第5話
「あれ?ここは・・どこだろう?」
夢、だったのだろうか?
「あれ、私。生きてる?」
とっくに食われたのだと思っていた。気づいたら、布団に寝かされていた。
「あら、起きたの?あんた。道端で倒れてたのだってね、うちの木こりに拾われて来たんだよ。ちょうど行った時倒れていたから、うちで引き取ったみたいだよ」
「ここは、どこですか?」
「ここ?有難く思いなさい。天下の源家のご邸宅」
「貴族の源家のご自宅ですか?」
郊外に広がる山鬼、盗賊、追いはぎが出る森林地帯。いわゆる都の外。洛外。郊外。通称、バケモノが出る一帯。中でも有名なバケモノ屋敷がある。それがここだ。
(有名なバケモノ屋敷?)
思った通り、バケモノじみた女性が障子を開けて、顔を出していた。
(バケモノが出た?)
真っ白い顔にちょんと眉を書き、細面の痩せた輪郭で、釣り合がった目、おちょぼ口に赤い紅。と思ったら、しっかり化粧した女性だった。また着物も少々着崩れして、場末感も出しているのが、いただけないのだ。思い切り、異世界に来た気分だ。
がめつい親子には、ほとほとうんざりする。
奴隷化したのなら、利権関係が難しくなるな。と妙に冷めた頭で考えた。
「うちは人手不足だから、誰でも歓迎だけどね。あんた、ここは厳しいのよ?本当にやれるの?」
「は、はい。もちろんです」
「はあん、まあ、皆、最初はそう言うのよ。ここに置いて欲しくてさあ。まあ、いいわ。うちの家令のやることに、アタシらが文句を言えないわ。痩せっぽっちのあんたに耐えられそうにないけど、ま、いいわ。働いて死ぬのも、食われて死ぬのも、あんたの運命。知らない。ま、ついて来て」
(食われて死ぬ?)
やはり、何かあるのだろうか。と思ったが、路頭に迷う身だ。雨露が凌げる軒下にいるだけでも有難い。
はすっぱな下女の女に頭を下げると同時に、久子はほっと安堵した。
「じゃあ、膳の用意と、それから、布団敷き、その前に部屋中を掃除して、雑巾がけして」
「え、掃除?今から?」
「あんた、旅人でもないのに、休んでいわれるわけないでしょ。都から来たのなら、すぐ近く。旅人でもない、ちっとも疲れてないでしょ。ちょうど、ここ、人がいなくて、忙しいの。掃除、洗濯、食事の用意。何でも、全部、こなすのよ。一人で。まず、この屋敷、全部、あんた掃除しなさい」
「は、はい」
言われてついていく。大きな広い屋敷だった。
貴族の屋敷というより、豪邸だ。いくつもの棟に分かれている。それぞれ、綺麗な木目が出た屋根付きの渡殿でつながっている。
庭には白砂が敷かれ、建物と建物の間の庭には、お洒落な竹垣などが配置されている。日本庭園を追求した庭だ。
前には大きな池があり、築山にかかる橋も月光の下に見える。
どんな隙間でも植木や花壇があり、ささやかな気づかいをされている。
「源家の、あのどういう人がこちらに?」
「ここは、源涼影様のお屋敷だ。兵衛府の監をしている」
「へえ・・・」
兵衛府の監と言えば、内裏の警備の要だ。
源家と言えば、帝の子息が臣籍降下された名。ご主人様は、帝のご親戚。いわば皇族だろう。王家でも庶出ならある程度で終わるが、ここは豪華な宮だ。源家は数々あるが、中でも、とても身分が高い人に違いない。
(綺麗。バケモノ屋敷に、感動するなんて。マヨイガに入り込んだよう)
一番大きな建物や、母屋だ。黒塗りの瓦が乗せられ、年輪を刻んだ柱が配され、豪華だ。
今は、あかあかと燈明が灯され、解放された蔀戸から明かりが漏れ、庭まで光がこぼれている。
母屋に連なる北の対や東の対から大勢の召使か侍女か、女たちが忙しそうに出入りして、手水や食器を運んだりしている。
蝦夷にあるという山の中にあるマヨイガ。
迷い込んだ旅人を目当てに、豪華絢爛の宴を始めているようだった。
(あ、あの人だ。奴隷市場で助けてくれた、あの・・・)
母屋に行ってみると、笑い声が聞こえた。
青や浅黄色の衣を着た男たちが部屋で座を囲んでいる。
上座にいて、ひときわ上等な着物を着て、一番かしずかれているのが、この家の主人だ。
髪は綺麗に整えられ、烏帽子をつけ、水色の直衣を着ていた。
