第35話:緑の宝石と、仙人蛙の歓迎大晩餐会
夕暮れ時、西の空を茜色と宵闇の紫が静かに染め分けていく。
開拓地の広場には、新しく完成した石造り工房の竈から、食欲をそそる香ばしい湯気が立ち上っていた。
昼間の陽気を蓄えた玄武岩の敷石が温もりを放ち、水路の涼やかなせせらぎと心地よい和音を奏でている。
「ふぅ……! 火加減はこれで完璧だね」
腕まくりをしたティルは額の汗を手ぬぐいで拭い、石造りの調理台を見渡して満足そうに息をついた。
今夜は開拓地にとって特別な夜だ。
北風を遮る【天候ハウス】の完成。
そして何より――数百年の孤独を越えて仲間となってくれた仙人蛙、ケロ爺の加入を祝う【歓迎大晩餐会】の開幕である。
「主さん、水路から【蜜入り野イチゴ】を引き上げてきたピョ!」
空からピピが滑空し、嘴に提げた柳籠を石板テーブルの上へと置いた。
清流でキリリと冷やされた真っ赤な野イチゴが、瑞々しい露をまとって並んでいる。
「ありがとう、ピピ。これでデザートも万全だよ」
「カラン、コロン……」
澄んだ銀鈴の音とともに、ベルが清潔な麻布と野の花の花瓶をテーブルの中央に飾った。
「淑女たるもの、宴の場を彩る気品を欠かすわけにはまいりませんわ。……今日の主役の緑に合わせて、清流の葦草と薄紫のアザミをあしらってみましたの。……メェ」
「さすがベル、テーブルが一気に華やかになったよ」
ティルが微笑むと、ベルは誇らしげに目を細め、ふんわりとした極上フリースを優雅に揺らした。
「旦那ァ! 石板の炉端、ガン親方特製の炭火がガンガンに熾きてるッスよ!」
広場の奥からモグが威勢よく駆け寄ってくる。
その後ろからは、重厚な足音を響かせ、ガン親方が特大の素焼き平鍋を抱えて現れた。
『ガハハ! 玄武岩の耐熱石鍋じゃ! 熱が均一に回って、どんな煮込みも最高の味に仕上がるぞい……ガメ!』
「親方、ありがとうございます! それじゃあ、仕上げに取り掛かろう!」
今夜の主役は、ケロ爺の天候術と雨上がりの朝霧によって実った、第二号畝の【カラカラ豆】だ。
昼間に収穫した若採り豆と、大切に保存しておいた完熟乾燥豆。
この二つの個性を余すところなく引き出す、贅沢なフルコースである。
まず一品目は、羽釜で炊き上げた【カラカラ豆と干し茸の翡翠炊き込みご飯】。
ティルが羽釜の杉蓋を持ち上げると、炒り穀物の香ばしさと乾燥キノコの芳醇な出汁の香りが広がった。
炊き上がった雑穀米の上で、無数のカラカラ豆がエメラルド色の艶やかな輝きを放っている。
「うわぁぁ……! お米が緑のお豆を抱っこしてるッス!」
モグが鼻をひくひくさせて歓声を上げる。
「炊き上がりの直前に生の翡翠豆を投入して蒸らしたから、豆の色鮮やかさとパリッとした歯ごたえが残っているんだよ」
ティルは木べらでご飯を優しく切り混ぜ、それぞれの木椀へと装っていった。
続いて二品目は、ガン親方の特製石鍋で煮込んでいた【カラカラ豆とゴツゴツ土大根の熱々ポトフ】だ。
こちらは完熟乾燥豆を使用している。
ぷるの土で育った甘みたっぷりの土大根を乱切りにし、香味野菜、乾燥きのこ、戻した乾燥豆と一緒に弱火でじっくり煮込んだものだ。
味付けは、北の岩山の粗挽き岩塩と、ベルの香味ハーブのみ。
澄んだ琥珀色のスープの中で、大根は半透明に透き通り、乾燥豆は出汁を吸い込んでふっくらと膨らんでいた。
木杓ですくい上げるたびに、身体の芯から温まりそうな優しい湯気が立ち上る。
そして三品目は、前菜となる【すり潰し翡翠豆の香草ディップと焼き立て芋ガレット】。
茹で上げた若採り豆をすり鉢で丁寧に擂り潰し、野草と岩塩、少量のクルミ油で練り上げた若草色のペースト。
