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花風縁 君に捧げる甦りの宝珠  作者: rーei
斎王の帰還
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第3話

 京の都におわす帝の居城、内裏。

 朱塗りの柱に囲まれ、黒光りする瓦屋根が乗せられた豪奢な宮だ。

 桓武天皇の時代、早良皇子の祟りだとして、新しい都へ遷都する必要があった。

 土地は北に船岡山、東に大文字山、西に嵐山、南に巨椋池おぐらに囲まれ、風水的な意義が高く、気運がとても良かった。

 北に玄武、南に朱雀、西に白虎、東に青龍という神獣が方位を守る。

 鬼門と呼ばれる位置に、ちょうど比叡山があり、風水的に穢れを押さえる。

 最初は原野だったその地は、聖なる地とされ、京の都となる。

 以来、何百年も帝とその外戚である藤原氏の統治が続き、王朝は安定して続く。

 しかし、薬子の乱、承和の変以後、権力から離されまいとした時平による昌泰の変が起き、道真追放後、都では怨霊の噂が絶えず、闇の分子の存在が暗躍し始めた。

 遣唐使の廃止を唱えた道真追放後、遣唐使が廃止され、陰陽師が絶大な力を持ち始め、賀茂忠行による鬼の追討など、怨霊への粛清が行われた。

 が、度重なる災害、疫病の蔓延、富士山噴火など、未だ災厄は留まるところを知らず、怨霊の仕業と言われる世の騒動や動乱が絶えなかった。

 人々は怨霊の噂に怯えていた。




 斎王の帰還を任された大将は、京への帰り道に悩んでいた。


「さきほど、特別使好古殿の使いが来て、斎王を帰京させるべきこと、如何に行なふべきか、と」


 時平死後、若くして朝廷の権力が一気に転がり込んだ忠平は、以来、藤原長者、右大臣と駆け上がり、太政大臣・関白まで手に入れた。

 元服して叙勲され昇殿し、内裏で最も崇高で有能な後継者とされ朝廷へ入ってから、四〇年の長きに渡り朝廷に君臨している。


 朱雀天皇の御代となった現在、朝廷の第一の座は忠平ただ一人だ。


 長きに渡る政権支配は、一介の官吏にはない貫録がある。帝の元でお支えするという、因習と規律と一族繁栄という狭間で、藤原氏が第一位であるために全精力を傾けた。


 毅然とした、人臣の位を極めた姿は、人の目を嫌がおうでも集める。年老いた今も、日々、貫録を増している。 数々の人臣、その中でもわずかな貴族のうちでも頂点に立つことで、藤原氏一門を繁栄と栄華に導いて来た。



「小野好古殿が?小野殿はさきの反乱を平定した英雄。お上はすべてをお任せして、小野殿に託したはずだが、小野殿がわざわざ、指示を仰ぐ?とは、いかなることか?」


「は・・・、妖魔の数が多いので、援軍請うということです」


「怨霊の祟りは、ひとすじなわでは行くまい」


 関白忠平の言は、朝廷の場の皆の代表だ。


 平安京の民の1割にも見たない貴族でも、さらにわずかな数の公卿ら。

 その中でも、朝議の席に座るのは、謀計を共に図る親戚一同か忠平の息子だ。共同で考え、一心同体だ。


 時平が政変を握ってから、数々の奇異な事件が起こり、清涼殿で落雷事件や、ある男が生き返ってから死んだりした等があった。


 菅公追放に関わった時平の部下たちの不幸な死などが起こって、時平も34歳で若死にした。

 以来、怨霊の噂は後を絶たない。


 人々は、道真の祟りと噂した。

 真面目で博士肌で、純粋な学者だった者には厳し過ぎた罰を下した、と。


 時平の妹、穏子は祟りを怖れ、朱雀天皇は、3歳になるまで、几帳の中で育てられた。

 

