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氷の魔導士


グリーンケイブを出た頃には、すでに日が傾き始めていた。


「……疲れた。」


カイルは大きく息を吐いた。


初めてのダンジョン。


初めての実戦。


そして――初めての殺し。


魔物とはいえ、生き物を自分の手で倒した。


その感覚が、まだ手のひらに残っている。


「何をぼーっとしてやがる」


隣を歩くダレンが言った。


「帰ったら飯だぞ」


「……飯?」


「ああ。腹減ってるだろ」


「……めちゃくちゃ減ってます」


「だろうな」


ダレンは笑った。


「お前、今日だけで新人十人分くらい動いてたからな」


「そんなに?」


「自覚ないのかよ……」


ダレンは呆れたようにカイルを見る。


その視線に、ほんの少しだけ違和感が混じっていた。


――おかしい。


ダレンは今日、何度もそう思っていた。


カイルの身体能力。


反応速度。


そして、あのレッドオーガとの戦い。


もちろん、最後に倒したのは自分だ。


だが。


あの一瞬。


カイルが見せた動き。


「……なあ、カイル」


「はい?」


「お前、本当にスキル持ってないんだよな?」


その言葉に、カイルの足が止まる。


「……はい」


「十八年間、一度も?」


「一度も」


「ステータス鑑定でも?」


「何回やっても『スキル無し』です」


「そうか……」


ダレンは顎に手を当てた。


「じゃあ、さっきのは何だったんだ?」


「……え?」


「レッドオーガの攻撃を受け流しただろ」


カイルは黙った。


脳裏に浮かぶ。


――パリィ。


あの文字。


そして、世界が止まったような感覚。


(……言えない。)


