第五話
午前2時過ぎ。
大きい袋を担いだナッシュは、クラブ・マイドレドの裏口から入ってきた。
真っ暗闇に中、袋をどさりと降ろして「ふぅ」と一息ついた所で、照明がパッと点灯した。
気配もなく付けられた照明に、思わず臨戦態勢になりかけて――構えを解く。
「なんだ桜花か……驚かすなよ」
そこには桜花が立っていた。
「なんだ、とは冷たいですね。『殺人鬼の居場所を掴んだ。アニーの部屋に向かってくれ』の後の連絡が『片が付いたから休んでくれ』で、そこから音沙汰なしですよ? 心配して当然です」
「そいつは失礼。でも本当に休んでくれてて良かったんだぜ? 俺一人で対処できたからな」
「それはそうかもしれませんが」
桜花がナッシュからの念話を受けたのは午前0時20分ごろ。
アニーの部屋の隣が、桜花のあてがわれた部屋だったのだが、そこで待機中にアニーの部屋から物音が鳴り、緊張が走ったと同時に『釣れた。待機』と短い声が響き、次が『殺人鬼の居場所うんぬん』なのだ。
隣に突入すれば床に倒れているアニーと、消え去った分身体。
アニーを部屋に寝かせ付け、アデリナの家(寮に隣接)に押っ取り刀で駆け付けアデリナを呼び一緒に待機。『片が付いた』と連絡を受けてからはアデリナには就寝してもらったが、桜花としては尽力する相棒を差し置いて休む気にはなれなかった。
それに、と内心で思う。
ナッシュの様子は外傷こそ見受けられないが、何かがあったのは一目瞭然、疲労で倒れかねない様相だったのだ。休まずに待っていたのは正解であった。
「それにしても、まったく無茶しすぎですよ。はい、手を出してください」
桜花は右手を差し出す。
それを見てナッシュは一つ息を吐き、素直に従うことにした。
確かに無茶をしすぎた。
「……あー……恩に着る」
「お気になさらず」
ナッシュの差し出された手を取り、氣を流し込んだ。
戦意を持って氣を流せば、人体を内部からズタズタに出来る。
だが慈愛を持って流せば、それは人体を癒す効果を得る。
桜花の内包する膨大な氣を、優しさを持って流し込む。
よく見れば青白かった顔色が、徐々に血色がよくなる。
体の芯から蝕む疲労感が、湯につかった氷のように融けていき、枯渇しかけていた霊力が見る間に回復していく。
急速に回復する霊力の反動で、ナッシュは抗い難い眠気と気怠さが押し寄せた。
瞼が落ちる直前、優しい声が聞こえた。
「――お疲れさまでした。おやすみなさい」
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
ナッシュと、殺人鬼が入れられた袋。
この二つを悠々と持ち運んだ桜花は、寮の部屋に戻っていた。
そしてナッシュを自分のベッドに寝かし付けた後、袋から殺人鬼を引きずり出すと、生存確認をした。
少々外傷はあるが生かさず殺さず、ぎりぎりのところで生きていた。
この絶妙な匙加減。
ナッシュらしい見事な拷問術である。
放っておいても死にはしないだろうが、組織に引き渡す前にまかり間違って死なれても困るので、必要最低限の治療をして放置することにした。
そして寝ずの番をすること数時間。
ナッシュが起き、隣の部屋で休んでいたアデリナが起床し、アニーを起こし。
四人はアデリナの執務室に集まっていた。
ことのあらましを聞き終わったアデリナは「ふぅ」と短く息を吐いた。
「なるほどねえ。それにしても本当に初日でカタがつくとは……驚きを通り越して、呆れるしかないわ」
ナッシュは首を小さく振り否定した。
「いや、俺の忍術と相手のスキルが嚙み合っただけさ。運が良かった」
「組織が総力を挙げても捕まえられなかったのよ? 謙遜せず誇りなさい」
