失われたものは戻らない
新世界暦2年1月5日 ロシア連邦 モスクワ クレムリン
「なかなか面倒そうな国だな」
苦虫を噛み潰したような表情で大統領は集められた報告に目を通す。
新大陸との間に突然国家が現れただけでも面倒なのに、どうもそこそこデカい上に、軍事力もかなりのもの、というのがここまでで判明していたからである。
「というか、海軍戦力は」
「我が国は完敗ですね。まぁ、交戦することになればシベリア方面の航空基地からは十分に航続圏内ですから、米機動部隊と対峙する想定の作戦が十分有効でしょう」
集計された敵戦力の数字を見ながら、大統領と国防大臣が話している。
「単純な航空機の性能だけならおそらく互角だろうという報告が上がってきています。一部設計にステルス性能を加味した様子や、我々の技術体系とは異なる仕様も見受けられるなど、昨年我々が新大陸で遭遇した勢力や、アメリカが交戦した勢力とは別次元の技術力を持っていると思われます」
「そのうえで正面戦力が冷戦期のアメリカ並とか、どんな悪夢だよ。連中の核戦力は?」
「今のところ不明ですが、昨年のアメリカの例を考えるに、持っている、と考えるほうが妥当かと」
今度は国防大臣が苦虫を噛み潰した顔で報告する。
「先制核攻撃も考慮すべきかね?」
「この国だけが相手ならありでしょうが、中国やアメリカ、特に中国の反応が気がかりです。今の状況では過剰に反応する可能性が高いです」
つくづくめんどくさいな、と大統領は溜息を吐いて、外の景色を見遣る。
気候面での変化が無いわけでもないが、シベリアなどに比べれば誤差みたいなものであるモスクワ市街は、この1年も国際情勢を感じぬ平穏なものであった。
まぁ、それは赤の広場に展開した近接防空SAMや郊外に展開しているロシア特有の超大型SAMに目を瞑れば、だが。
「今のところ我が国に損害は出ていませんから、様子見で良いのではないでしょうか」
「むしろ非友好的な相手なら中国にぶつけて互いに消耗してくれるとありがたいがな」
「そう上手くいけばいいのですが」
だいたいの場合、そういうのは向こうも気づくので規模が大きくなればなるほど漁夫の利というのは発生しにくくなるものである。
「情報収集を続けるのは勿論だが」
「中国方面や新大陸の警戒も怠らないように指示しておきます」
そう言うと国防大臣は退室していった。
代わって入ってきたのは対外情報庁の長官だった。
「大統領、中国が大規模な動員をかけているのはご存知かと思いますが」
「動員なんて去年からずっとかけてる」
「それとは別に新たな動員をかけています」
SVR長官のその報告に、一体どんだけ人的資源があるんだと大統領は呆れたように溜息を吐く。
人口が世界で1位か2位の国なのだから、質を気にしなければ動員をかけた場合、その人口1位を争っているインド以外は勝てないというのは分かりきった話である。
もっとも、政治体制の問題でインドは中国ほど無茶が利かないので、動員数では中国がぶっちぎりであろう。
「一部国内にある海外資本の接収にも踏み切ったようですので、なりふり構わず、といった趣ですね」
「そんなことすればアメリカの介入も招かないか?」
あまりにも無茶苦茶な情報に、大統領は思わず突っ込む。
「さすがにその辺は考えているようなので、海外資本の入っている工場の接収などの直接的な手段はまだとっていませんね。海外投資家が持つ中国企業の株式を無期限の売買停止にするという間接的な方法をとっています」
「それでもどうかと思うがね・・・」
未公開株ならともかく、上場していた株が突然売買停止になるとか悪夢以外の何物でもないが、中国は過去にも株価の下落を防ぐために「株を売却することを禁止する」なんていう斜め上の施策をとったことがあるので今更である。
「で、SVRとしてはどう見る」
「中国共産党がどれだけ報道管制を敷いたところで、巻き込まれた人数が多いですからね。限界はあるでしょうし、世論に押されて報復せざるを得ないでしょう」
まさかこっちのせいにして二正面にすることはないでしょう、とSVR長官は付け加える。
それを聞いた大統領は渋い顔をして唸っている。
「実際、相手の技術水準を同等と見積もった場合、中国は勝てるのか?」
「勝ち負けの定義によるでしょうが、あの物量ですから、負けは無いでしょう。ただここ10年程で急速に転換しているとはいえ、基本的に遠征型の編成ではありませんからね。勝ちも無いでしょう」
「そうやって互いに消耗してくれるとありがたいんだがな」
