彼の名前はツヤです
何か問題があるような気がする。ツヤは見た目ほど無邪気じゃないみたいだ。君はどう思う?
どう思うかって?もちろん、何も思わないよ。
ルーサー:「とにかく。たまごは全部家へ運ぶわよ。ペッカ鳥には注意して進みましょう」
全員がたまごを大切そうに抱え、ルーサーの後を追った。こうして、朝食を巡る大騒動は幕を閉じたのである。
ルーサー:「ルーサー・レツカよ。レツカ・レツカの娘で、苗字と名前が同じレツカ」
門番:「了解した。通ってよし」
一行は家路につき、ほどなくして到着した。
ルーサー:「たまごは厨房に置いて、それから食堂のテーブルに集まりなさい。少し話すことがあるわ」
ニツェが不審そうに眉をひそめる中、一行はただ無言でうなずき、キリシマとツクモがいる厨房へと向かった。二人の女性は『寝坊』について何やら話している最中で、キリシマはブツブツと文句を垂れていた。
ツヤとキメントはそれを意に介さずたまごを並べ、他の者たちが置き終えるのを待った。
すべての作業が片付くと、彼らは上の階へと足を進めた。邸宅の持つ風情ある佇まいに、差し込む陽光が重なり、辺り一面がどこか清々しい空気に包まれている。ルーサーは食卓の前に立ち、腕を組んで待ち構えていた。彼らの姿を視界に収めると、薄く眉をひそめて口を開いた。
ルーサー:「よし、全員座りなさい。あなたたちに少し尋ねたいことがあるの」
全員が席に着く中、ニツェが真っ先に声を上げた。
ニツェ:「あのたまご運搬作業の時から、みんなやたらと静かじゃない。それにいきなり連れてきて問い詰めるなんて……一体何の話よ?」
ルーサー:「まず、あなたたちはどこから来たの? あまりにも何も知らなさすぎるわ。キクロでさえ、あなたたちより世間を知っているでしょうね」
ニツェ:「あー、簡単な質問ね。あたしたちは日本――」
エラ:「私たちはただ、この土地の人間ではないというだけです。出身地に大した意味はありませんわ。ここも多民族国家なのでしょう?」
ルーサー:「言われてみればそうね。分かったわ、なら別の質問。なぜ冒険者になりたいの?」
ウイタ:「お宅にお邪魔してからというもの、手厚くもてなしていただきました。ですが、八人もの大世帯でこれ以上ご厄介になるわけにはいきません」
エラ:「それに、お金を稼いで自分たちの足で立っていく術を学ばなければなりませんから」
ルーサー:「疑わしいほどに筋の通った理由と目標ね」
ツヤはテーブルの上に視線を落とし、呆れたように目を伏せた。これから始まるであろう生活が、少なくとも自分にとってそう易々と進むはずがないことくらい、痛いほど分かっていた。自分や彼らにとって、平穏で単純な生き方など存在しないのだ。どうせ近いうちに勘づかれるか、余計なトラブルに巻き込まれるに決まっている。
ニツェ:「はぁぁあ? あたしたちを何だと思ってんのよ? 後ろから刺すような真似でもするって言うの!?」
ルーサー:「さあね。素性の分からない人間相手なら、何だって警戒するわ。どんな危険を秘めているか、どんな人間なのかも分からないのだから。たとえば……そこの青髪なんて、お世辞にも品行方正には見えないけれど?」
ツヤはハッと現実へと引き戻され、顔を上げた。
ツヤ:「は? ……俺?」
ルーサーは小さく息を吐いた。
ルーサー:「ええ、やっぱり当たっていたみたいね」
ナツキ:「気にしないで。あいつ、たまにボーッとして考え込んじゃう癖があるんだ」
シンソも同意するようにコクリとうなずいた。
ツヤ:「なんで急に俺の話になってんだよ……」
ルーサーは軽く咳払いをした。
ルーサー:「とにかく。あなたたちから明確な可笑しな気配までは感じ取れなかったけれど、それでもまだ全幅の信頼は置かないで戴戴くわ。当面は私のパーティに所属してもらうけれど、後で自分たちのパーティを結成したければ好きにすればいい」
ウイタ:「私たちもそれを望んでおりました。本当にありがとうございます」
ルーサー:「礼には及ばないわ。ただ自分を鍛えることだけに集中しなさい。今まで目にしたものなんて、ほんの序の口に過ぎないのだから。できる限り強くなりなさい」
