第9話
悪鬼が無数に暗闇から現れ、人を襲う。
巨大な鬼や、鱗で覆われた妖怪、奇々怪々の姿をした悪鬼たちの無数の群れだ。夜闇を味方にして、闇から現れた。
現世とのつながりに亀裂が開いて、濁流のように漏れ出て入って来ている。
悪鬼たちの無数の群れは、血に飢え、常に見たものを捕食しようとする。特に人は大好物だ。
武士たちは追い詰められ、逃げ惑う。足元が弱った兵士ら、逃げる兵士らへにも容赦ない。
ある者は抗戦し、ある者は集まって防御壁を作って戦うが、一人食われ、二人食われ、いつしか散り散りになり、戦う者は疲労を極めた。
逃げ惑う者は、妖魔たちに狙われて一気に捕食される。
涼影は皇室から受け継いだ白い剣を使って、鬼を切り払った。白刃を受けた鬼はしゅしゅうと消滅していく。悪霊を切る力に優れた霊気を宿した剣だ。
涼影の宿敵、阿修羅丸も切れば、こうして煙となり消えて、二度と復活しないだろう。
もと人間であった者が鬼として復活し、もう人間であるのか、鬼であるのか分からない存在だ。
涼影との因縁が出来た事件を、いつも涼影は思い出す。一日とて忘れる日はない。あの事件は。おそらく阿修羅丸も。
妖魔が日ノ本を覆うほど襲ってきて、京も火の手が上がった。
「仲保殿、では、後方は任せてよろしいな?」
「は、住民らは必ず、助けに行きます」
橘仲保は近衛府の衛士であり、源涼影の腹心だった。
涼影が北海(日本海のこと)の沖で戦っている間、京を守るのは、仲保の責任だ。
町が妖魔に襲われて、火の手が上がった。町の人には妖魔というのは内緒だ。パニックにならせてはいけない。だから、火事ということで、避難経路を誘導し、声をかけた。とたん、大勢が自宅から逃げ出した。
陰陽師賀茂忠行親子、涼影らが、京丹後を越えた由良の浜の湊に集結した妖魔の撃退に行って、京の警護は、中保ら朝廷の役人らが預かる。自然な流れだった。腹心の部下に都が任せられたのだ。
残った部下たちは、帝の御身のため、町の人々のために何とか一人でも多く救わねばならなかった。
「ああ、どうして、出られないの?お役人様、どうして、閉じ込めれてるの?」
大勢逃げたと思ったが、行き場を失った人らが逃げ惑って、また戻って来る。(おかしい。何が起こっているのだ?)
その後火の手が上がり。町屋敷から逃げる人びとを逃がすにも、結界が張られていると訴えた。仲保も調べてみると、出られない、と気づいた。
「出してくれ。町人を救出して来た。火の手が回って来ている。なぜ、閉じ込める」
ようやく、保安は障壁で囲まれた一帯で、建物の隙間から、朝廷の衛士の姿を見つけて叫んだ。
「実頼様、なぜ、開けてくれない」
「悪いが・・・帝のため、開けるわけにはいかぬ」
当時は大納言藤原実頼。忠平の長男として、朝廷第二位。いずれ、忠平のあとを継いで、藤原長者となり、父とおなじく左大臣、関白まで、朝廷に上りつめる男だった。
「私の母が・・・家族がいるんだぞ」
「すまぬ。私の力ではどうしようもない」
藤原氏の息子実頼は、逃げ去る前に、保安を振り返った。
まるで血の通わぬ人形の目。それで、保安は完全に疑いが確信に変わった。 撤退は帝が先にしたはずだ。だから、後方を任せるなど置いて行かれるはずはない。だが、多くの荷物を運ぶ藤原実頼の家が逃げる用意をするためなら、時間稼ぎにはなった。まさか、まさか・・・・実頼の財産を運ぶために、民間が妖魔の囮になったというのか。
まさか・・・それはいくら何でも、立場を利用し過ぎだ。だが、藤原氏はいくらでも、このようなことはして来なかったか。先の右大臣の追放、数々の政変での政権占領。そのたびに、多くが責めを受け、死んだりした者が出た。
「実頼ー!」
背後から火と妖魔とに追い立てられ、保安の体を炎が包んだ。
炎が閉じ込められた妖魔たちを打擲し、一気に呑み込んで、全て一色に塗り食った赤い火は瞬く間に消えた。すべては灰となった。失うのは一瞬だった。赤々と燃える業火が身を焼いた。大勢が妖魔と共に。
黒い灰塵と化した後だった。真っ黒い地面、焼け崩れた建物だけが残った。黒い煤けた死骸、灰燼とかした妖魔の体から上がる黒い煙。辺りは焼けた匂いが充満した。飛ぶ虫も瞬時に消えるほど熱気が止まらず、凄惨さを増した。
