第8話
斎王とは、伊勢の伊勢神宮に奉仕する天皇の未婚の内親王または女王のことだ。
戦勝祈願に娘を仕えさせると祈ってから、斎王は帝の代わりに伊勢の大神に仕える習わしになった。年三度の儀式の時に伊勢神宮に出る以外は、斎宮寮で暮らし、精進潔斎し、神に仕える日々を送る。
真っ暗な夜の海。松明の明かりだけが赤々と海原を照らす。
瀟洒な船があり、ぶるぶる震える侍女や女房、頓宮にいる神官、挨拶に来た国司等に囲まれた中に、微子女王が載っている。御年17歳。
きゃああ、ぐああああとか言う外の声を聞いて、先ほどから必死で上の手で押さえていた。手がぶるぶると震える。
(な、何があった?)
「あ、あああ、大変です。姫様」
血まみれの女房が、御簾を開けて入って来た。任を終えたとはいえ、まだ帰還の途中だ。斎王の身は穢れはつけられぬ。それを承知で入って来て、それも血まみれで、訴えるというのはただ事ではないこと。微子は長い裳裾を引きずりながら、外へ出た。
「鬼・・・鬼が襲ってきて。小野殿たちが追い払いましたが、小野殿がどこかに消えてしまって。鬼が集まって、船に乗って来て、まるで蟻にたかられて。そんな舟が前を塞いでいて、通れません。警護に駆り出された、たくさんの摂津の護衛がいて、姫様を守っておりますが、このままでは前にも後ろにも行けません。行くのなら、摂津の傭兵どもをどかさねばなりません。ですが、この暗闇で誰が誰か分からぬのです。突撃して切り開けば何とかと、蔵人共は申しています。姫様を生かすために、どうか兵士たちは命じて下さいと言っています」
「な、何です、私に、自分の命か、民の命かを選べと言うのですか?」
微子は暗い河面を見て、怖ろしさにすくむ身のから声を絞り出した。
「だって、妖魔の襲来で難儀して、つくはずの港へつけず、暗闇の川面の上で止まったままで。そこへ大勢の妖魔が襲って来たのです」
暗闇に目を凝らすと、松明の明かりがあかあかと燃えていた。
兵士の松明か、妖魔の目の玉か、辺り一面が火が燃え、踊るように入り乱れている。さらに、わあわあ、ガチガチと剣戟の音がしている。
「前へ行くにしても、後ろに行くにしても、村人の警護の壁を突破するしかありません」
「摂津の民を犠牲にしろと?そんなことをするわけない、できるわけがない」
「妖魔の数が多すぎて無理です。姫様、逃げましょう。周りの人たちが捕まっている間に、はやく」
一瞬の間に、事情を解した微子は、周りの者に落ち着くよう、静かな声で言った。
「民を犠牲にして、逃げるなどせぬ。このまま、私らが盾となり、敵を止めるのです。敵を止めるのは私たちです。民を守るために、私達が後ろから支援するのです」
「姫様、そんなことを言ってはなりません。それではこちらに鬼が来ます。兵士たちが戦っている間に、私たちだけでも逃げるのです。それならば、私たちは助かるでしょう。私達らは別のほうから、逃げましょう。京はもう、すぐそこです」
8歳と子供の頃に斎王に立てられ、3年の精進潔斎ののち、伊勢宮へと群行した。
群行の儀は朱雀天皇が物忌中のため、外祖父の藤原忠平が執り行い、また群行の長奉送使(斎宮を伊勢まで送り届ける者)として伯父の中納言・藤原師輔が同行した。
醍醐天皇の皇子の娘であり、母は藤原忠平の娘で、群行には、祖父忠平も付き添い、葱華輦に乗り、送られた。
(すべては帝のため)
斎王の役目は、帝に変わって伊勢の神に仕えるためだ。
(つまりは、民のために尽くす)
現人神で有られる帝は、神事を行い日ノ本を守っている。日ノ本が毎年滞りなく四季を送るのも、毎年豊作なのも、皆、帝が神事を通じて、神に祈りを捧げ、荒ぶる神を静めたからだ。すべては瑞穂の国の民のためなのだ。ならば、微子の行き着く先も、民。民のためだ。
斎王としても勤めに励んだ。毎日、祈りや儀式やすることがあり、何もしらない子供には厳しい勤めだった。だが子供心に自分は必要なことをしていると分かっていた。故郷から遠く離れた地にある偉大な神宮の地にいたら分かる。
すべては民のために、捧げられたのだ。自分の命、最後まで差し出すことは、何も怖くない。
「前へ進みなさい。妖魔の狙いは私。私を妖魔に差し出すのです。逃がすのは民なのです。妖魔はそれで、引きましょう。その隙に、お前たちは逃げなさい、村人を連れて、私が引きつける間にはやく、民たちを逃がすのです」
