第7話
(出ていく?こんな良いところ、もったいない。でも、父の無念のためには、この先、いつか出なければ。・・・若様に迷惑は、絶対、かけられない。でも、まだしばらくは、ここにいる)
この先、誰かと対決する時があるだろう。その時、若様から離れておかねば。 それがいつになるか?
(でも、出て行きたくない)
そんなことを考えて、迷った。そこで、そう言えば、と、もらった証文を懐から取り出した。
(別荘地?)
試しに久子は見にいった。屋敷からあまり離れてないなだらかな丘陵地だ。牧草地があって、のんびり牛が草をはんでいたりする。
(ここがそう?)
別荘地と言えど、土地には主がいる。近辺の農家にでも聞けば、すぐ答えられるだろう。
「あのーこのあたりは、誰の土地ですか?」
「ああ、もとは誰かの荘園だったが、どこかの大貴族が買い占めたらしい」
それで聞いたが、大貴族で思い当たった。大貴族などあちこちいるわけがない。
だとしたら、どこまで行っても、私の主人は・・
「ああ、家令殿。今日は良い芋が入っていますよ。どうですか?」
「なら、たくさんもらうわ」
「あら・・・これは」
久子がまた農村の市へ買い出しへ出かけた時、奇妙な合子(容器)を見つけた。中を開けてみると、ぷんと草のような、強い匂いがした。でも、ふくよかで爽やか。どことなく余韻が残る。極上品だ。
「またよい品物だわね。これは・・・?」
「ああ、このあたりの薬屋が作っている薬です。塗り薬ですから、軟膏ですね」
(軟膏・・・?)
何かまた、出て来たらしい。いや、久子がようやく辿り着いた、というところか。嗅ぎつけたというか。
妖の職人が作る逸品は、金になる。
さっそく、言われた先に、買い付けに行った。
農村の近くの離れた山の山小屋で、作っている。
「お前は誰だ?」
「近くの大貴族の屋敷の仕入れ係です」
「何しに来た?このやろ、何も渡さんぞ。税も支払わん。俺は何も支払わない、取り立てには断固反対する。俺が誰かも聞くな」
「あなたの軟膏を買いに来ました」
「軟膏?なんだ、なんこう?誰か怪我でもしたか。俺様の軟膏は何でも治すからな。だからと言って、なれなれしく里に来られては困る。俺様は、いや、何。お前さんのような子供には売らん、関わらん。俺はただ、ひそかに生活する生活者ゆえに」
「何でも治す?本当に?」
「なんだ、お前、俺様からやはり軟膏を買いに来たってわけか?出ていけ。お前には売らねえぞ」
急に男が警戒し始めた。丸い目でぎろりと睨まれ、髭は上がり、頬の髭も立ち上がり、耳にばらけた髪の毛も立ち、心なしか来ている服も毛が立っているように見える。
「お金を払います。買わせてください。理由は、怪我をした人がいるからです」
「だが、お前、買うってのは元の仕入れがある。仕入れが得体の知れない、正体不明のものだったら?警戒もせずに、そんなものを買う奴がいるか。都人は正体不明のバケモノ・・・いや、軟膏。バケモノ軟膏・・・いや、薬などを買うか?。都人が得体のしれない者を信用するわけがない。おめえ、まともな商売本当にやってるのか?」
(まるで、タヌキ)
隠すほど、ますます買いたくなる。とても効能があるように思える。わざとじらしているのだろうか?いや、ここの妖怪たちに、そんな駆け引きが出来そうにない。自分が誰かも分かっておらないのだ。
(効果が期待できるのなら、いくら支払ってでも、買い付けねば。誰かに買われて、なくなっては困る)
「いくらでも支払います。金額を言ってください。お願いします」
「金十箱」
「金じゅっ・・・」
法外な値段だ。一生涯かかっても稼げない額かも。少量なのに、法外なら、小売でも法外な値段だ。買っても、なかなか売れないだろう。