あれが何なのか。


カイル自身にも分からない。


「たまたま……ですかね?」


「たまたまで、あんな動きができるなら英雄は全員失業だな」


「……すみません」


「なんで謝るんだよ」


ダレンは笑った。


「まあいい。話したくないなら無理に聞かねぇ」


その言葉に、カイルは少し驚いた。


「ありがとうございます」


「ただし」


ダレンが人差し指を立てる。


「もし何か変なことが起きたら、俺に言え」


「変なこと?」


「ああ」


「スキルが突然発現したとか」


「身体に異常が出たとか」


「変な声が聞こえるとか」


「……」


カイルの表情が固まる。


ダレンの眉が動いた。


「……おい」


「……何でもないです」


「今の間は何だ?」


「何でもないです」


「お前、嘘下手すぎないか?」


「……」


「まあいい」


ダレンはため息をついた。


「帰るぞ」


「はい」


二人は王都へ向かって歩き始めた。


その背後。


グリーンケイブの入口に、一羽の黒い鳥が止まっていた。


赤い瞳が、二人を見つめている。


そして――


「……グル」


小さく鳴くと、空へ飛び立った。



王都アルディア。


冒険者ギルド。


「おかえりなさい!」


受付嬢が二人を迎える。


「ダレンさん。今日は新人さんを連れて行ったんですよね?」


「ああ」


「カイル君も無事でよかったです」


「……はい」


カイルは頭を下げる。


その瞬間だった。


「――ちょっと待って」


凛とした声。


ギルド内の空気が変わった。


カイルが振り返る。


そこにいたのは、一人の少女――いや、女性だった。


年齢は二十歳前後。


長い銀白色の髪。


透き通るような青い瞳。


白と青を基調としたローブ。


腰には細身の杖。


そして――胸元に輝く銀色の英雄章。


英雄序列――第六十七位。


ソフィア・ルーメル。


異名。


『氷華』。


王都でも有名な魔導士だった。


「ダレン」


「なんだ?」


「その子」


ソフィアがカイルを見る。


「誰?」


「カイル・ウォーカー」


「……」


ソフィアの目が細くなる。


「カイル・ウォーカー?」


「剣聖マリス・ウォーカーの弟だ」


「……ああ」


ソフィアの表情が少し変わった。


「あなたが」


「はい」


カイルは頭を下げる。


「初めまして」


「……」


ソフィアは黙ったまま、カイルを見つめている。


「何か?」


「あなた」


「はい?」


「スキルは?」


カイルの顔が曇る。


「……ありません」


「本当に?」


「はい」


「十八年間?」


「そうです」


「……」


ソフィアは不思議そうに首を傾げた。


そして。


「変なの」


「……え?」


「あなたから、妙な魔力を感じる」


カイルの心臓が跳ねた。


「魔力……?」


「うん」


ソフィアが一歩近づく。


「普通の人間とは違う」


「でもスキル無しなんでしょ?」


「……はい」


「だったら、なおさら変」


ソフィアはカイルの目をじっと見た。


「あなた、本当に何者?」


「……」


答えられない。


自分でも分からないからだ。


「ソフィア」


ダレンが口を挟む。


「その辺にしとけ」


「でも――」


「カイルは今日初めてダンジョンに入ったんだ」


「……初めて?」


ソフィアの目が大きくなる。


「じゃあ、あの動きは……」


「お前も見たのか?」


「違う」


ソフィアは首を横に振った。


「ギルドの魔導具に記録されてた」


「……なるほど」


グリーンケイブでは、内部の魔力反応を記録する魔導具が設置されている。


ソフィアはその記録を見ていたのだ。


「レッドオーガの攻撃」


「あなた、避けたでしょう?」


「……はい」


「普通の人間には無理」


「……」


「ましてやスキル無しなんて」


ソフィアの瞳が、少しだけ鋭くなる。


「絶対におかしい」


カイルは黙っていた。


しかし。


その時。


「カイル!」


聞き慣れた声。


「姉さん?」


ギルドの入口。


そこにマリスが立っていた。


「おかえり!」


その瞬間。


カイルの表情が一気に緩む。


「姉さん!」


駆け寄るカイル。


「無事だった?」


「うん」


「怪我は?」


「ちょっとだけ」


「どこ?」


「もう治ったから」


「見せて」


「大丈夫だって」


「カイル」


「……はい」


マリスが頬を膨らませる。


「お姉ちゃんに心配かけない」


「ごめん」


「よろしい」


マリスは笑う。


その光景を見ていたソフィアは――


「……」


固まっていた。


「……ダレン」


「ん?」


「これが?」


「何が?」


「剣聖マリス・ウォーカー?」


「そうだ」


「……」


ソフィアの視線がマリスへ向く。


人類最強候補。


剣聖。


英雄たちの頂点に立つ存在。


その人物が――


「弟の前だと……」


マリスはカイルの頭を撫でている。


「頑張ったね」


「……子供扱いしないでよ」


「だってカイルだもん」


「十八歳だよ?」


「お姉ちゃんから見ればまだ子供」


「……」


「可愛い」


「姉さん」


「可愛い可愛い」


「……やめて」


カイルの顔が赤くなる。


ソフィアは呆然とした。


「……別人じゃない」


ダレンが笑う。


「家じゃいつもあんな感じだ」


「信じられない……」


その時。


マリスがソフィアに気付いた。


「あら?」


「こんにちは、マリスさん」


ソフィアが頭を下げる。


「ソフィアちゃん!」


マリスの顔が明るくなる。


「久しぶり!」


「お久しぶりです」


「また魔導研究してたの?」


「はい」


「相変わらず真面目ね」


「マリスさんこそ」


「私は適当よ?」


「どこがですか……」


ソフィアが苦笑する。


カイルは二人を見ていた。


「姉さん、知り合い?」


「うん」


マリスがソフィアの肩に手を置く。


「ソフィアちゃんはね、すごい魔導士なんだよ」


「やめてください」


「英雄序列第六十七位!」


「言わないでください」


「王都魔導学院主席!」


「本当にやめてください」


「氷魔法の天才!」


「マリスさん!」


ソフィアの顔が赤くなる。


「……姉さん」


「何?」


「ソフィアさん困ってるよ」


「ふふっ」


マリスが笑う。


その姿を見ながら、カイルも自然に笑っていた。


ソフィアはそんな二人を静かに見つめる。


(……仲がいいんだ。)