地獄から保安は蘇った。
「だからもう、二度と、あいつを殺させない」
「あれで妖魔は止まった」
一見はひ弱な少年で、すぐにでも倒れそうな青い肌をし、女のような細い輪郭、体つきだ。けれど、いったん動き出すと、俊敏、猛々しい武者だ。目はランランと野生の獣のような獰猛さを醸し、呪を唱えると、百戦錬磨の武将並みで、敵を一瞬で千々に散らせてしまう。
法印を結ぶと、怨霊、妖魔、幽鬼でも、何でも手下にする。従った敵は、仲間の敵たちへ踊りかかり、共食いする。
実際の戦いには弱いかと思いきや、そこらの精鋭より身軽で、敵の攻撃を何なく受け流し、瞬時に攻撃して敵を滅する。その破壊力と瞬発力はひとかどの将軍より高く、兵士たちの千人力の力がある。鍛え上げられた軍隊が小さく見えるほどだ。
虫も殺さぬ大人しさの一面もありながら、近づく者には非情に冷酷な容赦無さを醸し出す。と共に、静謐な面持ちと無邪気な少年の清々しさも持ち合わせている
普段は沈黙が多く、滅多に喋らず、喋ったかと思うと饒舌で感情豊かにもなる。
心はここにあらずで、遠い世界のどこかに心を置いて、会話も声も心なしか空々しく、しかし、見れば感情豊かな味気も出している時もある。
冗談を言う時は魅力的でもありながら、同時に強面の神経質そうな目をしている。
「晴明。あいつをまた殺すというのなら、お前を私が刺し殺す!」
「何だ、おーこわ。さっそくまた、来てキレた。いつでも、我がまま三昧なのか、ワカサマは」
「お前に言われたくない」
宗明は鬼と化している。
鬼の身を帝から移した生身は人間だ。普段は鬼を封印し、帝の身を守っているが、戦いに出て鬼の力を使うと、鬼と同化してしまう。
頭から角が生え、目がつり上がり、黄色い目になり、爪は黒く伸び、肩の肉、腕の肉が盛り上がる。腕を回すと岩をももぎ取り、振るう剣は、地面をも切り裂き、怒りまくると建物を何棟でも吹き飛ばす。
今まさに、涼影は一棟の貴族の屋敷を吹き飛ばしてしまった。
が、晴明はいとも感嘆に飛び回り、何のことなく、高い檜皮葺の屋根の上まで上がる。
「一瞬の手違いで、間違いがあったことはもう、謝った。だが、あの時ああしなければ、帝もろとも殲滅していたから、仕方なかったんだって、もう何度も言っただろ?。戦乱の場では何が起こっても不思議ではない。いつまで言ってる?いい加減、忘れろ。戦場に来て、妖魔を襲わず、俺を襲うな」
「お前がまた、妖魔極滅を使うというから、聞き捨てならぬと言った。あれをまた、あいつに使うことは絶対に許さぬぞ」
「はーん、そう言うことか。そういう事だろうと思った。そう言う事だろうと、阿修羅丸が地獄の獄卒を率いて来ちゃったら、修羅滅殺の妖魔極滅使うしか、仕方ないもんねー」
「お前」
「あーらら、嫌だねえ。どうして、そんなに怒るのさ。怨霊退治に精を出すのが陰陽師の仕事。それを止められたら、仕事上がったりさ。帝にも、忠平大臣にも、ああ、太政大臣になったんだっけ?申し訳ない、法外な禄をもらってるのに、これだけしかお前、働いてないのかって。まあ、ダメ元で、俺を説得してみたら?少々、聞いてやる、邪魔なんで」
「お前が妖魔大戦で、京の町を封鎖して、最後の必殺一撃の技をかけた時、大勢の民人がいたのだ。その中に、保安の母もいた。知ってるくせに。病気がちで、足が悪く、逃げられなかった仲安の母上だ。それを助けに保安が戻って、お前が術をかけるまでの時間稼ぎにされた。そして、お前はトドメを刺して・・それで、保安は怨霊と化し、阿修羅丸となって、地獄から蘇ったじゃないか」
「おーはいはい、のってくるねえ。あーはいはい、実頼がーとか、仲安がーとか、また?まだ言うの?いつまで繰り返しているの。いつまで、繰り返しても、しゃあないじゃないの」
「何度でも繰り返す。お前が呪をかけ続けるなら、いつまでも」
「何度も何度も、いつまで言うの?聞き飽きた。そんなの、つきあってられるか」
「つきあう、あわない話ではない。こちらの話は終わってないぞ。晴明」
すでに闇夜の中に晴明は消えて、涼影は置き去りにされているのも気づかない。
涼影は高い屋根へ向かって、まだ剣を振り回す。晴明への訴えを言い募る。そこには誰もいない。が、まだ涼影は気づかない。
剣を晴明に向けたつもりで突き出し、黒い爪を握り締める。
