第25話:太陽の晩餐会、黄金の仔犬と最高の家族
荒野の地平線に夕日が沈み、茜色の残照はゆっくりと深い群青色へ、そして満天の星々が瞬く夜空へと移り変わっていた。
昼間の乾いた熱気は心地よい涼やかな夜風によって冷まされ、大木と頑丈な岩壁に守られた開拓地を優しく包み込んでいる。
赤々と熾った焚き火がパチパチと心地よい爆ぜ音を立て、石板テーブルの周りには、初夏の澄んだ夜気に負けないほどの熱気と香ばしい湯気が立ち上っていた。
「さあ、みんな! 大変お待たせしました!」
ティルが作業着の袖をまくり、手ぬぐいで汗を拭いながら、満面の笑顔で石板テーブルの上に大皿を並べた。
「「「わぁぁぁーーッ!!」」」
テーブルを囲んでいた仲間たちから、割れんばかりの歓声が夜空に響き渡った。
今夜は、開拓地で迎える初めての大収穫を祝う収穫祭だ。
そして何より――魔力の枯渇と飢えから命の危機を乗り越え、心通わせる家族となったサンシャイン・ドッグのサンを歓迎する、特別な大晩餐会でもあった。
石板テーブルの上には、昼間に第一号畝から力を合わせて引き抜いたばかりの、白くみずみずしい【ゴツゴツ土大根】を贅沢に使った料理がずらりと並んでいる。
まず一つ目は、金属鍋でコトコトと弱火で煮含めた【採れたて土大根と炒りキビのとろとろ煮込み】。
太く育った大根を厚めの輪切りにし、丁寧に角を落として面取りをしてある。
水路の清らかな湧き水に炒り穀物と干し野草の出汁を合わせ、芯まで透き通る鼈甲色になるまでじっくりと時間をかけて火を通したものだ。
木のフォークをあてるだけで繊維がスッとほどけるほど柔らかく、大根そのものが蓄えた素朴な甘みと、大地の滋味がぎゅっと凝縮されている。
二つ目は、平らな調理用石板でジュウジュウと豪快に焼き上げた【厚切り大根の香ばしステーキ】。
熱が通りやすいよう両面に細かく格子状の隠し包丁を入れ、表面がきつね色にカリッと色づくまで焼き付けた逸品だ。
仕上げに、野生の甘木の実をすり潰した果汁と、香ばしく炒ったキビ粉を練り合わせた特製ダレをひと回し。
タレが熱い石板の上で弾けて焦げる甘辛い匂いが、初夏の夜風に乗ってふわりと広がり、嗅ぐだけで胃袋がきゅうと鳴るほど食欲を刺激する。
三つ目は、採れたての大根菜を余すところなく活かした【大根菜と炒り雑穀の香ばし混ぜご飯】。
陽光を浴びて青々と茂っていた若葉を細かく刻み、微量の岩塩で丁寧に揉んでアクを抜き、炒ったキビや野性穀物と手早く混ぜ合わせた主食だ。
噛みしめるたびに、大根菜特有の心地よいほろ苦さと、炒り穀物のプチプチとした歯ごたえが口いっぱいに広がる。
「うわぁぁぁ……! 昼間のお大根が、こんなに美味しそうなごちそうになったッス!」
モグが両目をキラキラと輝かせ、土のついた前足をテーブルの縁に乗せて身を乗り出した。
「大根の煮込みから立ち上る湯気の香り……完璧な火加減ピョ! ティルの料理の腕前、ますます冴え渡ってるピョ!」
ピピもティルの肩の上で嘴を鳴らし、羽をパタパタと軽やかに弾ませる。
「ぷるも! ぷるも、お大根の皮の煮浸し、すっごく楽しみぷるぅ! 大地のミネラルがいっぱいぷる!」
ぷるが石鉢の横でぽよんぽよんと弾み、体内の水滴を嬉しそうに輝かせた。
「ふむ……。開拓地の素朴な料理かと思いきや、なかなか品格のある香りを漂わせていますわね。……メェ」
ベルも専用のドーナツ型クッションの上で優雅に座り直し、首の銀鈴をカランと鳴らした。
ベルの前には、大根の柔らかな新芽と甘みのある野草クローバーを湧き水で洗った、特製ハーブサラダが美しく盛り付けられている。
そして――。
石板テーブルの真ん中、一番の特等席に座っていたサンは、ぽかんと口を開けたまま、目の前の光景を夢でも見ているかのように見つめていた。
サンの目の前に置かれていたのは、ティルが昼の農作業の合間を縫って、手作業で仕上げた新品の木製ボウルだった。
木目が細かく美しい山桜に似た硬い枯れ木を選び、小刀で丁寧に丸く削り出し、水路の細かい砂で磨き上げた器。
引っかかりのない滑らかな手触りに仕立てられたその正面には、不器用ながらも温かな想いを込めて、小刀の先で『サン』と文字が刻まれていた。