 その天皇は今、御簾の中で鎮座する。


「各地に置いている駐屯兵を差し向けてはどうか」


 朝議の席では、関白、太政大臣の忠平を席次一位にして、大納言、中納言、参議の十人ほどが並ぶ。本州ほか八つの島国を、閉ざされた密室で決めるのだ。陸の孤島であり、逆に不便もあるのは正しい。だがあえてそうしている面もある。専断の砦だ。


 みな黒服の政府高官だ。


 忠平の長男、藤原実頼さねより。忠平の右腕。

 右大臣を勤め、忠平のように、関白、太政大臣となる。まず、左大臣に上がることを目指している。本人も野心を隠さない。そろそろ引退の父忠平に、藤氏長者を渡せよと思い、その企みは顔に表れている。



「しかし、斎王のご帰京が、あまりに兵で溢れては、異な噂も立ちまする」


 次点の大納言の師輔もろすけは、忠平の次男。まだ若いが、有職故実に通じる優れた人物だ。


 毎日つけている「九暦」は、常人でないほど細かく記録しており、記憶量が人並外れている。


 出世街道では、兄より下に見られ、次点に置かれている。

 

 帥輔は最高峰は右大臣までで、最後までそれなりの人生を送るが、次代の天皇の御代、兄実頼の女御が子を産まなかったが、帥輔の娘が三人の皇子を産んだことで、道長の家系となりその子孫は繁栄する。


 私生活としては、内親王に次々手を出し、死んだらまた、内親王に手を出しと、留まることを知らず、時代きっての色好みの男と呼ばれる。


 今の妻が死んだ後、さらにまた、内親王へと手を出す男だ。そして、その今の妻とは、死んだ妻の前から、色恋沙汰を起こしていたほどだ。

 色恋の非難の的を本人も甘んじて受けている。実際、女のことになると、ケタ外れでもある。桁外れの才能の両面がある。

 そういう危ない面があるゆえ、信を置くに遠ざけられている面はある。

 




「異なこと異なこと、まったく、あいつらはいやでおじゃる。退治しても退治しても溢れ出て、人に悪さをする。将門公の首も飛んで、喋ってどこかに消えたとか思ったら、舞い戻って来たとか。かの菅公を弔いたいとか、女が言い出して帝は許可されたが、怨霊の収束は叶わず。人も怨霊と変わり、この世の中、怨霊だらけじゃ」


 同じく藤原氏の一族で、藤原忠文ただふみは、貴族の公卿中の公卿の出である。


 先の平将門の乱のときには、平将門討伐の征東大将軍となって帰って来たところだ。

 将門討伐という、大手柄を立てて、忠平に負けじと、高見へと期待したのだが、褒賞は何も出なかった。


 候補を断り、「忠平の子息を副将軍につけたら?」、だったら、行くと無理難題を言って断った人である。


 それで、結局、任命され、70代にして戦争へ赴くのだが、東国に到達する前に、将門が退治されてしまった。


 それでも恩賞が出るのは当然と求めた。だが、忠平の長男実頼は、恩賞に反対し、無用だと言った。


 直訴したりしたが、受け入れられず、骸骨上奏として、引退を願い出たが認められれず。


 この直後、年もあるので死去するが。その後、実頼の長男などが相次いで死去したため、忠文のたたりと言われた。


 怨霊となる忠文は、いまだ、不満がくすぶり続けている。



「ふん・・・怨霊には怨霊向けの退治専門家がいるであろう。その者に任せれば良い。古来そうして、我が国は続いて来た」


 怨霊、にはひとかたならぬ思いがあるのは中納言、藤原元方もとかただ。

 時平と共に道真を追放した藤原菅根の次男。

 菅原道真に頬をひっぱたかれ、雷に打たれて清涼殿で死んだ父菅根と同じく、文章博士を経て、必死で出世して来た。厳しい出世街道を自力で昇って参議となり、今や中納言だ。


 同じ藤原家でも北家が中心なため、怨霊や出世に追い落とされぬよう、わずかな手練手管や政府高官のツテを頼るのが見に染みている。


 今後、次代の村上天皇の更衣に娘を入れ、男児を産むが、学者肌の元方は、皇太子の側から外され、悶死する。

 その後、藤原氏の子孫に不幸をもたらし、元方もまた、後のち、怨霊と言われた。



 道真追放後の時代。

 

