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君に捧げる甦りの宝珠  作者: rーei
第1帖 斎王の帰還
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第6話

「斎王の帰還?」

「あの、若様」

 若様は一瞬、何か言いかけて、皆が怖れて平伏するのを見て、黙った。だが、激しい怒りに身を震わせていた。

 穏やかで、地味な若様の表情がみるみる変わった。眉間にしわが寄り、怒りが漆黒の目を照り輝かせている。しわが寄るどころか、額がうねうねと蛇が走るようなしわで、目は凶暴に輝いた。一瞬で、陽気さが消え、黒い邪気を放つ。まるで一匹の狼のような獣に見えた、まったく別人に。

 若様がおられる寝殿は、邸の中でも、一番大きな棟で、蔀戸を開けたら、広い間取りの部屋があって、柱が並び、縁取りの美しい御簾がかかっている。

 お体が悪いと言って、家にいる姿をあまり見かけないが、日中家にいる時は、母屋の室でだいたい、家令と話をしている。そのそばに、随身の男たち、内裏から来た朝廷の役人などの姿もある。

 ちょうどその時は、朝餉を家令たちとともに召し上がられていて、羹を吸いかけた若様だったが、箸を急にぴしゃんと置いたので、久子もびっくりした。

 家令の説明を聞くうちに、ますます、若様は険悪な様子を呈した。

「なんだと?晴明がまた、そんなことを・・・奴らを騙して退治はするなと言ったのに」

 若様はさらに吸い物の載った膳も吹き飛ばした。そばの家令は、あたふただ。地味な若様にはふさわしくない、殺気漂わせる、強烈な怒り。先日見た優しさとは反対のものだ。

 なだめても止まらない若様は、敷物を蹴って出て行こうとした。老齢の家令は足に追いすがった。、火の灯さない高坏が倒れ、御簾が蹴とばされて庭に吹き飛び、がらがらがっしゃんと家具が倒れた。それでも家令は何とか、体を張って止めようとする。

「いえ、若様、それはまた、任務ですので、帝も太政大臣様も承知のことで、高明様もご納得ですだから、若様、どうか、行かないでください。どうか心を静めて、立ち止まってください。どうか、お鎮まりを」

「おかしいと思っていたのだ、私に何も話がなく、静かとは。斎王の帰京は、母上様がお亡くなりになられて必然のことだった。なのになぜと思っていたら、私は蚊帳の外か。これでも都の警備を預かる身だぞ。許せぬ。晴明め。あいつめ、また地獄の惨劇を繰り広げる気か」

「そんなことは、そんなはずは。若様、どうか落ち着きなさって。晴明ももう弁えていますとも。若様に黙って、勝手なことはしません。ええ、ええ。そうです、え?行ってはなりませぬ。どうか、どうか、ご堪忍を。感情のまま動いてはなりませぬ。ああ、若様、そんな、お怒りになっては。気をなだめて」

(何?地獄?)

 庭で掃き掃除をしていると、勝手に聞こえてくる声だった。

 いったい何の話なのだろう?

(若様はセイメイに激怒だ。セイメイ?セイメイという男は慈愛に溢れた若様に、いけないことをした悪い奴よね。なぶる、蹴るの、下の者には容赦なく当たり散らす、そんなクソまずいことをした下級官吏でしょうね)

 お優しい若様をあれほど激怒させるのだから、セイメイとか言うのが、いけすかない野郎に違いない。どうせ下級官吏だろう。ずさんなのだ。下っ端の官吏役人というのは。

 にしても、地獄とか、怨霊とか。いったいなぜ、異世界のような言葉が飛び交うのだろう?

(怨霊なんて、現実にいるわけない。でも、来た時に見たあれは・・・)

 久子のホウキを履く手がしゃっしゃと忙しく動かす。いるのだろうか?