それを、薄くスライスして石板でカリカリに焼き上げた野生芋のガレットに乗せていただく趣向だ。
「ぷるぷる! ぷるもお豆の皮むきお手伝いしたぷるぅ!」
ぷるが石鉢の横で誇らしげに跳ねる。
豆の皮を剥く際、ぷるの滑らかな粘液コーティングが豆の実を傷つけずにツルリと押し出す大活躍をしてくれたのだ。
「ぷるのおかげで、とっても滑らかなペーストになったよ。ありがとうね」
サンがテーブルの足元で尻尾を振り、胸の太陽の光をふわりと広げて、夜風で冷えがちな足元を温めてくれている。
「わほっ! ぼくもお席をあっためたワン!」
「よし、料理がすべて揃ったよ!」
石板テーブルの上には、翡翠色のご飯、湯気立つポトフ、彩り豊かなディップガレット、そして冷たい野イチゴが並べられた。
上座の羊毛クッションの上に、蓮の葉の笠をかぶったケロ爺が、葦の杖を両手で握りしめたまま、ちょこんと座り込んでいる。
その丸い瞳は、目の前の贅沢な料理を見つめ、信じられないように瞬きを繰り返していた。
『……ケロ? こ、これは……一体なんの騒ぎじゃケロ……?』
ケロ爺が呆然とした声を漏らすと、ティルは満面の笑みで木製の杯を掲げた。
「ケロ爺さん、改めて俺たちの開拓地へようこそ! 今夜は歓迎会と天候ハウスの落成祝いです。みんな、ケロ爺さんに感謝を込めて……乾杯しよう!」
「「「乾杯ッス(ピョ/ぷる/ですの/ワン/ガメ/ケロ)ーーッ!!」」」
澄み渡る夜空の下、仲間たちの元気いっぱいの歓声が響き渡った。
『ガハハ! さあ喰え、仙人蛙! 主の作る飯は、王都の貴族どもが金貨を積んでも拝めん極上物じゃぞい……ガメ!』
ガン親方が豪快に笑い、特大の木鉢からポトフをすくってケロ爺の前に置いた。
『う、うむ……。それなら、遠慮なく相伴にあずかるケロな……』
ケロ爺はおずおずと前足を伸ばし、まずは【カラカラ豆と干し茸の翡翠炊き込みご飯】に木匙を伸ばした。
淡い緑色に輝く豆粒と、出汁を吸った琥珀色のご飯をすくい、小さなくちばしへと運ぶ。
もぐもぐ……プチッ。
その瞬間――ケロ爺の小さな身体が、ピンと凍りついたように静止した。
『…………っっ!?』
黄金色の瞳が、驚愕のあまり大きく見開かれる。
『な……なんじゃ、この旨味は……ケロ……!?』
ケロ爺のくちばしから、震える声が漏れ出た。
『米の一粒ひとつぶにキノコと大地の滋味が染み込んでおる……! そしてこの豆……! 噛んだ瞬間にプチリと弾け、青草のような清涼な香りと濃厚な甘みが口いっぱいに広がるケロ……!』
「へへっ、美味いッスよね!」
隣でご飯をかき込んでいたモグが、口の周りに米粒をつけたまま自慢げに笑った。
「噛めば噛むほど、お豆のジュースがご飯と混ざり合って最高ッスよ!」
「ピピもこの豆ご飯、大好きピョ! お豆がホクホクしてて、何杯でもおかわりできちゃうピョね!」
ピピも嘴で豆をついばみ、嬉しそうに翼をバタつかせる。
ケロ爺は夢中で匙を動かし、何度も口へと運んだ。
温かな穀物のエネルギーが胃の腑へと染み渡り、冷え切っていた老いた身体を芯から力づけていく。
「ケロ爺さん、こちらのポトフも冷めないうちにどうぞ」
ティルが温かく声をかけると、ケロ爺は木椀に顔を寄せ、琥珀色のスープをすすった。
ズズッ……ジュワァァ……。
『……っ! ふ、深い……! なんと深い味わいじゃ……ケロ……!』
ケロ爺の喉が鳴った。
『出汁を吸った乾燥豆は栗のようにねっとりと濃密なコクを湛え……トロトロの土大根の甘みと岩塩のミネラルが見事に調和しておるケロ……!』
ケロ爺はハフハフと息を吹きながら、熱々の大根と豆を頬張った。
大根は歯を立てる必要もないほど柔らかく、噛み締めるごとに芳醇なスープが口いっぱいに溢れ出す。