絶対、とばっちりがこっちにも来るんだろうな、と大統領はさらに渋い顔をする。
「新大陸との連絡に支障がでていますからね。すでにとばっちりみたいなものです」
SVR長官は肩を竦めて見せる。
「だが仮に中国が大規模な武力行使に及ぶならとばっちりは今の比ではあるまい」
「それはそうなんですが、あまりこの方面にばかり目を向けていると足元を掬われかねませんよ」
そう言ってSVR長官は、こっちが本題だと言わんばかりに、いくつかの衛星写真と報告書を大統領に示した。
「ウクライナが戒厳令を解きません。ドイツやフランスから大量の武器を購入したこともわかっています」
「向こうが正規軍をクリミアに投入すれば、こちらはドネツクから全土を蹂躙してやれば良いのだ」
クリミア半島、という名前ではあるものの、島が地続きになっただけでは?というくらいの接続部しかないのがクリミア半島である。
その狭い接続部を守ればいいし、仮にそこを抜かれても補給線の弱点として接続部が存在し続けるという守りやすい地形である。
対して、ウクライナ東側のドネツクは、その北に独ソ戦の激戦地であり、大規模な戦車戦で有名なハリコフやクルスクがあることからもわかるように、ロシアが得意とする大規模な機甲部隊による蹂躙に向いた地形である。
「蹂躙できるだけの戦力を集められればいいですが、新大陸に中国の牽制、新たに出現した不明勢力への備え、これ以上抽出できる戦力なんてありませんよ?」
しかも同盟国と呼べるのはインドだけだが、もともとインド自身は旧宗主国イギリスの影響も強い上に、アメリカとも関係を持っているという、本当に味方と言えるのか微妙な相手である。
どちらかというと、ビジネスパートナーとか業務提携相手と言ったほうがいい程度の関係かもしれない。
「頭が痛いが、ウクライナもそこまでバカではあるまい?」
「独仏の兵器を買っている資金の出どころも独仏ですから、バックに独仏がついていると見て間違いないでしょう。昨年行われた合同演習の後、独仏の派遣部隊がウクライナから撤収したとの情報もありませんし、可能性は排除すべきではないかと」
暗に独仏の支援を受けたウクライナがクリミアとドネツクで軍事的冒険を犯す可能性をSVR長官は指摘するが、大統領はわかったわかったと報告を軽く流す。
「それよりアメリカの動きは?」
「通信回線が限定的ですからね。機密度の高い情報は往来する外交官が運んでいる状況ですから、いまいち即時性に欠けます」
通信経路が限られる、ということはそれだけ傍受が容易だということである。
暗号化すればいい、という話だが、同じ暗号での通信量が増えれば増えるほど解読される危険性は上がるので、「傍受されない」というのが最大の防諜である。
ちなみに、情報機関が得た情報を送信するのに、なぜバレないようにする必要があるのか、と言う話だが、得ている情報から情報源を推測される恐れがあるので、得ている情報を相手に知られない、というのも立派な情報戦である。
「暗号技術の出遅れは痛いな」
「このあたりは中国とアメリカの独壇場ですからね・・・」
量子暗号分野では地味に日本企業の存在感も大きいのだが、近年の傾向を見れば例外的な分野だろう。
研究開発というのはどれだけヒトとカネを投入できるかがモノを言う世界である。
そこでいくと、とにかくこれまでの蓄積でヒトが集まるしカネもあるアメリカと、莫大な人口と急速に成長する経済にモノを言わせた中国が強い、というのは自明の理である。
過去の蓄積、と言う点では日本もバカにはできないものの、そもそもの規模で見劣りする上、失われた20年は科学技術大国の地位から転落させるには十分なインパクトであった。
「米中が海外公館と本国の通信に量子暗号を実用化しているという噂があったが」
「かつての地球において、米中が用途不明の衛星を持っていたことは事実ですが、実験衛星であって実用の量子暗号通信用衛星ではない、というのがSVRの見立てです」
まぁ、実用化されてたらそもそも傍受できないし、仮に傍受できても傍受が必ずバレる上に解読が困難であるので、別に気にする必要は無い、というある種の開き直りがSVR長官にはあるのだが。
実用化されてようがされてなかろうが、結局それに振り回されている時点でロシアの負けではある。
「とにかく今は状況に対処するしかあるまい。情報は逐一上げてこい」
「わかりました。各方面でめぼしい情報があれば報告します」
けどお前、ウクライナ・欧州方面の情報軽視するじゃん、と思いながらSVR長官は退室したのだった。
次も1週間以内に