「誰?新しい子?」
久子が膳を運び中に入ると、水色の主人に声をかけられた。とても落ち着きのある柔らかい声だった。
「は、はい。お初にお目にかかります。長谷川・・久子と申します」
「新しい子を入れるの?」
「はあ、外で倒れてましたので。とりあえず、お前は下がりなさい」
「は・・・」
(水色の人に見えたけど、違うか)
農村で見た男は、髪を振り乱し、もっと野蛮さを発していた。今のご主人様は髪をキッチリ整えられ、服もちゃんと着こなされている。
汁物をふうふうと一生懸命吹いて、あつあつと言いながら食べて、にっこりと笑っていた。狂人で狂暴なら、あの熱さに、この私に熱い汁とは何事だと怒っている。継母親子なら、怒ってぜんぜん、おかしくない。なのに、もっとも貴族の若様が、何の不満も言わず食べているのだ。優しく大人しい男性。最初見た通りの、印象通りの人だ。忘れるわけがない。思い出すどころでなかったけど・・・
(もう一度会いたいと思っていた人だ)
なんだか、安堵して来た。
「下働きは、ここで寝て」
案内された場所は離れの建物で、質素な部屋だったが、建て付けはしっかりしていて、さすが、貴族の屋敷だ。空調が良い。カラッとして、温度はひんやり。暑すぎず、寒すぎず。中も雨漏りもしそうにない。
中には布団以外、何もなかったが、何もない分、清潔そうな部屋だった。
(とにかく、野外で星を見ながら寝ずに済んだ)
というわけで、布団があるだけでも有難く、久子は大勢の女たちと共に寝た。
翌朝。
「ほら、ほら、今日も、ご主人様のためにちゃっちゃと働きなさい。水汲み、朝餉の用意、男ら、牛の世話」
屋敷には、同じ顔をした女たちばかりだった。
女の化粧が厚塗りだから仕方ないが、一面の白塗り、眉毛ちょん。唇は下を大目に塗った真っ赤な口で血を飲んだようで、振り向いた時のバケモノ感が凄い。
麻の紺色の着物に、赤の裳裾の絞った袴をつけ、髪は一つにまとめている。
男より圧倒的に女のほうが大勢いて、食事の用意から、洗濯、掃除まで、家の一切を担っている。
「このバカ者が。この欄干は濡れ雑巾で拭いたら駄目だと言っていただろ」
「あっ」
良かれと思って室内を徹底的に拭き清めていたのだが、駄目だった。顔を久子は平手打ちをされた。
(やはり、とても厳しい、確かに)
最初の女もここは厳しいと言った。確かに、建物の梁も、着物の糸一本にしても、質が良い。見たことがないほど品が良く、良質さがにじみ出ている。
建物も着物も、中の格式、流れている空気まで、各段に違う。
貴族でも大貴族のそのうちでも上位貴族の屋敷だ。
だから、貴族の屋敷に勤めるのは厳しいと言われるが、バケモノ屋敷だ。何か違う難しさがあるのでないかと思っていたが、バケモノ?などは分からないものの、思った通りだ。
やたらと厳しい仕事と、厳しい女たちだと思ったが、意味は理解した。女たちの顔はふざけているが、緊張感はある。
「あの、こんな大きな屋敷に住まれて、高位もお持ちで、源涼影様はどうしてこんな離れたところに?」
隣で拭き掃除をしている女に聞いてみた。眉毛ちょんで丸い顔をした女はぶっきらぼうに答えた。
「お前もすでに聞き及んでいるだろうが、確かに、若様は帝にお仕えし、兵衛府の監を勤められ、都の警護をしておられる要人。だが、若様はお体が悪くてな。参内も出来ぬし、療養も必要だ。だから、ここに移った」
(若様は元気そうに見えたが、あれで体が悪かったのか。どうりで、高貴な身分で、これほどの豪族なのに、都から離れて、ひきこもっているわけだわ)
若いのに、体が悪いなんて、気の毒に思う。
昨日、夕餉の時に見た姿は、元気そうだったのに。可哀想なものだ。
「焼き物は焼いたらすぐ、出すんだ。焼きたてを出さねば、旦那様に失礼になってしまう。さあ、さっさと持って行きな。つまづいたら、容赦しない」
別の棟で台盤処では、食事を作る女たちが忙しく働く。
下男も男も、箸を持って必死に盛り付ける。
上がりかまちでは、厳しい目つきをした女が、女や男たちを厳しく指さし、仕事を動かしている。
「お前はとっとと掃除をしろ。拭き掃除がなってない。もう一度、やり直せ」
