疑問と好奇心
良い結果を得るためには、嘘や沈黙は常に許容される。
ツヤの脳裏に、先ほどの凄惨な「予兆」の記憶――あの男から受けた陵辱と、窒息の果てに迎えた死の感触――が、強烈なトラウマとなってフラッシュバックした。
彼の呼吸は一気に荒くなり、心臓が耳元でうるさいほど乱暴に脈打つ。喉は完全に干からび、視界の端が砂嵐のように不快なノイズを走らせ始めた。
恐怖で指一本すら動かせない。これからどうすればいいのか、彼には全く見当もつかなかった。
目の前の簡易椅子に腰掛けたウィローは、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物を観察するように、一つの独房から次の独房へと、ゆっくりと、ねっとりとした視線を這わせていく。
そして最後に、その冷酷な眼差しがツヤの瞳にピタリと固定された。
ウィローは優雅に脚を組み、口元に不気味な薄笑いを浮かべた。
「ジェーン女史、お願いだ。先ほど私に説明してくれたことを、こちらの容疑者たちの前でもう一度説明してくれないか? 彼ら自身も、自分がどのような罪でここにいるのかを知る権利がある」
ウィローがそう言った瞬間、ツヤは自分のすぐ背後に「異質な気配」を察知し、息を呑んだ。
背後の暗闇から、ゆらゆらと立ち上る不気味な黒い霧――。
そこに現れたのは、人間形態ではない、不定形の『黒い霧』の姿をしたフィリップだった。
うごめく漆黒の霧の中に、ギョロリとした白眼と、三日月のように裂けた凶悪な笑みを浮かべた口元だけが浮かび上がり、ツヤの右肩のすぐ上に漂っている。
そして、鋭い爪を持つ黒い左手がツヤの左肩にだらりと乗せられていたが、奇妙なことに重さは全く感じられなかった。
(――よく聞け、ガキ。手助けをしてやるが、あまり時間がないぞ。俺はお前の精神と同化しているからな、お前が今指一本動かせないほど怯えていることもすべて筒抜けだ)
ツヤは生気を失った瞳を、限界まで右斜め後ろへと動かし、フィリップの不気味な白い眼球を見つめた。
(俺がこうして表に出ている間、お前の精神は急激に磨耗していく。いいから深く息を吸い、一時的に全身の力を抜け)
ツヤが正面に視線を戻すと、ジェーンが革製の鞄からゴソゴソと何かを取り出そうとしているのが見えた。周囲の友人たちも、ツヤと同様に固唾を呑んでジェーンを見つめている。どうやら、この異様な姿のフィリップは彼らはおろか、看守たちの目にも映っていないようだった。
(早くしろ、ガキ。お前がそうやって感情を激しく衝突させてパニックを起こすと、精神の同調が遮断されて、俺の力をうまくお前に供給できなくなるんだよ)
ツヤは、先ほど精神世界でフィリップが言っていた忠言を思い出した。
感情の激しい揺らぎは、適合の障壁となる。
ツヤは細く、深く息を吐き出し、身体のすべての筋肉を弛緩させた。暴れる心臓の鼓動を、意識してなだめるように抑え込んでいく。
その瞬間、フィリップの姿は掻き消えるように消滅したが、同時に、ツヤの胸を支配していた「恐怖」が完全に消失した。
全身を包んでいた緊張、狂ったような鼓動、押し潰されそうな憂鬱――そのすべてが、嘘のように一瞬で氷解したのだ。
脳裏に、フィリップの冷ややかな囁きが直接響く。
(これでお前の感情を『肩代わり』してやった。だが、お前の現在の精神力では、この状態を維持できるのはせいぜい15分が限界だ。だから頻繁にこの『精神保護』を使うことはできない。それに、内側からお前の肉体や意識を書き換えるような真似をすれば、お前の自己が崩壊しかねんからな……。つまり、ここからは自分の力で切り抜けろ、ガキ……)
ツヤは、唇をほとんど動かさずに、極小の声で呟いた。
「……外に、実体として出てくることはできないのか?」
(できないわけじゃないが、その場合はお前の肉体を媒介にする必要がある。その間、主導権は俺が握り、外見もお前自身の姿のままだが……お前の肉体にいくつかの変異が生じることになる。俺自身の『真の姿』で現世に現れるには、まだお前の器が小さすぎる。要するに、今の俺たちはどちらも弱者ってことさ。お前が弱ければ、俺も弱いんだよ)
ツヤは理解した。
フィリップが引き出せる力や、現世に干渉できる時間は、すべて自分の「器」の強さに比例するのだ。
彼らの内なる対話は、ジェーンが鞄から数枚の羊皮紙を取り出したことで遮られた。
ジェーンは鉄格子の前に立ち、冷徹な声でその書状を読み上げ始めた。
「――スカウンの御名において。約118年間、適合者のいなかった『黒のピラミッド』――すなわち黒の物質の封印は、ある窃盗未遂の最中、不慮の事故により転移門へと落下。ランダムに別の世界へと漂着した。イタニリア帝国はこの事故の全容を解明したものの、その最終的な結果については把握していない。
その後、ピラミッドが回収された際、その周囲には8名――男子4名、女子4名の未成年と思われる子供たちが存在しており、ピラミッドの封印はすでに破壊され、その中の『何か』がそのうちの1名と適合したことが確認されている。
ここにいる容疑者たちを拘束した目的は、即ち――『黒の物質』を体内に宿した宿主が誰であるかを特定するためである」
