第4話
京へとぼとぼ戻って来た時、再び奴隷商人に捕まった。
「いたぞ、捕まえろ」
「離してください」
(何てことだろう。全てを巻き上げられて、外へ放り出されるとは)
久子は長谷川家という、貴族では名の知られない家の系統だったけど、下級官吏でありながら、代々続いた学者の家柄だ。父も大学寮へ行き、文章生となり、朝廷に勤めた。
毎年春になると、母と共に鴨川の桜、夏には祇園祭、秋には嵐山に行った。
学者でもある父は仕事について熱心に調べたり、書き物をつけたりして、朝廷で行われる行事や風習、朝廷へ集められる物資や貢物や書物等を書き記していた。家には父の集めた冊子などがたくさん積み重ねられた。
整理も管理も出来ず、字の読めない母に変わって久子が父を手伝った。日々、書物や父の集めた珠や金属、陶器などの全国の貢物類等、本や財物について触り、久子にも自然と世の様々な珍しきものの名を憶えた。
平安貴族の学者と言えば、和歌の漢詩の編纂、法の解釈、歴史博士などが主だろう。万国の珍しい品を集めるなど、父は少々変わっていたかもしれない。思えば、万能姫君の苗床は、あの時から醸成されたかもしれない。
本来なら、父の手伝いをし、婿を取り、暮らしていたら良かった。だが、冤罪事件があり、長谷川家の運命は狂ってしまった。
都への貢物は船を使って運搬されるのが多い。
朝廷役人の父が乗った船に、火の手が上がった。襲って来たのは山賊であったと言う。
船着き場も船も火をかけられて、火事になり、村にも燃え広がって、大勢が山賊に襲われた。
父の乗った船は火を吹きながらも、父は船を寄せて、大勢村人を助けた。我先に逃げる官吏らは、船を急がせて、村人を置いて逃げたという。
それでも、火の手が回り、船着き場も村も火事になり、大勢が川へと飛び込んだ。そして、父の船も沈んだ。
逃げ惑う人々を山賊は容赦なく襲い掛かり、父も川岸で切りつけられた。
多くの地方から来た賦役や下人などが乗っていて、容疑は父以外にもかけられた。
でも、何故か父に、失った財物の横領の罪がかかり、一族までが罪に問われた。父は、次々我先に逃げ出す官吏とは違う。
(きっと、父は仏様に助けてくださいと祈っただろう)
真面目で堅物の父は、仏に頼るのは申し訳ないから、この世を見守り、慈悲を行う神に、私らが尽くすのだ。と前にそう言っていた。
仔細は父の友人山川氏から聞いた。父と同乗していた役人だった。父の本当の姿を知る者だ。だが、証拠不十分となり、役所の調べのほうが優先された。
久子は己の仁爾色宝珠を、首から取り出した。最後のお願いを、神はいくらか、聞いてくれたのだろう。父が救った人は、わずかでも、いたそうだ。
「あっつ」
男たちが取引の話している裏で、久子の腕に焼き鏝が押し付けられた。奴隷印だ。
焼き印は多少消えても、治ることはないだろう。どうしたら消せるか。もしかしたら、二度と奴隷から浮上できない。かもしれない。そう思うと、絶望の淵に立たされた。
(まあ、言っても仕方ない。これからどうするか考えよう)
痛い腕をさすりながら、久子はどうすべきか、必死で今後のことに頭を巡らせた。
「奴隷女か?まあまあだな。まあ、若ければ、すぐ売れる。どこかの豪族の男にでも高く買ってもらえば、儲かるだろう」
「姫君だろうが、奴隷印を押されたらもう、おしまいさ」
奴隷商人は久子に冷たい目を向ける。
「旦那、この奴隷女、読み書き、算術も出来るらしいですぜ」
「読み書きなどいらん。女は男に奉仕したらいい。体は頑丈そうだから、農家の仕事も出来るかもしれん。荘園へ売れ、村の主に目をつけられたら、すぐ目をかけられるだろう」
都から一歩外で、このような奴隷市場がされていようとは知らなかった。奴婢などは売り買いされる。だが、久子は奴婢ではない。もともと都に一家を構える一族の娘だった。
