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第9話:作り笑い

□■■■◇■■■□




この調子だと、ハナは自身の人生のすべてを語ることになりそうだった。




この部屋にいる全員が、ハナと彼女の兄がなぜこれほど若い歳で魔法を習得できたのか、その秘密を解き明かすことだけを目的に集まっていた。




しかし、会話は期待していたものとはまったく異なる方向へと脱線してしまっている。



この変化を気にしていない様子なのはライラとアルバードの二人だけで、彼らはハナが物語を語る間、嬉しそうに微笑んでいた。




「師匠は私に、南の言語と東の言語を教えてくれました」




ハナが言った。 その言葉が、僕の心の中にちょっとした疑問を生じさせた。なぜ僕は、彼ら一人ひとりとなんの違和感もなく自然に話せているのだろう? これまでにその言語を勉強したことなんて一度もなかったはずだ。 今までは深く考えたこともなかった。




「ハナ、話を途中で遮ってごめん。でも、みんなに言いたいことが……というか、訊きたいことがあって。アルバードさん、あなたの友人……ツノさんについて訊きたいんです」




アルバードは僕をじっと見つめ、それから口を開いた。




「何でも訊きなさい、エリオット君。喜んでお答えしよう」




「えっと、ツノさんは、二人が出会った時にすでに言葉を話せたのかなと思って」




「勿論ですよ。彼は完璧に言葉を話せました。ですが、なぜそんなことを訊くのですか、エリオット君?」




部屋中の視線が僕に注がれた。まるで早く答えるよう圧力をかけられているかのようだった。




「いや……僕はこの世界に来た時、最初からみんなの言葉を完璧に理解できたから……なんだか妙だなと思って……」




僕は頭に手をやり、ぽりぽりと掻いた。




「なるほど……君はとても幸運だ。女神様が慈悲を垂れ垂れてくださったのですね」


「慈悲? どういう意味ですか、アルバードさん?」




アルバードさんは静かに首を垂れた。まるでこれから長い昔話を始めるかのようだった。




「君は、多くの者が血の滲むような努力をして手に入れるものを携えてこの世界に降り立った。だからこそ言ったのです、女神様が慈悲を垂れてくださったのだと」


「それだけ……ですか?」


「ええ。何か他に期待していましたかな、少年?」


「いえ、全然。大丈夫です」




どうして僕が言葉を理解できるのか? 神様みたいな存在と話した記憶なんてない。 何の目的もなく、ただ突然この場所に放り出されただけだ。




「おい、エリオット」


「ん?」




円卓の反対側からキルバーが声をかけてきた。




「疑問があるなら、図書館に行って調べてくるといい。階段を上った先にある」


「疑問……そうですね。ありがとうございます!」




僕は立ち上がった。僕の頭の中を駆け巡る無数の問いの答えがそこにあるかもしれない期待を胸に、部屋を出て図書館へ向かおうとした。

ちょうど立ち去ろうとしたその時、ライラさんの呼び止める声が僕を引き留めた。




「エリオット、ハナの昔話の続きは聴いていかないの?」


「後で聴きます、それでは!」




あの部屋を出た瞬間、大きな安堵感が押し寄せてきた。


全員からの視線、ナナミの目をまっすぐ見られない気まずさ、ハナのとりとめのないおしゃべり……それら全てが僕を押し潰しそうになっていた。でも神様のおかげで、ようやく一人になれた。




