唯二つの選択肢。
異邦人が人であるにもかかわらず恐れられる、 oの重なる、そして究極の理由は、やはり「人」だからである。
「チッ、まったく面倒くさいことだぜ」
キメケノが低く舌打ちを漏らす。
一行は重々しい足取りで酒場の店内へと足を踏み入れた。まるでどこからか奇襲が仕掛けられるのを警戒するかのように、鋭い視線を周囲に走らせるが、今のところ室内に異常は見当たらない。
キクロがその背中を追うように店内へ入り込み、小さな両足を懸命に動かして風のように一行の間をすり抜けると、あっという間にカウンターの裏手へと駆け込んでいった。
「……どうやら、問題はなさそうですね?」
ナツキが安堵したように呟く。
「油断すんなよ、絶対何か裏があるって!」
ニッツェがピリピリとした警戒心を解かずに声を潜める。
ニッツェの焦燥に満ちた警告によって再び緊張の沈黙が走ったが、その後も特に何事も起きなかった。
「……って、なんかアタシ、バカみたいじゃないのよ」
ニッツェが気まずそうに頭を掻く。
「あら、そこにいらしたのね。朝食なら二階の食堂に用意してあるわよ。早く上がって召し上がって……」
カウンターの奥から現れたツクモが穏やかに声をかける。
「ですが……」
エラが困惑したように言葉を濁す。彼女たちの躊躇いがちな様子に、ツクモは小首を傾げ、怪訝そうな視線を向けた。
「何か問題でもあったかしら?」
「ううん、その……何でもありません……」
シンソが控えめに首を横に振る。
「そう。それじゃあ、私は追加の料理を取ってくるから」
ツクモが微笑みながら厨房へと引き返していく。ニッツェがまず階段へと足を踏み入れ、それに続くように一行も重い足取りで二階へと上がっていった。
二階のフロアに人の気配はほとんどなく、ただ芳ばしい目玉焼きの香りがあたりに立ち込めていた。ツヤが先頭に立って歩みを進め、例の食堂へと足を踏み入れる。
「おおっ! すっかりうちの常連みたいになった客人たちの御成りだな!」
レツカが豪快な笑みを浮かべて出迎えた。その卓にはキリシマ、サラマ、そしてルーサーがすでに腰掛け、残りの料理が並ぶのを待っていた。
キリシマがスッと立ち上がる。
「みなさん、どうぞ席に。お水をお持ちしますね」
一行はホッと息を吐き、それぞれ空いている席へと腰を下ろした。ルーサーは苛立ちを露わにするかのように硬いパンに噛りつき、むさぼるように食べており、サラマは手持ち無沙汰にフォークをクルクルと弄っていた。
「あの、その……」
ツヤが口を開こうとすると、
「モグモグ……!」
「あ、あの……」
ナツキが続けようとしても、
「モグモグモグッ!」
とルーサーがわざとらしく大きな咀嚼音を立てて遮る。
誰もがその露骨な嫌がらせに苦笑しつつ、キリシマの給仕を静かに見守った。やがて、キクロを抱いたツクモも戻ってくる。ツクモが新たな皿をテーブルに並べて自席につくと、キクロはレツカの方へと手を伸ばし、レツカにひょいと肩車されるように抱き上げられた。
「それじゃあ、みんな揃ったところで――いただきます!」
「いただきます……」
「いただきます……たぶん」
ウイタとシンソが控えめに声を揃える。
一行は互いに顔を見合わせてから、箸をつけた。数口ほど口に運んだところで、ウイタが沈黙を破って口を開く。
「朝食のご用意、ありがとうございます。とても美味しいです」
「ええ、本当に……ですが、少しお話ししておきたいことがございます」
エラが穏やかながらも真剣なトーンで告げた。レツカは美味しそうに食べていた手をピタリと止め、怪訝な視線を向ける。
「何だ、それは?」
レツカはそう言いながら、小さくちぎったパンをキクロの口元へと優しく運んだ。
「あの……」
「少し深刻なお話ですが、先ほどルーサーさんとサラマさんが、私たちの仲間であるツヤを殺しかけた件についてです」
ナツキがはっきりと主張する。レツカは無言で眉をひそめた。
「その理由として、一家総出で私たちのことを疑っていらっしゃるとのことでした。この件については、しっかりと話し合っておくべきかと」
レツカは深く息を吐き出し、次の瞬間、まるで日常茶飯事の小言でも言うかのような怒号を飛ばした。
「お前、いったい何をやってやがるんだ、ルーサーッ!!」
