第9話:春風の垣根と、ふくらむ豆
昼下がりの荒野には、春特有の強く乾いた風が吹き荒れていた。
地平線の彼方から吹き抜ける突風が、砂埃を白く巻き上げ、岩壁の窪みの野営地をガタガタと揺らす。
ティル、モグ、ピピの三人は、岩壁の風下に身を寄せながら、畑の方を見つめていた。
「うぅ……風が強いッスね! 目の中に砂が入りそうッス!」
モグが両前足で目を覆いながら、丸っこい身体を縮こまらせる。
「ちょっとアンタたち!のんびり座ってる場合じゃないピョ!」
ティルの肩の上で、ピピが瑠璃色の翼を激しくバタつかせながら叫んだ。
「見なさいピョ! 第一号畝の土大根の双葉が、風に煽られて千切れそうになってるピョ! それに、さっきアタシが湿らせてあげた第二号畝の表面も、この乾燥した突風のせいで砂埃みたいに土が吹き飛ばされてるピョよ!」
「本当だ……! これはまずいな」
ティルは目を細めて立ち上がった。
せっかく発芽した土大根の小さな双葉が、突風に叩きつけられて今にも地面に伏せてしまいそうだ。
荒野の風は容赦がない。水分を奪い去るだけでなく、肥えた表土ごと苗を削り取ってしまうのだ。
「水路を引いて土を潤しても、風の対策をしなければ作物は育たないか……。前世の畑でも、春一番の強風でナスやキュウリの苗が全滅したって話を聞いたことがあるな」
「じゃあ、どうするんスか、旦那!? 土の中に埋め戻すわけにもいかないッスよ!」
モグがおろおろと耳を揺らし、心配そうに畑を見つめる。
「埋め戻さなくていいよ。風が強いなら――風を遮る『垣根』を作ろう」
「垣根……? 風を止める壁のことピョ?」
ピピが首を傾げた。
「そう。でも、板や石で隙間なく完全に塞ぐ『塀』にしちゃいけないんだ。完全に塞ぐと、壁にぶつかった強風が上空へ巻き上がって、後ろ側に猛烈な吹き下ろしの渦を作ってしまう。だから、風を完全に止めるんじゃなくて、勢いを殺して優しいそよ風に変える『すき間のある防風垣』を作るんだよ」
「なるほどピョ! 風を受け流すってわけピョね!」
「すっげぇッス、旦那! 風の力まで計算に入れるなんて、まるで本物の大工さんッス!」
ティルの説明に、モグとピピの瞳がキラリと輝いた。
前世の農業動画で幾度となく学んだ「防風林」や「笹竹の防風ネット」の仕組み。
自然の猛威に力任せで対抗するのではなく、柔軟に受け流す知恵が、異世界の荒野で形になろうとしていた。
「役割分担をしよう。モグは畑の風上にあたる西側のラインに、柱を立てるための深さ三十センチの穴を等間隔で掘ってほしい」
「了解ッス! 穴掘りなら俺の独壇場ッス!」
「ピピは上空から風の流れを見て、どの方向から一番強い突風が吹き込んでいるか、風の通り道を教えてくれるかい?」
「任せるピョ! 風の流れを読むのは、鳥であるアタシの専門分野ピョ!」
「よし、俺は岩壁の麓から手頃な枯れ木の枝と、しなやかなツル草を集めてくる」
三人は泥まみれの手と前足、そして翼を重ね合わせると、一斉に作業へと飛び出した。
「風向スキャン、開始ピョ!」
ピピがパッと宙へ舞い上がった。
地表から数メートルの高さを旋回し、風の匂いと強さを全身の羽毛で感じ取る。
「ティル、モグ! 風は西からだけじゃないピョ! 岩壁の裂け目を抜けて、北西からも斜めに鋭い突風が吹き下ろしてるピョ! 垣根は真っ直ぐじゃなくて、畑を包み込むように『くの字』に配置しなきゃダメピョ!」
「ナイスだ、ピピ! モグ、北西側にもカーブさせて掘ってくれ!」
「合点承知ッス! 『シャベル・掘削』、連続穴掘りモードッス!」
ザシュッ、ザシュッ、ポンッ!
