第15話:星空のごちそうと、ぷるの恩返し
荒野の地平線に夕日が沈み、群青色の空には零れ落ちそうなほどの満天の星が瞬き始めていた。
大木と岩壁の窪みに作られた野営地。
昼間の乾いた風は、三人と一匹が力を合わせて編み上げた防風垣によって優しく受け流され、静かな夜の帳が降りている。
赤々と燃える焚き火が、パチパチとはぜる小枝の心地よい音とともに、夜の冷気を柔らかく押し返していた。
「ふぁぁぁ……! 今日も一日、思いっきり働いたッスね!」
モグが焚き火の前にちょこんと座り、両前足を火にかざして温まりながら、満足そうに鼻を鳴らした。
昼間の水路掘りで泥まみれになったモグの毛並みも、水路の湧き水で綺麗に洗われ、ビロードのように柔らかく輝いている。
「当たり前ピョ! 三つの畝を完璧に仕上げて、水路まで繋んだんだから、最高の一日ピョ!」
ティルの肩の上で、ピピが誇らしげに瑠璃色の翼を広げた。
「ぷるも! ぷるも、おみぞツルツルにしたぷる!」
ティルの膝の上で、琥珀色のぷるがぽよんと跳ねる。
夕方にピピのぬるま湯シャワーを浴びたおかげで、その身体はまるで上質な蜂蜜の雫のように透き通っていた。
「ああ、みんな本当にお疲れ様。……さあ、今夜はぷるの歓迎会と、三つの畝の完成祝いだ。とびきりのごちそうを作ったよ」
ティルが笑顔で焚き火の石板の上に手をかざした。
石板の上には、この荒野で手に入る自然の恵みを総動員した、豊かな料理がずらりと並んでいた。
まず一つ目は、石板で香ばしく焼き上げた**【間引き菜と野性キビのおやき】**だ。
朝に第一号畝で間引いた新鮮な土大根の若葉を、少量の塩と湧き水で軽く揉んでしんなりさせ、炒ったキビ粉の生地で包み込んで、熱々の石板でじっくりと焼き目をつけたもの。
表面はカリッと香ばしく、中からは大根菜の瑞々しいエキスが湯気とともに立ち上っている。
二つ目は、金属の水筒を鍋代わりにしてコトコトと煮込んだ**【炒り穀物と若草の滋養スープ】**。
ポップコーンのように白く弾けさせた炒り穀物の甘みと、水路脇で摘んだ野草の清々しい香りが溶け合い、黄金色の淡いとろみを帯びている。
そして三つ目は、ピピが丹精込めて淹れた**【荒野の特製ハーブティー】**。
岩肌の割れ目に咲いていた野生のカモミールとミントを、適温の湧き水でじっくりと蒸らし、石の小鉢に注ぎ分けた透き通る琥珀色のお茶だ。
「うわぁぁぁ……! いい匂いッス! お腹がペコペコッスよ!」
モグが身を乗り出して歓声を上げる。
「ふふん! アタシのハーブティーも、昨夜より蒸らし時間を工夫して、香りを一段と引き立ててあるピョ!」
ピピが得意げに胸を張る。
「主さま……? ぷるのごはんは、どれぷる……?」
ぷるがティルの膝の上から、不思議そうに石板テーブルを見上げた。
仲間の食べるパンやスープの匂いは美味しそうだが、スライムの身体では穀物や固いパンをうまく消化できないことを、ぷる自身もよく分かっているのだ。
黒曜石のようなつぶらな瞳に、ほんの少しだけ寂しげな色が差す。
「もちろん、ぷるのごはんもちゃんと用意してあるよ。……今夜の主役のための、特別フルコースだ」
「ぷる……!? フルコース……?」
ティルは優しく微笑むと、焚き火の脇から、丁寧に洗った平らな石の小皿を三つ取り出し、ぷるの目の前に並べた。
ぷるの特別フルコース
「まずは前菜――**【湧き水仕立ての青白粘土ムース】**だよ」
一枚目の小皿に乗っていたのは、水路の底から採取した、ミネラルたっぷりのきめ細やかな青白い粘土。
それを指先で丁寧に不純物を取り除き、冷涼な湧き水を数滴加えて、滑らかなクリーム状に練り上げたものだ。
