無力感と怠惰
無力感と怠惰を混同してはならない。
「何かご用でしょうか?」
冷ややかなウウタの声が、暗がりを切り裂いた。
「罪人共が、我等に何を聞くというのだ!? 死ね、ただそれだけを望んでいる!」
狂信者の叫びに対し、キメケノが即座に青筋を立てて唾を吐き捨てる。
「あぁん!? 言ってくれるじゃねえか。調子こいてんじゃねえぞ、このドブネズミが!」
相手の男たちは、あざ笑うかのように不気味な高笑いを上げた。
「ダメだ、やめろ! みんな殺される! こいつら、前に僕を拐おうとした奴らと同類なんだ!」
ツヤの悲痛な叫びに、全員が息をのむ。その顔に浮かぶ色濃い恐怖は、誰の目にも明らかだった。
「全員で戦うしかないんだ! 剣を抜け!」
「ツヤ……」
シンソが不安げに名を呼び、ナツキが困惑の声を漏らす。
「正気かよ!? 剣を貰ったばかりで使い方も知らないんだぞ!? 逃げる一手に決まってんだろ!」
ニッツェが叫ぶが、ツヤは首を激しく振った。
「ダメだ! 逃げたら背後から短剣を投げられる!」
「なんでそんなことまで分かんだよ!?」
「それは――」
「喋りはそこまでだ!」
狂信者がツヤの言葉を遮った。
「我等は偉大なるエリス様の僕、その儀式を執り行う者! 一人残らず屠ってやる!」
襲撃者たちは舌なめずりをしながら剣を抜いた。その刃がギラリと夜闇に光る。
「僕を信じてくれ!」
ツヤの言葉に押され、一行は緊張で手を震わせながらも剣を構えた。その挑発的な態度が狂信者たちの残虐な欲望を刺激し、歓喜に身体を震わせる。
「素晴らしい! 最高だ! 我等に抗おうというのだな!? だからこそ……殺し甲斐がある!」
叫びと共に襲撃者が躍り出た。暗い路地裏に、硬質で不快な金属音が響き渡る。
……
「ツヤ……っ!」
激しい剣戟の最中、ツヤの耳に僅かにシンソの声が届いた。全員が限界を迎えているのは明白だった。やがて、刃の交わる音が一つ、また一つと途絶えていく。
相手の狂信者に力任せに押し返されたツヤは、息を乱しながら周囲を見回した。
次の瞬間、ツヤの喉が引きつり、胸を刺すような激痛が走った。視界が涙で歪む。仲間たちは全員息絶え、狂信者たちは遺体に突き刺さった剣や短剣に手をかけたまま、あるいはその傍らに腰を下ろし、まるでツヤの死を気長に待つかのように嘲笑を浮かべて見つめていた。
「畜生どもが……!」
「余計なところを見ている場合か、ガキが!」
正面を見据えた瞬間、ツヤが最後に目にしたのは、飢えた獣のように飛びかかってくる狂信者と、その首元へと迫る刃だった。
◇
ツヤは目を覚ました。
ニッツェがキメケノにくだらない絡みを続け、キメントは相変わらず無表情で歩いている。ナツキ、エラ、ウウタは穏やかに言葉を交わし、シンソは手にした剣にうっとりと見入っていた。
ツヤは力なくうつむいた。どうすればいいのか分からない。確率の輪を断ち切るにはあの狂信者たちを倒すしかないが、剣の扱いすら知らない自分たちでは格好の標的に過ぎない。逃げることも叶わない。
「クソッ……」
「おい、お前たち!」
振り向くと、かつて自分を拉致しようとした男たちによく似た5人組が、底知れぬ狂気を孕んだ瞳でこちらを見下ろしていた。
(時間がない……!)
