第三十七話 黒幕
煉瓦道に夜明けの光が反射するころ。
住居区画のとある一棟に向かって、鴉頭たちは歩みを進めていた。
「あ、あの……鴉頭さん」
「なんだ」
「この道、それに事件を引き起こしたって……」
「……もう着くぞ」
赤頭巾の疑問に答えず、鴉頭は到着を告げると目の前の扉を力強く叩く。
すると夜明け前という時間の割には、まるで待っていたかのように間髪入れず家の主が顔を覗かせた。
「……ああ、あなた達の方ですか。どうぞ、中に」
「ああ」
「…………」
家の主――オンジューの招き通りに鴉頭は生返事を、赤頭巾は無言のまま、ひっそりと中へ入って行った。
「それで、どうしてこんな夜分に?」
二人を招き入れたオンジューは出会った頃のように紅茶を淹れながら、当然の疑問を口に出す。
そんな態度を白々しいと思いつつ鴉頭は短く答えた。
「獣を全て処分した」
「わざわざそのことを?」
「……途中で騎士教会を名乗る奴に出会った」
「ふむ、初耳ですね」
「そして、鐘鳴らしを殺した奴が分かった」
「ほう」
上滑りした会話が終わった少しの沈黙。
声を出したのは鴉頭だった。
「オンジュー。お前だ」
赤頭巾が薄々感じていた事を鴉頭ははっきりと言葉にした。
ランスで起こった鐘鳴らしの殺害事件。
事件を追えば追うほど、住民にゴロツキ、獣や紅騎士など疑わしい人間が腐るほど現れた。
しかし鴉頭が見出した真の犯人とは、無辜の民であるはずのオンジューだった。
名指しで呼ばれたオンジューは片手で眼鏡を上げると、落ち着いた様子で近くの椅子に座る。
「これはまた突然ですね。どうして僕が?」
「紅騎士とか言う大層な名前を名乗った新兵がこんな物を持っていた」
そう言って、鴉頭は手の中から紅騎士の遺体に眠っていたある物――凝った意匠の刻まれた十字架を垂らした。
それを目にしたオンジューは一瞬だけ目を見開いたが、平静を装うようにカップに紅茶を注ぐ。
そして絞り出すように声を出した。
「……それが何か?」
「しらばっくれるのか?お前の方が詳しいだろ」
とぼけるオンジューへ間髪入れず、鴉頭が背後に点在するインテリアの中から全く同じ意匠を持つ十字架を引っ張り出した。
オンジュー曰く、妻およびその一族の資産であるはずの物から、大獣害以降に頭角を現した騎士教会に関連する十字架が出てくるはずがない。
つまりこれはオンジューの私物であり、それの意味する所は他ならぬ彼が騎士教会に所属しているという証左だった。
「騎士教会が初耳だと言ったのは墓穴を掘ったな」
「…………ええ。僕が騎士教会に信仰を寄せている事は認めます。ですが、それが鐘鳴らしを殺したという物証にはならないでしょう?」
業腹だが、確かにオンジューの言葉は正しかった。
彼の読み通り鴉頭はオンジューが鐘鳴らしを殺したという物証を何一つとして持ち合わせていない。
そもそも鐘鳴らしの死体もなければ凶器も見つかっていないのだ。証拠などあろうはずもない。
「ああ。だが騎士教会はきな臭さすぎた。憲兵にお前が関係者だと伝えれば、間違いなく容疑者に挙げられる程度にはな」
そう、鴉頭は最初からオンジューの罪を証明しようなどとは思っていなかった。
前提として、この事件は不明な点が多すぎて逆に容疑者が定まっていない。
そこで突如現れた獣を含めた狩人をも憎む、紅騎士を擁する騎士教会という存在がカギになる。
世界連合政府の同盟下にあるフラウニースで私兵を潜伏させる宗教団体というだけでも役満だが、騎士教会は更に政府の把握していない特殊隕鉄の所蔵まで行っている。
鴉頭の言う通り、騎士教会は身の潔白を訴えるには胡散すぎるのである。
憲兵に藪をつつく理由さえ与えれば、後は鴉頭が何もしなくとも蛇が飛び出してくるだろう。
一転して、オンジューは言い逃れの出来ない状況に陥った。
そんな彼が言葉を探す合間に、意外な人物が声を上げる。
「あ、あの!紅騎士さんがやったっていう可能性は……?」
「お嬢さん……」
意外な人物――それは蚊帳の外でオンジューの追い詰められるサマを傍観していた赤頭巾だった。
思わぬ助け舟に、オンジューすら赤頭巾に視線を向けて感嘆の声を漏らす。
しかし、鴉頭は赤頭巾を見ることも無かった。
「それはない」
「でも、あんなに強かったんですから……!」
「強さは関係ない。あの女に暗殺は不可能だ。ゴロツキを放置できるはずがない」
即座に赤頭巾の考えを否定した鴉頭だったが、紅騎士と初めて対峙した時はその可能性も考慮していた。
狩人を憎むのならそれに与する鐘鳴らしを殺す理由も理解できるし、殺すだけの能力もある。
しかし他の村で無法者を処刑していたらしい騎士教会がゴロツキを放置するだろうか?
