現実だと実感!
温泉から出た灯里は、借りた部屋着一式を素早く着ると、早足で炊事場に向かったようだ。
彼女は、着慣れない浴衣の帯を直しながら歩いていた。履き慣れていない長足袋にも少しだけ違和感を感じながら、急いで千夜たちの元に行ったのだった。
灯里が炊事場に入ると、ほとんどの料理が皿や鉢に盛られていた。温泉宿で働く四人家族は、あちらこちらに慌ただしく動いている。
「あのっ……。見ず知らずの私に親切にしてくださって、本当にありがとうごさいました!」
千夜たちにいつ声をかけようか迷っていた灯里だったが、食器棚越しに炊事場全体が見える地点まで駆け足で行ったようだ。
灯里は深々とお辞儀をしながら、千夜たちにお礼を伝えた後、彼女は言葉を続けた。
「……えとっ、何かお手伝いできることはありますか?」
「盛り付けはたった今、終わったし……、あとは隣の囲炉裏んとこに運ぶだけだから、気にせんでええ。先に囲炉裏の前にある食台に行っといで!」
千夜の言葉に小さな返事をした灯里は、恐る恐る炊事場の出入り口に立って、廊下を見回した。その出入り口の左側の先には、天井が高そうな広いスペースがあるようだ。
「ここを出て左にちょい行くと、でっけー囲炉裏がある空間が見えるぜっ! すぐに分かるさ」
「あ……。はい、ありがとうごさいますっ」
太郎から囲炉裏が置かれている食台がある場所を聞くと、灯里は一人で廊下へ出ていったのだった。
灯里が囲炉裏の前の食台の前に座った頃、ちょうど炊事場に、風変わりな髪と眼の青年が外から入ってきた。
早朝に行き倒れそうになっていた灯里を見つけて、炊事場までつれてきたのが彼である。青年はかんじきを履き、笠と蓑を身に付けているようだ。
「今、通路になりそうなところの雪かきが終わりました。杣人や狩人の方々は、先に風呂に行きましたよ」
「ご苦労さん。毎回ありがとうよ。でっ……、お前さんは風呂に入る前に、朝食を食べるつもりかい?」
「はい。風呂の方は混みそうですし、だいぶ空腹なので……。ありがとうごさいます」
千夜と話し終えると、直匡はかんじきと笠と蓑を脱いだ後、三種類の防寒着を炊事場の端にある棚に置いた。
「そーだ、お前さんがつれてきた娘……。薄っすらと目の下に隈ができて、やつれた感じだったねぇ〜。外つ国からやって来た旅人なのかね、なんか訳ありな感じで」
「私も少し気になりました。肩まで届かないくらいの短い髪の女性は、今まで見たことがありませんしね」
〈翠の宿〉の四人は廊下を出ると、次々と料理が入った皿や鉢を、大きな囲炉裏の前にある食台に並べた。
灯里の朝食は、千夜が運んだようだ。千夜が「お前さんも食べんさい」と言うと、灯里は丁寧にお礼を伝えた。
「鮎雑炊と煮物は、お代わりがあるからね」
鮎の一夜干しが入った雑炊と里芋と干し烏賊の煮物の他には、鰹節が入ったほうれん草のお浸しと、八等分に切られた二切れの林檎が各皿や鉢に入っていた。
最後に、ほうじ茶が淹れられた湯呑が運ばれてきたようだ。
全ての料理が食台に置かれると、温泉宿の四人家族と直匡が席についた。
両手を合わせて、おとが元気良く「いただきます!」と始めに言うと、他の人たちも同じような動作をして、食事前の挨拶をし終えると、朝食を食べ始めたのだった。
(この鮎雑炊……、すごくあったまるし、とっても美味しいっ! 湯気の熱気やゴハンの美味しさが分かるし、触覚や味覚とかがはっきりしてるから、本当に夢じゃなくて現実なんだな……)
まかないとはいえ、どの料理も素朴ではあるが、様々な出汁が利いている絶品だ。
遠くからも人々が泊まりに来る温泉宿らしい、流石の料理の美味しさに、灯里は非常に感動したのだった。
「あっ……。そーいえば、ここは何という国……で、どういう地域……なんですか?」
最後の一口の林檎を口に入れて、ほうじ茶で飲んだ後、灯里は隣の席に偶然座っていた直匡にそのように質問したようだ。
「此処は衣根ノ国の真ん中辺りにある、奥日雅という山奥の地域だ。ああ、それに……、君の名前を聞いていなかったな」
灯里が「……水越灯里です」と直匡に伝えると、直匡は話を続けた。
「そうか……。灯里、というのか。
私は烏田直匡だ。都からの命で、奥日雅の警備を任されている陰陽師ではあるが、茅葺き屋根の住まいで寝泊まりさせて頂いてるよ」
直匡は紺色の眼と、藍染のような真っ直ぐで美しい髪を持つ、容姿端麗な青年だった。長い髪を後頭部の上の方で、団子のように一つにまとめている。
彼は紫紺の水干と、山吹色の袴をしなやかに着こなしているようだ。