モグの両前足が高速で回転し、定規で測ったかのように綺麗な円形の穴が、地面にポコポコと掘り進められていく。
固い粘土層や地中の小石も、モグの爪にかかれば一瞬で掻き出され、完璧な柱穴が次々と口を開けた。
さらにモグは、垣根の足元に余分な水が溜まらないよう、爪先で小さな排水用の溝まで器用に整えていく。
ティルも負けてはいられない。
岩壁の麓に倒れていた、人の腕ほどの太さがある頑丈な枯れ木の幹をスコップの背で叩き折り、支柱として運ぶ。
さらに、水路の脇に自生していた、弾力があってちぎれにくい野生のツル草を何本も刈り取ってきた。
ツル草からは、刈りたての若草特有の青く爽やかな香りが漂っている。
「モグ、穴にこの支柱を差し込むぞ!」
「よいしょッス! 周りの土を踏み固めて、絶対倒れないように固定するッス!」
ティルが立てた太い木の幹の根元に、モグが土を流し込み、短い後足でトントンと力強く踏み固める。
一本、二本、三本――。
強風にもびくともしない頑丈な支柱の列が、畑の西側から北西側にかけて立ち並んだ。
「次は横木と枝の編み込みだ」
ティルは細い枝を水平に渡し、しなやかなツル草でしっかりと支柱に縛り付けた。
ツル草は繊維が強く、ぎゅっと締め上げると木の皮に食い込んで驚くほど固く固定される。
さらに、水路の清掃で取り除いておいた枯れ枝やススキに似た細長い草を、すだれのように適度な隙間を空けて編み込んでいく。
隙間から風が適度に通り抜け、突風の威力を半分以下に減衰させる天然のフィルターだ。
「仕上げはアタシの出番ピョね!」
ピピが水路から水を補給して舞い戻ってきた。
編み込まれた枝草の垣根に向かって、翼からシャワーをサーッと吹きかける。
「ピピ、水をかけるのかい?」
「乾燥した枯れ枝は軽くて折れやすいピョ! こうやって水を含ませてしっとり重くしてやれば、風に煽られてバタつくのを防げるし、畑に吹き込む風に優しい湿気を与えることができるピョ!」
「なるほど……! 天然の加湿フィルターになるのか!」
ティルは思わず膝を打った。
ただの風よけではない。乾燥した砂漠の風を、しっとりとした潤いのある微風に変える、極上の環境装置が完成したのだ。
編み込みが終わった瞬間、ビューッと荒野の突風が垣根に激突した。
だが、垣根はガタつくこともなく風を受け止め、隙間から通り抜けた風は、畑の土大根の双葉を優しくそよがせる程度の穏やかな風へと変わっていた。
「……止まった! 風が、優しくなったッス!」
モグが歓声を上げて跳び上がった。
「ふぅ……! アタシたちのチームワークにかかれば、荒野の嵐なんてへっちゃらピョ!」
ピピが誇らしげにティルの肩に着地し、胸を反らす。
「ふたりとも、本当にありがとう。これで畑の苗たちも安心して育つことができるよ」
ティルは額の汗を拭いながら、ふたりに心からの笑顔を向けた。
心地よい達成感に包まれる中、ティルは腰の麻袋から、あの小さな革袋を取り出した。
追放された時に兵士たちから投げつけられた、残りわずかな種が入った袋だ。
「さて……風も収まったし、第二号畝の準備もできている。いよいよ、次の野菜を植えようか」
「おおっ! 次の種ッスね!」
「今度は何の種ピョ?」
モグとピピが興味津々でティルの手元を覗き込む。
ティルが革袋の底を傾けると、手のひらの上に転がり出たのは――小豆ほどの大きさの、シワシワに縮こまった黒褐色の粒だった。
表面は石のようにカチカチで、指先で強く押し込んでもびくともしない。
「うわ……これ、完全に干からびて化石みたいになってるッスよ?」
モグが鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐ。
「……あ! これ、【カラカラ豆】の種ピョ!」
ピピがくちばしをパッと開けて叫んだ。
「カラカラ豆?」
「そうピョ! 大地の奥深くに根を張って、荒れた土地でもぐんぐん育つ野生の豆ピョ! 殻が石みたいに硬いから、王国の人間たちは『煮ても焼いても食えない役立たずのゴミ豆』って呼んで捨ててたピョね」
