議論
なぜ私は彼らと自分を隔てる感情を取り除かなければならないの?これが彼らと私の違いで、私はそれが好きなのよ。現実主義者は私の方よ!
ツヤは己の素肌――一糸纏わぬ無防備な肉体をしばし見下ろし、やがて緩やかに視線を上げて、漆黒の闇の奥に佇むフィリップへと向けた。
「また会えたな、ガキ。オユコでの初日はどうだったよ?」
フィリップの言葉には、あからさまな嘲弄がへばりついていた。ツヤの張り詰めた神経と精神は、その一言によっていっそう鋭く削り取られていく。
「黙れ……答えの分かりきっている問いを口にするな。何が起きたかなど、お前には全て(すべて)お見通しのはずだ」
フィリップの唇が、さらに歪んだ三日月のような笑みを刻む。
「ああ、もちろん知っているさ。だがねえ、なぜそうお前が立腹しているのかが分からんのだ」
「なぜ俺を助けない!?」
「前にも言ったはずだぞ。俺は助けている。与え得る限り最大の助力をな。未来に立ち現れるあらゆる可能性――その選択肢を提示する力が、そう易々と手に入るものだと思うか?」
「これほどの絶望と激痛に苛まれるくらいなら、未来など知らなくていい! 以前の世界でも、先のことなど何一つ分からずに生きてきたんだ!」
フィリップは鼻で嗤い、冷ややかに頭を振った。
「違うな、大違いだぞガキ。お前が見ているのは『未来』などではない。胸に手を当ててよく考えてみろ。お前が舐め取った死の結末が、その後の現実にそのまま訪れたことが一度でもあったか?」
ツヤは項垂れ、冷たい精神世界の床を見つめながら思考を巡らせた。確かに――味わわされた死はどれも異なり、その発端も死因もまた千差万別だった。
「……ない。どれも、違っていた」
「その通りだ。お前が進む時間の先を見たのではない。生じ得る『可能性の分岐』を、その身をもって体感したのだよ。克明に、細部に至るまでな。そうして死の危機を回避し、正しき途を選び取ることができたわけだ」
「……ああ。何度も命を絶たれるという最悪の形でな」
「俺の目には、死など映っていないがね。お前は現に息をし、生きているではないか」
ツヤは奥歯を砕けんばかりに強く噛み締めた。
「前の悪夢のような巡り(ループ)では、五度も続けて惨殺されたんだぞ! しかも、俺たちに手を差し伸べてくれたはずの者たちの手によってだ!」
フィリップは闇の壁に深く背を預けた。
「いいかガキ、この力は単に選択肢が多い局面で発動するだけではない。前に告げた通り、お前の内なる感情の衝突に呼応して顕現するのだ。お前はあの者たちを激しく憎悪している、そうだろ? その恐怖と憎悪、そして問いを投げかけてくるレツカへの疑念とあらゆる可能性が脳内で激突し、過剰に引き起こされたまでのこと」
ツヤは深く息を吐き出し、過ちと苦痛の記憶を脳裏から振り払おうとした。
「……もう、嫌だ」
「ならば、その忌々しい憎悪と先入観をひとまず横へ置け。さすれば、この力が暴走する頻度も自ずと下がるだろうよ」
しばし、場に重苦しい静寂が落ちた。しかし、フィリップが再び口を開く。
「だが、悪いことばかりでもないぞ。この力があれば、お前は連中を確実に守り抜くことができる。お前自身の肉体と精神を鍛え上げ、限界を超克すれば、俺の威光をより深く行使できるようになるのだからな」
「……だが、この事象が真実なのか、ただの可能性に過ぎないのか……俺はどう見極めればいい?」
「ははっ、それは不可能な相談だな。己の身に起きた渦中において、それが現実か幻影かを見分ける術など存在せん」
「お前は最古にして最強の存在ではないのか!? ならば手助けくらいしてみせろ!」
フィリップは腹を抱えて可笑しそうに笑った。
「ガキ……俺が最強だと? 確かに俺は強大であり、始祖の理の一角を占めてはいるが、上には上がいるのだよ」
ツヤは目を見開き、不穏な予感に声を震わせた。
「……本当か?」
「ああ。『神の理』、『天界と冥界の理』、『伏兵の理』……ふむ、『自然の理』もあったか。今思い浮かぶだけでもそれだけはある。俺と同格の存在とて、決して少なくはない」
「……分かった。では、あいつらはどうなんだ? 永遠に無力なままなのか?」
「誰もそんなことは言っておらん。奴らとて何らかの理を見出すことは可能だ。もっとも……お前が俺を宿したような容易さとはいくまいがな」
