第14話:三つの力と、はじめての緑肥栽培
正午の太陽が荒野の天頂へと昇り、乾いた風の中に春特有の柔らかな温もりが混ざり始めていた。
大木と岩壁の窪みに作られた野営地。
ティル、モグ、ピピ、そして今朝仲間になったばかりのベビースライム・ぷるの四人は、午前中の作業を終えて、手作りの平らな石板テーブルを車座になって囲んでいた。
赤々と熾った焚き火の上では、平らな厚みのある石板がチリチリと心地よい熱を帯び、香ばしい湯気を立ち上らせている。
「はい、みんなお待たせ。お昼ごはんにしようか」
ティルが木の器を四つ並べ、熱々のスープを注ぎ分けた。
朝一番に第一号畝で間引いておいた、【ゴツゴツ土大根】の瑞々しい間引き菜。
水路の清らかな冷水で泥を丁寧に洗い流し、湧き水と少量の塩、そして軽く炒った穀物の粉を溶いて、とろみのあるスープに仕立てたものだ。
石板の上では、さらに嬉しいごちそうが焼けていた。
水路沿いで採取した野性のキビとヒエの粉を湧き水で捏ね、熱々の石板で両面をこんがりと焼き上げた、手のひらサイズの香ばしいフラットブレッド(おやき)だ。
焦げ目のついた香ばしい穀物の香りが、食欲を激しく刺激する。
「わぁぁ……! 緑の葉っぱがすっごく鮮やかで、美味しそうッス!」
モグが短い両前足を胸の前でパタパタと合わせ、つぶらな瞳をキラキラと輝かせた。
「ふん、ただの間引き菜かと思ったけど、見た目はなかなかのものピョね。……どれどれ」
ピピが器の縁にちょこんと止まり、小さな翼で湯気を引き寄せてフーフーと息を吹きかけた。
そして、くちばしの先で透き通るような緑の若葉をつまみ、一口味わう。
「…………っ! シャキシャキしてて、ピリッと心地よい辛味があるピョ! 青臭さが全然なくて、大地の素朴な甘みがギュッと凝縮されてるピョよ!」
「本当ッス! 噛むたびにジュワッと大根の風味が広がって、焼きたてのパンと相性抜群ッス!」
モグがパンをちぎってスープにたっぷり浸し、両頬をリスのようにパンパンに膨らませて夢中で頬張った。
「ぷるも! ぷるもごはんたべるぷるぅぅ!」
ぷるがティルの膝の上で、弾力のある身体をぽよんぽよんと跳ねさせながら、愛らしくおねだりをしてきた。
「はいはい、ぷるには特製のこれだよ」
ティルが差し出したのは、午前中にぷる自身が粘土盤を食べて生み出してくれた、あのフカフカの黒い団粒土に、水路のミネラル豊富な青白い粘土と、細かく刻んだ野草の若葉を練り合わせた「特製ランチ泥団子」だ。
ティルの手のひらの体温で丸められた団子は、太陽の光を浴びてつやつやと黒光りしている。
「わぁぁい! いただきまーすぷる!」
ぷるは口のような穴をパカッと大きく開けると、団子をスポンッと丸呑みにした。
琥珀色の半透明な身体の中で、泥団子がシュワシュワと心地よい炭酸のような音を立てて分解されていく。
大地の魔素が内側から黄金色の光の粒となって全身を駆け巡り、ぷるの身体がポカポカと温かな輝きを放ち始めた。
「おいちいぷるぅぅぅ! じぶんの作った土、あまくて一番おいちいぷる!」
満面の笑みで身体をくねらせて喜ぶぷるに、ティルもモグもピピも、思わず顔を見合わせて大笑いした。
「自分で作った土を自分で食べるなんて、究極の自給自足ッスね!」
「まったく、安上がりで手間いらずな弟分ピョ!」
四人で笑い合いながら食べる、温かで飾らない昼食。
前世の社畜時代、深夜のオフィスでひとり、冷え切ったコンビニのおにぎりをパソコンの画面を見つめながら胃に流し込んでいた日々が嘘のようだ。
太陽の光を浴び、土と風の匂いを感じながら、心を通わせる仲間と手作りのご飯を分かち合う。
それだけで、午前中の作業の心地よい疲労が、温かな幸福感へと変わっていくのだった。
「さて……お腹もいっぱいになったことだし、午後からの本番に取り掛かろうか」
ティルが立ち上がり、作業着の袖をしっかりとまくり上げた。
視線の先にあるのは、午前中にぷるが硬い粘土盤を砕いて耕してくれた、できたてホヤホヤの「第三号畝」だ。
幅一メートル、長さ五メートルのふかふかな黒土が、春の陽射しを浴びて、大地の豊かな息吹とともに温かな湯気を立てている。
「旦那! 第三号畝には、何を植えるんスか!?」
モグがシャベル爪を構えて身を乗り出す。
「うん。まずは水路の引き込みだ。第一号畝と第二号畝には水路から直接水が行くようになっているけれど、第三号畝は少し離れているから、専用の給水溝を掘る必要がある」
「給水溝ッスね! 任せるッス!」
「待つピョ、モグラ!」
ピピがティルの肩から飛び立ち、第三号畝の上空をパタパタと旋回した。
「よく見なさいピョ。第三号畝は、岩壁の風除けから少し離れていて陽当たりが良い分、西風が通り抜けやすい場所にあるピョ。真っ直ぐ溝を掘ったら、水が勢いよく流れすぎて土を削っちゃうピョよ。水路から緩やかなカーブを描いて、畝の周囲を優しく囲むように『迂回水路』を掘らなきゃダメピョ!」
「さすがピピ、大正解だ」
ティルは頷き、地面に小枝で設計図の線を引いた。
「モグは、この線に沿って幅二十センチ、深さ十五センチの溝を掘ってほしい。水がゆっくり流れるように、ほんの少しだけ傾斜をつけてね」
「合点承知ッス! 『シャベル・掘削』、曲線水路モードッス!」
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ!
