第18話:ベルの極上羊毛と、ひんやり初夏ベッド
初夏の太陽がぐんぐんと天頂へと昇り、荒野の大地に力強い熱気を注ぎ込んでいた。
昼下がりの開拓地。
昨日までの爽やかな涼しさはどこへやら、吹き抜ける風にはじっとりとした湿り気が混ざり、少し体を動かすだけで作業着の下に汗が滲むほどの陽気になっていた。
日差しを遮る大木の下でも地面からの照り返しで熱がこもり、季節が確実に夏へと進んでいることを物語っている。
「ふぅぅ……! あ、ちぃッス……! 旦那、急に暑くなってきたッスよ……」
モグが前足の甲で額の汗を拭いながら、舌をペロリと出して木陰の岩にへたり込んだ。
厚いビロードの毛皮に覆われたモグにとって、初夏の急激な気温上昇はなかなかに堪えるらしい。
「本当ピョね……。太陽が高くなって、羽毛の中に熱がこもって蒸し風呂状態ピョ……」
ピピも小枝の上で両翼をパタパタとあおぎながら、小さなくちばしを開けていた。
「ぷるは……ぬるま湯スライムになっちゃいそうぷるぅ……」
ティルの足元で、琥珀色のぷるが平べったく広がっている。
冷たい水路の水に浸かりたいが、あまり急激に身体を冷やすと体内の魔素の巡りが悪くなるため、日陰でじっと耐えているのだ。
「みんな、お疲れ様。急に夏日になったから身体が追いつかないよね。まずは水分補給をしよう」
ティルは水路の冷涼な湧き水を手桶に汲み、薄くスライスした野草の茎を浮かべてみんなに配った。
「「「ぷはぁぁぁ……! 生き返るッス(ピョ/ぷる)!」」」
三人が喉を潤して息をつく中、木陰の特等席で涼しげな顔をしている者が一頭いた。
昨日、正式に仲間入りを果たしたウィード・シープの令嬢羊――ベルである。
丁寧にブラッシングされた純白のフリースをふんわりと波打たせ、優雅に足を折りたたんで座っている。
首元の若草色の鉱石が、微風に揺れてカランと涼やかな音を立てていた。
「あら? たかが初夏の陽射し程度で、情けない声を上げていますわね。……メェ」
ベルは長いまつ毛をパチリと瞬かせ、サファイアの瞳でモグたちを見下ろした。
「な、なんですとぉ!? アンタだってあんなに分厚い毛皮を着込んでるくせに、暑くないわけないピョ!」
ピピが翼を腰に当てて抗議する。
「おほほほ! 一緒にしないでくださる? わたくしの身にまとうのは、選ばれしウィード・シープの至高のフリースですのよ。暑いわけがありませんわ!」
ベルはツンと胸を反らせ、得意げに飴色の角を揺らした。
「……ベルの言う通りかもしれないな」
ティルがしゃがみ込み、ベルの背中の毛にそっと手のひらを近づけてみた。
すると、驚くべき感触が伝わってきたのだ。
「……えっ!? ひんやりしてる……!?」
ティルは思わず目を見張った。
直射日光を遮った木陰とはいえ、気温は優に二十五度を超えている。
それなのに、ベルの純白の巻き毛の表面に触れると、木陰の小川の水面を撫でたかのように、サラサラとして涼やかな冷気が指先に伝わってきたのだ。
毛の根元に指を滑り込ませてみても、汗ばんだ蒸れや嫌な熱気は微塵も感じられない。
「うわぁ……! 本当に全然熱がこもってないぞ。それどころか、触っている俺の手のひらの汗が引いていくみたいだ……!」
「当然ですわ!」
ベルは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「わたくしたちは荒野の寒暖差を生き抜く高貴な種族。昼の暑さでは毛の隙間から熱を逃がし、夜の冷え込みでは温もりを閉じ込める……天然の気候調節機能を備えた毛並みですのよ! ……メェ!」
「す、すっげぇッス……! 天然のクーラー毛皮ッスか!?」
モグが目を丸くして身を乗り出す。
「なるほど。羊毛が熱を遮る空気の層を作り、さらに湿気を吸って外へ放出する『呼吸する繊維』になっているんだな」
ティルは前世の知識を思い出し、深く納得した。
ベルの毛並みは大地の魔素を含んだ野草を食べて育つため、調温・調湿効果が格段に研ぎ澄まされているのだ。
その時、ティルの視線が、石板テーブルの脇に置かれた麻袋へと向いた。
午前中、ベルを木製ブラシで手入れした際に梳き取られた、大量の抜け毛の山だ。
抱えきれないほどのボリュームがある。
(……待てよ。この毛を使えば……!)
