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蒼月の庭  作者: 夜叶ひかり
3/6

Episode 3 : 月の声

森を出た頃にはすっかり夜が深くなっていた。空には白い月。冷たい月明かりが、静かに夜道を照らしている。


ヴェインは歩きながら、何度も浅い呼吸を繰り返していた。胸の奥が落ち着かない。夜禍との戦闘が終わったはずなのに、身体の芯に黒い冷たさが残っている。


耳の奥ではまだ微かに歌が揺れていた。



♪ ゆら ゆら



頭の奥へ静かに染み込んでくる声。振り払おうとしても消えない。


隣を歩く ゼファーが、 ちらりとヴェインを見る。

「……まだ気分悪ぃのか」

ヴェインは少し遅れて顔を上げた。

「え?」

「反応鈍い」

「そんなことないよ」

「ある」

即答だった。


ゼファーは前を向いたまま続ける。

「森で止まった時もそうだ」

「………」

ヴェインは言葉に詰まる。


あのとき、夜禍が目の前まで迫っていたのに、身体が動かなかった。歌に意識を引きずられていた。そんなこと、説明できるはずがない。


ヴェインは曖昧に笑う。

「ちょっと疲れただけ」

ゼファーが小さく舌打ちする。

「お前の“ちょっと”は信用ならねぇ」


風が吹く。

木々が揺れる。


その瞬間、



♪ よるのした



ヴェインの足が止まった。耳の奥で、はっきり歌声が響く。まるで、すぐ隣で囁かれたみたいに。


「……ヴェイン?」

ゼファーが振り返る。


ヴェインは周囲を見回した。


暗い道

揺れる木々

冷たい夜風


誰もいない。 …なのに確かに聞こえる。



♪ しろい こえが ないている



胸の奥が大きく脈打ち、世界の色が暗く沈んだ気がした。月明かり、影、夜、全部が妙に近い。まるで夜そのものが自分へ触れてくるかのようだった。


「……歌が」

掠れた声が漏れたとき、ゼファーの目が細くなった。

「また聞こえてんのか」

ヴェインは驚いたように顔を上げた。


ゼファーは視線を逸らしたまま低く息を吐く。

「言ってただろ“歌が聞こえる”って」


ゼファーが歌の話を聞いたのは森がはじめてではない。幼い頃、夜中に突然起きて、怯えた顔で歌の話をしていたことがある。ヴェインはほとんど覚えていないみたいだが、ゼファーは全て覚えていた。


器になった日から、ヴェインが少しずつ変わっていったことを。夜を怖がるようになったことを。時々、誰もいない場所を見つめていたことを。ゼファーは昔から、ずっと見ていた。


ヴェインは小さく目を伏せる。

「……気のせいかも」

「ならいい」

そう言いながらも、ゼファーの声は硬かった。


町へ戻った頃には夜もかなり更けていた。宿屋の灯りだけが静かな通りを照らしている。二人は簡単に食事を済ませ部屋に戻った。


ヴェインは椅子へ腰掛けたまま、窓の外を見つめる。


白い月

静かな夜


その光を見ているだけで、何かを思い出しそうな胸のざわつきを感じていた。


その横顔を無言で見ていたゼファーが口を開く。

「……本当に何もねぇのか」

ヴェインの肩が僅かに揺れる。

「え?」

「最近のお前、変だ」

静かな声。けれど、その奥には明確な緊張があった。


ヴェインは困ったように笑う。

「大丈夫だよ」

スーっとゼファーの表情が僅かに険しくなる。

「それ、やめろ」

部屋の空気が止まり、ヴェインが目を瞬かせる。


ゼファーは視線を逸らしたまま続けた。

「“大丈夫”って言ってる時のお前は大抵大丈夫じゃねぇ」

低い声。怒っているわけではない。まるで何かを恐れている様子だ。ヴェインはそれに気づいてしまった。ゼファーは昔からそう。普段は何も言わないくせに、ヴェインが崩れそうな時だけ妙に鋭くなる。


それは、自他ともに認める監視者の姿だ。もし本当に月喰いへ堕ちたなら、最後に止める役目を持っている。その事実をお互い理解している。だからこそ、時々どうしようもなく苦しくなる。


ヴェインは小さく笑った。

「心配しすぎ」

「してねぇ」

「してるよ」

「………………」

ゼファーは答えない。


代わりにゆっくりと窓の外を見た。月が嫌に明るく、静かすぎる夜だった。


___深夜。


ヴェインは眠りにつくことができない。胸の奥が落ち着かず、頭の奥が冷たい。ヴェインはそっと起き上がり、窓際へ向かう。夜風が冷たい。月が綺麗でとても静か。なのに見ているだけで胸が痛くなる。


その時、また歌が聞こえた。



♪ ゆら ゆら よるのした



ゆっくり目を閉じたヴェイン。気づけば自然と口が動いていた。



♪ しろい こえが ないている



まるで、昔から知っていたかのよう。その歌声は静かで、どこか泣いているようだった。ヴェインの胸の奥で何かが軋む。


孤独

寒さ

暗い夜

知らない感情がゆっくり流れ込んでくる。



♪ おいで おいで



その瞬間、部屋の奥で小さく布が擦れる音がした。


ヴェインが振り返る。

暗い室内

誰もいない

……気のせい?


けれど扉の向こうでは、ゼファーが静かに立ち止まっていた。


今の歌、聞いたことがない。なのに、 酷く嫌な感じがした。まるで、 闇夜に引き込まれるかのような…。


ゼファーは扉へ触れかけ、 その手を止める。入るべきか迷った。ヴェインに何と声をかければいいのか、 分からなかった。もし、あれが月喰いに関係しているなら。もし、ヴェインの中で何かが進み始めているなら。自分は何をすればいい…。


ゼファーは小さく舌打ちし、そのまま廊下を歩いていく。胸の奥が嫌にざわついていた。


___翌朝

冒険者ギルドは妙に騒がしかった。


「また行方不明!?」

「東だけじゃねぇぞ!」

「西の街道にも夜禍が出た!」


怒号とざわめき、不安と焦り

空気そのものが張り詰めている。


受付嬢も疲れ切った顔をしていた。

「最近おかしいのよ……」

「夜禍の数が増えすぎてる」


2人は辺りを見回した。


増え続ける依頼

傷ついた冒険者

怯えた人々


その時、近くで誰かが小声で言った。

「……聞いたか?」

「夜に歌が聞こえるって話」


ヴェインの指先が止まる。

耳の奥で微かにあの歌が響く。



♪ おいで おいで



胸の奥が大きく脈打つ。

ヴェインはゆっくり顔を上げる。


昼の空、そこにはうっすらと白い月が浮かんでいた。

まるでこちらを見ているように。


「…………」


ゼファーは何も言わない。そっと眉間にシワを寄せているその姿は、周りからは不機嫌そうに見えた。



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