モグの両前足が滑らかに回転し、地面に美しい弧を描く溝が掘り進められていく。
途中で現れる小石を器用に跳ね除け、底面を爪の背で均等にならしていくモグの職人技は、もはや芸術的ですらあった。
「掘れたッスよ、旦那!」
「ありがとう、モグ! 次はぷるの出番だ」
「ぷる……? ぼく、なにするぷる?」
ぷるが小首を傾げてティルを見上げる。
「ぷる、この掘りたての溝の中を、端から端までゆっくり泳いでくれるかい?」
「うんぷる! おみぞの中を泳ぐの、だいすきぷる!」
ぷるは溝の始点へと飛び込むと、身体を細長く伸ばして、スルスルと溝の底を這い進んだ。
すると、驚くべき現象が起きた。
ぷるが通り抜けた溝の壁面と底面が、ぷるの体表面から分泌される粘液と大地の魔素によって、滑らかにコーティングされていったのだ。
パサついて崩れやすかった土の粒子がキュッと固まり、まるで職人が丁寧に焼き上げた素焼きの土管のように、きめ細かく強固に固められていく。
「うわぁっ……! 溝の壁がツルツルになって、土が崩れなくなってるッス!」
モグが目を丸くして歓声を上げた。
「そうなんだ。素掘りの水路は水を通すと壁が崩れたり、途中で水が土に全部染み込んで先まで届かなくなったりする。でも、ぷるが粘土を滑らかに塗り固めてくれたおかげで、水漏れしない天然の『遮水壁』ができたんだよ」
「ぷるぅぅぅ! 主さま、おみぞのトンネル、すっごく気持ちよかったぷる!」
溝の終点から飛び出したぷるが、誇らしげに胸を張った。
「仕上げはアタシの出番ピョね!」
ピピが本線水路の堰へと飛んでいき、木板をくちばしでクイッと引き上げた。
――サラサラサラ……。
岩壁から湧き出る澄んだ清流が、新しく作られた曲線水路へと滑らかに流れ込んだ。
水は勢いよく溢れることもなく、ぷるがコーティングした滑らかな水路を穏やかに巡り、第三号畝の周囲を優しく包み込むように満たしていった。
「完璧ピョ! 水漏れゼロ、流速もパーフェクトピョ!」
ピピが上空でくるりと旋回し、ティルの肩へと降り立つ。
土を掘るモグ、水路をコーティングするぷる、水流を導くピピ。
三人の能力が見事に噛み合い、わずか半時間足らずで、完璧な灌漑設備が完成したのだ。
「さて……いよいよ、第三号畝に命を吹き込もう」
ティルは腰の麻袋から、丁寧に仕分けしておいた二種類の種を取り出した。
一つは、追放された時の革袋の底に残っていた、細長い胡麻のような小さな黒い種――【シャキシャキ野草】の種。
そしてもう一つは、昨日水路沿いの草むらで見つけて採取しておいた、野生のクローバーに似た三つ葉の草の種だ。
「旦那、ふたつも種を蒔くッスか?」
「うん。これが今回の主役、『緑肥栽培』と『混植』だよ」
ティルは膝をつき、ふかふかの第三号畝の土を優しく撫でた。
「第三号畝は、ぷるのおかげで最高の団粒構造になったけれど、まだ土の中に有機物の栄養が足りていないんだ。そこで、このクローバーに似た野生の豆科植物を一緒に育てる」
「豆科……ってことは、昨日のカラカラ豆と同じピョ?」
ピピが鋭く尋ねる。
「その通り、ピピ。この三つ葉の草は、根っこに空気中の窒素を固定して土を肥やしてくれる。それだけじゃない。地表を緑の絨毯のように低く覆ってくれるから、荒野の強い日差しで土がカラカラに乾くのを防ぐ『リビングマルチ(生きた敷き草)』の役割も果たしてくれるんだ」
「す、すっげぇッス……! 草自体が、畑を守るお布団になるんスね!」
モグが感嘆の声を漏らす。