ティルの頭の中で、ひらめきの電球がパッと灯った。
「みんな、ちょっと手伝ってくれるかい? この初夏の暑さを快適に乗り切るための、特製ベッドを作ろう!」
「特製ベッドッスか!?」
「任せるピョ! 暑くて寝苦しい夜とはおさらばピョ!」
ティルは早速、作業の段取りを指示した。
まずは梳き取った羊毛の洗浄だ。
「モグとピピ、この羊毛を水路の洗い場へ運んで、清流で軽く押し洗いをしてほしい。ゴミは落ちているから、水を通すだけでいいよ」
「了解ッス! 『シャベル・水洗い』ッス!」
「水流の調整は任せるピョ!」
二人が清流で羊毛を洗うと、ベルの天然の保護油分のおかげで汚れはサラリと流れ落ち、純白の繊維が水底でキラキラと輝いた。
洗い終えた羊毛を日当たりの良い岩肌に薄く広げると、初夏の強い日差しと風を受け、わずか半時間足らずでふっくらと綿菓子のように膨らみ上がった。
指でつまむと驚くほど弾力があり、太陽と清涼な青草の心地よい匂いが満ちていた。
「よし、中身の準備は完了だ。次は側布作りだな」
ティルは水路沿いの【しなやかツル草】と、丈夫な麻袋の端切れを取り出した。
小刀でツル草の繊維を細かく裂き、麻布を二重の袋状に手際よく縫い合わせていく。
前世の一人暮らし時代に培った裁縫の腕が、ここへ来て大いに役に立った。
袋の口を開けると、太陽を浴びて膨らんだベルの極上羊毛を惜しみなく詰め込んでいく。
ぎゅうぎゅうに押し込まず、適度に空気を含ませて、指先で均等にならした。
袋の口をツル草の紐でしっかりと閉じ、四隅を結んで補強すれば――。
「……できた!」
出来上がったのは、厚さ十五センチ、幅一メートルほどの【特製・極上羊毛の初夏ベッドマット】だ。
さらに余った羊毛を使って、モグやピピ、ぷるが抱きついて眠れる【ひんやり安眠クッション】も三つ仕立てた。
「白くてフワフワのお布団ができたッス!」
モグが目を輝かせて歓声を上げる。
「さあ、みんなで試してみてくれ」
ティルが笑顔で促すと、モグが真っ先に飛び込んだ。
ボフッ……!
