第12話:君の名前は、ぷる
朝日が荒野の地平線からぐんぐんと昇り、岩壁の窪みに作られた開拓地を、柔らかな黄金色の光で包み込んでいた。
第二号畝の脇にしゃがみ込んだティルの両腕の中。
そこには、特製の泥団子をまるごと一つ平らげて、満足そうにとろけている琥珀色のベビースライムが収まっていた。
「主さま……おなかいっぱいで、もうねむいぷる……」
小さな水風船のような身体は、手の中でぽよぽよと波打ち、今にも零れ落ちそうなほど柔らかい。
ティルが抱きかかえる手のひらには、ひんやりとしたゼリーの感触とともに、大地の魔素を吸収したばかりの心地よい温もりがじんわりと伝わってきた。
「あはは、現金だなあ。さっきまで必死に飛び跳ねてたくせに」
ティルが苦笑しながら指先で突起をちょんと突くと、スライムはくぐったそうに「ぷるぅ」と身をよじった。
「それで旦那! さっきの話の続きッス!」
モグが短い前足をパタパタさせながら、身を乗り出してきた。
「この子の名前、どうするんスか!? 俺が『モグ』で、ピピ姉さんが『ピピ』ッスから、やっぱりカッコいい名前をつけてやりたいッスよ!」
「カッコいい名前……?」
ティルが首を傾げると、モグは自慢のシャベル爪をシャキーンと天に掲げて胸を張った。
「ズバリ、『黒土丸』か『掘削二号』はどうッスか!? 大地を愛する男らしい響きッス!」
「ぷるぁぁぁ……!?」
ティルの腕の中で、スライムの全身が激しく波打った。
琥珀色の身体を必死に縮こまらせ、涙目で首をぶんぶんと横に振る。
「やだぷるぁぁぁ! くろつちまる、ごつごつしてて痛そうぷる! くっさくに号も、なんか泥だらけの機械みたいでやだぷるぁぁ!!」
「がーんッス……! 俺の自信作だったのに……!」
モグが耳をぺたりと垂らし、地面に手をついて落ち込んだ。
すると、ティルの肩に止まっていたピピが、やれやれと大きなため息をついた。
「やれやれピョ。モグラのネーミングセンスは土臭くてたまらないピョね。男所帯のセンスには辟易するピョ」
「な、ならピピ姉さんはどんな名前がいいと思うんスか!?」
「ふふん! アタシの冴え渡る知性に任せるピョ!」
ピピは瑠璃色の翼を器用に腰に当て、得意げにくちばしを鳴らした。
「泥団子を一口で飲み込んで、ゼリーみたいにプルプルしてるんだから……『ドロ玉ゼリーポン』か、シンプルに『泥喰い丸』で決まりピョ!」
「ぷぎゃぁぁぁぁぁ!!」
スライムが絶叫した。
あまりのショックに、頭のてっぺんのアホ毛のような突起がピーンと垂直に直立している。
「もっとひどいぷるぁぁぁ!! ドロ喰い丸なんて、ゴミ箱のなまえぷる! ぼく、かわいいおなまえがいいぷる! お花みたいにフワフワしてて、あまーいお菓子みたいなおなまえがいいぷるぁぁぁ!!」
スライムはティルの胸元に顔をうずめ、必死に触手をパタパタと動かして抗議した。
半透明の身体が悔しさで真っ赤に染まりかけている。
「な、何よ! 特徴を捉えた合理的で分かりやすい名前ピョ!文句を言うなら、アタシの冷水シャワーで洗顔してやるピョ!」
「わーっ、ピピ、ストップ!スライムに冷水は厳禁だってさっき言ったばかりだろ!」
ティルは慌ててピピを手で制し、腕の中のスライムを優しく抱き直した。
前世の社畜時代、不条理なアダ名で呼び合ってはギスギスしていた開発現場の空気が一瞬だけ脳裏をよぎり、思わず苦笑いが漏れる。
(まあ、誰だって自分の名前は可愛くて愛着の持てるものがいいよな……)
ティルは改めて、腕の中の小さな命をじっと見つめた。
朝日を透かしてきらきらと輝く、淡い琥珀色の半透明な身体。
泥を綺麗に拭ってやると、まるで上質な蜂蜜の雫のように透き通っている。
