第11話:土の中から、ぷるんと跳ねた
荒野の夜が明け、地平線の彼方から淡い朝の光が差し込んでいた。
大木と岩壁の窪みに作られた野営地。
ティルが目を覚ますと、すぐ隣の寝床ではモグが丸い毛玉のように丸まって眠り、肩の近くの小枝の上では、ピピが翼の中に頭をうずめて静かな寝息を立てていた。
「……ふぅ。今朝も気持ちのいい朝だな」
ティルはそっと起き上がり、枯れ草の寝床の上で背伸びをした。
昨晩食べた、香ばしい炒り穀物のお粥と温かいハーブティーのおかげで、胃の奥からじんわりとした温もりが残っており、身体が驚くほど軽い。
「ピピ……? モグ……?」
ティルが小さく声をかけると、ピピがパチリと瑠璃色の目を瞬かせ、モグも短い前足をパタパタと動かしてあくびをした。
「ふわぁぁ……! 旦那、おはようッス!」
「……おはようピョ。昨日は食べすぎちゃって、まだお腹がぽかぽかしてるピョ……」
照れくさそうに羽づくろいをするピピに、ティルとモグは顔を見合わせて笑った。
昨夜の晩餐を経て、三人の間には言葉にしなくても通じ合う、確かな家族の絆が芽生えていた。
「よし、それじゃあ朝の点検に行こうか。昨日は強風が吹いたから、畑がどうなったか見ておかないとね」
「了解ッス、旦那!」
「ふん、アタシが作った防風垣がビクともするはずないピョ!」
ピピがティルの肩にパッと飛び乗り、三人は並んで畑へと向かった。
畑へ足を踏み入れた瞬間、ティルは思わず感嘆の声を漏らした。
「……おお、すごいな!」
昨日の昼間に三人で力を合わせて編み上げた防風垣は、夜の冷たい隙間風を完璧に和らげてくれていた。
第一号畝の中央では、【ゴツゴツ土大根】の黄緑色の双葉が、朝露をたっぷりとまとって誇らしげに立っている。
それどころか、双葉の真ん中から、小さくギザギザとした本葉の赤ちゃんが、ちょこんと顔を覗かせ始めていた。
「旦那! 見てほしいッス! 土大根に新しい葉っぱが出てきてるッスよ!」
「本当だ……! もう本葉が出始めたのか。大地の魔素を吸って、すくすく育ってくれているな」
ティルが目を細めて喜んでいると、ピピがふと首を傾げた。
「……ん? ちょっと待つピョ」
「どうしたんだい、ピピ?」
「……第二号畝の方から、変な音がするピョ」
「え?」
ティルとモグは視線を第二号畝へと向けた。
昨日、ピピのぬるま湯で目覚めさせ、五粒の【カラカラ豆】を植えたばかりの畝だ。
静かな朝の畑。耳を澄ませてみると――。
――ぽよん……。
――ぷるるん……ぽよん……。
黒く湿った畝の中央付近で、土がかすかに盛り上がり、周期的に波打っていた。
「な、なんスか、あれ!? 土が呼吸してるみたいにプルプル震えてるッス!」
モグが慌てて前足のシャベル爪を地面に突き立て、大地の声を聴く。
「……見えたッス! 深さ十センチの土の底!丸っこくて柔らかいナニカが、すごい勢いで地表に向かって這い上がってきてるッスよ!」
「な、何ピョ!?昨日の豆を狙うドロボーピョ!? 許さないピョーーッ!」
ピピがティルの肩から飛び立ち、警戒して羽を逆立てる。
「モグ、何が出てくるんだ!?」
「来るッス! 三、二、一……真上ッス!!」
――スポォォォンッ!!
まるで固く詰めた木樽の栓が勢いよく弾け飛んだような、間の抜けた甲高い音が荒野に響き渡った。
黒土を派手に撒き散らしながら、地中から何かが勢いよく宙へと飛び出したのだ。
――ぷるるるるるんっ!
