悪夢のこと(1)
夜も10時を過ぎた頃だった。
「沙織」
佳奈は布団の上に座ってわたしを見ていた。
「うん」
わたしは頷く。
「昨日の続き、話すね」
「うん。けどその前に、わたしも今日あったこと話す」
佳奈も、うん、と頷く。
テレビも消していたし、隣の声も今日は聞こえてこない。静かだった。
「佳奈、愛理香が学校に来てないって本当?」
「うん。休んでる。詩乃に会いに行かせるんじゃなかったって、後悔してる」
「何か知ってる?」
「噂はね。なんか病院に担ぎ込まれたって。目が覚めなくなったって」
「わたしもね、今日、担任から聞かされた。やっぱり、あの夢のせいだって思う?」
佳奈は頷く。
「間違いなくあの悪夢のせいだって思うよ。愛理香は、あのトンネルとか出口の無い部屋の続く場所にはもういない。たぶん、あたしの時と同じで詩乃が手を引いて抜け出したんだと思う」
それじゃあ、どうして目覚めない?
「たぶん、愛理香は途中で手を離しちゃったんじゃないのかな」
「手を離した?手を離すとどうなるの?」
「それはわからない。たぶん夢と現実の隙間か何かにいるんじゃないのかな」と佳奈はつぶやいた。
意味がわからなかった。
「うん。昨日の続き、話すよ」
そう言うと、佳奈は布団の上で足を組み、ゆっくりと話し始めた。
佳奈には見えなかった悪夢の出口は、詩乃の目にはいろんなところに見えていた。佳奈は目覚める直前に、いつもの学校の景色を見ていた。そこは教室で何人かの知り合いがいた。その中にわたしもいたという。詩乃はそのまま手を引いていく。佳奈は手を離さなかった。
そのうちに目が覚めて、佳奈はそれから悪夢を見なくなった。
「でも、その時にいた友達の一人が・・・あの夢を見るようになった」
それを知ったのは、北島から連絡をもらったからだ、という。
「なんて言ってきたの?北島は」
「サツキって子、覚えてる?その子に連絡を取れって北島から電話が来たの。詩乃がそうしろと言っている、と。なんで?て聞いたら、たぶん、あの夢が伝染している、と」
「どうして?どうして夢が伝染するの?それをどうして詩乃が知っているの?」
佳奈は悲しそうな顔でうつむいた。
「北島が言うには、詩乃は他人から持ち去った悪夢を何度も見ることはないんだって。そういうことは今まで無かったんだって。けれども、あたしを連れ出した後、詩乃は一人になってからあの夢に戻ってきていることに気がついたんだって。それに詩乃は夢のことを知っていると話していたんだって。以前にも同じ夢に入ったことがあるらしい。その時は繰り返し見ることは無かったのだけど、今回は違ったって」
「詩乃が、悪夢に憑りつかれたってこと?」
「そうかもしれない。事後経過っていうの?あたしは詩乃と夢で会った後も、何度か病院に行ってるの。
悪夢は見なくなったけど、様子を見ることも必要だって。その時に詩乃のことを北島に聞いた。詩乃が悪夢を連れ去ったら、詩乃は苦しむんじゃないかって聞いたの。そしたら北島はこう答えたの。詩乃には他人の悪夢を見る理由はないからね、て」
佳奈は、悪夢を見ている期間に、ネットや図書館なんかで様々なことを調べていた。
夢をみる理由だとか、悪夢の研究だとか、フロイトとかユングだとか。
つまり、夢は個人的な出来事で、自分の体験や欲望や葛藤が原因で作り上げた個人的な体験だから、詩乃にとっては遊園地のお化け屋敷のようなもので、その夢自体は恐ろしいことかもしれないけれど、何度も見なくてはいけない理由が詩乃の中にはないので繰り返しの悪夢となることはないのだ、と。
「元々悪夢を見ている人には、何度も見なきゃいけない理由があるから繰り返し見るけれど、詩乃にはそれがないから繰り返しにはならないってこと?」
「そうなの。トラウマになるほどの怖い夢だったとしても、怖い理由っていうのは、実は個人的な理由だから。他人にとってはどうでもいいことが多いって話らしい」
なるほど、と思った。自分のものではない悪夢をいくつ持ち去っても詩乃自身には影響はないわけだ。
「でもあたしは、影響がまったくないなんて言えないんじゃないかと思ってるの。だって、誰かの妄想の最悪の形のものを集めているわけでしょ。それは何かとてつもなく悪いことのような気がしない?」
「うん、最悪な感じする」
悪夢という形の無いものが、真っ暗な空間でたくさん蠢いているのを想像しようとして気持ちわるくなってやめた。
「どっちにしても、今まで詩乃は他人の悪夢を持ち去っても自分には影響が出ていなかった。なのに、あたしの悪夢の時は違った。詩乃はあたしの夢を以前から知っていた。それってつまりずっと以前からあった悪夢なんだよ。きっと詩乃があたしの手を引いて学校へ出てきたからみんなに悪夢が伝染したんだ」
つまり、あのトンネルの夢、出口の無い部屋の続く夢は誰かの深層心理が作り出したものではなくて何か得体の知れない化け物みたいなものだってこと?
一度囚われたら自分では出られない夢だということ?
あの夢を広めているのも詩乃だったりするということ?
「詩乃も同じ夢に囚われてしまった?」
「もちろん詩乃には出口が見えているわけだから、あたしみたいに逃げ回って苦しむことはないらしいのだけど。その時に人影を見たんだって言ってた」
「夢の中で出会ったんなら、そのまま出口まで導いてあげれば良かったのに」
「うん、あたしもそう思った。けど北島が言うには、詩乃は見かけたけどすぐに見失ったんだって。それで栗色の髪を二つに縛っている子で身長の低い子がクラスにいないかって、北島が聞いてきたから、サツキのこと?ってあたしが答えたの」
それで、サツキに連絡を取ったんだ。
「いや、でも待って?詩乃ってさ、同じ学校なわけじゃない?自分で声を掛ければ良かったんじゃ・・・」
「それが詩乃はさ、転校生なんだ。今年、つまり2年になって転校してきた。だからその頃は学校も違うの。だから直接探すのは出来ないし、クラスの子の特徴を言い当てるのも無理」
転校してきたのか、詩乃。目立たないから去年知らなくても当たり前と思っていたけど、実際にいなかったのか。そういや昼間、担任の佐々木も言っていた気がするな。そうだとしても、サツキのことを言い当てるのが難しいとは思わなかった。
「そうかな?茶色っぽい背の低いツインテールなんて、クラスに一人くらい居そうじゃない?」
「まあ、一人くらいなら当てずっぽうで当たるんだろうけど。そうやって連絡取らされたのが4人くらいいるんだよね」
「それって、誰?」
「サツキと、佐々岡くん、田中くん、市川さん」
クラスメートの顔を思い出す。
あの4人、あの悪夢を見てたんだ。何か背筋が寒かった。
わたしの知らないところで去年のクラスの中に何か得体の知れない化け物が徘徊していたような想像をして薄気味悪かった。




