第四話
アニーに掛けられていた呪いは本人には実害がないことが判明した。
それは朗報だったのだが――それと同時に最悪の情報も判明していた。
呪いはナッシュにとって馴染み深い呪術、陰陽道であったのだが……
それとは似て非なる代物であった。
そこにごく僅かにだが、禍々しい違和感があったのだ。
この不快な違和感、その正体は恐らくこの世界の呪術なのだろうと予想がついた。
しかし普通に考えれば、これはありえないことであった。
人を呪わば穴二つ。
その言葉通り、呪術の類はとかくデリケートなのだ。
それを複合させるなど、狂気の沙汰、冥府魔道を裸で突っ走るイカレた行為に他ならない。だがナッシュには、邪道にこそ生き甲斐を見出す最悪の狂人魔法使いに心当たりがあった。
それこそが最悪の情報と言えた。
――この事件の裏には、あいつが確実に絡んでいるんだろうな……
そう内心で嘆息を吐きながら、ナッシュは仕込みを開始した。
アニーと離れると不愉快な視線は感じなくなったので、十中八九、目視範囲内しか覗けないと思われたが、万が一もある。
トイレの個室に入ったナッシュは、【忍具法:現身の術】によって分身体を顕現させると、分身を店主の準備室前に送り、本体は一通り店外と店内に仕掛けがないか調査する。
その結果、幸いにも監視はアニーの視認できる範囲だけと判明した。
広範囲に監視されると、謀の難易度は飛躍的上がるため、安堵の息を吐く。
そして改めて、本体は店の外で身を隠し、虎視眈々とその時を待った。
あの程度のことで殺意を放つ殺人鬼だ。若い男女が部屋で二人きりなど許容できる筈がない。上手くいけば今夜にでも、呪殺せんと牙をむく筈だ。
呪殺を発動させると、呪い殺す間、術者と対象者との間に禍々しい軌跡が発生する。
対象者が死ぬと消えてしまうが、その前に軌跡の元にたどり着ければ、そこには必ず術者がいる。
そして閉店間際、アデリナは手筈通りにアニーを引き留め雑談しながら『観劇のチケットがあるの。あげるわ』と言い、チケットの下に木札を隠してアニーに渡した。
その際にすぐさま計画の説明をしたのだが、驚いたのは一瞬だけ、アニーは大層な肝の据わった少女で取り乱すことなく快諾した。
そして計画通り、仕事終わりにナッシュと連れ立って寮に戻り、部屋に誘ったその早々のことだった。
漆黒の槍が現れ、禍々しい軌跡が発生した。
ナッシュはそれを追いかけ、内心で『頼むから持ってくれよ』と祈った。分身体が消える、つまり呪殺が成功すると軌跡は消滅してしまう。そうなる前に殺人鬼の元にたどり着かなければ骨折り損だ。
そうして市街地を全力で走り抜けること15分。
遠目に、禍々しい軌跡の終着点――二階建ての民家が見えた。
そしてそれを発見すると同時に、想像絶する痛みと霊力を根こそぎ奪われる感覚が襲い掛かってきた。
ナッシュは堪らずに膝をついた。
「ぐ、が、ぁぁ……!」
分身は呪術ではないが、それに限りなく近い性質を持つ術だ。
その分だけ強力だが、相応にリスクも内包する。
もし術を解除する前に分身体が死に至る損傷を受けると、その時に受けた痛みの全てが本体を襲い、損傷分の霊力を根こそぎ奪っていく。
絶叫を上げなかったのは、偏に忍としての矜持だった。
死ぬ寸前まで霊力が枯渇したが、手持ちの霊力丸と呼ばれる丸薬をあるだけ飲み込み、衰弱死だけは回避できた。
――くそ、分身体を殺られる前に引っ込めたかったが……アジトを見付けられたのだから、まぁ、いいだろう。
鉛を飲み込んだような疲労感を覚える体に鞭を打ち、民家に急いだ。
民家に着くと最大限警戒しながら裏手に回る。