「ぷるぅ……! ツルツルしてて、すっごく綺麗な青い泥ぷる……!」
「そして、これがメインディッシュ――**【完熟腐葉土と炒り穀物殻のミルフィーユ団子】**だ」
二枚目の小皿の上には、大木の根元で長い年月をかけて発酵した、森の奥の甘い香りがする黒々とした完熟腐葉土。
そこに、昼にぷるが砕いてくれた香ばしい団粒土と、炒り穀物の香ばしい殻を幾重にも層のように重ね、手のひらの体温でギュッと優しく丸めた特大の泥団子だった。
「そして最後はデザート――**【大地の蜜とカモミール泥ケーキ】**だよ」
三枚目の小皿には、手のひらサイズの可愛らしい花の形に整えられた泥ケーキ。
滑らかな粘土の生地の上に、ピピが集めてくれた野生のカモミールの花びらが黄色く散らされ、ティルが【大地の主】の魔素をほんのり染み込ませた湧き水で艶出しされていた。
「ぷ……ぷるぅぅぅ……!?」
三つの皿を見つめた瞬間、ぷるの全身が波打つように激しく震え出した。
琥珀色の身体がプルプルと小刻みに揺れ、丸い瞳から大粒の透き通った涙がぽろぽろと溢れ出す。
「ぷる? どうしたんだい? 土の配合、口に合わなさそうかい?」
ティルが慌ててしゃがみ込むと、ぷるは首をちぎれんばかりに激しく横に振った。
「ちがうぷる……! ちがうぷるぅぅぅ……!」
ぷるはしゃくりあげるように、小さな触手を胸の前で合わせた。
「王国のひとたちは……ぼくたちに、汚いゴミの土や、カビの生えた生ゴミしか投げてくれなかったぷる……。『泥でも食ってろ』って言われて、笑われて……叩かれて、塩をまかれたぷる……」
ティル、モグ、ピピの三人は、静かにぷるの言葉に耳を傾けた。
荒野の夜風が、焚き火の火の粉を静かに空へと巻き上げていく。
「それなのに……主さまは……! ぼくのために、こんなに綺麗にお皿に並べてくれて……泥なのに、お料理みたいに大切に作ってくれたぷる……! 冷たいゴミじゃなくて……『ぷるのごはん』を作ってくれたぷるぅぅぅ……!!」
ぷるはティルの指先にすがりつき、子どものように声を上げて泣きじゃくった。
冷遇され、害獣として踏みにじられてきた小さな命。
その魂が、ティルの温かな配慮によって、心の底から救われていた。
「ぷる……。君はもう、誰かの生ゴミをあさる必要なんてないんだよ」
ティルはそっと指先でぷるの涙をぬぐい、優しく頭を撫でた。
「君は俺たちの大切な家族で、この農園の立派な開拓者なんだから。美味しいごはんを堂々と食べていいんだ」
「うわぁぁぁん! 主さまぁぁぁ!!」
「ぷる、泣かないでほしいッス!」
モグも駆け寄り、前足でぷるのぷるぷるの身体をぎゅっと抱きしめた。
「俺も昔は『無能なモグラ』って捨てられたッス! でも旦那が温かいスープを作ってくれたッス! ここは俺たちの家ッスよ!」
「そうピョ! せっかくのごちそうが冷めちゃうピョ! ほら、胸を張って全部平らげなさいピョ!」
ピピもばつが悪そうに目を潤ませながら、優しく背中を押した。
「うん……うんぷる! いただきまーすぷるぅぅぅ!!」
ぷるは口をパカッと大きく開けると、まず一枚目の青白粘土のムースをスポンッと吸い込んだ。
――チュルルンッ!
「ぷるぅぅぅ……! ひんやりしてて、ミネラルがお口いっぱいに広がるぷる! すっごく滑らかぷる!」
続いて、二枚目の特大ミルフィーユ団子へと食らいつく。
――ジュワジュワジュワァァァァ……!
「サクサクしてて、香ばしいぷる! 森の土の甘みが、身体のなかにじんわり染み渡るぷるぅぅぅ!!」
そして最後は、カモミールの泥ケーキ。
――ぽよん、ごっくん!