ナツキ:「うん、その通りだね。ありがとう」
ルーサー:「お礼はいらないと言ったでしょう。まあいいわ、食事が終わったら冒険者ギルドへ案内して登録を済ませるけれど、いいかしら?」
ウイタ:「了解しました。ありがと――あ、いや……分かりました」
ルーサー:「結構。では朝食で会いましょう」
ルーサーは部屋を後にし、階段を下りていく足音が次第に遠ざかっていった。
ニツェ:「はぁ……まったく頭が痛いわ」
エラ:「どうしてですの、ニツェくん?」
ニツェ:「だって異世界に来ちゃって何が何だかさっぱり分からないじゃない。登校中にあんなに聞き流してた朝のニュースが、もう恋しくなってきちゃったわよ。部活のバレーボールチームだって……」
ツヤ:「バレーなんて、お前柄でもなかったろ」
ニツェ:「ちょっと! あたしだって結構な腕前だったんだからね!」
エラ:「はいはい。だからこそ万年補欠でしたのに」
ニツェ:「ふーんだ! まるで自分たちには恋しいものが一つもないみたいな言い草じゃない!」
シンソ:「家族……かな」
エラ:「家族、ですね」
ウイタ:「まあ……家族でしょうか」
キメント:「……」
キメケノ:「まあ、家族かもな」
ツヤ:「さあな……」
ナツキ:「家族……だね」
ニツェ:「へえ……実にひねりのない回答ね」
エラ:「異世界に来てしまったのですから無理もありませんわ。それに、あの漫画の主人公たちみたいな特別な力やスキルがあるわけでもありませんし。家族を想って、ここで生き残るために必死になる……それくらいしかできないのですから」
シンソ:「うん……そうだね」
ナツキ:「うんうん……」
キメケノは深々とため息をついた。
キメケノ:「あーあ、もう! 暗い気分にさせやがって! 湿っぽい話はそこまでだ、やめろやめろ!」
ニツェ:「藁人形頭が珍しくまともなこと言ったわね」
キメケノ:「次その呼び方してみろ、ただじゃ置かねえぞ……」
ニツェ:「嫌だわー! デブの神罰なんて怖ーい!(棒)」
一同がドッと吹き出す中、キメントも静かに微笑を浮かべた。しかしツヤだけは、再び思考の渦の中へと落ち込んでいくようだった。
そうだ。昔からそうだった。誰もが何かしらの興味関心を持ち、笑い合える居場所を持っていた。己の好きなことについて、自分自身について、何かしらを語り合っていた。だが、その言動も、関心の対象も、あまりに下らなさすぎた。不必要で、存在する価値すらないような代物ばかり。どれほど浅はかな世界に身を置いているのか、彼らの嗜好や読むもの、観るものからも透けて見えていた。ツヤは何度も試みた。何度も歩み寄ろうとしたが、その度に周囲の人間は彼を失望させた。精神的に幼すぎる会話と振る舞い。ただ人とは違う趣味を持っているというだけで、自分を異物扱いする者たち。だが、そんなことはどうでもよかった。真に許せなかったのは――彼らがこの場所の空気(酸素)を無駄に消費しているという事実だ。不当にこの世に生を受け、ただ無駄にスペースを占拠しているという事実。
この不快な感情の正体を、自分でも長い間解き明かせずにいた。だが、随分前から理解していたはずだ。――憎悪。そう、何も知りもしないくせに知った風な口を聞く連中が憎かった。いじめっ子が憎かった。人の容姿を嘲笑う奴らが憎かった。毎日毎日、自分の国に溢れ返るそんな人間どもに嫌気がさし、たった一人で何ができるだろうかと模索し続けていた。
そして考えた――この憎しみは、果して無意味なものなのだろうか? いや、そんなはずはない。自分と奴らは違うのだ。奴らは思考を放棄した痛々しい生命体に過ぎず、ツヤと彼が言葉を交わす者たちは、ただその惨状から抜け出そうとあがく人間なのだから。
ツヤ:「シンソ、ネクタイが上手く結べてないぞ」
シンソ:「えっ……ほんと?」
ツヤ:「貸せ、直してやる」
男子生徒たち:「うわ見ろよ、自称『男子』同士がお互い助け合ってやがるぜ。ハハハハ!」