「姫様。そんなああ。姫様が犠牲になるなんて。幼き頃より伊勢へ出立されようやく、ここまで来て、やっと自由が来るのに」
女房と乳母だ。長年尽くした微子のために、泣き崩れた。京を離れ、伊勢へと付き添ってくれた者たちだ。伊勢でも苦楽を共にし、神への奉仕を行って来た。共存体として連帯している。
「待ってーくださいー」
「待つことはなりませ・・・ん?な。何かしら?」
妙な声が聞こえた。空耳かと思ったら、後方から船乗りが一人と漕ぎ手が一人という、漁師の船かと思うような小さい船が近づいて来ている。
「お、お前、何者だ?近づくな。どうやって来た」
お役目大事の女房と乳母が、微子の前で立ちふさがった。
「ああ、私?形代を乗せた船を背後には流しましたので、妖魔は間違って追いかけました」
「な、なんだ、お前。なぜお前がそんなことをしている」
「昔、荷を運搬していた父からの伝授なのです。妖魔はニセの人形でも分からないから、海で怨霊や妖魔に出会ったら、形代を載せて、逃げろと。やったことなかったけど、案外うまく行ったあ。あ、何でもない、こちらのことで。
前のほうは、地元のおじさんらが協力してくれています。形代を流しながら、姫様を京へ届けます」
「しかし、前は進みづらい。地元の者たちが犠牲に」
「ああ、大丈夫です。航海には慣れた漁師や船乗りたちですから、形代を流しながら、船に乗り移って逃げるので大丈夫です。何より、帝の御ためにおつとめになった斎王のために尽くすことを、望んでいます」
「な、しかし・・・お前を信じてよいのか。お前こそ、鬼でないか、何者だ」
「あ、ああ、言い忘れていました。私、市場で商売をやっている商売人です。このあたりのことは良く知っています。多くの民たちは、このあたりで田畑を耕している農家、漁師たちです。もっぱら物々交換で生活しており、ようは、民間で、ものをいうのも証明するのも、銭です。砂金をたんまり渡しましたから、皆、やる気になって、助けに来てくれました。漁師さんも素人。稼げる時間はあまりありません。さ、私について来てください。逃げましょう」
無駄に明るい若者は、男装しているが、声の高さから、女子だろう。女子にしたら、船を漕ぐのはあまりに慣れた手つきで、漁師かと思うほどだ。おとりにという船に少年を載せて、少女は気楽なまま、斎王が乗った船を漕ぎだした。
「お、おい、お前、見たところ、小娘のように見えるが、この妖魔と怨霊退治の真ん中で、よく正気で、安穏と仕事してられるものだな」
回りはきゃああとか、ぐあああとか、妖魔に兵らが食われて、血しぶきが飛び、悲鳴と妖魔の阿鼻叫喚だ。姫様も女たちも悲鳴を上げ、目を覆うような光景だ。古株の女房が疑問に思うのも無理はない。
「ああ、私?これよりもっと怖い義母親子に食いものにされ、身体削られてヤキゴテされて、死にかけるまで追い込まれましたから、意外と平気です」
「そ、そうなのか」
久子も自分で言って驚きだが、幽明境を越えた生き方をしてしまったからだろうか。どうも、バケモノにも耐性がついたみたいだ。それどころではない、というか。それより、忙しい。やることを先にこなさないと死ぬ。そういう状況で、悩んだり、鬼を怖れたりする間もない。
だが、確かに、怖い、久子も心の中では悲鳴を上げている。妖魔が人を食らい、頭が消えたり、血が飛んで兵が倒れていくのだ。怖い。だが、腰を抜かしている暇はない。貧乏暇なしというが、貧乏とは、そこまで暇もないわけだ。妙な納得が久子もいっていた。何か妙な分泌物が体中に出ているようだ。
前は次々、おとりを出す漁師船が現れて、形代の札を張った船を流し、妖魔は群れをなして、その船を追いかけていった。漁師のおじさんらも、後払いの高額な金の妄想で、怖れる暇もなしの同類のようだ。
微子はがたがたと震えながら、万一何かあってはと、少女の後姿を見ていた。いやに船の操縦がうまく、頼りなげな若い少女なのに、あっという間に山城の国の入口まで着いてしまった。
警護や付き添いの国司などまでもが辿り着き、安堵にぜいぜいと呼吸している。
「よくやった。お前の働き、関白忠平様もお喜びだぞ」
久子の前に何者かが現れた。若い男性だ。
「私は藤原帥輔。忠平の次男だ。話はあとだ。敵が追いつく前にここを立たないと」
久子は呆気に取られた。まさか・・・
(忠平様?帥輔?朝廷の最高峰?)