その時だった。


「カイル」


「ん?」


ソフィアが真剣な顔になる。


「あなた」


「はい?」


「明日、時間ある?」


「明日?」


「私とダンジョンに行かない?」


「……え?」


カイルが固まる。


マリスの笑顔も止まった。


「ソフィアちゃん?」


「少し興味があるんです」


「何に?」


「カイルに」


「……」


マリスの目が細くなる。


「……どういう意味?」


「魔力の流れが普通じゃないんです」


「カイルの?」


「はい」


ソフィアはカイルを見る。


「だから確認したい」


「何を?」


「あなたが本当に――」


ソフィアの青い瞳が、カイルを射抜く。


「無能なのか。」


「……」


その言葉に。


カイルの胸が少しだけ痛んだ。


何度も言われてきた言葉。


十八年間。


何千回。


何万回。


それでも。


今日は少し違った。


「……分かりました」


カイルは答えた。


「行きます」


「カイル?」


マリスが心配そうに見る。


「大丈夫だよ、姉さん」


「でも……」


「俺も知りたい」


自分の中で何が起きているのか。


あの黒い画面。


パリィ。


狩る者。


スキル100%獲得。


そして――


自分が何者なのか。


「だから、行ってみたい」


マリスはしばらくカイルを見つめていた。


やがて。


「……分かった」


優しく笑う。


「でも無理はしないこと」


「うん」


「危なくなったら逃げること」


「分かってる」


「ソフィアちゃん」


「はい」


「カイルをお願いね」


「もちろんです」


マリスは最後にカイルの頭を撫でた。


「いってらっしゃい」


「……行ってきます」


その瞬間。


カイルは気付かなかった。


マリスの笑顔の奥に――


ほんの僅かな不安が浮かんでいたことに。



その夜。


カイルは一人、自室にいた。


ベッドに寝転がりながら、右手を見つめる。


「……ステータス」


小さく呟く。


すると。


視界に青白い画面が現れた。



《STATUS》


名前:カイル・ウォーカー


年齢:18


種族:人族


レベル:4


筋力:D


体力:D


敏捷:C


魔力:E


運:――


スキル:


《パリィ》Lv.MAX

《狩る者》Lv.MAX

《怪力》Lv.MAX

《スキル100%獲得》Lv.MAX


EXスキル:


《運命の蒐集者》Lv.MAX



カイルは目を疑った。


「……運?」


そこだけ。


何故か表示がない。


「なんだこれ……」


もう一度見る。


やはり同じ。


そして、その下。


見慣れない文字が一つだけ追加されていた。



《???》


???



「……?」


触れようとした瞬間。


画面が消える。


「なんだったんだ……」


カイルは首を傾げた。


その時。


窓の外から――


カァ。


カラスの鳴き声が聞こえた。


カイルは窓を開ける。


だが、そこには何もいない。


「……気のせいか」


窓を閉める。


カイルはまだ知らない。


自分のステータスに存在する**「運」**という空欄が。


後に世界の常識をひっくり返すほどの意味を持つことを。


そして。


明日向かうダンジョンが――


本来なら絶対に遭遇するはずのない存在によって、すでに侵食されていることを。


王都から遠く離れた森。


黒い影が一つ。


地面に膝をついていた。


「報告します」


「カイル・ウォーカー」


「確かに覚醒しました」


その前に立つ巨大な魔人が、口元を歪める。


「……そうか」


「ならば――」


赤い瞳が、王都を睨む。


「喰らいに行くか。」


静かに、しかし確実に。


魔人との戦いが始まろうとしていた。



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