ツヤの手がネクタイを強く握り締め、奥歯を噛み締めさせた。だが、振り返りはしなかった。
男子生徒の一人:「それにさ、廊下の真ん中歩くなって言ったよな? 俺と喧嘩する度胸でもあるのかよ、あァ? 一応『男』なんだろ?」
周りの集団から嘲笑が巻き起こる。
ツヤは勢いよく振り返った。しかし――そこには誰もいなかった。
女子生徒:「ねえツヤ、クラスで音楽のイベントやるんだけど、参加しない?」
ツヤはその女子生徒のことを知っていた。男関係の話ばかりで、陰で人の悪口を叩くような人間だ。結局のところ、ツヤは物陰から人間を観察し、その本性を見抜くことに長けていた。実に簡単な作業だった。
ツヤ:「遠慮する」
女子生徒:「だと思ったー。人が足りないから誘っただけで、別にアンタに興味があるわけじゃないから勘違いしないでよね」
雌の生命体は吐き捨てるように言い残すと、立ち去っていった。
ツヤの父親:「いいかツヤ。そんな感情や態度を持ち続けても何も生み出さんぞ。現実を見なきゃいかん。将来職に就けば、嫌でもこういう人間たちと関わっていくことになるんだからな」
ツヤは父親のことも理解していた。心優しい妻からの関心を突き引きし、家族を養っているという建前を守ろうとする、どこにでもいる平凡な男の型に嵌まった存在。それでも、自分を育ててくれた親であり、家族のために昼夜問わず働いてくれていることだけは確かだった。
ニツェ:「でー? これからどうするのよ?」
エラ:「見当もつきませんわ」
ナツキ:「ツヤはどう思う?」
ツヤ:「さあな……」
男子の生命体:「なあマジで、またフラれたんだけど」
褐色肌で軽薄な髪型をした男子の生命体:「マジでまた告ったのかよ? 何考えてんだよ?」
男子の生命体:「いや、ただ彼女が欲しいだけだって」
そうやって惨めな日常にささやかな性的欲求を満たし、飽きればすぐに浮気でもするのだろう。
普通の男子:「あ、悪いツヤ。実は俺、お前のことが好きなんだ。付き合ってくれないか?」
これで何度目だ? 四十回目くらいか? それも別々の人間から。どうせ後で男だと気づいた瞬間に、汚いものでも見るような目で遠ざかっていくのだろうに。
ツヤ:「悪いが断る」
教師:「ツヤ、どうして授業に集中しないの?」
何に集中しろと言うのだ? 同僚である歴史教師の夫と不倫しているような女の授業にでもか?
そう、ツヤとはそういう存在だった。観察し、見抜く者。どこにでもあるような思春期の青臭い思想や、ネットの『誰も知らない社会と歴史の裏側』といった動画に影響されて社会に反抗しているようなガキとは違う。
ただ理解できなかったのは――なぜ自分は真っ先に思考を張り巡らせ、それを証明・裏付けるような不快な事例ばかりを目にしてしまうのか? なぜ突如として自分自身からの精神的救済を必要とする羽目になったのか? ……ああ、思い出してきた。毎晩寝る前に『これは俺の問題じゃない』と自分に言い聞かせ、泥のような重荷を背負い込んだ脳を必死に宥めようとしていたからだ。だからこそ、こうなってしまったのだ。
ナツキ:「ねえ……ツヤ?」
ニツェ:「ちょっと、呼んでるんだけど!」
ツヤは弾かれたように現実へと引き戻された。
ツヤ:「……くそっ」
ニツェ:「なによ急に?」
ツヤ:「いや、なんでもない……ちょっと頭痛がしただけだ」
ウイタが不審そうに視線を向ける中、シンソは彼を元気づけようとそっと肩に手を置いた。
シンソ:「たまごを食べたら、きっと元気が出るよ!」
ツヤ:「……ああ、そうだな。へへ……」
ツヤの手がかすかに震え始めた。彼は両手を膝の上に置き、固く握り締めた。心拍数が跳ね上がる。何が起きているのか完全には理解できずとも、体に押し寄せる感覚は紛れもなく『恐怖』だった。脳が意識下で過去の痛みを呼び覚まし、彼を怯えさせているのだろう。いくら頭で否定しようとも。
ウイタ:「本当に大丈夫なのかい?」
ツヤ:「……っ? ああ、大丈夫だ。平気だよ」
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