触ればひんやりと心地よく、指先を優しく押し返すような弾力。
そして何より、地中から勢いよく飛び出してきたときの、あの小気味よくて無邪気な音。
「……ぽよん、ぷるん、って跳ねてたな」
ティルが呟くと、スライムがつぶらな瞳を瞬かせた。
「ぷる……?」
「君は、土から飛び出したときも、嬉しいときも、お腹が空いたときも、ずっと『ぷる』って言っているね」
「うんぷる! ぼく、うれしいと身体のなかから『ぷるぷる』って音が湧いてくるぷる!」
「そっか。……それじゃあ、『ぷる』っていうのはどうだい?」
「ぷる……?」
スライムが小首を傾げた。
「そう。『ぷる』だ。君の愛らしい鳴き声そのままだし、柔らかくて、甘くて、瑞々しい響きがある。荒野の大地に芽吹いたばかりの、小さな命にぴったりだと思うんだけど……どうかな?」
「ぷ……る……」
スライムは、口のような小さな穴を半開きにしたまま、その言葉を反芻するように身体を小刻みに震わせた。
黒曜石のような丸い瞳が、じわりと潤んでいく。
「ぷる……。ぼくの、おなまえ……?」
「ああ。君の名前だよ」
「ドロ丸じゃなくて……ゴミ箱のなまえじゃなくて……『ぷる』……?」
「うん。世界で一番可愛くて、素敵な名前だ」
ティルが目元を細めて微笑みかけると、スライムの全身がパッと輝いた。
「ぷるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
歓喜の叫びとともに、スライムはティルの腕からポーンと宙へ飛び上がった。
空中でくるんと二回転し、ティルの肩に飛び移ると、頬にすりすりとスライム特有の柔らかな吸着力で抱きついてきた。
「ぷる! ぼく、ぷるぷるの『ぷる』ぷる! すっごくかわいいぷる! だあいすきぷるぅぅぅ!!」
「わっ、くすぐったいよ、ぷる!」
ティルが声を上げて笑うと、モグもパチパチと前足を叩いて飛び跳ねた。
「おおっ! いい名前ッスね、旦那! 短くて呼びやすいし、すごく合ってるッス!」
「……ふん。まあ、アタシのドロ玉ゼリーポンには及ばないけど、妥協案としては合格点をあげてもいいピョ」
implピピも満足そうに胸を反らし、瑠璃色の翼を軽く羽ばたかせた。
その瞬間だった。
――トクン……。
ティルの胸の奥深く、心臓の鼓動と重なるようにして、大地の底から響くような温かな波長が生まれた。
ティルの右の手のひらが、ポカポカとした淡い黄金色の光を放ち始める。
「え……? これは……」
ティルが目を見張ると、肩にへばりついていたぷるの身体からも、同じ淡い黄金色の光の粒子がふわりと立ち上った。
光の粒子は二人の間を螺旋を描くようにめぐり、ティルの手のひらと、ぷるの小さな触手を優しく結びつけていく。
「旦那! 手が光ってるッス!」
「これ……【大地の主】の魂の契約ピョ……!」
ピピが息を呑んで見つめる。
頭の中に、どこか懐かしい、大地のささやきのような柔らかな気配が流れ込んできた。
隷属の鎖でも、強制の術式でもない。
ただ、同じ土の上に生きる者同士が、互いの命を認め合い、慈しみ合うことで結ばれる、等身大の魂の絆。
『ぼくを……すてないでいてくれて、ありがとうぷる……』
言葉ではなく、心の奥底の感情が、ダイレクトにティルの胸へと届いた。
王国の軍事特区で、仲間を目の前で焼き殺され、塩をまかれ、泥水の中で震えていた日々の記憶。
乾ききった荒野の岩陰で、誰からも愛されずに死んでいくのだと諦めていた、ちっぽけな命の孤独。
そのすべての痛みが、ティルの手のひらから注ぎ込まれる温かな魔素によって、静かに洗い流されていく。
「大丈夫だよ、ぷる。君を捨てる人なんて、ここには誰もいない」