「お前は・・・?私をつけて来て、助けて、何が欲しい?」
岸に着いて人が大勢集まっていた。微子も助けてくれた若者に改めて、礼を言う。
「ああ、私ですか?私、理由あって、ご主人様の任務が失敗に終わったら困るので、手助けしているのです。ご主人様が無事なら、私はそれで、いいのです。これからの駅道もまだあります。別のう回路を知っていますから、そちらから京へ入りましょう。行きましょう」
「お前はなぜ、若いのに。それだけ知っている」
「私、貧乏で働くうちに、あらゆる仕事をしたので」
若いが、きっぱり言う久子には、安定感があった。斎王はなんだか、この若い娘を心から信頼しかけた。
「しかし、この先は真っ暗闇です。もう日が暮れて」
微子を守るお役目熱心な女がぶるぶる震えて言った。無理もない。夜には人の住む場以外は、明かりもなく真っ暗闇だ。だが・・・意外に明るい。夜の暗さとは違う。
「ここに来るまで、道々、部下に松明を置かせてきたんだ。危険だから、部下らは逃げるよう言ったから、妖魔らが来て、倒されてるかもしれない。明るいうちに、はやく」
後ろから、帥輔という人が、久子らに言った。
「お嬢ちゃん、私と居残るかい?でも、私について来るなら、鬼どもに食われるのを覚悟しなきゃ」
「や・・・あの」
この男、女たらしだな、と思った。微子の若い女房など、この戦場と怖さで、修羅場を共に潜り抜ける効果がかかっていて、共に死ぬわとまでうっとり眼だ。
「行け。道に明かりを置いて来た」
そこへ、夜盗の統領のような貫録と肉付きの良い男が現れた。
「道に、明かりを?兄上、どういうことです?」
帥輔は慣れた口調で聞き返す。兄とは、今の藤原家の二番手、長男の実頼だろう。
「お前の明かりでは見えぬ。私が火をつけた。道々、明るくなろう」
「この明るさは兄上が森に火を?」
「お前のやることは小さい。大丈夫だ。村へ火事は起こさない」
森に火・・・?このあたりは、集落の森で、薪や木材を取る。そのため、木材はあるが、森自体が延焼してしまうだろう。
(・・・この人が実頼?)
弟は小さい火。兄は大きい火を使う。着実かもしれない。が、実頼のその考えに久子は不安感を感じた。
だが、火急の時。考えている暇はなかった。微子が久子の手を握りしめた。この先の怖ろしさを感じ取り、久子にしがみ付いている。
「この先、本当に辿り着くのか?」
「辿り着きます。辿り着かせますとも」
「お前の名は?」
「別に名乗るほどの者でもありません」
「お前ほどの機転のある者、見たことがない。ぜひ、教えてくれ」
「久子。長谷川久子と申します」
「お前に礼をせねばな」
「まだ、これから先、行きませんと分かりません」
「ええ。斎王の任務は帰るまである。行きましょう」
焼き印を押された腕を微子は見ないふりをしてくれた。
久子は間近で顔を見て、あまりの美しさに驚いた。さきほど、壮絶な戦場で、犠牲になろうとした献身そのまま現れたかのような尊さ、女らしい美しさが感じられた。
微子女王。斎王を勤めて斎宮女御と称された、いずれ、村上天皇へ嫁ぎ、皇后となる人であった。