ナッシュはそれを聞いて肩をすくめるに留めた。
アデリナはそんな彼を見て苦笑し、次の話題を振る。
「で? 殺人鬼の姿がないけど、どこに監禁しているの」
「食糧庫の奥の方に。厳重に縛って倉庫にも封印術を施して、駄目押しに分身を見張りに立てている。万が一の抜かりもないよ」
「分身って、もう一人の自分を作り出す魔法……じゃない、忍術? とかいう力でしょう。本当に便利ねえ……じゃあ早速組織に連絡しましょう。何時までも汚物を店に置く趣味はないわ」
そこでナッシュは待ったをかけた。
「あー、それなんだが。数日だけでいい。引き渡しを待ってもらっていいか?」
アデリナの目が細められる。
あれだけ組織の顔にクソを塗りたくり世間を騒がせまくった重犯罪人だ。それを速やかに組織に渡さないのは反意と受け取られても仕方のない危険な行為だった。
「……何故?」
「あいつは踊らされただけで、その力を与えた【主犯】がいる。そいつの名は【バジエル】。決して表舞台には現れず、歴史の陰で残虐非道の限りを尽くす、闇の住人の中でも指折りの危険人物だ。ガロナを代表する大人たちとも因縁浅からぬ野郎で、今の今まで手掛かりすら掴めていなかったんだが……だが、ここにきて見つかった手掛かりが、あの殺人鬼だ」
そこで一旦区切り、アデリナを見つめた。
その目は、かつてないほどの真剣の色を帯びている。
「俺の尋問では大した情報は得られなかった。だが、ガロナにいる大人たちは違う。俺なんか比べ物にならないレベルで情報を抜き取る技術を持っている。バジエルの情報を得ることは、ガロナにとって総意でもある。このチャンス、是が非でも逃す訳にはいかない」
「――……」
そう断言され、アデリナは口を噤んだ。
暗黒街が調子に乗りまくって大都市ガロナの代表らを怒らした結果、組織が目も当てられない悲惨な目にあったのは、組織に所属していなくとも、アデリナの立場なら知る話だ。
本音ではさっさと組織に引き渡してケリをつけたいが、ホロノア大島の支配者たる大都市ガロナの代表の総意とまで言われると、例え暗黒街の住民であっても無視できるような話ではない。
少しだけ悩むが、逆らえる話ではないわね、と結論付けナッシュの言を受け入れた。
「分かったわ――」
了承の返事をしたところで――そこで異変に気付いた。
ナッシュも桜花も、緊迫の気配をまとい、とある一点を見詰める。
その目線の先は、特に口出す立場でもないが傍にいた方が安全だろう、と同席していたアニーがいて――
その顔が、夢遊病者のように虚ろな表情に豹変していた。
二人が動こうとした瞬間、その足元の影から声が響く。
『動いちゃダメだよ~。すでに我が術中にあり。下手に動いたr』
桜花は問答無用で、影に向かって右拳を振り上げた。
氣は戦意を持って人に接すれば害し、慈愛を持って人に接すれば癒す。
即ち、慈愛の氣は人に憑りついた邪念を打ち払う、破邪の術となる。
ただただ、アニーを守りたい――
肉体強化に繋がる内氣功も使わず、無意識化でもあっても常時発動させている【外氣功:羽衣包】も解除し、全身全霊をその一念に込め――
渾身の拳を振り下ろした。
体重580キロ。
例え肉体強化を抜きにしたとしても、素の体重による全力の拳は、店が揺れたかと錯覚させるほどの威力を見せた。
床の木材が轟音を立てて粉砕される。
今この瞬間に、今生の一撃を――アニーを守らねば武人に在らず!!
影からの声を聞いた瞬間、電光石火で下した判断だった。
その結果、右の拳は表皮がズタズタに破れ、へし折れた骨が表皮を突き抜ける、悲惨極まる状態だが一向に構わない。
声を聞いて理解した。
この男は、バジエルは生かして帰してはならない邪悪そのもの!