ティルはそっと語りかけた。
「ここは君の家だ。好きなだけ土を食べて、好きなだけ寝転がっていいんだよ」
「主さまぁぁぁ……!!」
黄金色の光がスッと収まると同時に、ぷるの身体に劇的な変化が現れた。
先ほどまで表面にこびりついていた荒野の乾いた砂埃や、体内に残っていた濁った黒ずみが、朝露のようにサラサラと土の上へ剥がれ落ちていったのだ。
現れたのは、まるで極上のトパーズのように澄み渡った、美しいクリアアンバーの肉体だった。
光を透かすと、身体の芯まで一切の濁りがなく、艶やかなハリと弾力に満ち溢れている。
頭のてっぺんのアホ毛のような突起も、生まれたての双葉のようにピンと上を向いて、元気に揺れていた。
「うわぁぁぁ……! ぷるの身体、すっごく綺麗になったッス!」
モグが感嘆の声を上げる。
「本当ピョね……! 王国の奴らが『汚い泥スライム』って呼んでたのが信じられないくらい、宝石みたいに透き通ってるピョ!」
ピピも目を丸くして感心していた。
「ぷる……? ぼく、ピカピカぷる……?」
ぷるは自分の触手を見つめ、不思議そうにぺたぺたと身体を触った。
「からだが……すっごく軽くて、あったかいぷる! ちからが、もこもこ湧いてくるぷるぅ!!」
「よかったね、ぷる。契約が無事に結ばれた証拠だよ」
ティルが優しく微笑みかけると、ぷるは誇らしげに胸(?)を張った。
「主さま! ぼく、元気もりもりぷる! さっそく畑のお仕事、お手伝いするぷる!」
「えっ、今からかい?」
「うんぷる!主さまの役に立ちたいぷる!土をもりもり耕すぷるぅ!」
ぷるはティルの肩から地面へと飛び降り、短い触手を振り回しながら第一号畝へと向かおうとした。
だが――。
――ふらっ……ぽてっ。
「ぷるぅ……?」
二、三歩跳ねたところで、ぷるの琥珀色の身体がぐにゃりと軟体動物のように崩れ、土の上にペシャリと平たくなってしまった。
「うわっ、大丈夫かい!?」
ティルが慌てて駆け寄る。
「ぷるぅ……なんか、からだが重たくて、手足が動かないぷる……。ぽかぽかして、まぶたがくっつきそうぷる……」
ぷるはとろけたスライム状のまま、眠たそうにつぶらな瞳をしょぼしょぼと瞬かせた。
「あはは……さっき泥団子を食べたばかりだし、契約で魔素が馴染んで、急激に眠くなっちゃったんだな」
ティルが苦笑して抱き起こそうとすると、頭上から鋭いツッコミが飛んできた。
「ちょっとティル! 何ぼんやりしてるピョ!」
ピピがバタバタと羽ばたきながら、ティルの目の前に立ちはだかった。
「見なさいピョ! 荒野の朝風がまた強くなってきてるピョよ! スライムは身体の九割以上が水分でできてるデリケートな生き物ピョ! こんな乾燥した地面に放置したら、あっという間に表面から水分が蒸発して、干からびた寒天ゼリーになっちゃうピョよ!」
「えっ、寒天ゼリー!?」
「当たり前ピョ! それに、さっき敷いてた枯れ草の寝床なんかに置いたら、草のチクチクした繊維が身体中にめり込んで取れなくなるピョ! ちゃんとスライム専用のベッドを作ってあげなきゃダメピョ!」
「そ、そうなのか……! さすがピピ主任、詳しいな!」
ティルは感心しながら頷いた。
前世でペットを飼ったことはなかったが、子犬や子猫を飼い始めたばかりの家庭で、室温や寝床の材質に細心の注意を払うのと同じことだ。
「モグ、ちょっと手伝ってくれるかい?」
「任せてほしいッス、旦那! 何をすればいいッスか!?」
「大木の根元の窪みで、風が直接当たらない日陰の場所を選んで、深さ十センチほどの浅い丸い穴を掘ってほしいんだ」
「了解ッス! 『シャベル・掘削』、スライム用ベッドモードッス!」
ザシュッ、ザシュッ、トン!
