いこなせるなんて素晴らしい。さすがは僕らのポーリーです」
ポーリーが嬉しそうに笑う。
「ポーリーノ ケイサン、ムラデ、イチバン、ハヤカッタヨ!」
イザベラが笑う。
「じゃあポーリー、こいつの胴体と首が泣き別れるのに何秒かかりそうかい?」
「1ビョウ、モ、カカラナイ!」
ポーリーが即答する。
「正解さ! さて、未来永劫ここの店の代金を払わないってつもりなら、お粗末なソーセージだけじゃなくてその使い道のなさそうなすっとぼけた顔も、首からさっぱり切り落としていい男にしてやるよ。いい男って言うのはこの世にツケは残さないもんだ。どうだい?」
目を細めて問いかけるイザベラと男の様子を見て、店中がやんやと盛り上がる。
「わ、わかったから、そ、そいつを離してくれ。金なら払う!!」
「だってさ。ほら、さっさと払ったら出た出た。こちとら腹が減ってるんだよ」
男が財布を地面に投げ捨て、転がるように店から飛び出していった。
「母さんが死んでから一度も払ってなくて、本当に困っていたんです」
店を切り盛りしている少女ドロテアが、お礼と称して果物をたっぷり盛った籠をテーブルの上に置きながら、ため息をつく。
「あんたも苦労してるんだねえ」
「いえいえ、助けて頂いたお礼です! このあたりは大聖堂帰りの人もたまに立ち寄るけど……あなた達も?」
「まあ、巡礼者には見えないだろうね。手っ取り早く言うと、剣とペンとメイドの修行ってやつでね」
『侍女の心得』を開きながら籠の果実を切り分けるポーリーと、穏やかな笑顔でそれを見守るジョンを見て、イザベラが呟く。
「……しかし、計算が得意だったとはね。特技ってやつは良い感じに伸ばしてやりたいけど、計算だなんてこちとら何の準備もないんだよ。いつかはどこか、良い感じの学校にも通わせてやりたいけど、南の国の子供を入れてくれるようなところなんてあるのかねえ……」
すると、ドロテアがポンと手を打って言った。
「あの、私、使い終わった教科書があります。このお店を手伝う前に、読み書き算術だけはなんとかしたくって、日曜学校にちょっとだけ通ったんです。それでよければ、お譲りします!」
ジョンが顔を上げる。
「ご厚意、ありがとうございます。謹んでお受けしましょう。僕らでは教えきれないことも、これから出てくるでしょうし」
にこやかなジョンの微笑みに、ドロテアが林檎の実のように真っ赤になる。
「ウレシイ! オネエサン、ステキナヒト!」
ポーリーが顔中を笑顔にして言った。そして、『侍女の心得』を手に、
「アナタサマノ、ゴコウイニ、カンシャ、イタシマス!」
くるりと服の裾をからげて回り、深々とお礼をする。真っ赤な顔のドロテアが楽しげに微笑む。
「私は手で書いてるけど、もっと東の海の向こうの国では『算盤』というのがあるそうよ。その石や紐に似ているもので、計算がすごく早くできるとか……」
「そいつはいいねえ。道中で上手いこと手に入れようか」
「そうしましょう」
ドロテアが聞く。
「今夜は泊まっていかれますか?」
「そうだねえ。一部屋適当なところを借りるよ。ベッドと水を用意してくれると助かるね」
「ドロテアときたら、あんたを見てあの丸い顔を林檎みたいに真っ赤にしていたよ」
「おや、そうでしたか?」
イザベラが思わず鼻を鳴らす。そして肩をすくめて言った。
「詩人って職業の輩は、人様のあれこれには聡いくせに、自分のこととなった途端、とんとボンクラになる生き物なんだねえ……」
ランプを手にしたポーリーが、
「ゴシュジン、ボンクラナノ?」
真顔で聞く。ジョンがあっけらかんと笑う。
「ええ、そうですよ。僕はイザベラさんとポーリーがいなければ何も出来ませんからね」
イザベラが言った。
「まあ、あんたみたいに頭の出来の良いボンクラほど厄介なものはないね! で、宿代は『ソーセージの歌』よりももっとロマンティックなやつにしておやりよ。きっと喜んでくれるからね」
「それでは……『我らが巡礼帰りに立ち寄りし、林檎の頬持つ愛らしい女主人の宿は……』、といったところですかね」
紙を取り出してベッドに腰掛け、ポーリーからランプを受け取ると、それを窓辺に置いて、さらさらとペンで書き綴る。
「サマになってるじゃあないか。流石だね」
窓の外の白い、散りかけの花がランプの光を反射して光る。
「もう冬も近いのですね」
「山越えはきついって話だから、少し遠回りになるよ」
「先日フェルディナント卿からいただいた医者のリストによると、2つ先の町に良い医者がいるそうです」
「じゃあ、まずはそこだね」
ポーリーという名の南の国の少女と、滅法強い女剣士のイザベラ、そして一緒にやってきたジョンという詩人の青年は何者なのだろう。そもそも、あの三人は一体どんな関係なのだろうか。
(ダメよ。お客様なのだから余計な詮索はいけないわ)