だが影の声の主バジエルを退けることは叶わなかった。
アニーは砕け散った床からひらりと移動しながら、影から漆黒の槍を出現させると桜花に向かって突き出した。
驚異的な動体視力で反応したが、肉体強化なしでは避け切れなかった。
左肩に深々と突き刺さり、骨にぶち当たる。
その一撃の威力は凄まじく、勢いのまま骨が砕かれる寸前――ナッシュの振るった忍刀が槍を切り裂き、辛うじて致命傷を防げた。
「桜花!」
「私は……無事です! アニーを!」
桜花の叫びを嘲笑うような行動にバジエルは出た。
あっという間に漆黒の触手がアニーを取り囲んだ。
その先端はナイフ状であった。
『痛いなぁ。でももう油断はしないからね?』
ゆらゆらと揺らめく触手。
瞬き一つあれば、アニーを殺害出来るだろう。
『ふっふっふ。今度こそ動かないでね? 僕の望みはたった一つ。君たちが天使の殺人鬼とか呼んでいる青年の身柄さ。こっちの要求はそれだけ。簡単でしょ? そいつをここまで連れてきてくれたら僕が勝手に回収する。そうしてくれたら、この子も無事に返すよ』
ナッシュは努めて平静に口を開く。
「……その言葉を信じて無事である保証がどこにある? 俺も以前言われたが、そういう根拠のない台詞は三流以下の詐欺師だそうだ。あと忠告もくれてやる。アニーを毛一本でも傷付けてみろ。殺人鬼の首を掻っ切って殺してやる」
『怖いねえ。でもそこは僕の言葉を信じてもらうしかないかなぁ。それとも人質がいるこの状況で打開する手段でもあるのかい?』
ナッシュの眉間の皺が深く刻まれたところで、
「ありますよ」
と冷静に桜花は言った。
『――ほう?』
「貴方は焦っている」
『おや、何を根拠に言って――』
「最初からアニーを盾に私たちを嬲り殺しにする心積もりだったのでしょう? だがそれを阻止され、あまつさえ、殺人鬼の確保すら難しい状況に陥っている」
『……だから何を根拠に言ってるんだい?』
「アニーを盾に殺せばいいじゃないですか」
『…………』
「どうせ私たちの会話は初めから筒抜けだったのでしょう? 殺人鬼のいる場所も知っている筈です。アニーを盾にとっとと私たちを殺して、悠々と殺人鬼を回収すればよろしい」
『――……』
「貴方は邪悪だ。その邪悪な存在が暴虐の限りを尽くせるこの状況で、人質の無事を謳って交渉など笑止千万。翻ってそれは私たちを殺し切る力が残されていない何よりの証左です」
『く、くふふふ。ふふふふ――』
バジエルは心から楽し気に笑い声を上げた。
『その通りだね。認めよう。僕にはもう君たちを殺し切る力は残っていない。さっきの一撃は、本当に、心底効いたよ。でもね――アニーを殺す程度ならまだ出来るよ? 恨みつらみしか買っていない殺人鬼を引き渡すだけで、誰からも愛される歌姫を助けられるチャンス……悪くない取引だと思うけどねぇ』
「ですから、殺人鬼を渡したら、嫌がらせでアニーを殺さない保証は? 先ほど言った通り貴方は邪悪だ。まるで息をするように容易く裏切り実行するでしょう」
『あのねぇ……ああ、もういいや。面倒臭くなった』
そこで一端言葉を切ったバジエルは、怖気のする声色で恫喝した。
『アニーの命運を握っているのは僕だよ。お前らが口答えする権利はない。今から5分以内にあのガキ連れて来い。1秒でも遅れたらアニーを殺す』
本気の殺意がこもったその台詞を、
「私も言いました。とっとと殺してみなさい」
と桜花は一顧だにしなかった。
「桜花っ!?」「ちょっと!」『は?』
「どうしました? 殺さないのですか? というかですね、アニーの命運を握っている? 何を勘違いしているのですか」
『……』
「この状況を打開する手段があるかと先ほど問われましたが、すでに対応済みです。あなたは既に詰んでいます」
