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閉じた本の、その先に  作者: 日木西 暁


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第六話 声の距離

 

 俺は生来、酒に弱い。

 体質だ、 仕方がない。

 居酒屋の横の暗い脇道に設置された自動販売機に、

「ん~? どうしてお前はそんなに明るいんだい?」

 と、陽気に声をかけてしまうくらいには弱い。

 もっと言えば、電柱に

「お前はずっと突っ立ってるだけで辛くないのか?俺が話聞いてやるぞ?」

 と、人生相談を押し売り始めるくらい弱い。

 もちろん、自販機も電柱も何も答えない。

 ただ、いつも通り明るく商品を照らしているだけだし、電線を支えているだけだ。

 もう自分で意味がわからない。


 ……まあ、あれは少し飲みすぎた時の話だ。

 今飲んでいる缶ビール一本程度なら問題ない。

 そう思っていた。

 少なくとも、さっきまでは。


 スマートフォンを見る。

 送信したメッセージ。

『明日から休みでさ、足りない日用品を買いに行きたいんだが、この辺だとどこに行けばいい?』

 改めて見ると、なんとも間抜けな話しだった。

 検索すればすぐに出てくる。 わざわざ聞くようなことでもない。

 それに、夜凪はこの西の街にいるのだ。

 ネットだけの繋がり、その相手にリアルでの行動範囲を教えてしまいかねない。

「普段どこで買い物してますか?」と聞いてるようなものじゃないか。

 なのに、送ってしまった。

「……何やってるんだ、俺は」

 小さく呟く。 

 もちろん、缶ビールは何も答えない。


 夜凪からの返信は思いの外すぐにきた。

『駅から少し歩くけど、ホームセンターが便利だよ』

 続けて、

『日用品なら大体揃うと思う』

 短い文章。

 でも、その文字を見て少し安心した。

 ちゃんと返してくれた。

 それだけのことなのに。


『ありがとう。明日行ってみる』

 すぐに返事が来る。

『うん』

 ここで終わりにしておこうと思った。これ以上、踏み込みすぎないように。

『引っ越したばかりだと、色々大変だよね』

 その一文が続いた。

 少し考える。


『そうだね。まだ段ボールも片付いてないよ』

 送ってから、少しだけ後悔する。


 余計なことを言っただろうか。


 昔の俺なら、こんなことは気にしなかった。

 でも今は、人との距離を測る癖がついてしまっている。

 どこまで話していいのか、どこから先は踏み込んではいけないのか。

 そんなことばかり考える。


 しばらくして返信が来た。

『新しい場所って、慣れるまで大変だよね』

『私も環境が変わった時、部屋の中にいるのに落ち着かなかったことがあるよ』

 その文章を読んで、少し手が止まった。

 夜凪も、そういう経験があるのだろうか。

 でも、聞かなかった。

 今はまだ。


『仕事も覚えることばかりで大変だけど、周りの人は優しいよ』


 少し間が空いた。


『それなら良かった』

 その言葉を見た瞬間、不思議な感覚になった。

 心配されている。

 ただそれだけ。

 なのに、胸の奥が少し緩む。

 今までなら、誰かに心配されることを面倒に感じていたかもしれない。

 大丈夫だと言って終わらせていたかもしれない。

 でも今は違った。

 スマートフォンを握ったまま、少し考える。

 そして、

『声って聞いたことなかったね』

 気づけば、そんな文章を打っていた。

 送信前に止まる。

 何を言っているんだ。

 急に何を。

 消そうとした。


 その時、

 指が滑った。

 送信。

「あ……」

 間抜けな声が出た。


 数秒。

 数十秒。


 返信はない。

 当然だ。

 いきなり何を言っているんだ。

 嫌だったかもしれない。

 そう思った時。

 スマートフォンが震えた。

『そうだね』

 その後に続く。

『少しだけなら、話してみる?』

 画面を見つめる。

 予想していなかった。

 断られると思っていた。

 いや、断られる以前に、変な人だと思われても仕方ないと思っていた。


『大丈夫?』

 そう返す。

 すぐに返事。

『はい』

『私も少し緊張しますけど』

 その一文に、少し笑った。

 夜凪も緊張するのか。

 確かに口調が丁寧になっている。

 勝手に、もっと何でも平気な人だと思っていた。


 通話ボタンを押す。

 呼び出し音。

 数回鳴った後。

 繋がった。

「……もしもし」

 初めて聞く声だった。

 文字では分からないものが、そこにはあった。

 少しハスキーな、それでも柔らかな高めの声。話す速さ。 少し間を置いて言葉を選ぶ癖。

 当たり前のことなのに、不思議だった。

 この人は本当に存在している。

 画面の向こうの文字じゃない。

 同じ時間を生きている人なんだ。

「聞こえますか?」

「あ、はい」

 慌てて答える。

 少し間が空く。


 お互いに、何を話せばいいのか分からない。

 話し方も固くなっている。

「……なんか変ですね」

 夜凪が小さく笑う。

「何がですか?」

「今まで文字で話してた人と、声で話してるのが」

 その言葉に、少し笑った。

「確かに」

 短いやり取り。

 それだけだった。

 でも。


 昨日まで静かだった部屋に、初めて誰かの声が響いていた。

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