モグが器用に前足を動かし、大木の太い根と岩壁に守られた特等席に、直径五十センチほどの綺麗な窪みを作り上げた。
地中の湿り気がほんのりと残り、直射日光も強風も遮られる最高の立地だ。
「掘れたッスよ、旦那!」
「ありがとう、モグ! 次は俺の番だな」
ティルは水路沿いへと小走りで向かった。
水路の石積みの隙間や、岩肌の日陰に自生していた、ベルベットのようにきめ細やかで柔らかな野性の青苔。
それをスコップの先で傷つけないよう丁寧に剥ぎ取り、大木の下へと運んできた。
掘った穴の底に、ふんわりとした青苔を隙間なく敷き詰めていく。
まるで深緑色の絨毯のような、厚みと弾力のある天然のマットが完成した。
「仕上げはアタシの出番ピョね!」
ピピが水路で澄んだ湧き水を補給し、穴の上空へとホバリングした。
「乾燥は大敵、でも冷たすぎる水は体温を奪うピョ! ……いくピョ、『ぬるま湯ミスト』!」
――シュワァァァァ……。
ピピの体内水嚢で適温に温められた微細なミストが、敷き詰められた青苔の上にふわりと降り注いだ。
苔が水分を吸い込んでしっとりと潤い、みずみずしい森の香りが立ち上る。
冷たすぎず、蒸れすぎない、極上の保湿ベッドだ。
「よし……ぷる、おいで。ここが君の新しいベッドだよ」
ティルはとろけていたぷるを両手で優しく抱き上げ、湿った苔のマットの中央へとそっと寝かせてやった。
「……ぷるぅぅぅ……ん……」
ぷるの琥珀色の身体が、心地よい湿り気とクッション性に包まれて、じんわりと形を馴染ませていく。
ひんやりとした青苔の感触がたまらないのか、ぷるはとろけるような笑顔を浮かべ、身体を左右にゆらゆらと揺らした。
「すっごく……きもちいいぷる……。ひんやりしてて……あたまが、ぽわぽわするぷるぅ……」
「ふふ、気に入ってくれたかい?」
「うんぷる……。主さま、だいすきぷる……。モグちゃんも……ピピちゃんも……みんな、だいすきぷる……」
ぷるは小さく息を漏らすと、琥珀色の身体の中央で、つぶらな瞳を静かに閉じた。
頭のアホ毛突起が、呼吸に合わせてぽよん、ぽよんとリズミカルに揺れている。
――すぴぃ……ぷるる……。
――すぴぃ……ぷるる……。
小さな寝息を立てて、ぷるは深い眠りに落ちていった。
「ふぅ……! 一件落着ッスね!」
モグが額の汗をぬぐいながら、満足そうに微笑んだ。
「すっごく気持ちよさそうに眠ってるッス。あいつ、今までずっと過酷な荒野で怯えてたんスもんね……」
「そうピョね。……ま、寝顔はそこそこ可愛いから、許してあげるピョ」
ピピもティルの肩に止まり、珍しく優しい眼差しでぷるを見守っていた。
ティルは三人で並んで、すやすやと眠るぷるの姿を見つめた。
大木と岩壁に守られた小さな野営地。
土を掘るモグ。水を操り風を読むピピ。そして、土を愛するスライムのぷる。
追放された当初は一人きりで途方に暮れていたこの荒野に、少しずつ、だが確実に、温かな家族が増えていた。
***
「よし……ぷるが寝ている間に、俺たちも午前の作業を進めようか」
ティルが立ち上がり、腰のスコップを握り直した。
「了解ッス! 第一号畝の大根の間引きと、第二号畝の豆の観察ッスね!」
「アタシは水路の見回りと、風除け垣根の緩みがないか上空からチェックしてくるピョ!」
モグとピピが頼もしく声を揃える。
ぷるが目覚めたとき、もっともっと驚くような美味しい土と環境を用意してあげたい。
ティルの胸の奥には、前世の激務では決して味わえなかった、穏やかで誇らしい充実感が満ちあふれていた。