「助けてください。罪のない罪人なのです。父は陥れられて、私は罪を被ったのです。私は貴族の娘です。本来なら、こんなところにいるわけがないのです。手続きが間違っています。誰か助けてくれたら、大いに弾みますから、私を役人のところへ連れて行ってください」
久子は声の限りに叫んだ。だが、反対に大笑いされた。
「おい、こんなところで貴族気取りしたって、誰もお前を助けねえよ。ここは売られた人間が来るところだ。助ける奴なんていねえ」
誰もまるで聞くこともなく、足も止めない。
「うるさい。黙ってろ」
奴隷商人の親玉は久子の顔を掴んで、口を閉ざさせた。手にした棒で、背中を殴り、久子を痛みで黙らせる。もう一発、と棒を振りかざした時、親方の武骨な腕を誰かが止めた。
「荘園にはもう人手は足りている。このあたりの農村では、人を求めている。そこへ売ったらどうだ?」
「あんたは・・・」
「このあたりの役人だ。これが手付、残りは村へ行ってからだ」
「ああ、お役人様で」
急に男たちは腰が低くなった。
「こちらはちょうど通りかかった者。何か、手違いや間違いがあるなら、都の近くの官衙で訴えて、手続きを進めると良い。善良な官吏も中にはいる。誰かは、手伝ってくれる」
「あ、ありがとうございます・・・」
(こんなところに、まともな人もいるものだ)
都の外には、富を求めて来る地方の人間とか、土地を持たずに流離っている放浪人が多い。だから、野蛮な人らばかりと思っていた。
少しの善意でも、有難かった。心が救われた。
都の中のほうが、異常。強欲で、利にまみれて、人のことさえ何とも思わない人が多いものだ。義母親子は倫理観も、理性もない。
見ると、優しそうな貴族の男性だった。柔和で穏やかな微笑みを浮かべていた。
「ついて来い」
再び、奴隷商人に連れられて歩き出したが、森の中に入って行くと、どうも様子がおかしい。
「ねえ、兄貴い、本当に奴隷として売っちまうつもりか?」
「分かってらあ、だが、言われた通り、すぐ消してしまったら、足がつく。売り場で売って、運ぶ途中で、て言ってたのは確かにその通り。実に頭の切れるこった。売った金もよこせとの業突く張り。このまま帰ったら、金はどこだ、金をよこせと、また、衣服をひんむかれちまう。だから、言われたことはやらないと」
何か、良からぬ予感がする。
「だが、はした金でそこまでするかい?」
「金は金さ、なじみの奥様に文句を言われたら、困るだろ、奴隷商人になんか売ったんだ、途中でくたばろうが、死のうが、奴隷なんか、誰も疑いもしねえよ。悪いのはぜんぶ、奴隷商人のせいにしたらいいのさ、それで皆、納得する」
冷たい空気、突き刺さる目線、異様な気配。髪の毛に何か気配を感じた時、久子は駆けだした。だが、一歩遅かった。男の太い手が、久子の細い首に伸びた。
「や、やめ」
「悪いな、お嬢ちゃん、我々も仕事なんでね」
そのまま、押し倒されて、ぎりぎりと首を絞められる。足は歩くために捕縄を外されたが、手は縛られているのだ。馬のりで、首を絞められては逃げることも出来ない。
「じたばたすると余計に苦しむぜ、こちらに任せりゃ、すぐ済む」
「そうそう、楽な死に方をさせてやってるんだ。この世は地獄。俺らも地獄行き。あんたは楽に死ねて天国さ、いいねえ」
「誰が」
言うなりになるかと思って言いかけたが、首が閉まり、口が聞けなくなった。抵抗して足をじたばたするも、次第に力が弱くなっていく。すぐに意識がもうろうとした。確かに抵抗するほど長引くかもしれない。だから、このまま何もせずに死ぬ方が楽かなと思った。だが、こんなことで諦める久子ではない。思いっきり男の股間を蹴った。すると力が弱くなった。
「てえっ・・・この、野郎」
久子は逃げた。力の限り、逃げた。
・・・・
このあたりは、有名なバケモノが出る一帯だ。
「ま、待て、兄貴、あれは、何だ?」
(あれは、何かしら?)