翌朝、日曜学校で使っていた本を部屋の隅から引っ張り出しながらドロテアが首を小さく振る。
三人とも見た目も年齢もバラバラであり、家族にも恋人にも見えない。友人同士の旅だろうか。
(まさか恋人同士……じゃあないと思うけど……)
本を片手にしたまま水場に降りて、水を汲み上げてから部屋のドアをノックする。
「空いていますよ」
部屋のドアを開けると、ベッドにジョンがひとり腰かけていた。
「水をありがとうございます。ちょうど薬の時間ですね」
「薬?」
「こう見えて、持病のオンパレードでして。こうしてなんとか生きながらえているんですよ」
微笑みながら開ける鞄の中には、見たこともない量の薬が入っている。思わず言葉を失うドロテアに、
「いっぱい働くのは大事ですけれど、健康を大事に。せっかくの『林檎色の頬』が台無しですからね」
紙を一枚手渡した。
「宿賃のついでです」
「これは……詩?」
「ええ、このまま、生きている限り東へ、東へと旅をして、美しいものをもっともっと見て、それを書き綴っていきたい。詩人になるのが夢で。……ああ、でも、ポーリーの得意なことも伸ばしてやりたい。イザベラさんが世界で一番強くなる瞬間も見たい。やりたいことがいっぱいですね。うかうか死んでもいられない。僕はそういう類の人間なんです」
そう言って、ざらざらと薬を喉に水で流し込む。ドロテアにとっては「明らかに尋常ではない量」の薬である。
「あの、皆様はいったいどんな……」
「不思議でしょう? 話すと長くなりますよ。散歩に出かけたポーリー達が帰ってくるまでで良ければ」
「聞きます」
部屋に戻ると、ドロテアとジョンが話し込んでいた。
「ずいぶん仲良くなったもんだねえ」
「え、あの、その……あっ、日曜学校の本、取ってきたんです」
「はは、ありがとうよ。うちらのことが気になってたんだろう?」
「え、ええ」
「いい男といい女には秘密ってやつがつきものさ、と言いたいところだけど、秘密にするような事も見当たりゃしない。ジョン、薬は飲んだかい?」
「ええ、ゆっくり休めました。いい宿です」
「ドロテアみたいに可愛い娘もいるしねえ。その詩、大事にとっときなよ。いつかこの宿の大きさが二倍になるかもしれないからね」
「宿を?」
「こいつを大詩人にするのも私の旅の目的の一つだ。こないだそう決めたんだよ」
ジョンが少し驚いたように目を瞬かせる。
「ま、私が誰よりも強くなった時のオマケみたいなものさ。だけど、そう、決めた。理由は、自分でもよくわからないんだけどさ……」
金髪の巻き髪がいつもより綺麗に整っている。
「ポーリー、ガンバッタヨ!」
ブラシと髪当てを抱えたポーリーが駆けてくる。そして、日曜学校の本を見て目を輝かせる。
「ドロテア、ダイスキ! ポーリー、コレデ、モットモット、スゴイメイドニナレルヨ!」
「文字もだいぶ覚えてきましたからね」
本を手に取って、ぽん、とジョンの隣に腰掛けるとポーリーは言う。
「……アノネ、ポーリー、イツカ、ゴシュジンサマ、ヤ、オヤブンミタイニ、ナリタイノ」
港町で助けてもらった時から変わらないようでいて、少しだけ違う感覚。
この二人には恩義があり、一生をかけて尽くすことで返していくという気持ちは変わらないが、今はもう、それだけではないのだ。
自分の持ち合わせている、まだまだ少ない言葉がもどかしく、日曜学校の本をぎゅっと抱きしめて、天井に視線を投げる。
「トクイナ、コト、モ、シテミタイ。イイノカナ……」
イザベラとジョンが同時に笑う。
「もちろん!」
そんな三人を見てドロテアが呟いた。
「本物の、ご家族みたい」
「そうでしょう?」
ジョンが目を細めて静かに微笑む。
「……詩、ありがとうございます。素敵だわ。こんな素敵な贈り物、生まれてはじめて。……このお店の名前も『林檎亭』にしちゃおうかしら。この宿、今まで名前がなかったの。私も、これからしっかり頑張っていかなきゃ」
イザベラがぱちり、と華麗にウィンクして、少しだけ意味深に笑って言ってやった。
「あんたなら大丈夫さ。いい男を見つける目を持ってそうだからね!」
思わずドロテアがそんなイザベラをまじまじと見て、返す言葉を探そうとする。
「いいのさ。あんたのような林檎娘には、健康で屈強で、毎日よく笑っては店を切り盛りしてくれるような優しい男が、いつかやってくるってもんだ。あとは、可愛い林檎娘ここにありって世間様に知らしめるだけでいい。そいつはここにいるジョンがやってくれるさ」
「は、はい!」
「おまかせあれ! 旅の間に綴った詩も溜まってきましたしね。そろそろ詩集の刊行も考えていたところです」
「頑張ってくださいね!」
「ええ、ありがとう」
太陽が真上に登るころ、食料と少しばかりの酒類、日曜学校の本を馬車に積み込んで、ドロテアにとって一生忘れないであろうこの一行は、再び、東へ向かい旅立って行った。