「俺が……お前を宿した方法? あのピラミッドに触れただけで引き寄せられたというのに、一体何が困難だというんだ?」
「――『憎悪』だよ」
ツヤの瞳が大きく見開かれ、言葉が途絶えた。
「お前の内に渦巻いていた憎しみは、俺のそれに匹敵するほど苛烈だったのだ。お前もまた、俺と同じほどに世界を、人間を憎んでいた」
フィリップの唇に、狂気に満ちた歪んだ笑みが浮かび上がる。
「そうさガキ……前世でお前が重ねてきたあらゆる行い、培ってきた醜悪な思想、日ごとに募らせた怨嗟が、お前を俺という存在と同調させ、逃げ場のない小部屋へと閉じ込めたのだ。お前と俺は、その絶望と憎悪の真髄において完全に結びついていた」
「俺も、お前も……『憎悪』そのもの(コア)なのだよ」
ツヤは唾を飲み込み、視線を落とした。抗おうと欲しながらも、その言葉を否定する術をツヤは持たない。胸の奥で息が詰まる。フィリップの言葉は、恐ろしいほどに正鵠を得ていた。自分を本当に理解しているのは、この怪物だけなのかもしれない――そんな想念が過る。
これまでの苦痛も、重ねてきた惨劇も、すべてはこの絶望的な現実を切り拓くための唯一の札なのだ。フィリップこそが、自分と仲間たちが生存するための最後の切り札であった。
「……俺は、いつここを出られるんだ?」
「知らんよ。お前の意識が醒めた時が、その時だ」
フィリップは再び、何事もなかったかのように背を預けた。
「ついでに忠言だ。誰一人として深く心を許すな。あらゆる事象に疑念の目を向けろ。それもまた、一筋の可能性に過ぎんのだからな」
「……可能性の中には、望ましい出来事も含まれるのか?」
「当然だ。選択肢とはそういうものだ」
「……くそッ」
「今のお前が抱く憎悪と反目するような、生ぬるい情愛からは距離を置け。精神の揺らぎ(ダメージ)を受け止める余裕など俺たちにはない。間違っても『恋』などに現を抜かすなよ」
「なぜだ! 望ましい幸福を得てはならないというのか!?」
「得ても構わんがね、それでは俺――すなわち『憎悪』の力が減退する。俺に連なるすべての威力が削がれることになるのだぞ」
ツヤは提示された条件のすべてを理解した。好ましくはない。だが、抗えぬ規律であるならば従うほかないのだ。果たして自分に、それが耐え抜けるだろうか。
「ああ、それともう一つ……決して自ら命を絶とうなどと考えるなよ」
ツヤは驚愕し、全身の血が引くのを感じた。
「……なぜ俺が、そんな真似をすると思う?」
自らをそこまで追い詰めるような惨劇が待っているのかと、ツヤは瞬時に推測した。
「さあな。だが覚えておけ。『お前が死ねば俺も死ぬ』という真理は、お前の最期まで適用される。自害を試みたところで人間は即座には死ねん。そして俺は、お前にそんな真似を許しはせん。お前は俺の器だ。死なれては困る」
ツヤが反論の言葉を口にしようとした瞬間、フィリップが先回りして言葉を継いだ。
「その際、肉体の再生に伴って主導権は完全に俺へ移行する。……俺がお前の肉体で何を仕でかすか、お前とて見たくはあるまい?」
言葉を失った。突きつけられた現実があまりにも重すぎる。だが、受け入れるしかないのだと己に言い聞かせた。
「……そろそろお目覚めのようだぞ。少女のように愛らしいツレがお前の顔を覗き込み、頬を撫でてくれている」
ツヤの顔が一瞬にして朱に染まった。
「……な、何だと!?」
「冗談ではないぞ。まことのことだ」
「……なぜ俺には見えない!?」
「肉体の制御がまだ戻っておらんからな。表層の意識が目覚めつつある今、俺の方が一足早く感知できるのだ」
その言葉が落ちると同時に、ツヤの視界が急速に明転した。
目を開いた眼前に広がっていたのは、すぐ至近距離で己の頬に優しく手を添えているシンソの姿だった。
「……シンソ?」
「うん、そうだよ。僕だよ、ツヤ」
「……お前、一体何をしているんだ?」
こんにちは!作者です。新しい章を公開しました。気に入っていただけると嬉しいです。最近は本当に暑いですね。皆さんはどうかわかりませんが、私は暑さに弱いんです。そのため、コンセプトやストーリー展開、キャラクター描写について考えるだけでも、頭が混乱してしまいます。とにかく、楽しんでいただけたら幸いです!




