060
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21時18分
八尾姫神社、本殿
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あっという間に頭が冷えた。
というより、凍りついてしまった。
あるはずのないモノが、そこにある。
その違和感――。
【俺】
「ミコト……アレ……」
そう言うだけで精一杯だった。
ミコトは案の定『このチキンが……!』とでも言いたげに人相を悪くしていたが、俺が指さす方に気がつくと、身を強張らせた。
――ギクリと、身を強張らせた。
【俺】
「血、だよな……? アレ……」
俺は一歩ずつ柵へと近づいた。
柵。
還津山へと続く柵。
あちらとこちらを隔てる境界線。
よく見れば、その一部が壊れていた。
たらたらと血が滴っているのは、その壊れた柵からである。
【俺】
「もしかして、釘かなんかに……引っかかったのか……?」
柵の向こう側に行こうとして。
だが……なんのために?
たしかここから先は――
【俺】
「入っちゃいけないんだろ?」
朧気ながら、子どもの頃に叱られた記憶がある。
還津山自体は別に立ち入り禁止でもなんでもなく、なんなら観光客用のルートだってあるくらいだが、それらはすべて八尾川を渡った先、島の東側からアクセスするモノだ。
一方で、地図上ではもっとも直接的なアプローチとなる、ここ八尾姫神社からの入山は固く禁じられていた。
というのも、
【ミコト】
「……うん」
「危ないんだよ、この先は……底なし沼とかもあるから」
【俺】
「だよな」
【ミコト】
「それに――」
そこまで言ってからミコトは口をつぐんだ。
【俺】
「?」
「なんだ、どうしたんだよ」
【ミコト】
「………。………………。………………………。」
「ナタロー、これ……」
ミコトは浴衣の裾を押さえながらしゃがみ、柵の近くで何かを拾い上げた。
【俺】
「おいおい、ソレって――」
鍵である。なんだかよくわからないぐでっとしたパンダのようなキーホルダーをつけた。
……こういうのが好きそうなヤツに、一人だけ心当たりがある。
【俺】
「もしかして、シズクのか……⁉」
【ミコト】
「……ウン、間違いない」
「シズクの〝たれぱんだ〟だ……前に見たことがある」
【俺】
「じゃあ、アイツが行ったってのか……この先に……?」
いや――ちがう。
それだけではない。
よく見れば柵の向こう側には、足跡が複数残されていた。
俺はウォルトから叩き込まれた知識と技術で即座にそれらを分析する。
【俺】
「……三人だ」
【ミコト】
「え」
【俺】
「男が一人、女が一人、それとチビが一人で……三人だ」
間違いない。そして、その三人というのは――
【俺】
「アツシとレイコにシズク」
「あの三人が、中に入ってったんだ……」
だが何故?
どうしてアイツらがそんなことしなきゃならないんだ?
三人とも、この先が危険だとは俺以上に理解しているはずである。
だというのに、何故……?
【俺】
「もしかして――」
俺はもう一度、壊れた柵と、そこから滴る赤い血を見返した。
「アイツら、誰かに追われてたんじゃねーか……⁉」
瞬間、頭の中で次々と架空の光景が流れだす。
暗い神社。誰かに追われる三人。この本殿まで追い詰められた。やむを得ず柵を乗り越えるアツシ。だがあのデカイ身体だ。柵を壊してしまう。ソレにひっかかり負傷するレイコ。おどろき鍵を落とすシズク。しかし立ち止まっている余裕はない。奥へ奥へと逃げる三人……。
……それ以上は想像したくもなかった。
不安に駆られた俺は、すぐさまミコトに相談してみる。
しかしミコトの反応は、
【ミコト】
「………。」
「………。………………。」
「………。………………。………………………。」
沈黙だった。
目を開いて――皿のように見開いての、沈黙だった。
【俺】
「お、お前……⁉」
また、あの……目である。
皿のように、見開いた目。
もう、これで三度目だ。
いったい何を考えているのだろう。
……わからない。
俺にはまるでわからない。
突如として、ミコトが別の人間にでもすり替えられたかのようなうすら寒ささえ感じる。
しかし、だからといって尻込みしている場合ではない。
もしかしたら、アツシたちが危機的状況にあるかもしれないのだ。
どうにかして、手を打たなければ。
【俺】
「取りあえず、誰かオトナに事情を話して来てもらうか?」
「でもって一緒にアイツらを探しに――」
【ミコト】
「 ダメだッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
一瞬。
時間が止まったかのような。
ミコトの怒鳴り声。
【ミコト】
「あ――」
俺は言うにおよばずだが、しかしながら誰よりも強くショックを受けていたのは当のミコト本人だった。
ミコトは口を手で塞いでから、先とは比べモノにならないほど小さな声でつぶやく。
【ミコト】
「ダ、ダメなんだよナタロー……」
「今、この状況でオトナなんか呼んじゃ……!」
【俺】
「で、でもんなこと言ったって――」
「じゃあ、どーするよ⁉ このまま、アイツらほっとけってのか⁉」
【ミコト】
「……だいじょうぶ」
「ボクが……ボクが、連れて帰るから」
【俺】
「へ?」
【ミコト】
「今なら……今なら、まだ間にあう」
【俺】
「間に合うって……」
何がだ?
コイツはなんの話をしてるんだ?
【ミコト】
「こんなの着てちゃダメだ。着替えてこないと……!」
「ナタローは先に帰ってて!」
言うや否や、ミコトは大急ぎで社務所へと駆けだす。
【俺】
「あ、おいっ⁉」
……どーいうことだよ。
まったく理由はわからないが、オトナは呼べない?
だからアイツが連れて帰るってのか?
一人で?
【俺】
(……いやいやいや)
(いやいやいやいや!)
(そんなの、させられるワケねーだろ!)
アイツが行くってんなら俺だって行く。
んなあぶないこと一人でさせるもんか。
それ以外の答えは考えられない。
【俺】
(とりあえず、ミコトが着替えてくるまでここで待ってよう……!)
俺は早鐘を打つ心臓を抑えつけ、そう判断した。
視界の端では、柵からタラッと赤い血が垂れている。
俺はそこから無理矢理に目を背けた。
………。
………。………………。
………。………………。………………………。
……なんだろう。
さっきから、妙に胸が息苦しかった。
いや、ソレだけじゃない。
空気がひりついているように肌がソワソワして、喉が砂漠のように乾いていく。
まるで、身体中が内へ内へと収縮していくような――
【俺】
(……ヤバイ!)
気づいた時にはもう、遅かった。
――むせかえるような花の匂い。
――空気を震わせる歓声とマーチング・バンド。
――次の瞬間、俺の目の前で盛大なパレードが始まった。




