10
見つめ合ったこの一瞬が俺にはとても長い時間に感じられた。
田中はうつむき、視線を床に戻した。
一拍置くと田中は壁に這い寄る。
壁に手をつき、立ち上がろうと体勢を上げようとした瞬間……。
「イタッ!」
悲痛な叫びと共に田中は床に崩れ落ちた。
「ねぇ誰か……」
消え入りそうな涙声が駆け抜けていく生徒達に向けられた。だが田中の声に耳を傾ける生徒は誰一人としていない……。
俺は拳を握りしめた。
田中達に受けた虐めの数々が脳裏に呼び起こされる。
焼き付けられた記憶。
悪い行いをすれば自分に還る。それは当然のこと。
いい気味じゃないか……。
田中から視線を戻した俺は廊下を歩き始めた──。
俺は足を止めてその場にしゃがみ込んでいた。
背を屈めて後ろを見るときょとんとした顔が俺を見つめていた。
「……なんで」
そう口にした田中の目から涙があふれだす。
嗚咽を漏らしながら田中は両手で目元を擦った。
「……田中、早く乗って」
呼びかけに応じた田中は俺の背にしがみついた。
俺は真っ直ぐと廊下の先を見つめた。
後悔なんてない……。誰であっても助けを求めている人がいたら手を差しのべる。俺はそんな人間でいたい……。それが俺に酷いことした人だったとしても……。
田中を背負い、立ち上がろうとした瞬間、再び爆発音が鳴り響く。
しがみつく田中の腕に力がこもるのがわかる。
「大丈夫。大丈夫だから……」
「うん……」
弱々しい声が耳元で呟かれた。
体勢を立て直した俺は生徒達がいなくなった廊下を走りはじめた。
三階から一階へ階段を一気に駆け下り廊下を走り抜ける。体育へと続く連絡通路に差し掛かかると俺は足を止めた。
「……なんだよ、これ」
学校の外、視界の奥でいくつもの黒煙が空に上がっていた。
そして上空をテレビ局のヘリが通り過ぎてゆく。
胸中に不安と恐怖が渦を巻く。
俺は連絡通路を駆け抜けた……。
体育館の中はパニックを起こした生徒であふれかえっていた。
「田中? 下ろすよ」
俺は床に田中を下ろし辺りを見回した。
「先生から救急箱借りてくるから……」
小さくうなずいた田中を見た俺は近くにいた先生の下へと足を走らせた。
「……先生。足をケガしたクラスメイトがいるんです。救急箱貸してもらえますか」
「軽傷なら治療はもう少し待ってください。あと少しで自衛隊が来ます」
「自衛隊!?」
驚愕の答えに思わず俺は大きな声で叫んだ。
白髪で眼鏡を掛けた学年主任の先生は手に持った拡声器を口元に当てた。
「え〜。落ちついて聞いて下さい……。先程、文科省から緊急連絡がありました。今この地域で大規模なテロが発生しています……」
『テロ』と聞いた途端、生徒達は一斉にどよめき始めた。学年主任の先生は騒ぎ始めた生徒達の声に被せるようにして大声を出した。
「だから落ちついて下さい!! もう少しで自衛隊が到着します。だから落ちついて待ちましょう……」
拡声器を通した怒鳴り声が次第にフェードアウトしていく。拡声器を下ろした先生の手は小刻みに震えていた。
俺は急いで田中に駆け寄った。
「……ごめん。今すぐには無理っぽい。自衛隊が来るまで手当は待てって」
何の返答も返ってはこない。うんともすんとも言わない田中は俺のズボンの裾を握った。
俺は田中の隣に腰を下ろした……。
田中に視線を向けるとか細く弱った身体が震えていた。
俺は何も言わず、彼女の手に自分の手を重ねた。
目を丸くした田中が俺をみた。
間違えたかもしれない……。
田中の表情を見て気まずくなった俺は自分の手を離そうとした時、彼女の両手が瞬時に俺の手を握り返す。田中は何も言わずに俺から視線を外した。
彼女の体温が手を通して伝わる。
田中の手の震えが止まった……。