 そんなわけない。今まではそれで済んだ話だ。町中の影なんかいるとか言われてもいなくて、きゃあきゃあ言って、喜ぶ連中がいるだけで・・・

 なのに、この屋敷の若様と家令は、都でも最も高貴な家柄の住人でありながら、地獄だの怨霊だのを一般事として会話している。

 バケモノ屋敷?確かに、バケモノ屋敷と言われるが、つまり、中はバケモノ前提で、通常会話にバケモノを加味しているところなのだろうか。だから、バケモノ屋敷と言われている?。

「斎王の帰還で、なぜ、若様がそれほどまでに、悩み、思い詰めているの・・・?」

 分からない。考えて、考えてもわからない。現実は分からないことだらけだ。

「ああ、怨霊が出るんだよ。陰陽師が退治するが、全部は、退治しきれない。だから、若様が出ていって退治する。でも呼ばれてないから、警備の手落ちだと怒ってるんだ」

 久子の考えていることを、まっこうから答えてくれる人間がいた。

 ちょうど、植木の茂みに頭を突っ込み、尻を出していた下男だった。怨霊がいるってことは、家来の日常会話なのだろうか?

 それも年下。いや、子供と言っていいぐらいの少年。日焼けした肌にそばかす、髪を頭の上で一つに束ね、麻の着物を着て、裾をしめた袴を履き、ハジキに草履を履いている。 奇妙な女たちがいる屋敷で、数少ない人間の肌色をした男だ。

 初対面でいきなり、知らないの?と思われて、なおかつ、きちんと説明をしてくれている。とは、なんて、親切な子だ。

「怨霊騒ぎに荒れる日ノ本で、安倍晴明らとともに、若様は怨霊と戦っている」

「怨霊と、戦って、いる・・・?え・・・」

 どの言葉も馴染めないままの久子だが、少年は構わず、うなづき、説明をしてくれた。

「小野好古らのおかげで、純友は打たれ、藤原秀郷らによって、将門が討たれ、乱は収まったが、さまざまな怪奇現象や怨霊、悪霊の類が終わらないままだ。都はまだ、怨霊との戦っている」

 もしかして、怨霊は日常のことなのか?久子ももう、驚きを通り越し、バケモノ屋敷だから、加味して参加せねばならないと思い始めていた。

「あなた誰?」

「あ、オレ?竹兵衛(たけべえ)」

「わ、若様が戦いって、なぜ、若様まで・・・?」 

「若様は帝と腹違いのご兄弟であらせられ、皇位継承者とも言われていたが、帝の代わりに鬼を取り込むことになり、皇位の順からは外れた。弟である者を守るため、己を犠牲にすることを選択されたのだ。以後、ときどき鬼が暴走するのでこの離れた宮に引きこもり、ここで政府高官らの資金援助を始められた」

「若様が、鬼を引き受けられた?」

 お、鬼って・・・何よ。

 そんなのどう対処せいと言うのよ?

「ああ。それ以来、鬼を内に秘めた体になって、参内はときどきになったが、特に若様も皇位に願望はなく、栄華栄達を求める気持はない。帝に忠義を尽くす方だ」

 何もかも、想像を越えた話だった。若様からしてもう、話が違う。想像していたより、上。というか想像したものは一切ない。

(お、鬼?を内に秘めた?体?)

 久子の想像が追いつかない。若様の世界感に置いてけぼりだ。

「だから、ときどき、中の鬼が暴走する。晴明はその鬼の力も、使えると言って、若様を使う。若様も強いのは、鬼の力があるからだ」

 お・・鬼?・・・?あの若様が?

 優しげに話かけて来てくれた。あの若様が?奴隷市場から助けてくれた、あの若様が?ご飯を美味しそうにお代わりって言われて、出したけど、あの若様が?

「だから、気をつけないと。また晴明のことで出立されたが、鬼になって暴れないとは限らない。ああしていきり立って出たのも、晴明の思惑かもな。鬼として利用するため」

 そうだ。さきほど、家令が足にすがりついて止めていたのは・・・止めるため?

(あんな優しそうな若様が、鬼に変わる?)

 呆気に取られる久子に構わず、下男は続ける。

「斎王の帰還に合わせて、怨霊封じの結界が破られたらしい。都の周辺に鬼たちが現れている。妖魔がまた、活発になって、都に入らないと良いのだが」

「若様が、戦いに、その妖魔との戦いに行くっての?」

 ぶっとんだ説明を続ける少年に驚く久子に対し、何を今更?と、久子が間抜けなとんちんかんな見られようだ。

「都や朝廷、内裏でも奇怪な事件が続く。だから、まだ、怨霊は消えてないと言われている。長い間、朝廷は怨霊を戦ってきた。

 特に先の右大臣左遷追放以来、怨霊騒ぎが絶えない。あの頃、大きな戦いがあったんだ。都の者は誰も知らないが、妖魔大戦の大戦がな。それで鬼らは、いっとき封印された。けれど、悪霊も怨霊も消えず、再び侵入しようとしている。そのため、朝廷もさまざまな手段を使って日ノ本を守っている。高野山や比叡山も協力。若様もああ見えて、賀茂親子らや晴明と共に、日々、魔との戦いに忙しい」

