可能性と希望
往々にして、あなたが見下していたような人こそが、あなたが最も必要としている時に助けてくれるものだ。
「お姉様……ですか?」
ナツキが呆気にとられたように口を開いた。
「ええ。私より年上だけど、実の姉妹の中では二番目に上の姉さんよ」
サラマが事もなげに答えると、ニッツェは少し引き攣った視線をカウンターの男――レツカへと向けた。
「ちょっとマスター、失礼を承知で聞くけどさ。アンタ一体、どれだけ子供がいるわけ?」
「んー……11人だ。妻は3人いる」
ニッツェは深々とため息をつき、力なく首を振った。
「神様……サラマのたちの悪い冗談であってくれって祈ってたのに……」
「ガハハハッ! 俺の結婚生活に口を挟む暇があるなら、余所に行って用を済ませな。で、なんだって?」
レツカが豪快に鼻で笑い飛ばす。
「ルーサーとかいう女は、いつ頃来るんだ?」
ツヤが低い声で尋ねた。
「姉さんは空腹に耐えられない質だからね。じきに来ると思うわ。ただ、依頼を引き受けてくれるかどうかは別だけど」
キメントは入口のドアに鋭い視線を向け、その隣でシンソが不安そうに小さく息を吐き出した。ウイタはレツカの様子を油断なく観察している。エラはそんな彼らに意識を向けつつも、キクロウに対してどこか怯えたような視線を送っていた。
「あぁ、クソッ……! 退屈だし、腹が減って死にそうだぜ!」
キメケノが苛立ちを隠さずに声を荒らげた。
「ああん? タダ飯を食わせる気はねえぞ。だが、何かしら獲物を狩ってきたら調理してやる」
「ふむ……実は、私たちはこの場所についてほとんど何も知らないのです。少し情報を教えていただけないでしょうか?」
ウイタが理知的な口調で尋ねると、レツカは手元のグラスをじっと見つめた後、重い口を開いた。
「何が知りたい?」
「例えば……魔物や怪物、あるいは魔法や魔導士の存在です。戦士、あるいは……圧倒的な力を持つ者たちのことも」
「ハッ! 嬢ちゃん、いい度胸だな。このイタニリア地区はな、ガキが気安くうろついていいような安全な町じゃねえ。独立都市群の中でも最大級にデカいが、最も貧しい都市の一つだ。生き残るために、人間どもはあらゆる裏取引に手を染める。まあ、お前さんたちがいるのはまだマシな区画だがな」
エラとツヤが顔を見合わせ、シンソとナツキはレツカの言葉に真剣に耳を傾けた。キクロウは父親の肩から飛び降りると、テーブルの上にちょこんと座り直す。サラマは口を挟まず、静かに耳を傾けていた。
「ここらじゃ、人間以外にも獣人、それに『ユト』や『ポル』って種族が幅を利かせてる。後ろの二つは見た目こそ人間そっくりだが、扱う魔法の性質が異質なんだとよ」
「なるほど、魔導士は存在するわけですね。では、他には?」
「魔法の才能が皆無な代わりに、あらゆる武器を極めた『聖者』と呼ばれる連中がいる。中でも『剣聖』はよく見かけるな。あとは『勇者』か。大抵は流浪の身で、冒険者ギルドとつるんでる。攻防のバランスが取れた、手強い連中だ」
レツカは酒をもう一口煽り、言葉を続けた。
「それから……『覇王』と呼ばれる者たちがいる。大抵は第七等級以上の猛者で、固有の『真髄』を宿しているのが特徴だ」
『真髄』という単語が出た瞬間、ウイタをはじめとする一行の空気が一変した。全員の視線がレツカへと集中する。
「……その『真髄』とは、一体どういうものなのですか?」
「ふむ、多くは人間に適合する一種の『刻印』のようなものだ。意志を持ち、絶大な力を秘めたある種の怪物と言ってもいい。主祖と分祖の二つに分かれていてな……聞き及ぶ限りじゃ、宿主の精神や思考の波長が同調することで契約が結ばれるらしい。だが、それ相応の強者でなければ器として認められん。選ばれし者にしか扱えん代物さ」
すると、キメケノが耐えきれなくなったように会話に割って入った。
「おい! 『黒の物質』って名の真髄について、何か知らねえか!?」
ツヤが鋭い一瞥を送り、ニッツェは頭を抱えて大げさに溜め息をつく。
「んー……詳しくは知らんが、そいつが『主祖』の真髄であり、一世紀ほど前に大災害を引き起こしたことくらいは知っている。かなり残虐で狂気じみた真髄だと聞くぞ。イタニリアは大国だ、国レベルでいくつもの真髄を保護・管理しているはずだがな」
「あんた、なんでそんなことまで知ってるんだ……?」
キメントが静かに疑問を口にすると、レツカが答える前に、サラマが誇らしげに胸を張って割り込んだ。
「だって、お父さんは三年前まで現役の冒険者だったんだから!」
「余計なことを喋るなと言ったろうが、赤毛!」
レツカが怒鳴り散らしたその時、キクロウがテーブルから跳ね起き、入口のドアに向かって駆け出した。
扉が開き、二人の息をのむほど美しい女性が店内に足を踏み入れた。ライトブラウンの髪をした女性が、駆け寄ってきたキクロウを愛おしそうに抱き上げる。
「お母さん!」
サラマが声を上げた。
レツカはカウンターの奥から、柔らかな笑みを浮かべて軽く手を振った。
「キリシマ、ツクモ……お帰り」
ツクモと呼ばれた女性はキクロウを抱いたまま歩みを進め、珍しそうに一行を見渡した。もう一人の女性、キリシマはそのまま奥の厨房へと向かっていく。
「あら……お客様かしら。キリシマ、あなた、お茶を淹れてくださる?」
ツクモが優しく微笑む。
厨房の方から「ええ」と短く返事が返ってきた。
ニッツェは新しく現れた女性を一瞥し、次いでレツカへと呆れた視線を往復させた。キメントを含め、全員が同じように二人の顔を交互に見比べずにはいられなかった。
滑らかな白い肌、しなやかでありながら引き締まった肢体、そして美しいライトブラウンの髪をなびかせ、心からの温かい微笑みを浮かべる絶世の美女――ツクモ。
ニッツェは彼女を見つめながら、信じられないという顔で問いかけた。
「あの……恐れながらお尋ねしますけど、奥様。あなた様は本当に、あそこにいる酒浸りのオッサンの奥様なんですか?」
ツクモの笑みが一瞬だけいたずらっぽく揺れ、すぐに元の温厚な表情に戻った。
「ええ、もちろん……私が、彼の最初の妻ですよ」
ニッツェは両手で顔を覆い、天を仰ぐように深く、長く溜め息をついた。
「なんてことだ……神様、人生ってのはこれほどまでに不条理なものなんですか……?」
その言葉を聞いた瞬間、レツカの額に青筋がピキリと浮かんだ。
「あぁん!!?? 何だとこらぁ!!」




