第8話
阿修羅丸が呑気に木箱を片手に頭に手を置いて、田んぼの道をぶらぶら散策した。
久子は荷物を取られて、仕方なく、阿修羅丸の後を歩くしかない。
「お前はなぜ、そこまで商売にこだわる?」
「父が無実の罪で捕らえられて、死刑になり、その後、義母親子が実家に来て、家を乗っ取られました。それから、義母親子は私は奴隷として売りました。だから、資金を集め、家と身分を取り戻そうと思っています」
「ふうん、お前が栄華を取り戻すためか。それなら、なおさら、金持ちの男の側室になればいいでないか。貴族の娘なら、それで済む」
「私のことはどうなろうと構いません、ですが、父の無実が取り戻せません。父は朝廷に真面目に仕え、忠義な官吏でした。父の冤罪を晴らすことが、私の望み。それには証拠を探す必要があります。貴族や役人こそが、一番、朝廷に近い者たちで、頼りになりません」
「それこそ、お前の若様に頼めば?戦場で活躍したお前なら、言うこと聞くかもしれない」
「一度、裁定が下った事件です。役所の裁可は、帝の裁可。たとえ涼影様でも、関白様でも、事件の判定を変えられません。新たな証拠でもなければ、裁定は覆りません」
「ふうん、だが、女子の身で、本当にそこまで、事件調査が出来て、解決できると思ってるかよ?」
「自信は、あるとは言いません。でも、あるとかないとかではなく、やってみるしかない状況です」
「ふうん、女子なのに、結婚して幸せに生きれば良いと思うけどねえ。一般の世界など、そんなものだろ」
「厄介な問題なんて、誰も助けてくれないわ。私がやるしかないの。やれるかやれないかは、やってみないと分からない。私の仕事だって、最初、何も分からなかったけど、でも、やっているうちに、私、万能になった。裁縫も料理も、掃除も、大工も魚さばきもできるようになった。だから、何でもやろうとすればやれるの。人間って、開発指数が高い生物なのよ。私はそう思ってる」
「ふうん、万能家政婦ってわけか。通りで、万事解決するわけだ。欲得でもなく、努力で成り上がって、戦術も勝利するかよ。確かにお前、まっとう。強いな」
褒められても、久子もあまり嬉しくない。阿修羅丸に言われると、よけいにむなしい。また久子も、褒められることではないと思っている。
「ま、勝負は時の運だ。賭けに負けたってわけだ、斎王の帰還の戦闘の時も、涼影を切り殺した時も、うまく行かなかったのは、俺の負け」
阿修羅丸は、箱は久子に返してくれた。半ば強引に押し付けるようにしてもらい、久子は戸惑った。
「俺も失ったものが多い。もう長く戦って、失ったものが多すぎて、今更取り戻そうにも取り戻せないほどだ。お前も父のためなら、俺と目的は同じ。孝行ものだな」
にこりと笑うその笑顔は・・・夕日のようにきらめいていた。
悪鬼なのに、意外なほど、綺麗だった。
「それなら、話は別だ。お前の好きにするがいい。お前にもう、二度と関わらない」
でも本当は、近くで見た阿修羅丸の目は、真っ赤に燃えていて、胸に突き刺さった。
これほどまでに怒り、憎しみを見たことがなかった。
「次の戦場で会う時、邪魔するのなら、敵の一人として、容赦なく消す。憶えておけ。俺に会ったら、逃げたほうがマシだとな」
(復讐鬼というのは本当に、復讐だけなのだわ。復讐が果たされても次も復讐へ走る。許すことはない・・・でも、その復讐の果てに何があるの?終わりがない)
復讐の怨念の行く先を垣間見た気がして、久子は背中に寒いものが走った。
「あの・・阿修羅、仲安さん」
そう言って、阿修羅丸は数歩歩いて、白い煙となって、消えた。白い綿が出た時に来たけど、今度はもう、何も残っていなかった。
(あの人・・・、結局、見逃してくれたんだ)
久子は涼影の協力者。帝に恨みを持つ阿修羅丸などからしたら、邪魔者。
へたっと久子はその場に座り込んだ。晴明も若様も手を焼いている悪鬼だ。下手したら殺されるところだっただろう。
(なぜ・・・?)
阿修羅丸は大戦で、母を犠牲にした藤原実頼と帝を恨んでいる。もしかしたら、阿修羅丸は・・・
(阿修羅丸も母者が犠牲になったから、私のことを見逃してくれたの?)
