018
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7月6日(火曜日)、6時35分
帯渡島小中学校、職員室
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那太郎たちのクラスを受け持つ矢坂沙弥香には、不意に「とほほ。なるんじゃなかった、教員なんて……」と思いたくなる時がいくつかある。
その内の一つがこの〝朝番〟だった。
他の地域では別の名称かもしれない。そもそもは教員の業務でないケースも多かろう。少なくとも、沙弥香が前に務めていた内地の学校ではそうだった。
【沙弥香】
(ああ、早く新しい用務員さんが来てくんないかしら……)
そう思い続けて早二年。
早二年、である。
三年前、この学校に赴任したての頃はまだよかった。
当時はちゃんとした用務員さんがいて、こうした仕事を一手に引き受けてくれていたのだ。
だが翌年。その用務員さんも寄る年波には勝てず、とうとう腰を壊し引退してしまう。
そこから始まったのがこの朝番システムである。
要は、いなくなった用務員さんの代わりに朝早くから学校に来て、次々と学内の施設を開錠していく仕事だ。
帯渡島には漁業関係者も多く、そういった家庭では朝も早い。中には七時を回る前に学校へと来たがる子すらいる。
朝番の担当者はそれに先んじて、校門などを開けてゆかねばならぬのだ。
もちろん、無償で。
時間外手当の〝じ〟の字も出ぬまま。
【沙弥香】
(……ざけとんのか)
しかもこの朝番、週替わり制な上に教員の数も少ないので、終わったと思ったのも束の間、すぐまた次の朝番へと割り振られてしまう。
【沙弥香】
(……なめとんのか)
おまけに朝番の逆で夜番もあるよ。
【沙弥香】
(……いてまうぞ、こら)
と、まあ、そんなこんなで。
ただでさえ低血圧で朝が弱い沙弥香にとって、この朝番というのはおよそ拷問じみた苦痛であり、ましてやそこに女の日が重なった時なんかにゃあ、ほとんどハリウッド映画の悪役さながらに世界を呪う存在へと成り果てるのだった。
ちなみに沙弥香は〝羊たちの沈黙〟のファンである。
【沙弥香】
「はぁああああ~……」
今日も今日とてガキンチョたちのために早々と出勤し、各所の鍵を開けてから職員室へと辿り着いた沙弥香は、深ーい溜息を吐きながら自分のデスクに座った。
まだクーラーをつけたばかりなのでバカみたいに蒸し暑い……。気のせいか、むしろ生温い風が入ってきている。
沙弥香が次にキャスターつきのサイドワゴンの鍵を開けようとした――その時、
【沙弥香】
「……あれ?」
何故か、鍵がつっかかる。
いつも通り鍵をさし、時計回りに動かそうとしているだけなのに……そこで止まる。微動だにしない。
【沙弥香】
「え?」
思わず反時計回りに動かす。すると、今度は従順に鍵が回った。
しかし、サイドワゴンの引き出しは……ロックされている。
【沙弥香】
「え、え……?」
すぐさまもう一度、時計回りで鍵を動かす。
開錠。引き出しが、開く。
……これらの結果の意味するところは一つしかない。
この鍵は、最初から開いていた。
【沙弥香】
(やだアタシ……昨日カギかけわすれて帰っちゃったワケ?)
個人情報とその管理。
最近、少しずつだがこの業界でも耳にする言葉である。
さすがに帯渡島では口うるさく言われることもなかったが、それでも中には遊びの延長でテストの答案を盗み見ようとする悪ガキもいるので、沙弥香のみならず他の教員も皆、施錠には相応に気を使っている。
なのに、それを忘れてしまった……?
【沙弥香】
(たしかに昨日は久しぶりに怒りまくって、ちょっと疲れちゃってたけど……)
沙弥香は念のため、何か盗られていないかを確認すべく引き出しを開けていく。
筆記用具、修正ペン、印鑑、付箋、ペーパーナイフ、クリップ、電卓、ハサミ、ノリ、定規、ノート、クリアファイル、フラットファイル、週案簿、連絡網、集金用の小型金庫、その他書類……。
【沙弥香】
(よかった、なんともないみたい……ま、そりゃそーよね。たった一晩でどーこーなるはずないし)
そう、たしかに何も盗られてはいなかった。
いなかった、のだが………………しかし。
そこで気づく、
違和感。
【沙弥香】
「……あれ?」
ほんの少し、ほんの少しなのだが……中に入れているモノの、配置がおかしい。
たとえばこの修正ペン。
いつもこの向きで入れてたっけ……?
覚えてない。覚えてないが……なんとなく、ちがう。ちがう気がする。
試しに手に取り、いつも通りを心がけ中に戻してみた。
【沙弥香】
(やっぱり逆だわ……フタが手前に来る)
よく見れば引き出しの中は、そのような小さな差異であふれていた。
きっと自分でなければ気づけぬようなズレが、あちこちに――まるで虫が湧いたかのように散見する。
……生温い風が不愉快だ。室内はまだ涼しくならない。
【沙弥香】
(やだ……じゃあホントに、あさられちゃったの……?)
だとしたら、誰が? 誰がやったんだ?
すでに一学期の期末テストは終わっている。答案も先週返却しているので、生徒の悪ふざけ、というのは考えにくい。
【沙弥香】
(……もしかして先生が、とか?)
……ありうるかもしれない。少なくとも生徒よりかは遥かに楽にアクセスできるだろう。こうして机を並べ仕事をしているのだから。
沙弥香の目が微量の疑いを帯びつつ、隣のデスクへと移る。
【沙弥香】
「え……?」
その瞬間、思わず目を細めてしまった。
開いて……ないか?
いや開いている。少しだが、開いている。
ズボラな自分なんかよりずっと几帳面で、施錠を怠るはずのない同僚の引き出しが。
……嫌な予感がする。
沙弥香は思い切ってその引き出しを開けてみた。
【沙弥香】
「これって――」
荒らされていた。
明らかに、中が荒らされていた。
自分の引き出しの比ではない。
第三者が見ても即座に解せるほど、荒らされていた。
【沙弥香】
「ひっ……!」
人間の想像力は時に残酷である。
一つの関係性を見出せば、そこから自然と拡張して考えてしまう。
今の沙弥香もそうだった。
隣のデスクの、さらに隣。
今度は間に机一つ挟んでも明白なほど、引き出しが開いていた。
それだけではない。
よく見れば、デスクの上のペン立てが倒れていた。
さらに床には物が散乱している。
――何が起きた?
沙弥香の脳裏で強制的に映像が結びつく。
夜。静まり返った職員室。
そこに忍び込んだ何者か。
その何者かは、まず沙弥香のデスクを慎重に調べる。
所詮は田舎の学校の備品だ。その筋の者が本気で掛かれば、施錠など無力に等しい。
沙弥香の引き出しを調べ終えた何者かは、次に隣のデスクへと移る。それが済めば、さらに隣へ。
焦りか、はたまた怒りか……理由はわからぬが、少しずつ、少しずつ、手口を粗くして。
しまいにはきっと〝バレても構わない〟そんな大胆さで。
【沙弥香】
(で、でも、じゃあソイツはどこから入ってきたっていうのよ……?)
生温い風が頬をくすぐる――
【沙弥香】
「 ~~っ⁉ 」
沙弥香は思わず窓の方へと振り向いた。
この時になって、ようやく理解する。
この不愉快な生温い風が、どこから来ていたのかを。
【沙弥香】
「こ、これって……!」
窓。
そこにはまるで、沙弥香を大口で嘲るかのように――ポッカリと穴が開いていた。