紅騎士の空回りした正義感や実力を見るに、処刑の実行者は紅騎士や四騎士とやらで間違いない。
だとすればランスが狩人協会を抱えるとはいえ、紅騎士の性格を鑑みてあの数のゴロツキを放置して真っ先に鐘鳴らしを殺しに行くとは思えなかった。
「それにあの女の目的はお前だっただろ。赤頭巾」
もう一つの違和感は紅騎士本人が吐いた器の確保という言葉だ。
器というのは言わずもがな赤頭巾のことで、紅騎士の狙いは獣ではなく彼女だった。
まずそもそもの疑問だが、彼女はどのような手段を用いて赤頭巾がランスに滞在しているという情報を知り得たのか。
この答えはすぐに出た。
最初からランスに潜伏していた信者が居たのだ。
騎士教会にフラウニースの村々を恭順させるほどの組織力があるなら、狩人協会の鐘鳴らしのような工作員が居てもおかしくはない。
極め付けは紅騎士が死に際にこぼした「報告通りランスに来ただけ」という言葉。
この言葉で鴉頭は、ランスに騎士教会の密偵が入り込んでいるという確信を得た。
「そして赤頭巾を知っている人間は、憲兵とゴロツキ。それに絡まれて助けられたお前だけというわけだ」
更に追い打ちをかけるように、オンジューの家を物色する中で見つけていた十字架を紅騎士も持っていた。
つまり騎士教会の密偵とは、元々ランスに居を構えているオンジューだったのだ。
赤頭巾の弁明も虚しく、寧ろより自身の疑いが深まったオンジューは自ら淹れた紅茶を呷ると、項垂れながら鴉頭に呟いた。
「いつから……ですか」
「あ?」
「いつから僕を疑っていたのですか?疑っていなければ、貴方は僕の家を物色などしないでしょう」
オンジューはもう否定する事を諦めた。
そして投了したように、自身の何が鴉頭を疑わせるに至ったのかを問う。
「最初からだ」
「はっ?」
「初めて会った時お前の家の位置を知った時だ。なぜ自宅の路地裏ではなく、その向かいにある狩人協会に面した路地裏に居るのかが気になった」
恐らく鴉頭がランスを訪れたその日にオンジューは鐘鳴らしの殺害を決行したのだろう。
鐘鳴らしが殺害されたとなれば鴉頭はランスから離れられなくなるし、それ以上の増援が来る可能性も低くなる。
その帰りにゴロツキに絡まれたのは流石に偶然だろうが、それすらも鴉頭に獣の出現を匂わせて紅騎士がランスに到着するまでの時間稼ぎに使ったのだから抜け目がない。
今思えば他の村から無法者を追い出したのも、狩人協会のあるランスにゴロツキを集めさせるためだったのかもしれない。
「はっ、ははッ、ははははは!!そうか、最初から!……それじゃあ僕はとんだ道化を演じていたようだ!」
最初から自身の行動を見透かされていたオンジューは堰を切ったように、らしくない笑い声を上げる。
壊れたように笑い続けるオンジューに鴉頭が声を掛けるその前に、黙り込んでいた赤頭巾が身を乗り出した。
「どうしてですか!?」
「……どうして?」
「鐘鳴らしさんが居なくなって困るのは鴉頭さんだけじゃないって言ったじゃないですか!それに、悪いことをしてたのかも知れないけど……ゴロツキの人達だってみんな獣に殺されたんですよ!?」
オンジューを信頼していた反動だろうか、赤頭巾は泣きじゃくるように彼が引き起こした事件の非道さを責め立てる。
赤頭巾の正論から目を逸らすようにオンジューは俯いて、消え入るような声音で言葉を返した。
「確かに彼らは哀れです。が、獣に追従する事を選んだのも彼らです。なら必要な犠牲だと割り切るしかないでしょう」
「何を言うかと思えば、必要な犠牲か。……傲慢だな」
「獣を殺す上で、その感情は恥になり得ませんよ」
「そこまでして……獣を憎む理由があるんですか……?」
言外にランスの住人やゴロツキたちの死亡を許容するようなオンジューの言葉に、赤頭巾は純真な疑問を口にする。
その言葉を聞いた瞬間、オンジューは顔を上げて椅子から立ち上がった。
「愛する妻を目の前で獣に喰われた、では不十分ですか?」
「それは……」
オンジューは顔に能面のような無表情を貼り付けて淡々と、獣を憎むに足る理由を吐いた。
「余りに陳腐な動機でしょう?ですが……その為ならなんだって出来た!怪しい信仰に縋る事も、妻の遺した資産を捧げる事も、間接的に人を見殺しにすることも、一度もしたことのない諜報紛いも、なんだって!!」
「わ、私は……それでも……」
「それでも人を傷つけるべきではないとでも?ハッ、貴女は随分と道徳的な生き方をして――」
「黙れ」
まるで赤頭巾を責めるような、実際オンジューは確かな怒りを持っていたのだろう、強い語気で彼女を貶めようとしたオンジューの言葉を鴉頭が遮る。