 東国では平将門が親王と称して、独立を宣言。瀬戸内海の海では、元官吏の藤原純友が海賊となって、官衙を襲った。

 

 日ノ本の外では、唐が滅び、渤海が滅亡し、新羅が滅び、高麗の建国された。


 戦争後の土地は荒れ、飢饉や疫病の流行、大火災、地震、富士山噴火も起こり、世の中は怨霊やたたりの噂が絶えなかった。


 これでも、先々代の宇多天皇の御代からは、寛平の治、醍醐天皇では延喜の治と呼ばれ、朱雀天皇の後の村上天皇の世は、天暦の治と呼ばれる。


 歌会を開いたり、古今和歌集が編纂されたり、文化が花開いた治世であった。


(この世の誰にもない長きに渡り政権を維持して来た。これからあと、いくつ年を重ねられるか)

 

 忠平ももう、七十へ近づく。


 バケモノにやられた後、40年という長さを、朝廷に棲み続ける忠平も、常人ではないほど位を極め、バケモノ感は漂うだろう。


 平安京の中にある瀟洒な贅をこらした建物や王朝なのに、きらびやな雰囲気だけではないのは、混じっている。


 歴史史上千年は続くだろう王朝であり、凄惨な事件や政変を辿って来たからか、本物の怨霊が跋扈する世だからか。


 清涼殿落雷事件は多くの官人の死傷者を出し、内裏で多くの死穢を出した。


 もだえ苦しむ死傷者を見て、その3か月後、醍醐天皇も崩御し、同時に宇多上皇も崩御した。


 すべては怨霊のせいにして、若くして朝廷の座を継いだ兄時平が急死した後、棚ぼた的に実権を手中にした忠平だ。


 怨霊だの、祟りだのが吹き荒れた動乱の時代も、何食わぬ顔で通り抜けた。政権からも遠く、政変からも遠のきながら、忠平は一番前に出た。


 兄がした道真追放で、目の前で宇多天皇が門を閉じられ締め出され、懇願したのも、目の前で見て来た。


 政変を起こした兄とはずっと距離を置き、忠平はむしろ、宇多天皇側にいて、危難を逃れた。


 朝廷を道真追放勲章で固めて組み直した所にも、何食わぬ顔で入り込んだ。


 藤原氏栄華のため、いわば真面目に政変を起こした兄時平を尻目に、全て関わらず、全てを手にした。


 注目に晒され、否応なく藤原長者として動かねばならない兄とは違い、動かずして、最も良い位を極めた。


 漁夫の利を常に得る。忠平は常に、利の力学を知り尽くしていると言える。コテ原理を最大限に活かし尽くした男だ。


 忠平はいわば、最もしたたか、と言える。


 斎王の帰還が怨霊にまみれていようと、動じる気配もない。


「妖魔との戦いは、賀茂野忠行ら一族に言うしかない。これ、帥輔、直ちに、斎王の帰還を助けよと告げよ」

「すでに、動きましてございます」

「なに、早耳だな、相変わらず。なら、そちに任せて良いか?」

「は、すでに近衛兵を連れ、小野殿と合流したかと」


 忠平は安堵した。やはり帥輔は切れ者だ。手配すべきは手配が終わっている。


 今の帥輔と忠平は同じものを感じる。

 何喰わぬ顔で権力からも離れている。女色の悪い男として、最も品性が悪いし、女子供からも嫌われている。その離れ具合は、忠平はかつての若き頃の己を見るようだ。


 年功序列で下の者が動かねばならないものであるが、頼りになる息子がいると心強い。

 斎王の微子よしこ女王は、先の帝の御子で、次女の娘であり、孫にあたる。

(尊いお血筋だけでなく、大事な存在。魔の手が伸びたとなれば、必ず助けねばならぬ)







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