「桜花……」
ナッシュとアデリナは真意を問うような目線を向けてくるが、絶対の自信を覗かせる目つきで黙らせた。
『ほう、すごい自信だね?』
「人様の命が掛かっています。伊達や酔狂では口にしません。さぁ試してみなさい」
『じゃ、遠慮なく』
何の躊躇いもなく鋭利な先端がアニーを襲い――
『いぎぃぃぃぃ!?』
バジエルは絶叫を上げた。
「殴られると分かっていれば例え痛くても歯を食いしばり耐えられるものです。ですが……覚悟もなくカウンターを食らうと大層痛いものでしょう?」
触手の先端は霧散し、それと同時に耐え難い激痛がバジエルを襲っていた。
『小娘ぇ! 何をしたっ!』
「簡単なことです。生命エネルギーたる氣は生命体に最も馴染み留まり易い。殴ったは良いが、あなたに防御されたと直感した私は、ありったけの氣をアニーに浴びせ体内に宿したのです」
『氣を……宿す』
「氣に込めた想いはアニーを守ること。今のアニーを呪い殺そうとする輩は、灼熱の火鉢で傷口をえぐられるのと大差ない呪詛が返ってくるでしょう。残念で仕方ないです。もう一回り氣を流す力量が私にあれば、貴方を殺せたものを」
『は、はは。はははははは! 素晴らしい! 氣とは素晴らしい力だね!』
その声色は感嘆と歓喜。
『興味深い! 異世界人の力は本当に興味深いよ!』
「お気に召しましたか?」
『ああ、最高だ!』
「ではこれに免じて引いてもらえます? 私はうんざりしていますので」
『あのガキは新呪術式に適応した貴重なモルモットだったから回収したかったんだけどねぇ。うん、でもなんかどうでも良くなった。今日は素晴らしき力を見せてくれた君の顔に免じて引き上げるとしよう』
「はいはい、それはどうも」
『つれないねぇ。ま、いっか、ははっ! ほら、受け取りなよ』
アニーの影が煮えたぎったコールタールのように泡立ち、その中から漆黒の球が生まれ、ふわりと宙に浮かんだ。
大きさは桜花の拳の半分ほどの大きさ。
怖気の走る漆黒の球体。
呪術の資質がない者でも分かるほど禍々しい瘴気に満ちていた。
『つくづく気持ち悪いガキだよねぇ。己の力の源たる核なのに、自分に宿らせず他者に憑かせるとか。ま、そのお陰でアニーを操れたんだけどねぇ――ともあれ。それを破壊すればその子に掛けられていた呪いは完全に消滅さ。あ、それと。それを破壊したらもう僕の追跡はできないからガロナの連中を呼ぶのは無駄足だよ? さっさと組織にガキを売ることをおススメするよ』
桜花はそれを聞き終えると、拳を振り上げ、躊躇わず下ろそうとして――
傷だらけの桜花にこれ以上拳を使わせまい、とナッシュが先んじて動いた。
霊力を込めた会心の忍刀。
ぴしっと乾いた音を立てて、漆黒の球体は真っ二つに裂け、床に転がる。
『ほぉ。その手応え。霊力じゃないか。呪術にも詳しいようだし、忍術と陰陽術は関連性がありそうだね?』
「ご明察。陰陽道から分派したのが忍者の始まりって伝承にある。まあ、口伝にのみ伝わる話だから真実かは知らんが」
『ふぅん。忍者か……分身とかいう面白い術を使ってたしねぇ。なるほど、君の力も興味深い――』
そこで桜花はうんざりした口調で言った。
「あの、さっさと消えてくれます? 核は破壊したのですから」
『え~。つれないこと言わないでよ。核が完璧に破壊されたのは僕の名に誓って間違いはないよ。ただ完全に消滅するまであと3分ほど保つからさ。それまでお喋り――』
床に転がっていた核の、片方を桜花が、もう片方をナッシュが踏み潰して、完全に粉砕した。
「いいから黙って消えてください」「いいから黙って消えろ」
奇しくも二人は同時に攻撃して、同じ台詞を吐いた。