「阿修羅丸が京の町を襲うのは、我らのせい、我らのせいだ。我らがいなければ、あいつは復讐の鬼とならなかった。だから二度と、あいつに苦しみを与えない」
「旦那様、いいんですよ、旦那様、もう、それは終わりましたから」
遠くから誰かの声がした。
晴明が騙りをしているかもしれない。女の声だ。
「どうしてだ?どうして、一味を攻撃を撃退せねばならぬ?阿修羅丸をまた、地獄へ落すなんて、もう、私には出来ない」
怒りに狂う涼影は、ぎりぎりと歯を噛みしめ、声を絞り出す。目から涙がこぼれる。悔しさに身もだえし、震えを止めるので精一杯だ。
剣を地面に叩きつける。膝を屈して、己の膨らんだ手も地面へ叩きつける。
涼影の身体の内部では、剣も何もかも忌々しく、地面に叩きつけたかった。
「二度と」
「はい、分かりました」
その荒ぶる剣を突き出した腕を、久子は押さえた。
涼影はようやく気づく。
「なぜ、こんなところに・・・」
「旦那様の任務が窮地かも。ということで、私が斎王の護送を勤めて来ました」
「え・・・?」
いきなり、現れたのは女の子。
それも、家の下女が登場するなんて、涼影には理解不能だ。
妖魔が跋扈するこの地帯に?
周りから邪悪な気配が消えていた。妖魔も倒れていた。晴明が術を使い、ほぼ、駆逐し終えたようだ。終えてさっさと、どこかへ行っていたらしい。
「旦那様、それなら、しなければいいんですよ」
「え・・・?」
「何でも、物事は進んでおります。何もせねば、誰かがするまでですわ」
涼影は冷静さを取り戻していた。
意外な珍客。
「どうして、私を助けに来た?」
「私を助けてくれたからです。旦那様のおかげで、奴隷にならずに済んだ。今も奴隷とは変わらない身ですけど、旦那様の屋敷にいたら、楽に過ごせる。私、旦那様の屋敷で働きたいのです」
たったそれだけのことで、妖魔大戦になど乗り込んでくるだろうか?妖魔も怖がらず、怨霊退治も何も思わず、燃え盛る火の中、水の中。暗闇の中へでも平気で船を漕ぎだす。その神経、軍も政府高官も何も思わぬ神経・・・
考えても考えても、涼影には何もかも分からなかった。
「いやですねえ、そんな目で見られても、何も出ませんよ。私、両親に死なれて、継母親子にこき使われ、銭を搾り取られるため、市場に出て働き、いつしか、裁縫、掃除、家事一般のほか、何でも出来るようになったのです。いわば、万能家政婦、下女とでも思ってもらえれば」
「万能下女?」
それは耳障りの新しい、聞いたことがない言葉だな、と、何かが、涼影の心をくすぐった。
「何でもこなす。妖魔との戦いでも、主人のために尽くすのか?」
「それは、もう私も必死で。もちろん、妖魔なんて怖いですよ。でも、私の人生、妖魔なんかより、よっぽど怖いものを見たのです。それに、追い出されたら、行くところはありませんから、そちらのほうが怖いです」
「ここにいたら、鬼に食われて、死ぬのが早いが?」
「あ、私、そういうの、大丈夫なんで」
まあ、限度があるが、久子のお守り。あれがある。
仁爾色宝珠が、ある限り、何度死んでも、生き返る。それが、多少、心を守ってくれている。
「おかしなやつだな」
「え、えへへ・・・」
追い出されたら、明日、死ぬかもしれない身だ。奴隷の烙印を押され、出ていけば奴隷として必ず捕まえられる。
(ここがどんなところであれ、私には地獄に仏よ。こんな居心地良い場所を手離したら次、いつ出て来るの、同じところが)
奴隷になって売られた時、ご主人だけが助けに来てくれた。誰もが見放し、誰もが見捨て、目を背けたのに、涼影だけは、助けの手を差し伸べてくれた。
あの時から、涼影は、久子の恩人だ。だから、どんな姿を見たって、何であったって、涼影は涼影。久子には人なのだ。
(確かに、驚いたけど・・・)
涼影なのだと、分かった。鬼の格好は荒々しいけど、まとう雰囲気が優しい。その気配は、久子が最初からずっと涼影に感じているものだった。
怒気が収まり、涼影は元の涼影に戻った。かちんと、剣を柄に治めると、すっきりとした顔だ。それから、久子から顔を反らした。苦笑いというか、笑っていた。
「ふん。なら、働け、バケモノ屋敷だぞ。それでもいいなら、好きなだけ、働け」
「はい」