「図書館って、どれくらい大きいのかな」




その答えを知るのに、大して時間はかからなかった。階段を上り少し歩くと、分厚い本がギッシリと詰まった何百もの書架が僕の眼前に広がっていた。




「キルバーはどうやってこれ全部を整理したんだ……?」




僕は適当な書架から一冊の本を手に取ってみた。




「読める……」




本を元の場所に戻し、ゆっくりと果てしなく続く本棚の奥へと深く足を踏み入れていった。




「キルバーはこれ全部を一人で整理したって言ってたな……絶対に頭がおかしい……本が多すぎるだろ……」




しばらく歩き、それぞれの本棚を観察していた僕は、ハッと足を止めた。




「これ、何の規則性も無く並んでるじゃないか……」




再び歩き出し、本棚の側面へと向かった。各書架の側面には、そこに置かれている本分類を示すプレートが取り付けられている。




「一般的な分類法すら使われてない……」




もう選択肢はなかった。自分が探しているものに偶然行き当たるまで、図書館中を彷徨い歩くしかない。




正直、これはかなり退屈な作業だった。

キルバーはこの大量の本棚に囲まれて寝ていたのかと思うと、彼が図書館に入ると捜し出すのがあれほど困難になる理由がよく分かった。




「図書館……」




……




……




……




僕の言葉に反応するように、足元の床が激しく震え出し、僕は尻餅をついた。

本棚が大きく揺れ、その衝撃で何冊かの本が床へと落ちていく。




「な、何が起きてるんだ!?」




この状況は、すぐに王都で起きたあの出来事を思い出させた。本能的な恐怖から、僕は両手で頭を抱えて守ろうとした。




「また爆発か!? 僕、また死ぬのか!?」




床に横倒しになっていた僕が仰向けになると、巨大な本棚がまさに自分に向かって倒れかかってくるところだった。




「あっ!」




必死に立ち上がって逃げようとしたが、もう遅すぎるように思えた。巨大な書架が今にも僕を押し潰そうとしている。




「え……?」




奇妙なことに、僕はその場所から動き、再び立ち上がることができていた。




「な、なにが……?」




自分の腕、脚、肩を確かめるように触ってみた。幸いにも体はどこも無事だったが、それ以上に奇妙な現象が僕の周囲で起きていた。




「もしかして……時間が止まってる……?」




どうやらそのようだった。さっきまで僕を押し潰そうとしていた本棚は、床に激突する直前の姿勢のまま静止している。




宙を舞っていた本も、空気中に浮いたまま固定されていた。

僕の周りにある世界のすべてが、時間の中に凍りついていた。




「でも……どうして……?」




僕は頭を強く掻きむしった。その時、すべてが静止する直前の出来事をふと思い出した。




「僕が……『図書館』って言った時に始まったんだ……」




僕が「図書館」と口にした瞬間、周りの世界が再び動き始めた。いや、正確には、すべてが元あった場所へと戻り始めていた。まるで図書館内の時間が巻き戻されているかのようだった。




「ふむ……それだけ? 他には何もないのかな? もう一回言ってみたらどうなるだろう……」




再び口を開く前に、僕は本棚や本が落ちてこない安全な場所へと移動した。




「よし、ここなら大丈夫だ」




息を吸い込み、ニヤリと笑った。自分の興奮が顔に出ていたと思う。なにしろ図書館全体が自分の声に反応したのだ。不気味であると同時に、とてつもない可能性を感じずにはいられなかった。