ふと見ると、暗くなった平原、水田地帯だろうか。赤い炎がある。
初め、明かりかと思ったが、どんどん広がっていく。まるで大勢集まりがある祭りでもあるみたいだ。だが、松明や燈明ではないのは見てとれる。それが全部、水田の畔あたりの位置を低く飛んでいる。
(鬼火?)
自分で心のなかで、つぶやいて、まさかと思った。怪奇現象。人の魂とか、怨霊の集まりとか言われるものだ。自分で見て、己で言うとは思わなかった。
「お、おい」
「ああ、ヤバいな」
(誰かが、提灯でも持って、妙な踊りを踊ってるのよ、きっとそう)
次第にその数が増え、だんだんと集まると、かなりの集団になった。まるで大きな火事だ。
見ると、その先に村がある。都の外にある地主の荘園で働く小作農の村だろうか。小さい村で、人も少ないだろうが、鬼火に囲われていた。不穏な雰囲気だ。
覗くと、水田地帯に赤い火と共に、何かわけのわからぬ集団が行き来していた。ある者は楽しそうに、ある者は追いかけ合って。
いわゆる妖怪、と言われる連中だろうか?墓の下から出てきたような、腐った体、目玉が落ちた死体、目がいくつもついた頭の大きなもの。
いわゆるこれが、百鬼夜行?と言われるものだろうか?
また、己で使った言葉におののいた。そんなことを言う人がいるのか?と笑うのが、普段の久子だった。今己が笑ったことを使っている。
学者の父が集めていた絵巻のついでということで、その手の類の絵巻も集まったものが自宅にあった。もうすでに、継母によって売られたけど。そういう冷静な目で、ものごとを見る自分もいた。
(ここ、本当にバケモノが出るの?)
笑い話ではない。じわじわと、現実認識が進むにつれ、恐怖が出て来た。本当の現実。冗談でも絵巻でもないものが、目の前で起こっている。あの世のバケモノ?怨霊の類?本当にいる?
その鬼火が村を取り囲むように移動し始めたのを見て、久子は口元から出る声を押さえた。
(村が襲われる!だ、誰か、官吏か衛兵に、誰か呼んでこないと)
誰か助けてと叫ぼうにも、誰もいない自然地帯。
自分も殺されかけている。殺人現場。
官衙もここから遠い。羅生門ももう閉じる時刻だ。
(どうしよう、迷子だ。バケモノの森だ)
その時だ。水色のきらめきが目に入った。よく見たら、水色の衣だった。
ふわりと着物を花びらのように舞わせ、空から誰かが水田地帯へ降りて来た。長い黒髪をなびかせ、青白い着物の体の輪郭は光を帯びている。暗くてよく見えなかったが、微笑んでいるように見えた。
(あの人も、この世ならざる者)
久子がそう思ったのは、あまりにも神々し過ぎるからだ。
そして、世間一般的に、髪を流すのは狂人と思われる行為だからだ。髪にかかる時間もないほど追い詰められた時ぐらいで、髪はまとめるのが習慣だ。
その男が行くと、一斉に鬼火が逃げた。百鬼夜行も悲鳴を上げて、あちこち逃げて行く。
ほっと安堵したのも束の間。がさがさとして、急にバケモノの一つが久子の前に飛び出して来た。
百鬼夜行の一匹が、逃げて飛び出して来たのだろう。大きな顔にたくさんの目玉がついた怪物だ。驚かずに済む者はおるまい。久子は心臓がひっくり返るほど衝撃を受け、目は開いた。口はあんぐりと開き、卒倒するほど叫んだ。
「きゃあああああああ」
そこで、久子は意識を失った。
「こんなところに、可愛い小鳥ちゃん」
その後、青白い人はが久子のところに来て、久子を助け起こしたのだが、久子は気がつかなかった。




