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最後の恩返し

 再び雪が降る日々が続き、奥日雅《おくひが》は自由に出歩けない天気が続いた。人通りの少ないところでは、大人の身長より高い地点まで雪が積もっているようだ。

 雪が弱まっている時を見計らって、奥日雅の人々は雪かきを必死に行っていた。



 灯里《あかり》が衣根《いね》ノ国《くに》の奥日雅の地に来てから、あっという間に十四日間が経った。


 そして、灯里は白虎から、自分を異世界である衣根ノ国に飛ばした者をついに突き止めた、と聞いたらしい。

 明日の昼前に、灯里を異世界転移させた者と、その父親が〈翠《みどり》の宿〉まで来て、直接彼女に謝罪する予定になっている。もしかしたら、明日に早速、元の世界に灯里が帰れるかもしれないということも、白虎は言っていたそうだ。



 その日、夕立に近い昼過ぎに、降っていたり積もっていたりする雪を見ようと、千夜《ちよ》が〈翠の宿〉の玄関帳場から外に出た。

 すると、玄関帳場の横にある外壁に貼ってあった半紙の端がぼろぼろになって、破れているところもあり、半紙の一部が下にも落ちていた。半紙には黒い墨《すみ》で何かが書かれてあったが、文字が滲《にじ》んで読みにくくなっていたようだ。


「困ったね……。字を書けるのは直匡《なおまさ》しか居ないし、この大雪のせいで警備からは帰れずに、山の中腹にある宿に泊まってくるかもしれないなぁ。数日後には、さゑの百箇日《ひゃっかにち》があるから、新しいのを書いてもらわんと」


 雪で濡《ぬ》れてしまった半紙には、千夜の義理の娘であるさゑの、百箇日の日程などが書かれていたらしい。

 千夜が半紙の一部を拾いながら、溜《た》め息をついていると、ゆっくりとの中から灯里が出てきた。彼女は、千夜さんの呟《つぶや》きをちょうど聞いていたようだ。


「……あの、千夜さん。私で良ければ……ですが、さゑさんの百箇日の案内を書き直しましょうか?」


「へっ? 本当かいっ!? お前さんが読み書きのできる娘《こ》で良かったよ! ああ……、なんちゃらてゆー施設で、いろいろと学んでたってことは、前に直匡から聞いてたし。頼《たの》んだよっ!!」



====================


   故さゑの百箇日法要 御案内


日時  鈴羽八年《れいわはちねん》 睦月《むつき》十七日 羊の刻より


場所  北日雅寺《きたひがじ》 

    住所:奥日雅村五丁目三八番地


 尚《なお》、睦月十六日から睦月十八日の三日間

は、〈翠の宿〉を臨時休業致します。


====================



 炊事場《すいじば》近くの休憩室で、千夜が持ってきた硯《すずり》と墨汁《ぼくじゅう》と小筆を使いながら、灯里はさらさらと慣れた手つきで、上記のように半紙に書いていった。

 滲んで読みづらくなっている文字は、千夜と話して確認しながら、灯里は慎重に小筆で書いたのだった。


「本当に助かったよ。灯里、ありがとさんっ!!」


 文字を書き終えた灯里は、微笑みながら「いえいえ〜」と言った後、再び〈翠の宿〉の玄関帳場から外に出た。



 灯里が新しいさゑの百箇日の案内を画鋲《がびょう》で留めていると、降っていた大雪は小雪になっていた。

 彼女が案内が書かれた半紙を外壁に貼り終えた時、直匡が警備から帰ってきたようだ。


「千夜さんが心配していましたが、何とかココに帰って来れたんですね! お疲れ様でしたっ」


「もしかして……、君がこの文字を書いてくれたのか??」


 と、灯里が返事をしようとする前に、直匡が早足で貼られた半紙の傍《そば》まで来た。

 半紙の正面に居た灯里は、唐突に直匡が近くに寄って来たので、驚いてその場から動けなかったようだ。


「力強くて、とても美しい文字だな! 本当に見事だ……。ああ、そうか……。君を育ててくれた伯母殿から教わったのだな?」


「……そうです」


 直匡から小筆で自分が書いた文字をじっくりと鑑賞されたので、灯里は嬉しさと恥ずかしさを同時に感じて、両頬《りょうほほ》を赤くした。

 それだけではなく、いきなり直匡に顔を近づけられて、至近距離で彼の端正な顔を見ることになったので、動揺して心臓がバクバクと動いてしまったらしい。


(うう……。イケメンさんが側《そば》に居ると、呼吸の仕方も忘れて、心臓が止まりそうになる!)




 夕方になると、灯里は早めに風呂に入った。仕事中にうまく時間をつくり、千夜とおとも灯里と一緒に温泉に向かったようだ。


 三人は談笑しながら、内湯の檜風呂《ひのきぶろ》に浸《つ》かっていた。

 湯船の中には、たくさんの柚子《ゆず》が浮かんでいる。千夜は、山の中腹に住む知り合いから大量の柚子をもらった、と灯里に話したらしい。

 爽やかでほんのりと甘い柚子の香りに、灯里はとても癒《い》やされたようだ。



 今晩の食事は、鰤大根《ぶりだいこん》とほうれん草の胡麻和《ごまあ》え、すり下ろした生姜が入った猪汁《ししじる》と玄米入りのご飯と林檎《りんご》である。

 灯里は噛《か》み締《し》めるように、〈翠の宿〉の温かくて美味《おい》しい料理を完食したのだった。


(……顔色が良くなって、本当に良かった)


 一方で、そんな灯里の姿を直匡は、安心感とモヤモヤが混ざった複雑な気持ちで見ていたようだ。


(そういえば白虎様は、灯里は『人間の足では決して行くことができぬ場所にある、神々の一部しか知らない遥《はる》か遠くの世界の者』だと、おっしゃっていたな。

 簡単には辿《たど》り着けぬ国の生まれの彼女が元の世界が帰ってしまったら、もう二度と会えなくなってしまうのだろうか……)

 残り3話で完結します!

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