どうやら結界の類はないようですんなり勝手口まで到着できた。そして鮮やかな手並みでピッキングを行い家の中に侵入する。
入った瞬間、ナッシュは眉根を寄せた。
――この臭い……死臭か……
それも普通の死臭ではない。水分を根こそぎ奪われた死体……ミイラの匂いだ。
1階を慎重に捜索した所、男性1体、女性1体、子供2体、中型犬1匹、合計5体のミイラが発見された。
発見自体は簡単だった。
リビングの中央付近に雑に置かれていたからだ。
隅々まで捜索した結果、これ以上の死者もいなかったが、生存者もいなかった。
ナッシュは1階の捜索を終わらせると、ゆっくりと2階に上る。
四つある部屋の内の一つ。
そこに生きている人の気配を感じ取った。
慎重にドアを開けると――そこには果たして。
倒れ伏した青年……殺人鬼がいた。
呪術とは総じて、呪いの発動に失敗したり、発動した呪いを跳ね返されたり、本命と間違って別人を呪い殺したりといったミスを犯そうものなら、呪いの強さに応じた呪詛が術者の元に必ず返ってくるリスクの高い魔法である。
しかもこれ以外にも、人を呪っておいて『間違っていた』『失敗した』など否定的な感情を持ってしまうと、ミスなく成功していようとも同様のように呪詛が返ってくる。
決まれば世界有数の強者であって簡単に呪い殺せる恐るべき力だが、失敗しようものなら必ず報いを受けるのが呪術である。
そしてその報いとは、術者の運命を『最悪な状況に陥る運命』に書き換えるというもの。
目を失うこともある。半身不随になることもある。ショック死することもある。最愛の人が突然死することもある――何が起こるかは本人の生き様と呪った強さ次第である。
そして眼前の青年に返ってきた呪詛は、五体満足だが体だけが動かなくなる運命であった。
古参組織に生け捕りを強く望まれているという事実を考えれば、それが如何に残酷な運命をたどることになるかは語るまでもないであろう。
だがそれも因果応報。
「……きったねぇ部屋だな」
と言いながらゴミを蹴散らかし部屋に押し入った。
殺人鬼の部屋はアニーにまつわるもので占められていて、軒並み禁書をくらう呪術関連の書籍は全く見当たらない。それどころか、魔術書自体が皆無であった。
どう見ても、魔法使いの部屋とは言い難い。
――何が!? 何が!? 何が!? 何が!? 何が!?
錯乱する殺人鬼を他所に、ナッシュはすぐ傍まで近付くと口を開く。
「ったく……自分で片付けられないならママにでも頼めよ――ってもう無理か。下の階にミイラが転がっていたが、お前、愛犬から始まり、両親兄弟に至るまで【贄】に捧げただろう? 救いようのない親不孝モンだよ、お前は。だがこれだけ強力な呪術だ。家族を犠牲にした程度で手に入る力じゃない。となると魔法とは縁がなさそうなお前如きが身につけれる力じゃない。だとするとお前――授かったんだろう、あの男から」
殺人鬼はぎくりと身震いし、思わず声が漏れた。
「何故それを――」
――こいつは知っている。俺のこの力の正体も、その出所も……!
「まぁ、とりあえず、だ。呪術を覚えた経緯を洗いざらい歌ってもらおうか。言っとくが、俺は敵対者には容赦しねえ。徹底的にやらせてもらう。それとな――」
ナッシュは震える殺人鬼の頭皮を掴み持ち上げ、恐怖の余りガチガチと奥歯を鳴らす相手に向かって言い放った。
「こうなった以上、お前に残された運命は二つだ。素直にゲロって組織に引き渡されるか、拷問されて無駄に痛い目にあって組織に引き渡されるか。まあ、俺の拷問なんざ序の口、本当に絶望するのは組織に引き渡されてからだが――諦めろ。それが呪いの力に頼ったマヌケの代償だ」
殺人鬼はそこで恐怖に耐えられず、意識を手放した。