久子は考えたら、そう思い当たった。
(阿修羅丸は・・・)
そう気づいたら、最初からお調子者として出て来た阿修羅丸のあの陽気さも、商売をするとふざけたことも、胸が痛くなった。
日の高さをみたら、けっこう時間を消費していた。
急いで、元の道を戻った。
門をくぐったら、そこに涼影が待っていた。
「だ、旦那様、だんなさまあっあ、ああ、会いたか、い、あの、あの・・・」
久しぶりに涼影を見た気がした。
赤色に染まる夕日を受けて、若様は明るく輝く。大人しく地味だが、品があり、風格がある。優雅で、落ちついた雰囲気が漂う。いつもの若様だ。
「遅かったな。何かあったか?」
竹兵衛みたいに喜びを全身で表したかったがやらない選択をした。下っ端下女が、高貴な貴人に抱き着いてはならない規律は厳しい。モフモフしたら、さぞ鬱憤が晴れるのに。
(でも)
「ん?」
全てを見通している遠い鋭い目と、柔らかさをもつ涼影を見て、言うのも、久子は思いとどまった。
阿修羅丸に会ったってことを言ったら、また涼影は気を荒立てるだろう。阿修羅丸のことで気を逆撫でするのは、この屋敷ではご法度だ。
急ぎ買い出しが必要なほど、皿が割れるのも、たびたび涼影が暴れるからだ。この屋敷では怒らせることは、してはならない。暗黙の規則だ。
そう気づいて、ご主人様を怒らせる要素は削除、と直観が告げた。
鋭く光る目はこちらも壮絶だ。
あちらは悪鬼。こちらは幽鬼・・か。
「い、いえ、何でもないです。あ、明日の昼餉はどうします、?と聞きたかったのです」
「明日の昼?まだ今日の夜もまだだが?久しぶりに会って、明日の昼餉?を聞きたかったのか?」
「あ、はい・・・えへへへ、旦那様、いつ帰って来てました?」
「ついさっきだ」
最初見た時、呑気で地味で大人しい若様と思ったけれど、よく見たら、澄み渡った青空のような荘厳さと共に、泉の沸き上がる冷たさを秘めている。
涼影の気を荒げる、阿修羅丸のことは、触れてはならない傷だ。
阿修羅丸の名を聞いた時点で鬼と変わり、阿修羅丸に怒り、追いかけて行くだろう。そうなると、久子や爺やでは止められない。
(あ、阿修羅丸なんて、勝手に、出て行けばいいわ。ときどき遊びに来るだけだし、あんな奴、放っておくのよ。まだご回復してない若様が、鬼になって追いかけていって、具合を悪くさせたらそれこそ、ピンチよ。今は若様の回復が優先する、あんな奴、どうせまた出てくる。そっちは、晴明が監視してるでしょ)
全てを見通す涼影の落ち着いた目だ。久子は胸がどきりとした。けれど、若様は深淵な目で、微笑んだだけだった。
「だ、旦那さ、ま。あの、くれた屋敷、あれぜんぶ、旦那様の?」
「そう、あのあたり一帯を私が買い占めた。お前の主人は私。ずっとな」
確かに久子の身分はまだ奴隷だ。奴隷なら証文を持ち出されたら売りに出されるが、土地つきの奴隷にしておけば、何かあった時に地主の問題にもなる。土地がある限り、久子は二度ともう、奴隷には売られないということだ。若様が土地を売らない限り、久子はどこにも売りに出される心配はなくなった。
若様はすこし照れた様子で、腕組みして空を見上げながら言った。
「考えてもみろ、銭銭とばかり言うお前が、他人の家に乗り込んだら、生意気だとすぐ追い出される。仏頂面でぼーっとしていて、銭しか考えてないから、持ち主も困るぞ。油断すると、すぐ銭だの、売り買いだの、言い出す。だから、私がお前をしっかり見張ってないとな」
久子は証文で口元を隠して笑った。若様の心遣いが嬉しかった。
(嬉しい。若様のご褒美。褒賞)
「代わりにと言っては何ですが、かかった費用とそれの倍、ご主人様を豊かにします」
新たな目標を立てて、久子はそう言った。
失った土地が帰って来た。
久子は地券を抱き締めた。