ピピの言葉に、ティルは苦笑した。
やはり軍事特区の兵士たちは、嫌がらせのために「絶対に芽が出ない種」を選んで押し付けたのだ。
「でもね、ティル! この豆はゴミなんかじゃないピョ!」
ピピの瞳が真剣な輝きを帯びる。
「カラカラ豆はね、乾燥に耐えるために自分で殻をカチカチにして眠っているだけピョ! 根っこに『大地の栄養を蓄えるコブ』を作るから、この豆を植えた土は、どんどん黒くて肥えた土に生まれ変わるんだピョ!」
「根粒菌か……!」
ティルは目を見張った。
前世の農業でも、大豆やクローバーなどのマメ科植物は、空気中の窒素を土に固定して土壌を豊かにする「緑肥」として重宝されていた。
この不毛に見える豆は、畑を何倍にも肥沃にしてくれる最高の救世主だったのだ。
「よし、植えよう! でもピピ、こんなに殻が硬いと、そのまま土に蒔いても水を吸えないんじゃないかい?」
「その通りピョ! 植える前に、温かい水にじっくり浸して、殻を柔らかくして眠りから起こしてやらなきゃダメピョ!」
「温水による浸種だな。よし、お湯を沸かそうか」
「ノンノン、ピョ! 沸かした熱湯なんて使ったら、中の命が茹で上がって死んじゃうピョ!」
ピピは得意げに羽を広げた。
「アタシの体内水嚢なら、熱すぎず冷たすぎない、種が目を覚ますのに一番心地よい『ぬるま湯』を完璧に作り出せるピョ! ……器を用意するピョ!」
「了解!」
ティルは水で洗った平らな石の小鉢を差し出した。
ピピが水路から水を補給し、陽だまりで温めたあと、石の小鉢へとトトトト……と温かな水を注ぎ込む。
指先を浸してみると、まるで春の温泉のような、ほんのりとした心地よい温もりがあった。
ティルはその中に、五粒のカラカラ豆を静かに沈めた。
――ジュワ……プツプツ……。
微かな気泡が立ち上り、硬く閉ざされていた豆の表面が、温水をぐんぐんと吸い込んでいく。
ピキピキと微かな皮の軋む音が響き、数分もしないうちに、シワシワだった皮がパンと張った。
小豆大だった黒褐色の豆は、ふた回りも大きく、ぷっくりと艶やかに膨らんでいた。
「起きた……! 種が目を覚ましたッス!」
モグが歓声を上げる。
「うん、生命力が溢れ出している。今が蒔き時だ!」
三人は防風垣に守られた第二号畝へと向かった。
先ほどピピがスプリング・シャワーで潤しておいた黒土は、指先がすっと入るほど柔らかい。
「モグ、深さ三センチで、等間隔に五つの穴を掘ってくれ」
「任せるッス! 豆の種は深すぎず浅すぎず、三センチがベストッスね!」
モグがシャベル爪でササッと穴を開けていく。
ティルはぷっくりと膨らんだカラカラ豆を一粒ずつ、慈しむように穴の中へ落とし込んだ。
ふかふかの黒土を優しく被せ、両手でトントンと鎮圧する。
仕上げに、ピピが上空から優しいミストを降らせ、種と土をしっかりと密着させた。
「ふぅ……! 種蒔き、完了ピョ!」
「やったッスね、旦那!ピピ姉さん!」
穏やかな夕暮れの茜色の光が、荒野を黄金色に染め始めていた。
完成した防風垣が心地よい影を落とし、優しく通り抜ける風が、土大根の双葉と、豆を植えたばかりの畝をそっと撫でていく。
垣根の向こうで荒れ狂っていた風の唸りは、ここでは静かな子守唄のように穏やかだった。
モグの掘削、ピピの水と風の管理、そしてティルの土作りと知識。
それぞれの力が合わさることで、過酷な荒野は確実に、豊かな命を育む理想郷へと姿を変えつつあった。
「みんな、本当にお疲れ様。……よし、今夜は垣根の完成と豆の種蒔きを祝って、とびきり温まる晩飯にしよう!」
「わぁぁぁい! 待ってましたッス!」
――ぐぅぅぅぅぅぅ……。
ピピのお腹が、今度は一段と盛大に鳴り響いた。
「…………ピョ」
「あはは! ピピ、お腹ペコペコだな!」
「う、うるさいピョ! 労働の後のメシは生き物の権利ピョ! ……アンタ、美味しいもの作ってくれなきゃ承知しないピョよ!」
真っ赤になって胸を張るピピを囲み、ティルとモグの楽しげな笑い声が夕暮れの空へと溶けていく。
明日への確かな希望を宿した畑は、静かに、力強く夜を迎えようとしていた。