そのボウルの中に注がれていたのは、サン専用の特別料理――【柔らか大根と穀物の温かポタージュ仕立て】だ。
まだ回復途上にあるサンの小さな胃腸に負担がかからないよう、柔らかく煮込んだ大根の芯を丁寧に裏ごしし、甘いスープと粒の細かい穀物粥を合わせてある。
熱すぎず、冷たすぎず、舌を火傷しない人肌の温度になるまで、ティルが手のひらで器の底を包んで確かめたものだ。
「ご、ご主人様……? これ……サンの……ワン?」
サンは信じられないものを見るように、おそるおそるティルを見上げた。
琥珀色の大きな瞳が、戸惑いと不安で小刻みに揺れている。
「そうだよ、サン。君専用の器と、君のためのごちそうさ」
ティルはサンの隣にそっとしゃがみ込み、温かな手で黄金色の小さな背中を撫でた。
「器には君の名前を彫ったんだ。今日、君が力いっぱい引っ張ってくれたおかげで収穫できた、一番立派な大根で作ったんだよ」
「サンの……なまえ……。サンの、うつわ……」
サンは器の彫り込みに小さな前足を乗せ、文字の凹凸を確かめるように、愛おしそうに撫でた。
王都の第一軍事特区にいた頃。
サンには、自分だけの器など欠片も存在しなかった。
他の大型軍用犬たちが貪り食った汚れた残飯の、さらに泥にまみれた残りを地面にぶちまけられ、泥水と一緒にすするしかなかった。
「戦えない役立たずに飯を食わせる価値などない」と足蹴にされ、冷たい鉄格子の檻の隅で、飢えと寒さに震えていた日々。
(ぼくの……器があるワン……。ぼくの名前が、ちゃんと彫ってあるワン……)
ポロリ、と大粒の涙がサンの目から零れ落ち、木の器の中の温かいスープへと小さな波紋を作った。
「うぅ……っ。ご主人様ぁ……! ぼく……ぼくなんかに、こんなに優しくしてくれて……本当にいいワン……? ぼく、戦えない役立たずなのに……何の役にも立たないのに……っ!」
しゃくりあげて泣きじゃくるサンの身体を、ティルは両腕で優しく包み込んだ。
抱きしめた腕の中に伝わってくるのは、健気で小さな命の、かすかな震えと温もりだ。
「役立たずなんかじゃない。君は俺の、かけがえのない大切な家族だよ」
ティルはサンの涙を指先でぬぐい、慈しむように微笑みかけた。
「戦う力なんていらないんだ。君の優しい光が、畑の土を温めて野菜を育ててくれた。君が一生懸命引っ張ってくれたから、この大根が収穫できたんだ。……サン、君は俺たちの誇らしい仲間だよ」
「サン、泣かないで食べるッス!」
モグが駆け寄り、自分の大根ステーキを嬉しそうに指差した。
「俺たちがみんなで汗水流して作った、とびきりうまい大根ッスよ!」
「そうピョ! アンタが一生懸命照らしてくれたから、こんなに甘くなったピョ!」
ピピも優しくサンの頭を撫でるように、金色の毛並みのすぐ上でパタパタと羽ばたいた。
「サンちゃん、ごちそう冷めちゃうぷる! いっしょに食べるぷるぅ!」
ぷるが寄り添い、身体をすり寄せる。
「……お聞きなさい、サン」
ベルも澄ました表情を崩し, サファイア色の瞳を穏やかに細めた。
「誰かに奪われる心配なんて、ここには毛頭ありませんわ。自分の温かいごはんを堂々と食べる権利が、あなたにはあるのですの。……メェ」
仲間たちの温かい声に包まれて、サンは涙を拭い、力強く何度も頷いた。
「う、うん……! いただきますワン……! いただきますワン!!」
サンは小さな口を開け、器の中の温かいポタージュへと顔を寄せた。
――はむっ、とろり。
「……っ!?」
サンの耳がピクンと跳ね、身体が小さく震えた。
「あ、あまい……! とろけて……すっごく温かくて、美味しいワン……!!」
大根の素朴で優しい甘みと、出汁の深い滋味が、舌の上から身体の隅々へとじんわり染み渡っていく。
サンは夢中で器に顔を寄せ、ハフハフと小さな息を吐きながら食べ進めた。
噛みしめるたびに、胸の奥まで温かい幸福が満ちていく。
最後の一滴まで器をピカピカに舐め尽くすと、サンは「ふぁぁぁ……!」と幸せに満ちた長いため息を漏らした。
その瞬間だった。
――トクン……!