「あまいぷる……! お花のいい匂いがして、主さまのあったかい魔素がポカポカして……天国みたいにおいちいぷるぅぅぅ!!」
三つの皿を綺麗に平らげた瞬間、ぷるの琥珀色の肉体が、まばゆいばかりの黄金色の光に包まれた。
体内で激しく回転する大地の魔素。
純度の高い粘土と完熟腐葉土、そしてティルの温かな愛情を吸収したことで、ぷるの体内器官が劇的な進化を遂げ始めていた。
「お……おおっ!? ぷるの身体が、すっごく光ってるッス!」
モグが驚いて飛び退く。
「な、何が起きるピョ!?」
ピピもティルの肩の上で身を乗り出した。
光の渦の中心で、ぷるが「ぷるるるる……ん!」と力強く身体を震わせた。
すると、ぷるの頭のてっぺんの双葉のアホ毛から、ポーンと一粒の小さな光る結晶が宙へと飛び出したのだ。
――カラン……。
心地よい澄んだ音を立てて、石板テーブルの上に落ちたもの。
それは、親指ほどの大きさがある、淡い琥珀色と若草色が溶け合った、美しく透き通る結晶だった。
「これ……鉱石かい?」
ティルが拾い上げてみると、結晶からは心地よい大地の微熱と、豊かな魔素がほんのりと放たれていた。
「主さま! それ、**【土の雫】**ぷる!」
ぷるが息を弾ませながら、誇らしげに胸を張った。
「土の雫……?」
「うんぷる! ぼくたちソイル・スライムが、最高においしい土と主さまの温かい魔素をいっぱいもらったときだけ、おなかのなかで作れる特別な宝物ぷる! それを土に埋めると、周りの土がずーっとポカポカ温かくなって、どんな冷たい夜でも土が凍らなくなるぷる!」
「な、なんですってピョ!?」
ピピが目を丸くして叫んだ。
「それって……天然の『地熱結界石』ピョ! 王国の貴族たちが温室栽培のために金貨何十枚も出して買い求める、超高級な土壌魔導具と同じ効果ピョよ!」
「へぇぇぇ……! ぷる、すっげぇ宝物を作ったッスね!」
モグが目を輝かせて歓声を上げた。
「主さま、いつもありがとうぷる! これ、主さまへのぷるのプレゼントぷる!」
ぷるがティルの手のひらにすりすりと甘えてきた。
「ぷる……ありがとう。本当に素晴らしい宝物だよ」
ティルは胸を打たれ、結晶を慈しむように握りしめた。
ティルは立ち上がると、野営地の寝床の足元――モグとピピとぷるのベッドのすぐ下の土に、小さな穴を掘って【土の雫】をそっと埋め込んだ。
すると、どうだろう。
埋めた場所を中心にして、じんわりとした春の陽だまりのような温もりが、地面全体へと静かに広がっていったのだ。
「うわぁ……! 地面がポカポカ温かくなってきたッス!」
モグが寝床の上に寝転がり、手足を伸ばして歓声を上げる。
「これは極楽ピョ……! 冷え性の鳥にとって、足元が温かい寝床ほどありがたいものはないピョ!」
ピピも小枝から降りてきて、温まった寝床の上でうっとりと羽を膨らませた。
(これ……前世で知った床下暖房や、オンドルのような心地よさだ……!)
ティルは温もる土の感触を手で確かめながら、深い感慨に浸った。
冷たい隙間風が吹き抜ける荒野の夜。毎晩のように焚き火の火を絶やさないよう気を配っていたが、この温もりがあれば、もう寒さに震えて目を覚ますこともない。
「さあ、みんな! 冷めないうちに俺たちも食べよう!」
ティルが笑顔で呼びかけると、モグとピピも勢いよく石板テーブルへと戻ってきた。
「いただきますッス!」
「いただきますピョ!」
「ぷるも、主さまのとなりにいるぷる!」
カリカリのおやきを齧り、熱々の若草スープをすすり、香り高いハーブティーで喉を潤す。
ぷるはティルの膝の上で、温かなスープの湯気を浴びながら、幸せそうに身体をとろけさせていた。
満天の星空の下、赤々と燃える焚き火と、足元から伝わる大地の温もり。
土を掘るモグ。水を司るピピ。土を育て温もりをくれたぷる。
そして、前世の孤独を乗り越え、この場所でかけがえのない家族を見出したティル。
軍事特区の寒々しい権力闘争も、理不尽な追放の恨みも、今のティルの心には欠片も存在しなかった。
ここにあるのは、愛しい仲間たちと、自分たちの手で切り拓いた豊かな大地、そして温かな食卓だけだ。
「……明日も、いい日になりそうだな」
ティルが呟くと、モグとピピが頼もしく頷き、ぷるが「ぷるん!」と嬉しそうに跳ねた。
やがて夜が更け、焚き火の炎が穏やかな熾火に変わる頃。
温かな寝床に潜り込んだティルたちの耳に、初夏の訪れを告げるぬるい夜風に乗って、遠くの岩陰から不思議な声がかすかに届いた。
【後書き】――カラン、コロン……。
まるで小さなベルが鳴るような硬質な音。それに続いて、どこか澄ましたような、可愛らしい鼻息がひとつ。
『……ふん。こんな吹き溜まりの荒野に、随分とお行儀の悪い温もりが漂っていますわね……メェ』
「ん……? 今、何か聞こえたような……?」
ティルがまどろみの中で小さく呟いたが、足元の温もりに包まれた身体は心地よい眠気へと沈んでいく。
隣で丸くなったモグが満足そうにいびきをかき、ピピが寝返りを打ち、ぷるが胸元でぽよんと揺れた。
春の夜空に瞬く無数の星たちが、開拓地の温かな団らんを、どこまでも優しく照らし続けていた。