ツヤの脳裏に電撃的な思いつきが走った。ここは街の中だ。見張りや警備の騎士がいるはずだし、まだ冒険者の酒場からもそれほど離れていない。
ツヤは喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。
「誰か助けてくれ! 頼む、誰か気づいてくれ!!」
涙を流しながら必死に助けを求めるツヤを、仲間たちは呆然と見つめた。ウウタは怪訝に思う。(なぜ『黒い物質』を使わない? 何かがおかしい……あるいは、まだ使えないのか?)
助けを呼び続けるツヤの視界を、一筋の銀光が貫いた。額に深々と刺さった短剣の衝撃と共に、ツヤの意識は途絶えた。
◇
ツヤは再び目を覚ました。
激しい喘ぎと共に、こめかみを両手で固く押さえて地面にうずくまる。
「嫌だ……痛い……もう嫌だ……」
「おい、お前たち!」
5人組が再び現れる。
「分からない……どうすればいいんだ……!」
「何かご用でしょうか?」
「罪人共が、我等に何を聞くというのだ!? 死ね、ただそれだけを望んでいる!」
「あぁん!? 言ってくれるじゃねえか。調子こいてんじゃねえぞ、このドブネズミが!」
「やめろ……!」
ツヤが制止する間もなく、背中に焼けつくような激痛が走った。血の泡を吹きながら倒れ込むツヤの視界で、狂信者はキメケノへ襲いかかる前に、まず自分を背後から刺し、そのままキメケノへ跳躍していた。
「嫌ぁぁっ!」
「ツヤ!!」
失血と共に、ツヤの息が絶えた。
◇
ツヤは目を覚ました。
痛みに耐えかねて体を丸める。短剣が刺さった背中の部位が、まるで火で炙られているかのように熱い。見開いた己の手を見つめながら、絶望が胸を満たす。
結局、自分は何の力もない無力な存在なのだ。これほどの力を持ちながら、大切な仲間の死すら防ぐことができない。現実と確率の境界すら曖昧になっていく。
「痛い……すごく、痛い……」
呻き声が漏れる。ただ死を繰り返すだけの存在。
「僕のせいじゃない……こんなの、僕が望んだことじゃない……!」
「おい、お前たち!」
(もう耐えられない……)
「何かご用でしょうか?」
「罪人共が、我等に何を聞くというのだ!? 死ね、ただそれだけを望んでいる!」
「あぁん!? 言ってくれるじゃねえか。調子こいてんじゃねえぞ、このドブネズミが!」
「頼むから、もうやめてくれ……!」
キメケノが飛び出すが、一瞬で弾き返された。恐怖で正気に戻るも、もはや退くことはできない。
「頼むからやめてくれよ!!」
ツヤの悲痛な叫びが、その場の空気を凍りつかせた。
「どうすればいいか分からないんだ! どうやって止めればいいのかも分からない! 無能でいたくなんてないのに、僕は……!」
狂信者は薄笑いを浮かべ、動揺したキメケノの首筋を躊躇なく切り裂いた。そしてゆっくりとツヤへ歩み寄る。
「与えられた機会、与えられた恵み、生きるために必要なすべては揃っている。絶望を感じることなど、単なる怠惰に過ぎん。試練を前にして我等にできるのは、ただ信仰を持つことのみだ」
呆然と見上げるツヤに対し、狂信者は哀れみすら孕んだ目で短剣をその首へ突き立てた。
「女神エリス様が、汝を赦したまわんことを――」
溢れ出る血と激痛の中で、ツヤの視界が暗転していく。
……
そうだ。自分は絶望の意味を知っていた。前の世界でも、周囲を変えられずに投げ出していたあの無力感と同じだ。怠惰に負け、諦め、一人で愚痴をこぼすだけの存在になっていた。
今も同じことをしようとしていたのだ。解けない問題から逃げ出し、死を待つだけの怠惰に逃げ込んでいた。だが、自分は大切な仲間を救わなければならない。前の世界でも、彼らがいたから人生は楽しかったのだから。
だって、彼らは――
「おい、お前たち!」
彼らは、ツヤのすべてなのだから。
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