「ふふ、お気に召していただけて何よりですわ」
ベルが優雅に芋ガレットをつまみ、翡翠ペーストをつけて口元へと運ぶ。
「青豆の瑞々しい風味に野生ハーブの清涼感が重なって、香ばしく焼かれた芋の甘みを引き立てていますわ。……メェ」
『どれどれ、ワシもガレットをいただくぞい……ガメ!』
ガン親方が分厚いガレットを豪快に咀嚼した。
『おおっ! カリカリの芋と滑らかな豆ペーストの相性が抜群じゃ! これは酒が進むぞい……ガメ!』
「あはは、親方、飲みすぎには注意してくださいね」
ティルが苦笑いしながら杯に注ぐと、テーブルの周りには絶え間ない笑い声と歓声が満ちあふれた。
ぷるは小さく千切ってもらった芋ガレットを包み込み、「ぷるぷるサクサク美味しいぷるぅ!」と全身を弾ませている。
サンもティルの足元で、スープの大根と豆を平らげ、「ワン! お腹がいっぱいだワン!」と満足そうにお腹を見せて甘えていた。
賑やかで、温かくて、何の打算もない団欒。
その光景を、空になった木椀を抱えたまま見つめていたケロ爺の動きが、ふと止まった。
『…………』
「ケロ爺さん? どうしましたか、お腹の調子でも……?」
ティルが心配そうに覗き込むと、ケロ爺の小さな肩が、小刻みに震えていた。
そして――。
ポロリ、ポロリ……と。
黄金色の瞳から大粒の涙が溢れ出し、木製のテーブルの上へと落ちていった。
「えっ……!? ケロ爺さん!?」
モグが慌てて飛び起きる。
「ど、どうしたッスか!? 熱いのが喉にしみたッスか!?」
仲間たちが慌てふためく中、ケロ爺は両前足で顔を覆い、しゃくりあげるように小さな胸を震わせた。
『……違う……違うのじゃケロ……』
しわがれた声が、涙に濡れてかすれていた。
『温かいのじゃ……。こんなにも温かい飯を……仲間と笑い合いながら食べたのは……生まれて初めてなんじゃケロよ……』
ケロ爺は震える手で、空になった木椀をそっと撫でた。
『数百年の間……ワシはずっと、一人きりじゃった。「天気の凶兆を呼ぶ化け物」と罵られ、石を投げられ、泥水の中で孤独に朽ち果てるのを待つだけの毎日じゃった……ケロ』
ケロ爺の脳裏をよぎる、凍てつくような孤独の記憶。
『それなのに……お主らはワシを温かい茶で迎え入れ、立派な温室まで建ててくれ……こんな美味い豆料理を、ワシのために作ってくれた……』
ケロ爺は涙を拭い、ティルをまっすぐに見上げた。
その瞳には、深い敬愛と強い忠義の光が宿っていた。
『ティル様……。ワシはもう、孤独な世捨て人ではないのじゃな。……この温かい輪の中に、ワシの居場所があると思ってよいのじゃケロな……?』
老仙人の問いかけに、ティルは温かな笑みを浮かべて深く頷いた。
「もちろんです、ケロ爺さん。あなたはもう、俺たちの大切な家族ですよ」
ティルはそっと手を伸ばし、ケロ爺の蓮の葉の笠を優しく撫でた。
「これからは、雨の日も晴れの日もずっと一緒です。美味いものをたくさん作って、みんなで一緒に笑い合いながら暮らしていきましょう」
「そうッスよ! ケロ爺さんは俺たちの仲間ッス!」
モグが胸をドンと叩く。
「毎日の天気予報、頼りにしてるピョね!」
ピピも翼を広げて寄り添った。
「淑女の庭園にも、あなたのような老練な仙人の知恵は歓迎いたしますわ。……メェ」
ベルも優雅に銀鈴を鳴らす。
『ガハハ! これでワシの話し相手も増えたというものじゃ! 存分に長生きせいよ、仙人蛙……ガメ!』
ガン親方が豪快に甲羅を揺らし、サンも「わふっ!」と元気に吠えて擦り寄った。
『……う、うむ……! ありがたい……ありがたいケロよ……!』
ケロ爺は再び涙を溢れさせながら、何度も深々と頭を下げた。