「図書館!」




叫ぶと、再び全体が激しく揺れた。必死で踏ん張ろうとしたものの、結局また床に倒れ込んでしまった。




そして再びすべてが静止した。すべての本棚と本が、さっきとまったく同じ状態で止まっている。




「で、今度はどうなるんだ?」




……




……




……




驚いたことに、僕の目の前の空間に、糸の垂れ下がった肉の塊のようなものが幾つも形成され始めた。




「うわあああっ!」




純粋な恐怖から、僕は浮遊する肉塊の一つを思わず殴り飛ばした。拳が当たると肉塊は少量の血を撒き散らして僕の服を汚し、僕の手もその血で染まった。




「うぐっ! な、なんだよこれ一体!?」




胃の中のものを吐き出しそうになったが、なんとかこらえた。

浮遊する肉塊は僕を取り囲み、ゆっくりと別の何かへと変形し始めた。


肉塊からまつ毛が生え、それらは僕を見つめ始めた。金色の瞳、青い瞳、茶色の瞳……様々な色の瞳で僕を凝視している。




直視するのも吐き気がするような変貌を経て、周りの肉塊はすべて、僕を見つめる「目」へと変わっていた。




「え……?」




本当に僕を見ているのだろうか? そうではなさそうだった。目は確かに僕の方を向いてはいるものの、実際に「見ている」ようには感じられない。




「あの……こんにちは……?」




返事がないのを確認してから、僕は立ち上がった。予想通り、目線の先は僕の動きを追ってこなかった。まるで眠っているかのようだ。




「気味が悪すぎる……」




顎に手をやり、頭を掻いた。僕の混乱は最高潮に達していた。




「あ~あぁぁ……」


「え?」




あくびの音だった。誰かがあくびをしたようだが、周囲には誰もいない。誰も……この浮遊する目以外には。




あくびの後、浮遊する目一斉に僕へと焦点を合わせた。もう眠っているようには見えなかった。完全に意識を持ち、目を覚ましたかのようだった。




「えっ!? これ、本物なのか!?」




しばらく僕を見つめた後、目の瞳孔が大きく開いた。 確か、人間は本当に好きなものや、強い衝撃を受けたものを見る時に瞳孔が開くはずだ。 そして、さっきあくびをしたのと同じ声が、今度は僕に向かって語りかけてきた。




「マ、マ、マ、マ、マ、マ……」


「うわあああっ!!」


壊れたレコードが大音量で鳴り響いているようだった。 そしてようやく理解した。この目たちは、この図書館そのものの目なのだ。そして信じがたいことに、図書館が僕を見つめ、僕に話しかけてきている。




「ご主人様ーっ!!」


「痛っ!!」


耳をつんざくような大声だった。一瞬、鼓膜が破れたかと思ったほどの激痛が走った。




「な、何? 君は誰なんだ……?」




両手で耳を塞ぎながら尋ねると、あらゆる方向から同じ声が返ってきた。




「私ですよ、ご主人様! まさか忘れてしまったのですか!?」




図書館の目たちは、僕に会えたことを心から喜んでいるようだった。これ以上ないほど頭が混乱する。




「覚えているかって? 悪いけど、君を見るのは生まれて初めてだよ」




声は沈黙した。不気味で、永遠に続くかと思われるほどの気まずい沈黙だった。




「自己紹介をいたします。私は『図書館』です。何でもお尋ねください。その知見がこの書棚のどこかに存在するならば、あなたにお教えいたします」




明るいトーンから一転して、機械的で事務的な口調になった。

しかし……この図書館のすべての知識だって? まるでバーチャルアシスタントのような機能だ。これを作った奴は間違いなく天才だな。

もしかしたら、異世界転移者についての情報も知っているかもしれない。

考えてみれば、キルバーはこの図書館にこんな機能があるなんて一度も教えてくれなかった。




「じゃあ、この本棚のどこかに答えがある限り、どんな質問にも答えてくれるんだな? 本当に?」


「はい」


「そうか……」




この図書館の規模は規格外だ。おそらくこの世界に関するあらゆる知識が収められている。そして今、僕はそのすべての知識に制限なくアクセスできるのだ。




「フフッ……」


「どうされたのですか?」


「いや、何でもない。大丈夫だ……」




図書館にとっては、僕が急に笑い出したのが心配だったらしい。

図書館が知る由もないことだが、僕は今、人生最大の全能感と歓喜に浸っていた。




「よし、聞け! 質問がある!」




僕は図書館の目の一つを力強く指さしながら叫んだ。




「お伺いいたします」




図書館の声が空間全体に響き渡る。




「僕が自分の世界へ帰る方法を知っているか!?」




図書館のすべての目の瞳孔がグルグルと回転し始めた。ウェブページがロードされている時のように、何度も、何度も回転する。




「こわっ!」




……




……




……




「回答の生成が完了いたしました」





……




……




……




図書館の言葉と同時に、すべての目が動きを止めた。

そして、目の前の空間から一冊の本が忽然と出現した。




「えっ!?」




僕が捕まえる間もなく、本はバタンと床に落ちた。

これはあまりにも怪しすぎる。拾って読むべきだろうか?