吸い込まれるように、モグの身体が沈み込んだ。
「……っ!?」
モグの丸い瞳が見開かれ、至福の歓声が響いた。
「な、なんスかこれぇぇぇ……! つ、冷たいッス! 背中がひんやりして、サラッサラッスよ!」
モグは敷きパッドの上で転がり、手足を投げ出して悶絶した。
「毛皮の中にこもってた嫌な熱がすうっと吸い取られていくッス! まるで木陰の涼しい風の上に寝転がってるみたいッス!」
「本当ピョ!? アタシも試すピョ!」
ピピも飛び降り、小さなクッションに胸をうずめた。
「……っ! ふみゃぁぁ……! 羽毛の奥まで涼風が吹き抜けるようピョ……! 湿気が全然たまらなくて、サラサラ感がたまらないピョ……!」
「ぷるも寝転がるぷるぅ! 冷たくてきもちいいぷる~!」
ぷるも飛び乗って蕩けきった。
昨夜完成したオンドルの上に敷くことで、夜の冷え込みを防ぎつつ肌触りは常に涼しいという、理想の温度調節寝具が完成したのだ。
その様子を、ベルが岩の上からぽかんと眺めていた。
自分の抜け毛がこれほど素晴らしい寝具に生まれ変わるとは思っていなかったらしい。
視線に気づくと、慌ててツンと澄ました顔を取り繕う。
「ふ、ふん! わたくしの至高の毛並みを使ったのですから、極上の寝心地になるのは当たり前のことですの!」
ベルはツンと顎を反らせ、得意げに胸を張った。
「本当にベルのおかげだよ。ありがとう」
ティルは心から感謝を述べると、手元に残しておいたクッションを持ち上げた。
飴色の角が当たっても痛くないよう、中央を少し窪ませたベル専用のドーナツ型クッションだ。
ティルはベルの足元に歩み寄り、優しく置いた。
「ベル、これは君の分だよ。一番頑張ってくれた君に使ってほしいんだ」
「えっ……? わ、わたくしの……?」
ベルは青い瞳を瞬かせた。
王都では毛を刈り取られても硬い藁しか与えられなかった。
自分の毛で作られた贅沢な品を、自分自身のために手渡されたことなど、一度もなかったのだ。
「……ふ、ふん! べ、別に感動などしていませんわ!」
ベルは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「ですが、生みの親であるわたくしが、品質を厳しく審査してあげる義務がありますわね! 仕方なく試してあげますわ!」
ベルはそっと前足を乗せ、身体を沈めた。
そして――。
――ふにゃぁぁぁ……メェ。
魂が抜けたような至福のため息が零れ落ちた。
心地よい弾力と大地の主の温もり。
涼しい風を受け、首元の鈴をカランと小さく鳴らし、ベルはクッションの窪みに顔をうずめてしまった。
「……満点、ですわ……」
小さく呟いたベルの耳が、幸せそうに垂れ下がっていた。
その時だった。
畑を見回っていたモグが声を上げた。
「旦那! ちょっと来てほしいッス! こっちの土、すごいことになってるッスよ!」
ティルが駆け寄ると、モグは午前中にベルが雑草を食べた場所を指差していた。
そこには、小さな黒褐色の粒々がコロコロと落ちていた。羊のフン――羊糞である。
「これ……ベルの落とし物かい?」
「そうッス! でも全然臭くないッスよ! それどころか……」
ティルが観察すると、悪臭は一切なく、乾いた青草と発酵した大地の爽やかな香りがしていた。
ぷるもそばへ跳ねてきて、そっと触れる。
「ぷるぅ! これ、すっごくあまい土のごはんぷる!」
ぷるの身体が嬉しそうにポカポカと光を帯びた。
「……やっぱりそうか!」
ティルは膝を打った。
「ベルは大地の魔素を吸った雑草だけを選んで食べたから、繊維が細かくすり潰されて、ミネラルと窒素のバランスが完璧な『天然の有機完熟肥料』になっているんだよ!」
「な、何ピョ!?」
ピピが目を丸くした。
「あの毛玉、草を刈るだけじゃなくて、極上の肥料までタダで生み出してるピョ!?」
「そうなんだ。ぷるが土の骨組み(団粒構造)を作り、ベルが栄養(有機堆肥)を届けてくれる。これで開拓地の土壌循環が完璧に繋がったんだ!」
ティルは歓喜に震えた。
雑草を刈り、毛で涼しい寝具を作り、フンで畑を肥やす。
ベルが加わったことで、農園の生態系は見事な調和を見せ始めていた。
ふと見ると、特製クッションの上で丸くなったベルが、片目だけ開けて口元を緩めていた。
「おほほほ……! わたくしの恵みにようやく気づきましたのね。崇めなさいな、下民たち……すぴぃ……メェ」
最後の言葉は心地よい寝息に変わり、令嬢羊は幸せそうに夢の中へと旅立っていた。
「あはは、おやすみ、ベル。本当にありがとう」
ティルは微笑み、薄手の布をベルの背中にかけてやった。
初夏の清々しい風が、青空の下の畑を吹き抜けていく。
涼やかな寝具と、肥沃さを増す大地。
ティルたちの農園スローライフは、頼もしい仲間とともに力強く前進していた。