(成分も本当に言うように、いう通りのものか)
一度、疑ってかからねばならないだろう。薬や軟膏というのは。そう思えば、慎重になったほうがいいとも思えて来た。
「これ、私が先に目をつけた」
迷ってると、誰かに腕を押さえられた。
がっちりと木箱を持った手を上から押さえる手は、大きな手だった。
強靭な肉厚な手で、腕から遡って目線を上げていったら、体つきもがっしり、顔も首元はがっちり、常人ではない盛り上がり方をしている。
さらに上を見てみたら、意思の強そうな目をし、縦長の鋭い瞳孔をしており、一発で、人間ではないと分かる。
「これを買って、私が金持ちに売ろう」
「あなた・・・・」
「どうだ?これから、金持ちの家に行って、どう売るか?勝負せぬか?」
髪を高く束ねて垂らし、赤と白の着物を着て、黒の袴を履いている。山賊みたいな、海賊みたいな一般人とは違う見かけだ。人間のように見えるが、鋭くとがった眼光、邪悪な空気を発し、常人ならぬ気配を漂わせている。
久子は前に、角が出て、醜悪な形相の鬼の姿を見たから、この人は人間ではないと知っている。怖くないのは、にっこりと微笑んでいたからだ。
この人は前に見た。あの人だ。ご主人様が涙した、あの、阿修羅丸。例の若様の心をがっしりと占めて離さない男。久子の大事な若様を、泣かせた男。
もと涼影の随身という。元貴族なのだ。ちょっと品の良さのある顔つきはしている。
「な、何?なぜ、あなたが・・・・」
「なぜ、って、出て来たらいけない法でもあるのか?俺が出て来たい場に、俺は出る。この自由の大地に、俺が出るのは自由だ。勝手にどこにでも俺は出る」
「そりゃ、出て来たらいけない法はない」
「ふん、そら、そうだろ」
「いや、いえ!違うわ。あなたは、私のご主人を殺した極悪人よ」
「生き返ったじゃねえか。どうせ、そうなるって思ってたんだよ。あいつの中に、なんかすごいもんが入ってしまってるんだとかさ。俺もなまじっか、子供の頃から付き合ってないからな、あいつ、しぶといってのは知ってるのさ」
呆れてものが言えない。本当だろうか。久子が間一髪助けなかったら、若様はいなくなっていた。考えたら、怖ろしい。久子の大事な若様を失う所だった、いや失ったのだ。そんな大それた罪を犯した後、何事も無かったかのように出て来るなんて、信じられない。
「あなたは地獄に落ちて、封印されて、都に立入禁止の悪鬼じゃない。悪さをするから、ご主人様や晴明に、結界を張られているのよ。どこから入ったの?」
「あちこち破れてる。入るぐらいわけないさ」
「何しに来たの?また、若様や斎王を襲う気?」
「そんなこと、しないさ。こっちだって、怪我が回復しないことには、身がもたない。悪さをすれば、涼影も晴明もすっ飛んで来るし、うっとうしい。ただ、綿みたいに浮いているぐらいなら、そこまで目くじら立てられないさ。怨霊が多い世の中、綿ぐらいは無数に入ってるよ」
見ると、久子の肩にまた白い綿だ。慌てて、久子は綿を払った。
「なら、あんた、何しに・・・?」
「商売をする」
元は、幼き頃より、皇族を守るために訓練し、涼影の付き人だった。武人で、剣が達者だ。商売をしたこともないだろう。まるで嘘、あまりに分かりやすい嘘だ。
「あんた、涼影の何?見かけは下働きの下女なのに、普段から、涼影の周りをちょろちょろする世話焼き。あんたは斎王まで助けたな」
おそらく、阿修羅丸が興味があるのは、久子だ。
思えば、阿修羅丸の邪魔ばかりしている。斎王を助け、涼影を生き返らせたの犯人は、久子だ。
「あんたなんて、知らない」
「俺を追い払うな。もっとひどいことをするぞ」
「若様に言って退治してもらう」
「涼影に言いに戻ったら、食ってやるぞ。だが、俺と商売をしたら許してやる」