サンの胸の奥深くにある太陽の核が、カッと温かな脈動を刻んだ。
次の瞬間、サンの全身の黄金色の毛並みから、これまで見たこともないほど澄み渡った、美しい陽だまりの光がふわりと立ち上ったのだ。
それは、周囲を照らすだけの眩しい光ではなかった。
まるで春のうららかな陽光がそのまま結晶化したかのような、優しい金色の光の輪となって広がり、開拓地全体をあたたかく包み込んでいく。
冷え込み始めていた初夏の夜気が、まるで陽だまりの昼下がりのようにぽかぽかと温まり、焚き火の煙すらも黄金色に透き通って見えた。
「……わぁ……! すごく温かいッス……!」
モグが目を丸くして歓声を上げる。
「アタシの羽が、日なたぼっこしてるみたいにポカポカするピョ……!」
ピピもうっとりと目を細めた。
「心からの喜びと安心が、体内の魔素を最高純度へと昇華させたのですわね。……ふふ、見事な輝きですわ。……メェ」
ベルも満足そうに頷き、首元の銀鈴を誇らしげに鳴らした。
光の輪の中心で、サンは満面の笑顔を浮かべていた。
もうそこには、暗い檻で虐待に怯えていた震える仔犬の影はない。
愛され、認められ、心からの居場所を見出した、誇り高き仲間の姿があった。
「ご主人様! ぼく、ご主人様の家族になれて、誰よりも幸せワン!!」
サンはティルの胸へと勢いよく飛び込み、顔中をペロペロと熱烈に舐め回した。
「あはは! くすぐったいよ、サン!」
ティルは声を出して笑いながらサンを抱きしめ、お互いの額をごつんと優しくすり合わせた。
「俺もだよ、サン。俺たちのところに来てくれて、本当にありがとう」
「さあ、みんな! 俺たちも腹いっぱい食べよう!」
「「「いただきますッス(ピョ/ぷる/ですの)!!」」」
ティルは熱々の大根ステーキに木のフォークを入れた。
サクッと香ばしい焼き目の奥から、じゅわりと熱い大根のエキスと甘辛い特製ダレがあふれ出す。
口に運べば、とろけるような柔らかさと力強い大地の風味が口いっぱいに広がり、思わず頬が緩む。
モグは大好物のステーキをハフハフと頬張って「ほっぺたが落ちるッス!」と叫び、ピピは煮込み大根を器用についばんで「出汁が芯まで染みてるピョ!」と目を細めた。
ベルも大根菜のサラダを上品に咀嚼しながら、「素材の味が生きていて、悪くありませんわ」と優雅に微笑んでいる。
ぷるも大根の皮の煮浸しを身体全体で包み込み、「ぷるぷる美味いぷるぅ!」と歓喜の泡を弾かせた。
石板テーブルの周りには、絶え間ない笑い声と「美味しい!」の大合唱が響き渡った。
満天の星空の下。
赤々と燃える焚き火と、サンの放つ陽だまりの温もり。
土を掘るモグ。
水を司るピピ。
土を育てるぷる。
草を刈り、肥やすベル。
そして、光と熱を届けるサン。
追放されたあの寒々しい朝には想像もできなかった、温かく満ち足りた楽園が、ここには確かに息づいていた。
宴が終わり、夜が静かに更けていく。
オンドルの上の羊毛ベッドに横たわると、サンのぽかぽかとした温もりが、全員の疲れを優しく解きほぐしてくれた。
モグとぷるが丸くなり、ピピが規則正しい寝息を立て、ベルが枕元で足を折りたたみ、サンがティルの腕枕で幸せそうにいびきをかいている。
「……おやすみ、みんな」
ティルが微笑み、満ち足りた気持ちで静かに目を閉じた。
だが――真夜中の静寂を破るように。
開拓地の北側の深い岩山から、地響きのような重い振動が、足元の土をかすかに揺らした。
――ズズズ……ゴゴゴ……。
「……ん?」
ティルがまどろみの中でふと目を開ける。
北の暗闇の奥、そそり立つ巨大な岩壁の根元から、低くしゃがれた、頑固そうな唸り声が風に乗って微かに響いてきたのだ。
『……フン。騒々しい連中じゃわい。ワシの静寂を乱す気か……ガメ』
暗闇の中で、まるで巨岩そのもののような分厚い甲羅が、微かに月光を反射して蠢いていた。
新たな出会いと、次なる開拓の予感を孕みながら、初夏の夜は静かに更けていった。