「ま、待って、待って。その鬼とやら、は分かったけど、どうして、晴明と仲が悪いの?」 

 もう、この世に鬼はいるの?なんて言うことは止めた。いるのだ。戦いも当然ある。若様も戦っている。

「その昔の大きな妖魔大戦で、共に育った幼なじみを亡くしたんだ。王家の血筋で、若様と共に育って、庶出だったから、若様の随身になってくれて、それであの妖魔大戦で、つまり、平将門や藤原純友が暴れた反乱の時に合わせて、海の彼方の大陸から、悪鬼たちも帝を狙って、攻めて来た。若様たちは、日ノ本に入る前に、結界を張って、入らないよう戦っていた、でも、結界も完全ではないから、隙間や破れから、妖魔が入って来て、帝のお命を狙おうと、都に迫った。それで、都に大きな暴風が吹き荒れた。その時に、火の手も上がった。

内裏から一時帝が退避する騒ぎになり、それで都の警護を任された親友が、帝たちが内裏を出る後方を任されたのだが、火事からお守りするため、町中に防衛線を張ったんだ。駆けつけた晴明によって、妖魔たちは退治されたけど、火の手と抑えるためと、妖魔を阻止するため、人の話も聞かずに、大滅殺。結界を張って、その中に火をかけたんだ。それで、中に大勢取り残された。その中に、取り残された人々を守ろうと残った親友がいた・・・」

 もう、平将門?藤原純友の乱の時に妖魔大戦が?なんて、聞くまい。

「ひどい・・・国民と親友とを取り残して、火をかけたの?」

「陰陽師頭は賀茂忠行様だ。戦いの陣は忠行様が仕切っている。彼がしたら、そんな落ち度はないが、その弟子の晴明はまだ、若かった。十五歳だった。帝を守ろうとして、性急に術をかけ、多くの犠牲者が出たんだ」

 若様の怒りが分かった。晴明になぜ、そこまで怒り狂うか。

「だがそれも仕方なかった。帝を守るため、仕方なくだった」


 若様と家令の言い分で何となく察する。その弱冠15歳で世界を救ったような気になっている晴明とやらが悪い。


 狭量な晴明とやらが、職権乱用で、誰かを犠牲にしても構わないとするのだ。だから、若様も晴明のことを怒ってるのだ。


「怨霊って、でも、退治したら、消えないの?」

「怨霊もいろいろいるらしい。物の怪、鬼、妖魔などと、いろいろいる。この世には消えない悪がある。そのたびに、世は乱れ、世界に動乱が起こり、人々は疫病や飢饉、天災に悩まされ、帝は都を遷都した。その正体が分かっていれば、すでに元を切って、都を平和にしているだろう」

「分かった。話が分かって来た」

「そうか?ここにいるってことは、こんなの日常だぜ?お前、遅いよ」

「あなた、賢いのね」

「この屋敷で生き抜くには、多少賢くねえとな。あんたも、うかとしてるとやられちまうぜ」

「分かったわ」

 下男に軽く言われながら、久子の頭は忙しく回っていた。

(斎王の帰還。そう言えば、最近、伊勢宮の斎宮の母である人が亡くなったと聞いた。太政大臣忠平の娘で、法事のことで、喪服の話題になっていた。あの仕入れ、逃したのだっけ。伊勢宮の斎王が役目を終えて、戻って来るのだわ。そこでまた、怨霊の戦いがあるのだ)

「そんなの駄目よ!」

「うわ、びっくりした」

 急に大声を出した久子を、次は下男が驚く番だった。

「晴明が出張って、若様がお怒りで出ていったということは・・・つまり、斎王の帰還に際して、若様と晴明は、また、やり合うってことよね。もし、若様が失敗して、晴明も失敗したら、どうなるの?」

