Episode 4 : 白い月
冒険者ギルドは異様な空気に包まれていた。ざわめきに怒鳴り声、不安げな視線。依頼掲示板には、新しい紙が何枚も重ねられている。
「また夜禍だってよ」
「西の街道でも出たらしい」
「最近多すぎる……」
疲れ切った声ばかりだった。誰もが夜を恐れ始めている。ヴェインは掲示板を見上げながら小さく眉を寄せた。胸の奥がざわつく。ただ人々が怯えているからじゃない。夜が近づいている…そんな不安がずっと消えない。
隣でゼファーが依頼書を一枚剥がした。
「これだな」
ヴェインが視線を向ける。
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北部 レイヴ村 調査依頼
・夜間の異常行動報告
・村人数名が深夜に徘徊
・歌声を聞いたとの証言有り
・夜禍発生の可能性
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また…歌。その文字を見た瞬間、胸の奥が脈打つのを感じた。最近どこへ行っても聞こえてくる歌への不安。
ゼファーがヴェインを見る。その青黒い瞳は鋭く、小さな変化も見逃さない。
「行けるか」
「……うん」
少しだけ返事が遅れた。
ゼファーは何も言わず、依頼書を丸める。けれどその視線だけは、ずっとヴェインを見ていた。
町を出る頃には、空が薄く曇り始めていた。
冷たい風が街道を吹き抜ける中、二人は並んで北へ向かう。しばらく無言が続いた後、ゼファーが低く口を開いた。
「……その歌」
ヴェインの肩が僅かに揺れる。
「いつから聞こえてるか分かるか」
冷たい風が通り抜ける。
ヴェインは少し俯きながら答えた。
「……覚えてない」
掠れた声だった。
「気づいた時にはもう聞こえてた」
ゼファーは黙ったまま前を向く。
ヴェインは続けた。
「月が綺麗な夜とか、一人の時とか…、なんの前触れもなく聞こえてくる」
静かな声。けれどそこには、自分でも理解できないものへの恐れが滲んでいた。
ゼファーが低く問う。
「今も聞こえるのか」
ヴェインは少し迷ってから頷く。
「…今は聞こえてない。…でもきっとまた…」
その瞬間、ゼファーの表情が僅かに険しくなり、青黒い瞳が冷たい影を帯びた。けれどそれ以上は聞かなかった。聞けば答えへ近づいてしまいそうで…怖かった。
__夕方頃、二人はレイヴ村へ辿り着いた。
小さな村だった。畑、古びた家々、小さな井戸。どこにでもある普通の村。
なのに、空気が重く妙に静かだった。人はいるが誰も笑っていない。村人達は皆、どこか怯えたように空を避けているようだった。
ヴェインは小さく眉を寄せる。
「……変だね」
「あぁ」
ゼファーも周囲を見回す。まるで村全体が、夜を恐れて息を潜めているみたいだった。宿を兼ねた酒場へ入ると、村長らしき男が二人を出迎えた。
「冒険者の方ですか……!」
その顔はひどく疲れていた。目の下には濃い隈。何日も眠れていない顔だった。
事情を聞くと、村の異変は数日前から始まったらしい。夜になると村人がふらりと外へ出て行く。村の中だけでなく、気づけば森に向かって歩いている者もいると言う。彼らを呼び止めても反応しない。その様子はまるで夢遊病みたいなのだと。
「……歌は?」
ヴェインが静かに尋ねる。
村長の顔色が変わった。
「知らないメロディーが聞こえるんです」
掠れた声。
「夜になると……どこからか」
酒場の空気が冷える。
村人達も皆、怯えたように俯いていた。
その時、店の隅から小さな鼻歌が聞こえた。
♪ 〜〜〜〜〜
ヴェインの呼吸が止まる。視線の先には椅子に座っている小さな女の子。虚ろな目で机を指先で叩きながら歌っている。
♪ 〜〜〜〜〜
ヴェインは立ち上がった。
「……君、その歌」
少女はきょとんと顔を上げる。
「うた?」
「今、歌ってた…」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「知らない」
……………!
ヴェインの背筋に冷たいものが走った。
知らないのに歌っていた…、誰かに歌わされているみたいに…。
ゼファーも表情を険しくする。その青黒い瞳が静かに細められた。
店の空気は重く息苦しかった。
___夜
二人は村へ泊まることになった。
窓の外には白い月の光が妙に明るく、ヴェインは眠れなかった。胸の奥が落ち着かない。耳の奥で歌が揺れている。
♪ ゆら ゆら
冷たい
苦しい
寂しい
知らない感情がゆっくり流れ込んでくる。
ヴェインは窓へ近づいた。
……………!
ぞわり、と背筋が粟立つ。
彼は感じ取っていた。森の奥にいる夜禍の気配を…それも一体じゃない…複数いる。異様に濃い気配だった。
ヴェインは目を見開いた。
…どうして分かる…まるで繋がっているみたいに。
その時、廊下から引きずるような足音が聞こえた。
ヴェインとゼファーは同時に扉を開く。2人の視界に入ってきたのは廊下を歩く人、村人だった。一人、また一人、その目は虚ろで感情のない顔をしている。皆が行く先には森がある。そして小さくメロディーを口ずさむ。
>♪ 〜〜〜〜〜
ヴェインの胸が大きく脈打つ。
歌が近い
頭の奥が熱い
森から何かが呼んでいる。
ヴェインは苦しげに呟く。
「……森の奥だ」
ゼファーが振り返る。
「何」
「夜禍」
ヴェインは眉を寄せた。
「強いのがいる。すごく近い」
ゼファーの表情が変わる。
これは普通じゃない。夜禍の位置をここまで正確に感じ取れるはずがない。
ヴェイン自身もそれを理解していた。だから怖かった。自分の中で何かが変わっていく。静かに…確実に。
その時だった。
♪ おいで おいで
歌がはっきり聞こえた。
ヴェインの瞳が揺れ、足が勝手に前へ出る。
月明かり
白い霧
森
歌
引き寄せられる。
頭の奥が、意識がぼんやりとしていく。胸の中の何かがその歌に応えようとしていた。
♪ おちておいで
無意識に外へ歩き出すヴェイン。その背をゼファーが見ていた。青黒い瞳が鋭く細められる。
「……ヴェイン」
呼びかけても返事がない。
ただ歌へ引かれるように歩いていく。
その姿がひどく危うく見えた。
まるで、夜に呑まれかけているみたいだった。
次の瞬間、ゼファーは強くヴェインの腕を掴み、勢いよく引き戻した。
ヴェインの身体が止まる。
「……どこ行く気だ」
低い、とても低い声だった。怒っているわけじゃない。その奥にあるのは強い焦りのように感じた。
ヴェインはようやく我に返る。目の前にはゼファーの顔。鋭い瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。その瞳の奥に滲む感情を見て、ヴェインの胸が僅かに痛む。
…恐れている。自分が壊れていくことを。
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ちょこっとキャラクター紹介2
【ゼファー】
背は高く、青黒く鋭い目、雑にかきあげたような前髪の青年。ヴェインの幼なじみで4歳上の監視者。黒翼の一族という、人々に忌み嫌われ惨殺された一族の生き残り。口は悪く皮肉屋だが、実際は面倒見が良い。「最悪の場合、ヴェインを止め(殺さ)なければならない」という覚悟を持ち、戦闘では圧倒的な素早さと近接能力、種族特有の力を用いる。感情を言葉にするのは苦手だが、行動で示すタイプ。