……




「その本をお手に取り、お読みください」




……




まあ、その声が言うなら間違いないか。 図書館の言葉に促され、僕は震える手を伸ばして床に落ちた本を拾い上げた。




「落ち着け……大丈夫だ……怖がるな……」




自分に言い聞かせながら、目の前に本を掲げ、ゆっくりと開き始めた。




「え……? 待ってくれ……」




本の最初のページには、ただひと言「いいえ」とだけ書かれていた。そして次のページをめくると……




「答えは存在しない……? どういう……どういうことなんだよ……!?」




僕の問いは図書館に向けられていた。両手はまだ本を握りしめていたが、その力は弱まっていた。




「お客様のご質問に対する回答は存在いたしません。恐れ入りますが、別の質問をお尋ねください」


「わかった……まだ諦めるな、僕……」




意気消沈しかけた心を奮い立たせ、別の可能性を考えた。




「世界から別の世界へと旅する方法はあるのか!?」




再びすべての目が激しく揺れ動き、瞳孔がぐるぐると回転し始めた。

その結果を待つ時間は、まさに生きた心地がしなかった。




「回答の生成が完了いたしました」




……




……




……




「その本をくれ!」




……




……




……




本が完全な姿を結ぶ前に、僕の手はすでにそれをひったくるように掴んでいた。

今日、二度目の本を開く。




……




……




……




僕は自分の頭を力任せに抱え込み、髪の毛をむしり取らんばかりに引っ張った。爪が顔の皮膚を深くひっかく。


だが、そんな痛みなど、本に書かれていた文字が僕に与えた痛みに比べれば、何でもなかった。目から溢れ出す涙の熱さなど、その絶望に比べれば取るに足らないものだった。


図書館の目が、憐れみの色を浮かべて僕を見つめている。最初は感情も共感力もない機械的な存在だと思っていたが、僕の考えに反して、図書館の目は痛々しいほどの深い同情を僕に向けていた。




「嘘だろ……くそっ……僕はなんて馬鹿だったんだ……甘かった……本当に、そんなに簡単にいくと思ってたのか? こんなに簡単に帰れるなんて……」




そうだ、僕は甘かったのだ。 それでも、どこかに故郷へ帰る方法が存在するかもしれないという希望に縋りつくことしか、僕にはできなかった。




「お客様……大丈夫ですか……?」




作り笑い。僕は無理やりに偽りの笑顔を浮かべた。お面をかぶるような、愚かな悪あがきだった。これほど多くの目で見つめられているのだから、僕が本当はどういう状態なのか、図書館には誰よりも見抜かれているに決まっているのに。


頬を伝い落ちる涙を手に受け止め、瞼の重さと目の焼けるような熱さを感じながら、僕はその笑顔のまま言った。


「もちろん! 最高に気分がいいよ!」




「お客様……泣いていらっしゃいます。どうして大丈夫だなんて言えるのですか?」




僕は顔に手をやり、頬をつたう涙を一滴すくい取って言った。




「あぁ……これ? これは……嬉し泣きさ! そう……嬉し泣きなんだ! 君に……君に会えて本当に嬉しいんだよ、図書館! だから泣いてるんだ!」




……




……




……




……




……




どうして今、腕が僕を抱きしめているのだろう? 僕はこの場所に図書館と二人きりのはずだし、図書館が僕を抱きしめられるわけがないのに。

それは細く、温かい腕だった。その腕が僕を優しく、包み込むように抱きしめてくれていた。




「君なの……? 図書館……」




「はい。ですが、変な目で見ないでくださいね」




僕の首にまわされた図書館の腕の力が、少しだけ強くなった。




「ありがとう……図書館」




僕は囁いた。図書館がゆっくりと僕から体を離す。




「これが……君の姿なんだね。すごく綺麗だ」


「そんなこと言わないでください」




図書館の七色に輝く髪が周囲へと広がっていた。その長さは無限のようにも見え、彼女が持つ知識の膨大さと多様性を象徴しているかのようだった。そして彼女の金色の瞳は、あらゆる知識を求む強欲さと、それらをすでに知り尽くしている自信で輝いていた。




「僕を慰めるために、その姿になってくれたの? なんだか僕を惚れさせようとしてるみたいだけど……フフッ」


「バカ! 変なこと言わないでって言ったでしょ!」


「ハハハハハハ!」




本物の笑顔、そして心からの笑い声が出た。図書館は僕を慰めるという目的を果たし、僕はその優しさが心から嬉しかった。


故郷に帰る道は、まだ遠いかもしれない。この先、もっと大きな苦しみが待ち受けているのかもしれない。けれど、この新しい世界が僕にこんなにも素晴らしい出会いをもたらしてくれるのなら、この苦痛もそれほど悪いものではないのかもしれない。

きっと、この苦しみも乗り越えていけるはずだ。




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