空中でくるんと一回転したそれは、ティルの長靴のすぐ爪先に、ペシャッと柔らかく着地した。
「わっ!?」
「ピギャッ!? 出たピョーッ!」
ティルが思わず一歩後ずさり、モグがシャベル爪を構えてティルの前に立ち塞がる。
土の上に落ちた「それ」は、ティルの足元でゼリーのようにフルフルと小刻みに揺れていた。
「……こ、これは……?」
ティルは目を丸くして、足元を見つめた。
そこにいたのは、子犬ほどの大きさがある、半透明の琥珀色をしたゼリー状の生き物だった。
泥まみれになりながらも、その身体は水風船のように丸っこく、弾力に満ちている。
頭のてっぺんには、ちょこんと小さなアホ毛のような突起がついており、ぷるぷるの身体の中央には、黒曜石のように丸くてつぶらな瞳が二つ、ぱちくりと瞬いていた。
「ぷる……?」
小首を傾げるように身体を右に傾け、小さく首を傾げるゼリー玉。
「す……スライムッス! 旦那、スライムが出たッスよ!」
モグが驚愕の声を上げた。
「やっぱりドロボーピョ! アンタ、アタシたちが昨日せっかく植えたカラカラ豆を食べにきたピョね!? この食いしん坊スライム! アタシのシャワーでお仕置きピョ!」
ピピが上空から威嚇の羽音を立てる。
すると――。
「ぷるぁぁぁ……!?」
怒り狂うピピと、鋭い爪を構えるモグを見た瞬間、スライムの全身が波打つように激しく震え出した。
丸い瞳から、ぽろぽろと大粒の透き通った涙が溢れ出す。
「た、たべてないぷるぅぅぅ! おまめさん、たべてないぷるぅぅぅ!!」
「しゃ、喋ったッス!?」
モグが飛び退いて目を丸くした。
「いじめないでぷるぅ! たたかないでぷるぅ! しんじゃうぷるぅぅぅ!!」
スライムは両手のような小さな触手を頭の上で合わせて、平伏するように地面にぺたんと潰れた。
まるで踏み潰されたプリンのように平たくなり、しくしくと情けない声を上げて泣きじゃくっている。
(……な、なんだこの情景……)
ティルの脳裏に、前世の記憶がよぎった。
オフィスで上司の怒号に怯え、机の隅っこで縮こまっていた新入社員時代の自分の姿が、この怯えきるスライムと重なって見えたのだ。
「ふたりとも、待って! 武器を下ろしてくれ!」
ティルは慌ててモグとピピを手で制した。
「でも旦那、畑を荒らされたかもしれないッスよ!?」
「そうピョ! スライムなんて、畑の野菜をドロドロに溶かして食べちゃう害獣の親玉ピョ!」
「いや、ちょっと畝を見てごらん」
ティルは第二号畝の土を指差した。
昨日カラカラ豆を五粒蒔いた場所。
土の表面は一切掘り返されておらず、豆が埋まっている場所は完全に無傷のままだった。
それどころか、スライムが飛び出してきた場所の土を触ってみると、まるで森の奥の腐葉土のように、しっとりと柔らかく、きめ細やかな団粒構造になっていたのだ。
「ほら、豆は一粒も食べられていないよ。それに……この土、すごく柔らかくなってる」
「えっ……? 本当ッスか?」
モグが爪を土に差し入れ、目を瞬かせた。
「ほ、本当ッス……! パサついてた土が、すっごくふかふかの良い土になってるッス……!」
「……ぷる?」
平たくなっていたスライムが、おずおずと顔を上げた。
ティルはその場にしゃがみ込み、目線をスライムの高さに合わせた。
アンド、優しく穏やかな声で語りかける。
「驚かせてごめんね。もう誰も怒ってないよ。怪我はしてないかい?」
「……ぷる? おこらないぷる……? たたかないぷる……?」
「ああ、叩いたりしないよ」
ティルが手袋を外し、素手の人差し指でスライムの頭のてっぺんをそっと撫でてやった。
ひんやりとしていて、上質な水羊羹のように滑らかで心地よい弾力がある。
「ぷるぅぅ……! てが、あたたかいぷる……!」
スライムは嬉しそうに目を細め、ティルの指先にすりすりと身体を寄せてきた。
その無邪気な仕草は、まるで甘えん坊の子犬そのものだった。
「アンタ……本当に豆を荒らしに来たんじゃないピョね?」
ピピが恐る恐るティルの肩に降り立ち、スライムを覗き込む。