「は」
その他、食事作りのための田んぼでの収穫。野菜の泥洗い。水汲み、肥えやり。鶏のエサやり。
来て早々、激務だ。
桶で水を汲む者が忙しく何列も往来する。久子も水桶を抱えて、行き来する。
貴族の若様は一人だけど、仕える家来と下働きの女たちが多いから、水もけっこう使う。
少ししたら、朝餉の用意の匂いが漂って来た。
その他の大勢は、大邸宅の各棟の掃除、庭の掃除だ。
「ほら、食事だよ。自分の分を食べたら、すぐに昼餉の用意だ。また仕事にかかるんだよ」
大勢が一斉に動き出す。
炊事場では火を焚かれ、釜がかけられる。土で固めたカマドに、乾かした木材を入れ、火をつける。
米はしゃっしゃと、井戸で研ぎ、水を切ってきたものを鍋に入れ、そこに水を入れる。始めは沸騰させ、火を落とす。米が炊き上がってからは、しばらく蒸す。すると、つやつやふっくらご飯の出来上がりだ。
つかつかと上級侍女が歩いて来て、ご飯をひっつかみ、一口食べる。
「あんた、やるじゃない。の米の炊き上がり、美味しい。お嬢様のくせに、どうやってこんなのを?」
「食事屋で手伝いをしている時に、店の料理人が教えてくれました。最初は綺麗な水で研ぎ、さッと水を捨て、二度目も捨てる。焚き方も習いました。最初は沸騰させ、その後、火を落としてじっくり、最後はほぐしてから、よく蒸らします」
「へえ。あんた、若いのに、物知りね」
「恐縮です」
「ほら、忙しくなって来た。若様と家臣様にお出しする先附、あと酒をもっと運ぶ。人をやりなさい。あと、各自、部屋の掃除。ホコリ一つ落ちるのは許さない。ちゃっちゃとやるんだよ」
女も男も率いるのは、女の中でも、年域の女らが指揮権がある。
男も女も皆、似たような顔をしているが、若者がほとんどだ。
白い顔をして、目がどこにあるのか判別せず、つり上がった目をして、眉はちょん。平安の貴族は男も女も化粧を施すが、貴族の家来もそうするのか。
(ここの貴族の部屋にあるのは、貴重なものばかりだ)
花瓶や巻物、二段や三段になった棚に置いてある文箱。硯のおかれた文机。縞模様がついた貴族が普段座る一段高い畳。座るための敷物などなど、一品ものと見られるものばかり。品の善し悪しが分かるようになったのは、学者の目というより、市場で中抜き商売をして、磨かれた目だ。
「これは、王義之の書・・・・?」
部屋の片隅に置いてあった書の掛け軸に久子は目を止めた。父の収集物を整理整頓していたことで、久子の目は磨かれた。さすが、豪邸の屋敷だ。素晴らしい作品や品で溢れている。
「これは、巨勢氏の作・・・?すごいわ。こんな絵巻、豪華な彩色。すごい。見たことがない」
久子も掃除のプロだ。義母からの疑惑を逃げるプロでもある。
ホコリをハタキながら、掃除のついでに、見る。
「冊子も、本物ばかりだわ・・・これは、まだ未完成の、いえ、あの右大臣が作ったという万葉集?」
夢中になって掃除をして、中を見ているうちに、誰かが背後に来ていたが、久子は気づかなかった。くすくす・・・という背中をくすぐるような笑い声が聞こえて、久子は振り向いた。
「よく分かったね」
若様だ。
「わ」
久子は飛びあがって驚いた。手をついて、謝る。朝日を浴びて、笑って、柱にもたれている若様は、すらりとした美丈夫に見えた。輪郭が光り輝いていた。
「すごいね、君、ホコリをハタキながら、ホウキを動かし、冊子も見れるの?」
「忙しい時には、手も足も、口も動かし、紐でくくって引きずってでも、仕事をしていましたので」
「え・・・?足も口も?」
「はい。実際やってみせましょうか?」
「苦労したんだね。いや、いい」
最初、度肝を抜かれ、一瞬鼻白んだ若様だった。だが、気を取り直し、凛々しい表情を取り戻し、話を変えた。
「君はそんな、書でも絵でも、鑑定できるの?」
「い、いえあの、そんな・・・」
「謙遜することはない。どうせ、都から離れの、鄙びた屋敷なんだ。郊外の。都の人にもバケモノ屋敷と言われてる。君もそう思ったんだろ?」
「い、いえ、そんな。屋根のあるところで、寝られるだけでも有難かったです」
