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鉄の焦げる匂いと血生臭い匂いとが入り混じった形容し難い匂いが立ち込める住宅地。
人の声は一つとして聞こえてこない……。
路肩には電柱に衝突した車が止められていた。砕けたフロントガラス、電柱にめり込んだフロントバンパー。萎んだエアバッグには血痕が付着していた……。
視界に広がる景色の所々に見受けられる血の跡が生々しさを感じさせた。
あの化け物は一体だけじゃなかった……。
校庭で田中を殺した一体と自衛隊の車両を襲った一体。
不意にまた現れるのではないか……。
そんな恐怖が懸念を抱かせる。
もう、現れないでくれ……。
俺はこれ以上化け物が現れないことを願い、変わり果てた道路を走り続けた。
何かが目についた。
赤黒い液体のこびりついた塊……。
恐る恐る近づくと俺はその物体を凝視した。
「……ッ!」
不意に胃の底から重い空気が突き上げる。
俺の身体は拒絶反応を起こして嗚咽を漏らした。
半身だけになった身体。頭半分、口許から上がない顔……。
瞳に映り込んだ物は人の原形を留めてはいなかった……。
絶望感が込み上げるのを必死に振り払う。
決して諦めることは許されない。
俺の事を大切に思ってくれる二人の顔が目に浮かんだ。
どうか無事でいてくれ……。
俺の願いはその一つだけだった……。
家の門扉が見えたところで俺の足は止まった。
力を失った足は地面に吸い付いて動かない……。
赤い楕円形をした二つの染み。
足跡のような二つの染みが門扉から玄関の扉まで続いている。
そして破壊された玄関扉。
「嘘だろ……」
俺は全身に力を入れて足を踏み出す……。そして玄関の中へ駆け込んだ。
家の中は薄暗く、照明の電源を入れても明かりはつくことはなかった。
俺はリビングの戸に手を掛けた。
「あぁぁ…………。うああああああああああああああああ!!!!」
一瞬、何が起きているのかわからなかった。いや、理解したくなかった……。
目に飛び込んできたのは黒い化け物が母さんの身体を貪っている光景だった。
俺は瞬時にテーブルの椅子を手にすると化け物に飛びかかった。
何度も何度も何度も何度も……。
何度も何度も何度も何度も……。
化け物に椅子を打ち付け、叩きつけた。
そして衝撃に耐えきれなくなった椅子は背もたれと座面が二つに分かれ砕けた。
化け物はぴくりとも動かなくなった……。
俺は急いで母さんの身体を抱き上げると近くのソファに横にした。
母さんは細い息を漏らしながら俺の顔を見つめた。
色の濁った瞳。
母さんは口をゆっくりと動かしながら何かを喋べている。しかし母さんの口から声は聴こえてこない……。母さんは必死に何かを伝えようとしていた。
濁った瞳から雫が滴り落ちる。
「……は、……く、に………げて」
死が迫る中、辛うじて絞りだしたその声は俺の生命を第一に思った一言だった……。
何で、何でなんだよ! 一体、俺が何をしたって言うだよ! いじめられてみじめな思いをして辛い思いだけしかしてこなかった俺から大切に思ってくれる大事な人を取り上げるのかよ……。やっと、やっと分かり合えたんだ……。やっと本当のお母さんだってわかったんだよ……。
涙腺から止まることなく涙が溢れでる。俺は母さんの手を両手で握った。
母さんの手は氷のように冷たかった……。
「母さん、母さん……」
死なないで。死なないで……。
願いとは裏腹にか細く呼吸していた母さんは呼吸することを辞めた。
「母さん……? 母さん……。母さあああああああああん!!」
「────ッ!」
横合いから突然の強い衝撃。俺は壁面へと弾き飛ばされた。
「ぐぁあッ!」
壁面に衝突した俺は地面に突っ伏した。
顔を上げると動かなくなったはずの化け物が視界に映った。
全身に走る痛みに堪えながら俺は身体を起こした……。
不意に違和感を感じる……。
床に手を突いた両手が濡れていた……。
視線を落とすと大量の液体が床一面を埋めていた。
赤黒い液体……。
視界の片隅に何かがあった。
見覚えがある塊……。
平らな塊から丸みを帯びた棒形状ものがアーチ状に左右に何本も規則正しく生えている。並んだアーチには天井がなくハの字に連なりを見せていた。
「父さんなのか……。あの肉の塊が父さんだって言うのかよ……」
露わになった肋骨……。肋骨は中心からこじ開けられていた。
俺は化け物を強く見据えた。
命を引き換えにしたって構わない。コイツだけは、コイツだけは絶対に俺が殺すッ!
床から立ち上がり勢いよく駆け出した。
振り上げた拳に力が入る。
俺は化け物に殴りかかった。
拳は化け物に一直線に向かってゆく。そして拳が化け物に当たる──。
拳はヘドロのような身体にめり込んだのだが……、化け物に大きなダメージは与えられてはいないようだった……。すると化け物の腕が俺の首元に伸びた。
首に化け物のヘドロが纏わりつくと首元を締め上げ、俺の身体をゆっくり頭上に掲げた。
「……かはぁ」
息が、息が……。
必死にもがくが化け物はビクとも動じない。
次第に辺りが暗くなり始めた。
殺す……、殺すッ! こんなところで死ねるか……。コイツを殺すまでは俺は死ねない……んだ。
もがき続け化け物を見据えるが段々と身体から力が抜けてゆく。視界に映る黒が景色を着々と飲み込む。
「ダ……、イチ……」
化け物が発した言葉に耳を疑った。その声は父さんの声に似ていた……。
……なんで、父さんの声が。
視界の全てを黒が覆い尽くした。
一瞬、光が煌めき、線状になった光が視界の両端へと消えていった────。