その背中の水色の斑点が、夜空の星のように澄んだ蒼い光を放ち、広場を優しく照らし出していた。
宴が佳境に入った頃、ティルはデザートの【蜜入り野イチゴ】を配った。
清流で冷やされた野イチゴは、噛むとシャリッとした歯触りとともに、爽快な酸味と濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。
脂の乗った口の中をすっきりと洗い流し、お腹いっぱい食べた身体に染み渡る極上の締めくくりとなった。
「ごちそうさまでした!」
全員が満腹になり、石板テーブルの周りには、満ち足りた静かな余韻が漂い始める。
夜風が心地よく吹き抜け、満天の星空が開拓地の上に広がっていた。
雨に洗われた夜空には銀河のきらめきがくっきりと浮かび上がり、新しく建った天候ハウスの屋根を淡い星明かりが照らしている。
モグとサンは、温かい敷物の上で丸くなり、スースーと幸せそうな寝息を立て始めていた。
ぷるも石鉢の中で微睡み、ベルとピピは工房の軒下で静かに羽を休めている。
ティルは片付けを終え、水路の縁に腰掛けていたケロ爺の隣へと歩み寄った。
その手には、湯気の立つ温かいハーブ茶を注いだ二つの木器が握られている。
「ケロ爺さん、身体は冷えていませんか」
『おお、ティル様。……いや、昼間の熱を蓄えた石垣のおかげで、夜風が驚くほど心地よいケロよ』
ケロ爺は受け取った器に小さなくちばしをつけ、ふぅと安らかな息を吐き出した。
『明日は……雲ひとつない、見事な青空じゃケロな』
「そうですか。それなら、天候ハウスの育苗ベッドに、カボチャの種をたっぷり蒔けそうですね」
『うむ。ワシの【春霞の檻】で、最高の湿気と温度を保ってやるケロよ。数日もすれば、元気な緑の新芽が顔を出すはずじゃ』
ケロ爺は誇らしげに杖の先を星空に向け、穏やかに目を細めた。
「頼もしいな。……これからも、よろしくお願いしますね、ケロ爺さん」
『カッカッカ! 任せておくがよいケロ! ……ワシの命ある限り、この愛しき農園の空を、誰よりも美しく守り抜いてみせるケロよ』
澄み切った初夏の夜空の下。
老仙人の静かな誓いと、温かいお茶の湯気が、満天の星明かりの中へとふわりと溶け込んでいった。
【後書き】
第35話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ウェザー・フロッグのケロ爺編、堂々のフィナーレとなる第5幕【晩餐編】をお届けいたしました!
大雨の危機を救い、天候ハウスの完成を共に成し遂げた仲間たちが囲む、至福の歓迎大晩餐会!
収穫したばかりのカラカラ豆を贅沢に使った「翡翠炊き込みご飯」「土大根との熱々ポトフ」「香草ディップと焼き立て芋ガレット」、そして冷たい野イチゴのデザート――!
数百年の孤独を乗り越え、生まれて初めて「温かい食事と仲間」に巡り会えたケロ爺の涙に、胸が熱くなっていただけましたら幸いです!
これで第2段階の仲間(ベル、サン、ガン、ケロ爺)が出揃い、荒野の開拓地は盤石の生産基盤と防衛・天候調整力を手に入れました!
次回からは、いよいよ新たな出会いと展開が幕を開けます!
風を操る臆病で甘えん坊な魔物との出会い、そして急成長を遂げる農園の次なる一歩をどうぞお楽しみに!
もし「ケロ爺が報われて本当に良かった!」「豆料理のフルコースが美味しそう!」と感じていただけましたら、
ぜひ作品のフォロー(ブックマーク登録)や、ページ下部の評価(★★★★★)で応援していただけますと、毎日の執筆の大きな励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします!