ルーサーは手にしていたパンを食卓へ叩きつけた。
「もう我慢ならないわよ! この胸くそ悪い疑念にこれ以上振り回されるのは御免だね! あいつら自身は何も分かっちゃいないみたいだけど、その青髪の野郎から放たれる気配は冗談抜きで異常なのよ! 何の力も使っていないように見えながら、底知れぬ狂気が漏れ出してるんだから!」
「あんなの、下手に放置したら黒曜石や紫水晶級の危険種か、あるいは第六階級を超えるオーバーロードの類に匹敵しかねない怪物よっ!」
「このバカ娘が……何度も言ったはずだ。確かに気配に裏があるかもしれないが、だからといって殺していい理由にはならん!」
「とぼけてるだけかもしれないでしょ!? そんな計り知れない化け物を野放しにしたせいで、私たち家族が全滅でもしたらどうするつもりよ!」
「それに、お父さん――」
「そこまでにしてちょうだい、二人とも」
ツクモが穏やかに、しかし絶対的な拒絶を含んだ声で制止する。レツカは大きく息を吸い、ギロリとツヤを睨み据えた。
「……聞いてくれ、ツヤ。お前たちの出自については大まかに分かったつもりだがね、こうした得体の知れない異常事態のせいで、俺の愛する家族を危険に晒すわけにはいかないんだ。だからこそ、お前たちを警戒せざるを得ない。……そういうことだ」
「……分かっています」
ツヤは静かに目を伏せた。
「ですが、なぜ――」
ウイタがさらに追求しようとする。
一行とレツカ一家が激しい議論を交わしている最中、ツヤの脳裏には最初のループで体験した光景がフラッシュバックしていた。おそらくあの時も、ルーサーを含めた彼らは、厄介ごとが大きくなる前に自分を密かに始末しようとしたのだろう。ルーサー自身、誰にも気づかれないように裏でコソコソと自分を消し去ろうとしていたのだ。
家族を守るためならばここまで狂気的なまでに猜疑心を剥き出しにし、平然と殺害を試みる者たち――そして、その過程で自分自身が何度も味わってきた理不尽な死の数々。
フィリップの言葉が、再びツヤの頭蓋骨の裏で重く響く。人間という生き物について、そして彼らが親密ぶる相手に対して抱く本質について、あの怪物の指摘は完全に正しかったのだ。
ツヤは己の内面を冷徹に見つめ直した。そして確信する。この家族の一人ひとりと心を通わせる価値など、端からないのだと。彼らはただ自分の保身と家族の安全しか頭にない、臆病な獣の群れに過ぎない。
彼らに対して情愛など抱いたことはないし、今後も絶対に抱くつもりはない。いつの日か自分たちを不意に消し去ろうとするかもしれない連様なのだ――ならば、先にこちらから排除する算段をつけておくべきだ。
もっとも、あの周囲を凍りつかせるような凄まじい気配の正体は他でもないフィリップ自身なのだが、彼が口にしたような「階級」や「レベル」の体系については、ツヤにはまだ到底理解しきれていなかった。
「まあ、要するにだ……今すぐどうこうするわけじゃない。ただ、お前たちのことを本当に信用できるようになるまでは、どうしてもこの壁は消えんということだ」
レツカが頭をポリポリとかきながら締めくくる。
「……貴方たちがそのような過酷な土地で生き抜いてこられたというのなら、その警戒心も理解できなくはありません」
ウイタが静かに納得の意を示した。
「それだけじゃないからね。……もし、私の懸念が間違いじゃなかったと証明されるような真似を少しでもしてみなさい。その時は、私の手で確実に地獄へ送ってあげるから」
ルーサーが鋭い敵意の籠もった眼差しでツヤを睨みつけた。
その絶対的な殺意を帯びた警告に、ツヤの神経は氷のように研ぎ澄まされた。絶えず死の恐怖を背負いながら生活することは、フィリップの能力を検証し、制御法を学ぶ上で致命的な障害となる。それに、何が現実で何が単なる「可能性の分岐」に過ぎないのかを見極められない現状では、リスクがあまりにも大きすぎた。
「……分かったよ」
ツヤは短く、冷ややかに返した。
ツヤの眼前に残された選択肢は二つしかなかった。
――いっそこの一族を皆殺しにして安全を確保するか。それとも、いつか必ず血塗られた結末を迎えることを前提とした上で、偽りの信頼関係を築き続けるか。