「これは・・・?」
若様は棚から、巻物を取り出して、久子の前に広げたみせた。
「これは・・・醍醐天皇の書ですね。三筆と言われた。それから、こちらは・・・紀貫之の」
「すごい。鑑定眼の持ち主だ。やはり、君は分かるのか」
無邪気に笑う若様が眩しい。きらきらしていて、少々、胸がどきどきする。
「なぜ、女の子はこういうの、興味ないだろう?着物とか、化粧道具とかが好きだろう?」
「あの、何て言うか、私はあまり、普段の女子がしていることが分からず・・・父が学者で、家にいろいろなものがありましたので、はっきり言って、興味本位で見ているうちに、憶えてしまいました」
「やっぱり、女の子なのに、好奇心旺盛なんだね」
「申し訳ありません」
「いいんだ。また、聞きたいことがあれば、呼ぶよ」
くすくす笑われた。
謝っても取り消せないが、厳しい女侍女たちがいる屋敷だ。自分の力をひけらかすつもりはなかった。奉公人の身分に落ち、久子は下女同然だから、何にしても控えるつもりだった。けど、つい・・・
若様は庭の外を優雅に眺める。
見ると、微笑んでいるのが、すごく優し気に見えた。
「あ、あの、失礼します」
久子は礼を言って、部屋を後にした。
・・・・・
(若様、お体が悪いのは、本当だろうか)
見たところ、しっかりした身体つきで、あの蔵書数と、財宝と家財の量から、かなり目利きだ。都のうすぼんやりしたぼっちゃん貴族なら、偽物の書や絵画を持っていてもおかしくない。実際、掴まされても分からないのだ。すごく理性的で知性もあるように思えた。その上、立派な身分。
都の中でも、貴族は庶民に比べては少数派だ。中でも、帝と面会できるのは、帝から許可が出た人で、ごくわずか。昇殿出来るか出来ないかでも、貴族の間でも、雲泥の差がある。彼らを殿場人と言う。貴族の中でも、雲の上の人。
源家の涼影様というのは、臣籍降下した名だ。
先の醍醐天皇の皇子で、今の帝の異母兄弟になる。
朱雀天皇の腹違いのご兄弟や親族は、朝廷の高官でもある。しっかりしたお血筋だ。
本来なら、若様も他の王族の方と同じく、毎日、朝廷へ勤めに出てもおかしくない。
もともと、兵衛監という役職はあって、朝廷の要人だ。でも、体の調子もあって、参内することは少ないという。
(それほど、お体が悪いのだろうか)
市場で売られて困っている久子のところに、助けに来てくれた。
郊外のバケモノ屋敷には、あまりにもったいない人だ。
(あの方は今、どうしているだろう?)
村を襲った悪鬼を救いに来た水色の着物の人は、何者だっただろう?
あの人は、いったいどこから現れたのだろう?
(あの人にも、礼はせねば)
この近くの住人なのだろうか?あれから怪我とかなかっただろうか?
久子が無事だったのも、たぶん、あの人のおかげだ。
(でも、探すにも、今は自由に出来ない)
今はどうにもならない奴隷の身だ。
ため息を吐いて、久子は箒を動かし始めた。久子の仕事は今は、掃除洗濯だ。
(何ココ、楽)
それで、気づいたのだが、三度の食事が出るわ、仕事は屋敷の中のことを徹底的にするだけで良いわ、楽だった。中身も量も。
一日の食事も自分で何とか用意せねばならず、その一日の糧を得るのに、市場に出て働かねばならなかった以前に比べると、隔絶の感がある。
三度の食事が出て、侍女としての着物はくれて、ただ、屋敷を掃除だの、食事作りをしていたらいいだなんて、はっきり言って、繭の中にいるようだ。
銭に命をかけ、利益を上げねば落ちぶれる。いびり殺される。飢え死にさせられる。と、あくせく働いた地獄を思えば・・・
「あんた、貴族の娘だってね。こんなところに来て、イヤじゃないかい?」
「ぜんぜん」
前の屋敷と違って、空腹になることもなく、話をする相手までいる。 前は狭いおちくぼに、一人きり。その日の食事も探さねばならず、仏頂面するなといびられるのに怯え、常に殺されるのでないかという不安と戦って、気の安まることもなかった。
(むちゃくちゃ、楽で楽しいところね、ここ)
「まあ、いろいろあるけど、お菓子でもお食べよ」
「ありがとうございます」
お菓子まで・・・!