「たべてないぷる! ぼく、ソイル・スライムのあかちゃんぷる!」
スライムは一生懸命に触手を振って訴えた。
「ソイル・スライム……土のスライムかい?」
「うんぷる! ぼくたち、土のなかの悪いゴミや枯れ葉をたべて、土をきれいにまぜまぜするのが大好きなぷる!」
スライムはそこまで言うと、しょんぼりと触手を垂らし、琥珀色の身体を曇らせた。
「でも……王国のひとたちは、みんなぼくたちを嫌うぷる。『汚い泥スライム』『畑を荒らすな』って言われて、塩をかけられたり、火で焼かれたりしたぷる……」
「塩に、火……!?」
ティルは顔をしかめた。
水分が身体の大半を占めるスライムにとって、塩や火は致命的な拷問に他ならない。
「なかまたちはみんな溶かされて……ぼく、怖くて、必死に逃げてきたぷる。でも荒野の土はカチカチで痛くて、干からびて死にそうだったぷる……」
スライムは涙を浮かべながら、第二号畝の黒土を愛おしそうに見つめた。
「そしたら昨日のよる、とってもいい匂いがしたぷる。ふかふかに耕されてて、冷たくてあまーいお水がいっぱい染み込んだ、天国みたいな土があったぷる……! あまりに気持ちよくて、土のなかで丸くなって眠っちゃったぷる……」
「あ……!」
ティルは昨夜の出来事を思い出した。
星空の下、第二号畝のあたりから聞こえてきた、あの小さな「ぷるん」という音。
あの時、このスライムは土の温もりに包まれて、幸せそうに眠りについたところだったのだ。
「そうだったのか……。泥棒だなんて疑って悪かったね」
「うぅ……疑ってごめんッス! お前も、王国の連中に酷い目に遭わされてきたんスね……!」
モグが涙ぐみながら、前足でスライムの身体をペタペタと撫でた。
「ふん……まあ、豆を食べてないなら無罪放免ピョ。でも、いきなり土からロケットみたいに飛び出すのは心臓に悪いからやめなさいピョ!」
ピピもばつが悪そうにそっぽを向きながら、注意を添えた。
その時だった。
――ぎゅるるるるるぅぅぅ……ぽよん!
スライムの半透明なお腹の中から、けたたましい音が響き渡った。
琥珀色の身体が波打つように激しく痙攣し、スライムは力尽きたようにヘナヘナと地面にへたり込んだ。
「ぷるぅぅぅ……おなかすいたぷる……。もう一歩も動けないぷる……」
「うわっ、すごい腹の虫ッス! ピピ姉さんよりでかい音ッスよ!」
「誰が一番うるさいか競争してるんじゃないピョ!」
ピピがモグの頭をつつく。
ティルは苦笑しながら、スライムの前にしゃがみ直した。
「お腹が空いたんだね。でも、ソイル・スライムって何を食べるんだい? パンやお粥は食べられるかい?」
「ううんぷる……。かたいパンや火を通したごはんは、うまく消化できないぷる……。ぼく、土のなかの魔素や、落ち葉や泥がだいすきぷる……」
「泥……? 土を食べるのかい?」
「そうピョ! ソイル・スライムは、大地の魔素を含んだ腐葉土や粘土を体内で分解してエネルギーにする魔物ピョ!」
ピピが胸を張って解説した。
「なるほど……土が主食なのか!」
ティルは立ち上がると、岩壁の麓へと向かった。
大木の根元に積もっていた、長い年月をかけて発酵した黒々とした完熟腐葉土。森の奥の甘やかな土の匂いがする。
それに、水路の底からすくい上げたミネラルたっぷりの青白いきめ細やかな粘土を少々混ぜ合わせ、湧き水を数滴垂らす。
手のひらの体温でコネコネと練り上げ、両手でキュッキュッと丸めると、手のひらサイズの、つやつやとした綺麗な「特製泥団子」が完成した。
「はい、お待たせ。荒野の特製泥団子だよ。お口に合うといいんだけど」
ティルがスライムの前に差し出すと、スライムの黒い瞳がキラリと輝いた。
「ぷるぅぅぅ……!? これ、ぼくにくれるぷる!?」
「ああ、君のご飯だよ。お腹いっぱい食べていいよ」
「わぁぁい! いただきまーすぷる!」
スライムは口のような穴をパカッと大きく開けると、ティルの手から泥団子をスポンッと丸呑みにした。
――ジュワァァァァ……!
