子虎の正体
灯里が炊事場近くの休憩室を覗くと、千夜が湯呑に入った茶を飲んで、ゆっくりと過ごしていた。
「あのっ、千夜さん。魚の骨とかお肉の切れ端とか、何か料理では使わなかったもの……、まだ残っていませんか?」
「そーいや、雑炊に入れなかった鮎の頭と尾が、ちょこっと残っていたね。……何に使うんだい?」
「はい、人馴れしたような野生動物を見かけて……」
すると、灯里と千夜の会話をちょうど聞いていた太郎とおとが灯里の傍に来たようだ。幼い二人は、興味津々な顔で灯里を見つめていた。
「「見たーいっ!!」」
二郎とおとは、同時に興奮しながら声を出すと、今度は千夜の方を向いた。
「ばーちゃん、行っていいっ??」
「おとが、あゆのあたまとオッポをよういするから、見に行ってもいーい?」
二郎とおとがそれぞれに千夜に聞くと、幼い二人の面倒を見てもらうことができる灯里も一緒なら……と、不思議な獣のところに行く許可を受けたのだった。
おとが古くなった小さな皿にいくつかの鮎の頭を入れた後、灯里がその皿を持っていくようだ。
灯里と二郎とおとが外に出ると、白い毛に黒い縞模様の小さな獣は、その場にまだ居続けていた。
灯里たちが獣の傍に行くと、その獣は目を見開いて、ピンク色の鼻でくんくんと匂いを嗅ぎ始めた。鮎の香りに反応したらしい。
「もしかして、おなかが空いているの?? 鮎、食べてみる?」
灯里が獣の近くに皿を置くと、その獣はすぐに立ち上がり、鮎を食べ始めたのだった。
その獣をよくよく見ると、小型犬よりは大きくて、中型犬よりは少し小さい体をしているらしい。獣の尾は、猫と同じように細長い。
「おおっ! 食べた、食べた〜」
「ちょっとかわったねこさん……かなぁ?」
「丸い耳で、おっきい鼻だから、たぶん虎さん……だと思う」
子虎らしき獣が鮎を食べているのを観察していた時、灯里は何故か獣の尻に目をやった。
獣はピーンッと尾を立てながら、姿勢良く食事をしている。
灯里は「う〜ん……。オスかな、メスな??」と呟くと、太郎もおとも灯里につられて、自然と獣の尾の下を見つめたようだ。
「君ら三人、大変失礼なことをしちゃってるよ。その子虎は神様なんだが」
「なっ、直匡さんっ!?」
突然、背後から直匡に話しかけられて、灯里は両肩を動かしてしまうくらい、派手に驚いた。
しかも、そのように驚いた直後、灯里は耳を疑う出来事に遭ったのだ。
「三人も同時に尻を凝視されて、流石の儂も肝を冷やしておる……。紛れもない雄だ、もう勘弁してくれ」
「ええぇぇぇ!! 虎さんがしゃべった! ……か、神様だから??」
唐突に、外見からは似つかわしくない渋い声で、子虎は灯里たちにやんわりと抗議した。尾の下にあるものが付いているかどうか、尻の周辺をしっかり見られて、子虎の姿になっている神獣はだいぶ参っているようだ。
「白虎様の声が聞こえているのか?? 君は、霊力のある巫女ではないのか……?」
「じゃないですがっ、一体どーゆーことなんでしょうか??」
「ほお……。お主、珍しい奴に好かれているようだの。気配を残しておる……、それよりも『守護』と言った方が良いか」
「ああ、なるほど。だから仄かにだが、彼女から式神のような気配を感じるのか……」
何故、灯里が白虎の話し声が聞こえたのかは、神獣である白虎と直匡だけは、腑に落ちるところかあるようだ。
他種族と交流することのできる陰陽師の直匡と同様に、灯里は白虎の話し声を聞くことができるだけでなく、会話も可能であるらしい。
太郎とおとには、白虎の話し声が全く聞こえないようだ。話し声の代わりに、「『アゥアゥ――』という感じの鳴き声が聞こえた」と、太郎が言っていたらしい。
「とても気まずいことをして、ごめんなさいっ! オスだと教えてくださって、ありがとうございます」
「もう気にしてはおらぬ。鮎を馳走になり、感謝しておるぞ」
その後、直匡と灯里はしばらく話し合うと、白虎を〈翠の宿〉の中に招くことにした。
一部の雪が溶けた晴天とはいえ、日中であっても冬である故に、外はまだまだ寒い。
直匡は廊下から濡れた絹の大きな手拭を、急いで白虎の方に持ってきた。
白虎は濡れた手拭の上に乗ると、手足の汚れを落とそうと、両手と両足をぎごちなく動かしていたようだ。
「それで……、外つ国の神である貴方は、何故、遥々此の地にいらしたのですか?」
「永き間、暮らしている大陸で嫌いではないが、たまには他の場所の空気を吸いたくなるのだ。ネコ科は気まぐれだからの〜。 ……まあ、奥日雅を気に入っているのが真実だ。空気が澄んでいて、季節が移り変わる自然の姿が美しいから、不定期で遊びに来ておる」
「ほお、そうだったんですね。それと……、子虎の姿になられている理由は?」
「本来の成獣の姿なら、きっと衣根ノ国の人々からは、心底恐れられるだろう。離れた大陸の獣である『虎』を知らぬ者が多い故、未知の獣であろうからな。
とはいえ、人馴れした子どもの獣だと、人々は警戒心をあまり持たず、優しく迎えてくれるようだ。この山の中腹の集落では、新種の猫だと思われておるらしい」
白虎と直匡たち一行が、炊事場近くの囲炉裏のある場所まで行くと、千夜と太郎が洗濯物を畳んでいるようだった。
千夜と太郎が子どもの姿である白虎に気が付くと、おとは千夜たちに白虎を紹介した。
「白いトラさん、つれてきた〜。じぶんでぬれた手ぬぐいで手足ふいてから、おりこうさんみたーい!」
そのようにおとが話すと、千夜は「白い虎だってぇぇ!?」と上擦った声を出した後、目を真ん丸くして白虎をじっと見たようだ。過剰に驚いたので、彼女は畳んでいた洗濯物を床に落としてしまった。
「びゃっ……、白虎様ならっ、奥日雅の開拓と発展に貢献された神様じゃないかっ!! ありがたやっ、ありがたやぁぁぁ〜」
「両手を強く擦り合わせて、頭まで深々と下げるとは……。信心深い老婆だの、感心するわい」
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