「そして、その緑の絨毯の間で育てるのが、この【シャキシャキ野草】だ。スライムが土壌を耕した土地で一番甘く、みずみずしく育つと言われている生命力の強い野菜なんだよ」
「ぷるのお野菜ぷる!? ぷる、そのお野菜、だあいすきぷるぅぅ!」
ぷるが嬉しそうにティルの腕にすり寄ってきた。
「よし、みんなで蒔こう!」
ティルは畝の表面に、人差し指で浅い筋を引いた。
そこに、シャキシャキ野草の種を指先からパラパラと均等に筋蒔きしていく。
そして畝の肩や隙間には、モグが器用な爪先でポコポコと小さな穴を開け、クローバーの種を一粒ずつ丁寧に落とし込んでいった。
種を蒔き終えると、ティルとモグは両手で優しく土を被せ、手のひらでトントンと軽く鎮圧した。
「ぷる、最後の仕上げをお願いできるかい?」
「うんぷる! まかせてぷる!」
ぷるは畝の表面を、まるでマッサージするようにペタペタと跳ね歩いた。
ぷるの身体が通った場所の土は、適度な重みで種と密着し、さらにぷるが微かに発する大地の魔素が、蒔かれたばかりの種へと優しく注ぎ込まれていく。
種を踏むたびに、ぷるは「くすぐったいぷるぅ!」と楽しそうに笑い声を上げていた。
仕上げに、ピピが上空から舞い降りた。
「いくピョ! 発芽促進の『スプリング・ミスト』!」
――シュワァァァァ……。
太陽の光を浴びて温められた微細な霧が、第三号畝全体をふわりと包み込む。
ぷるの魔素を帯びた黒土が霧を吸い込み、しっとりと艶やかな黒色へと染まっていった。
土の底から、種たちが「カチリ」と目覚めの音を立てたような、静かで確かな生命の気配が立ち上る。
「……できた!」
ティルは立ち上がり、額の汗を拭った。
第一号畝には、間引きを終えて誇らしげに本葉を伸ばす【ゴツゴツ土大根】。
第二号畝には、地中で力強く発根を始めた【カラカラ豆】。
そして第三号畝には、ぷるの団粒土と遮水水路に守られた【シャキシャキ野草】と【緑肥クローバー】。
荒涼とした岩壁の麓に、整然と並んだ三つの美しい畝。
その周りを、透き通った清らかな水路がサラサラと心地よい水音を立てて巡っている。
「やったッスね、旦那! 三つの畝がぜーんぶ完成したッス!」
モグが歓声を上げて跳び上がった。
「ふん! これだけの灌漑設備があれば、王国のどんな農園にも引けを取らないピョ!」
ピピも誇らしげに胸を張り、ティルの肩で翼をパタつかせる。
「主さま! ぼくたち、いっぱいいっぱいがんばったぷる!」
ぷるがティルの長靴によじ登り、腕の中へと飛び込んできた。
その小さな身体は、作業の心地よい疲労と達成感で、ぽかぽかと温かい。
「ああ……みんな、本当にありがとう。三人――いや、四人の力が合わさったからこそ、ここまで来られたんだ」
ティルは腕の中のぷるを抱きしめ、モグの頭を撫で、ピピに心からの笑顔を向けた。
夕暮れの優しい茜色の光が、荒野の農園を黄金色に染め上げていく。
誰かに命じられた仕事ではない。
不条理なノルマも、冷酷な評価もない。
自分たちの手で土を慈しみ、命を育てる喜びに満ちた、本物のスローライフ。
「よし……! 大仕事をやり遂げたんだ。今夜は、ぷるの正式な仲間入りと三つの畝の完成を祝って、盛大なお祝いの晩餐にしよう!」
「わぁぁぁい! ごちそうッス!」
「ピピ特製ハーブティーも淹れてあげるピョ!」
「ぷるも、おいちいごはんいっぱい食べるぷるぅぅぅ!」
茜色の空の下、四人の幸せな笑い声が、豊かに潤い始めた荒野の風に乗って、どこまでも響き渡っていった。