半透明の身体の中に入った泥団子が、シュワシュワと心地よい音を立てて分解されていく。
泥に含まれていた大地の魔素が黄金色の光の粒となって、スライムの全身を内側からキラキラと照らし出した。
「ぷるぅぅぅぅぅぅ……!!」
スライムの身体が、一気にピンと張りのある艶やかな琥珀色へと生まれ変わった。
「おいちいぷるぅぅぅ! あまくて、ふかふかで、すっごくおいちいぷるぅぅぅ!!」
歓喜のあまり、スライムは地面をトランポリンのように跳ね回った。
ぽよん! ぷるん! ぽよん!
まるでゴムボールのように楽しそうに跳ね回る姿に、ティルもモグもピピも、堪えきれずに大爆笑した。
「あっはは! すっごい跳躍力ッス!」
「まったく、騒がしいやつピョね! 泥団子であんなに喜ぶなんて安上がりピョ!」
散々跳ね回っていたスライムは、やがて満足したようにティルの足元へと飛び込んできた。
そして、ティルの長靴にすりすりと身体を擦り付けながら、見上げて言った。
「主さま……! ごはん、ありがとうぷる! ぼく、主さまのお手伝い、いっぱいするぷる!」
「えっ……主さま?」
ティルが目を丸くすると、ピピがやれやれと翼をすくめた。
「手懐けちゃったピョね、ティル。……ま、泥を食べるだけで土を肥やしてくれるなら、農園にとっては大歓迎ピョ!」
「へへっ、また新しい仲間が増えたッスね、旦那!」
モグが嬉しそうにしっぽを振る。
スライムはティルの長靴にべったりともたれかかり、満腹の重みでとろりと形を崩しながら、幸せそうにつぶやいた。
「主さま……おなかいっぱいで、もうねむいぷる……」
「あはは、現金だなあ。でも、冷たい地面で寝たら身体が冷えちゃうよ」
ティルは屈み込み、ぷるぷるのスライムを両手で優しくすくい上げた。
水風船のような心地よい重みと、ひんやりとした弾力が手のひらに伝わってくる。
「ところで旦那! この子の名前はどうするッスか!?」
モグが目を輝かせて尋ねた。
「そうピョね! ずっと『スライム』って呼ぶのも味気ないピョ! ……泥団子を丸呑みしたんだから、『ドロ丸』でいいんじゃないピョ?」
「ぷるぅぅぅ!? ドロ丸はいやぷるぅぅ! もっとかわいいおなまえがいいぷるぅぅぅ!!」
スライムがティルの腕の中でジタバタと触手を振り乱し、必死に抗議する。
その可愛らしい姿に、ティルは思わず吹き出してしまった。
「ドロ丸はさすがに可哀想だよ、ピピ。……よし、この子にぴったりの、とびきりいい名前を考えてあげよう」
朝の光が降り注ぐ荒野の畑で、ティルは腕の中の小さな命を見つめながら、優しく微笑んだ。