「お前が獣を憎む理由と、他者の犠牲を容認することは無関係だ。赤頭巾を侮辱するのはお前の名誉のためか?」
「言うに事欠いて……!そもそも世界連合政府が貴方たちのような半獣を飼っているから、僕は騎士教会なんかに頼らなくてはならないんですよ!?」
「……平行線だな」
赤頭巾を弁護する鴉頭に対して、オンジューは肩で息をしながら狩人への不満まで捲し立てる。
残念なことに赤頭巾は間違っていた。
オンジューの目的は憎むことであって、現状の解決ではないのだから。
「だが、俺はそんなことはどうでもいい」
「鴉頭さん……?」
てっきりオンジューのした事を言葉の限り罵倒すると思っていた赤頭巾は、終始冷静な鴉頭を見やる。
「俺が知りたいのは、なぜお前らが赤頭巾を狙っているのかだ。器というのはどういう意味だ?」
「……知りませんよ」
「はぁ?何も知らずにお前は鐘鳴らしを殺して、獣を放置していたのか?」
「えぇ。主は、獣を残らず根絶すると仰った。僕が大局の中の些事を知る必要はありません」
「はっ、つくづく盲目的だな」
紅騎士に続いて工作員ですら肝心な情報も持たずに、主とやらを盲信するオンジューを鴉頭は辟易するように嘲笑う。
「獣は全て元々人間。その器と聞けば、聞かずとも予想ぐらいつくでしょう」
「赤頭巾が、獣の女王になるとでも言いたいのか?」
「否定する要素の方が少ないと思いますが?」
よりにもよって赤頭巾の前で鴉頭の想定していた最悪のケースをオンジューは遠慮なく肯定する。
獣の女王になり得る器だというのなら、獣が赤頭巾を殺さないことも、騎士教会が狙う理由も説明はつく。
「……所詮、憶測だ。自ずと分かる」
自分に言い聞かせるような鴉頭の呟きをオンジューが否定する事はなかった。
またもや蚊帳の外にいた赤頭巾が沈黙を埋める為に鴉頭の裾を掴む。
「オンジューさんは、どうするんですか?」
「憲兵に引っ張っていく。叩けば叩くほど埃が出てくるはずだからな」
「ああ……残念ですが、僕は半獣を許容する社会の法に裁かれるつもりはありません」
「何を言って……っ!」
オンジューは鴉頭の言葉に負け惜しみとも取れる捨て台詞を吐くと、糸の切れた人形のように椅子に持たれ崩れる。
俯きがちの顔に覗く口元からは、どす黒い血液がこぼれ落ちていた。
それに気づいた鴉頭は慌ててオンジューの傍まで駆け寄る。
「クソっ、おい!ちッ、紅茶に毒を……!」
「ははっ、共倒れは高望みでしたか……」
どうやらオンジューは鴉頭の殺害も諦めていなかったようで、紅茶を舐めた鴉頭はその刺激から毒物を特定する。
しかし、吐血までしているとなれば最早オンジューが助かる余地は残っていないだろう。
よしんば耐えたとしてこの夜更けに都合よく医者を呼べる訳でもない。
オンジューが紅茶を飲みこんだ時点で彼の死は決定していたのだ。
「オンジューさん!」
「……お嬢さん、貴女にあたってしまったこと、謝罪します。アレは、確かに……僕の……っ意地が、悪かった」
「も、もう喋らない方が……!」
鴉頭に遅れてオンジューへ駆け寄った赤頭巾に、オンジューは先程も会話について謝罪した。
だが声を出す度に喉から血のせり上がる音と、苦しそうな声が漏れていた。
「鴉頭さん……貴方に、ぅっ、話すことなど、ありませんが……」
「ああ、俺も無い」
「――フッ、がぁ、ゲホッ、ごぼぇ……ぁはは、あなた、らしい」
自身が死の淵に立とうと全く意に介さない鴉頭を見て笑ったオンジューは、その拍子に血塊のような血液を吐き出す。
そして息も絶え絶えになりながら鴉頭の外套を掴んで、もたれ掛かりながら鴉頭の耳元まで顔を寄せた。
「ですが、餞別に……おひとつ。僕は、鐘鳴らしを……殺しましたが、死体は隠していません……」
「なんだと?」
とうとう鐘鳴らしの殺害を認めたオンジューは死の間際で、とっくに鴉頭も憶測を放棄していた消えた鐘鳴らしの死体について話し始めた。
「なら死体はどうした!?」
「……知り、ませ……ん、よ」
「ちッ、しっかりしろ!!」
謎だけ残して死ぬなと叫ぶ鴉頭へ、してやったという風に口角を上げるオンジューは、やがてぼやける視界と混濁した意識の中で手を伸ばす。
「これで……やっと…………君に、会え……」
霞む視界の奥で何かを幻視したオンジューは、伸ばした手をだらりと鴉頭の肩に置くともう動く事は無かった。
今更昇ってきた朝日が窓から差してきたころ、多大な死傷者を出したランスの事件は幕を下すのであった。




