第十一話 言葉を拾う
リンクをクリックすると、画面が切り替わった。
白い背景。
その上に、いくつもの文章が並んでいる。
写真があるわけでもない。
派手な装飾があるわけでもない。
日付と、その下に短い文章。
何のためのサイトなのか、最初はよく分からなかった。
「……なんだ、これ」
思わず呟く。
画面を少しスクロールしてみる。
日付ごとに、いくつかの文章が並んでいた。
その日にあった出来事を書いているものもある。
何かを考えたことを書いているものもある。
けれど、どれも長くはない。
一つ読んで、また次を読む。
その中に、少しだけ雰囲気の違うものがあった。
行ごとに短く区切られている。
文章と文章の間に、妙に長い余白がある。
最初は、ただ変わった書き方だと思った。
けれど、読み始めてすぐに、普通の文章とは違うことに気づいた。
何かを説明しようとしているわけではない。
出来事を順番に並べているわけでもない。
言葉そのものが、ぽつり、ぽつりと置かれている。
その言葉の間にある余白まで含めて、一つのものになっているように感じた。
詩
たぶん、そういうものなのだろう。
俺は詩なんて、ほとんど読んだことがなかった。
学校の授業で読んだ記憶はある。
教科書に載っていたものを、先生に言われるまま読んだこともある。
けれど、自分から詩を読むなんてことはなかった。
何を書いてあるのか分からない。
何を伝えたいのか分からない。
そんなふうに思っていた。
だから、最初の数行を読んだ時も、正直よく分からなかった。けれど。
分からないからといって、つまらないわけでもなかった。
むしろ、分からないままなのに、目を離せなかった。
書かれている言葉だけではない。
言葉と言葉の間にある沈黙。
何も書かれていない部分まで、何かを語っているような気がした。
もう一度、最初から読む。
今度は、少しゆっくりと。
すると、さっきは気づかなかった一行が引っ掛かった。
ほんの一行。
たったそれだけなのに、胸の奥に残った。
「……なんだろうな」
独り言が漏れる。
意味が分からないわけじゃない。
でも、意味だけを拾ってしまうと、この詩からこぼれてしまうものがある気がした。
これは、答えを読むものじゃないのかもしれない。
読む人間が、それぞれ自分の中にあるものを重ねて読むものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、また読み返した。
さっきまで格闘ゲームに負け続けていたことも忘れていた。
妻が旅行に出ていて暇だったことも。
机の上の湯飲みから立ち上っていた湯気のことさえ、一瞬遠くなった。
ただ、その詩だけを読んでいた。
そして読み終えた時。
胸の中に、言葉にしづらい感情が残った。
寂しい。
最初に浮かんだのは、その言葉だった。
でも、それだけではない。
寂しいのに、誰かに寂しいと言っているわけではない。
苦しいのに、助けてほしいと書いているわけでもない。
ただ、その感情を自分の手元に置くようにして、言葉にしている。
そんな詩だった。
少なくとも、俺にはそう感じられた。
夜凪が本当は何を思ってこの詩を書いたのか。
それは分からない。
もしかしたら、俺の受け取り方が間違っているのかもしれない。
それでも。
この詩を読んだことで、さっきまでプロフィールに表示されていた「夜凪」という名前が、少し違って見えた。
ゲームで負けていた人。
酒が好きな人。
その程度だった名前の向こうに、言葉を書く人がいる。
それが、少しだけ気になった。
画面の下には、感想を書き込める場所があった。
カーソルを合わせる。
白い入力欄が表示される。
「……感想って言ってもな」
何を書けばいい。
良かった。
面白かった。
そんな言葉しか思いつかない。
けれど、それでは何となく違う気がした。
もう一度、詩を読む。
上手く言葉にはできない。
でも、読んでいて感じたことなら、一つだけあった。
寂しい。
そう思った。
ただ、それをそのまま書くのは失礼な気がした。
本人が寂しいと思って書いているのかも分からない。
勝手に決めつけるようなことも書きたくない。
しばらく迷ってから、キーボードを打つ。
『上手く言えないんですけど、読んだあとに少し寂しさが残りました』
そこまで書いて、手を止める。
変だろうか。
嫌な意味に取られないだろうか。
少し考えてから、もう一行だけ付け足す。
『嫌な意味じゃなくて、不思議と心に残る感じでした』
送信する。
たった二行。
それだけだった。
送った直後になって、急に恥ずかしくなる。
「……何書いてんだ、俺」
誰に見られるわけでもない。
それでも、変なことを書いた気がしてならなかった。
すぐに画面を閉じようとした。
その時だった。
通知が表示された。
返信。
思ったより早かった。
『読んでくれてありがとうございます』
短い一文。
それだけだった。
でも、その言葉を見て、少しだけ笑った。
自分の書いた言葉が、ちゃんと誰かに届いた。
そして、その誰かから言葉が返ってきた。
当たり前のことなのに、不思議だった。
その日は、それ以上やり取りをしなかった。
俺も特に何かを書こうとは思わなかった。
ただ、パソコンを閉じる前に、もう一度だけ夜凪のページを開いた。
さっき読んだ詩。
その下に、自分の書いた短い感想が残っている。
たった二行。
それを見て、また少し笑った。
あの日の俺にとって、夜凪はまだ何者でもなかった。
友人でもない。
知り合いと呼ぶほどでもない。
もちろん、大切な人でもない。
ただ、ネットの向こう側にいる、名前も顔も知らない誰か。
それだけだった。
それでも。
その日から、夜凪のページを時々見るようになった。
新しい詩が投稿されていれば読む。
気になれば、短い感想を書く。
返事が来れば、それを読む。
それだけ。
毎日話すわけでもなかった。
お互いのことを深く知ろうとしたわけでもない。
けれど、少しずつ。
本当に少しずつだった。
文字だけのやり取りが増えていった。
その時の俺は、まだ知らなかった。
あの日、何となくクリックしたリンクが。
暇潰しのつもりで読んだ詩が。
そして、何となく書き込んだ、二行の感想。
その相手が。
二年後。
自分が苦しかった時に、もう一度自分の気持ちを見つめ直させてくれるなんて。
あの日、夜凪のサイトには、いくつもの言葉が並んでいた。
その中で、今でも時々思い出すものがある。
『頁』
言葉にできないことを
言葉にしようとして
言葉ばかりが
増えていく
伝えたいことほど
うまく伝わらなくて
伝えなくてもいいことほど
いつまでも残る
だから今日は
何も書かない
白いところに
白いまま置いておく
いつか誰かが
そこに何かを見つけたら
それでいい
私が書かなかったことまで
読まなくてもいい
ただ
ページを閉じるときに
少しだけ
続きを忘れないでいてくれたら