――遊撃部隊隊長レフラナウス・ジェーン、および将軍アイリス・ウィロー。
ジェーンが読み終えると、ウィローは再び、品定めするように独房全体に視線を通した。
その細められた瞳は、酷く冷酷で危険な光を孕んでいる。特に、彼の視線はツヤに長く留まっていた。
沈黙を破り、ナツキが悲痛な声を上げた。
「……まったく意味がわかりません! 私たちが何を求めているというのですか!? 誓って申し上げますが、あのピラミッドは学校の校庭の芝生の上で、本当に偶然見つけただけなのです! 私たちは何も知りませんわ!」
ニッツェが不快感を露わに、棘のある声で吐き捨てた。
「あんたたちの目的は何なのよ? 何も知らない子供たちを、こんな乱暴なやり方で尋問するのが普通なわけ? 一体今は西暦何年だっていうの!?」
ウイタは、ニッツェの言葉に対するウィローの反応を窺うように、じっと彼の表情を観察していた。
「……ニッツェの言い方は少し乱暴だけれど、彼女たちの言う通りよ」
エラが静かに、しかし毅然とした母親のような温かみを持った態度で言葉を継いだ。
「本当に、あなたたちにとって犯罪とされるようなことを、私たちが意図的にやったわけではないのよ」
キメケノも何か言い返すように口を開けかけたが、余計なことを言って状況を悪化させるのを恐れたのか、ぎゅっと唇を結んで口を閉ざした。
ウィローは、表情を一切変えることなく、不気味なほどの静寂を保ったまま彼らの言い分を聞いていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど、確かに君たちは何も知らないのかもしれない。……だが、それを手に取った瞬間、誰のせいで封印が破れたのかは知っているはずだ」
その瞬間、全員の視線が一斉にツヤへと向けられた。
ツヤはフィリップが提供してくれた無感情の盾のおかげで、極めて冷静に生唾を飲み込み、静かに答えた。
「……ええ、そうです。僕がそれを手に取った時、確かにピラミッドの色が変わりました。でも、僕が知っているのはそこまでです。それ以外は何も知りません」
「そうか。だが、君が犯した罪の重さと、現在予測される危険度を考慮するとね、お嬢ちゃん……いや、坊や。残念ながら、君をこのまま無罪放免にするわけにはいかないんだよ」
ウィローの言葉にツヤは奥歯を噛み締め、視線を床へと落とした。
その時、ウイタが不意にウィローを見据えて問いかけた。
「――では、どうやってそれを証明するおつもりですか、ウィロー様?」
ウィローは椅子の背もたれに深く体重を預け、冷たく微笑んだ。
「我々には、我々なりのやり方がある。……ジェーン女史、君の鑑定技術を彼らに見せてやってくれ」
ジェーンが一歩前へ進み出ると、その細い手のひらを大きく数回開閉した。その動きに連動するように、彼女の手のひらに刻まれた謎の魔術刻印が、怪しく青白い光を放ち始める。
「これから一人ずつ、体内に『黒の物質』の痕跡、霊気、あるいは適合している兆候がないかを検査する」
ジェーンはすべての独房の鍵を順に開け、まずは一番奥のキメントの独房へと足を踏み込んだ。キメントの細い腕を強引に引き寄せると、その手のひらの刻印を彼の胸元へと押し当てる。
数秒の静寂の後、何の変化も起きないのを確認すると、彼女は手を離した。
「――潔白」
彼女は機械的に次の独房へと移動していく。
通路に響く「潔白」という冷淡な声が、牢獄の空気をさらに張り詰めさせていく。
(僕の番が来ても、本当に潔白と判定されるのだろうか……?)
ツヤは心の中で葛藤したが、いや、そうなるはずだと自分に言い聞かせた。何故なら、自分はフィリップと契約し、彼の本質を精神の最奥へと隠匿したのだから。
やがてジェーンはツヤの前に立ち、彼の細い手首を掴んで、胸元に刻印を押し当てた。
一瞬の、心臓が止まるような沈黙。
ジェーンはツヤの顔をじっと見つめ、感情を排した声で、ゆっくりとその結果を告げた。
「――潔白」
その言葉に、独房エリアにいた全員の表情が驚愕に染まった。
とりわけ、ツヤの友人たちの動揺は隠せなかった。あの時、確かにピラミッドはツヤの手の中で反応を示し、崩壊したのだ。それなのに、検査の結果が「潔白」などということがあり得るのだろうか。
ウイタは、その切れ上がった賢明な瞳をさらに細め、ツヤの後ろ姿を凝視した。
(おかしい……。もしツヤが本当に何も知らない潔白な身なら、あんなに尋常ではない様子で怯え、緊張するはずがない。もちろん、異世界に拉致された恐怖だと言い訳はできるかもしれないけれど……)
だが、ウイタの疑念を確信に変えたのは、ツヤの態度だった。
ウィローが現れた瞬間、ツヤが見せたあの態度――【他のみんなとは明らかに異なる、心の底から魂が凍りつくような、何か恐ろしい悪魔の所業でも目撃したかのような、絶対的な絶望と恐怖】。
ウイタは確信した。
(ツヤ……君は何かを隠している。そして、あの『黒の物質』は……今も確実に、君の体の中にいる)
こんにちは!作者です。第7章を楽しんでいただけたでしょうか?物語は急速に展開していますが、これはまだ始まりに過ぎません!これからも物語を楽しんで、応援していただけると嬉しいです!