「そりゃあ、日ノ本が危なくなるってことだな。でも、前の純友の乱を退治した小野好古様が帰還を仕切ってるんだ。陰陽師の賀茂忠行、保憲親子もいる。その弟子の、阿部晴明って奴も相当な霊能力の持ち主だ。師をしのぐほどの。そこへ若様も加勢するのだ。それだけいたら、前大戦で勝った時と同じメンツ。だから、やられることはないよ」

「でも、晴明ってやつは、人の話も聞かない、若様を使役魔扱いする、鼻もちならない奴なのでしょ?」

「まあ・・・そうだね。あんた、よく分かってるね」

「そりゃそうよ、誰かを犠牲にして、妖魔を一気に殲滅退治するだなんて、そんなこと出来る奴なんてそうそういないわ。で、あの優しい若様が困り切って、慌てて行ったのでしょ。どうせ若様と張り合って、出世を目論んでる、そんな奴でしょ」

 あこぎな商売ばかりやって少々すれた久子は姫君ながら、少々はすっぱなところを見せる。

「ううーん、どうだろ?言うほど、晴明は悪い奴かな・・・?」

 若様びいきの久子の目には、晴明は鼻もちならない奴だ。

 奴隷市場で助けてくれた若様はお優しい、親切な人だった。絵巻や書も理解し、繊細さもある。心のきめ細かな人だ。イジメられたら、黙って耐えている。きっとそんな人。親友が死んだあと、きっと大いに悲しんだだろう。それを晴明が、さらに追い打ちをかけている。晴明は若様をいじめる者。非情で外道で、狭量な奴。久子は怒り心頭だった。

「もし、任務に失敗したら、どうなるの?」

「そりゃ、妖魔が都へ入って来る。帝のお命が危なくなる。日ノ本は危機、藤原氏はてんてこまい」

「だとしたら、任務に失敗をしたら、若様も責任を負わされるわね」

「まあそうだけど・・・」

「なら、何としても、若様をお助けせねばならないわね」

 大きな役目だ。もし、失敗したら、死刑なり、任を解かれて左遷。流刑、刑罰だってあるだろう。父のように。・・・

 優しい、鳥獣戯画を愛する若様が失敗し、責任を問われるのも嫌だが、若様が失敗して失脚したら、今の地位、離れた場に建った豪華な邸宅、高級な生活をするあふれるほどの資金など、全て失ってしまうだろう。

 そうなると、久子が屋敷から追い出される、ということだ。

「若様?若様は放っておいたって、一人で何でも出来るよ。怨霊との戦闘を、今まで生き残って来た若様だぜ」

 確かに、若様の話に、下女が立ち入る隙などない。

 だが、他人に自分の主導権を渡して、事後どうなったか?家にいる間、絞り取られ、家から追い出され、奴隷にされた。何かを当然のように待っていては、大きなしっぺ返しを食らうのだ。自分の運命は、自分が徹底的に追いかけ、手離さないことでしか自分を守れないのだ。

「駄目よ、若様をお助けしないと・・・・」

「若様がいたら大丈夫だよ。晴明もいる」

 悪くもならないかもしれないが、何もしないということは、それ以上にもならず、良くすることも誰もしてくれないことだ。結果、悪化してもそれは己に降りかかって来る。ということだ。

(絶対駄目、二度と、大黒柱を失ってはならないわ。私のことも。これは、絶対、若様を失脚させぬようにせねば)

 失ってから慌てても、もう取り戻せない。

 奴隷の下にはもうない。

 何より、心優しい若様が、再び晴明に蹂躙され、中央政権からハジキ出され、村八分のまま消え入るような結末にならないようにせねば、救ってくれた手前、申し訳ないでないか。

 ただのなよやかな姫君なら、深窓の中でじっと耐えて待つだろう。でも、久子はもう何でも屋として働き、少々ノウハウもある。今更じっとしている姫君の自覚ももうない。そんなのは捨て去った。恥も外聞も、それから悲しみも無念も・・・

 明日の食うのも危ない身で、感傷に浸っている場合ではない。

「でも、私、知ってるの、斎王の帰還ってのは、遠い伊勢から、戻るのよ。その道筋で何があるか分からないわ」

「確かにそうだけどさ、俺らに何が出来るってんだ?家にいて、大人しく邪魔しないほうが、若様のため・・・え、久子姉貴、どこへ行くんだよ?」

「ちょっと、若様を助けに」

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