困った。例の阿修羅丸に絡まれてる。
怨霊が祟らないわけがない。恨みを持つ怨霊は祟る。
「妖魔のあなたが?なぜ、そんなこと」
「ふふん。やってみたい。お前、この軟膏、いくらで金持ちに売る?」
希少な軟膏だから、若様に使おうと思っている。それを弄ぶ阿修羅丸に、久子は心底悔しがった。
「金三十文で」
「なら、俺は、二十九文で。どこの金持ちに売る?」
「都の大通りに家を構える貴族ね。好事家で知られている家か、このような品を集めている収集家に」
「ほう、俺も同じだ。どちらが先に、買い手を見つけられるか、賭けようか?」
「そんなこと、する必要がある?それは私が見つけたのよ。あなたになぜ、邪魔されねばならないの?」
「俺も商売を始めたんだ」
「いつから、商売人になったの?あなた、阿修羅丸なのでしょう?もとは人間で、恨みを持って地獄から出てきて、ご主人様の命を狙ったりする。それで忙しいはずでしょ」
「ふふん、俺のことそんなふうに思ってたのか。確かに俺は地獄に住まう鬼だ。だが、毎回毎回、襲ったり、そんなことばかりではない。もっと忙しい。襲うばっかりでもない。頭を使っている時もある。俺が地獄の悪鬼と思って、馬鹿にするな。俺だって知能を使って仕事しているのを見たら、賢く見えるはず。それに、品物を売って、支払った額と売った額の間の小銭を数える時もある。お前が商売をしたければ、大原へ行って来い。そこで俺の手下と会って来い」
「嘘ね。全部嘘だわ。そんな遠いところへ行ったところで、森しかない場に、何があるのよ?ここから都のまた逆の外じゃない、私を騙して、遠いところまで、奔走させようたって、何したいか知らないけど、行かないわよ。いったい何なのあなた。この日ノ本を滅ぼす気?」
阿修羅丸はくすくす笑っている。口を開けば、人を惑わすことばかり。根拠のないことばかりを言って、嘘ばかり。一見、まともな人間の顔をして、人を惑わし、翻弄する。まったく、やはり厄介で、危険な相手だ。
「まあ、いいから、来い」
ついっと手を引かれて、貴族の屋敷に入った。
綺麗に整えられた厨子棚のある室で、几帳が張り巡らされていたから、どこかの貴族の家だ。
「ほら、この方は都でも金持ちだ。わざわざ来たんだ。営業をしろ」
「あ、あの、えーと。この軟膏は何でも治す軟膏でありまして、とても貴重なものとなっており・・・・」
そばにいる阿修羅丸は興味津々で見て来る。高貴な貴族に体面してではなく、久子は違う意味でしどろもどろになってしまった。
「うまく契約出来るまで、次に連れて行ってやる。次は仕事の仲間だったところ。まずはお前に先にやらせてやろう」
次の屋敷。そこで気づいたのだが、屋敷に正式に迎えてもらってない。小間使いが来て、きゃあと言いながら逃げて行って気づいた。御簾の向こうに貴族が座っているように見えたが、それはわなわなと震えている。仲間なんて嘘だ。
「心配ない。清原家のオジサンは、俺の知り合いだ。まあ、何年も前のことだが」
「あんた、一度死んだじゃない。知り合いっていつの話?」
久子は憤って、立ち上がった。
「驚かせた?」
阿修羅丸はけたけた笑ってる。
「死んだ人が出て来たら、そりゃびっくりするわよ。
「ああ、何、涼影を騙したり、晴明を騙したりするのに、都で人として紛れることもあるんだ、顔見知りだ」
「死んだ人が後から出て来ても、それは顔見知りとは言わない。幽霊よ。そりゃ驚くわよ」
「死人は後から出て、現世の人と会ったら駄目なのかよ」
「駄目に決まってるじゃない。分からないけど、そんなの駄目に決まってる。それに、あんたは悪霊、悪鬼じゃない」
「悪鬼の俺にそもそも、悪呼ばわりするのも変」
「ま、まあ、それはそうね・・」
はははと笑いあったり・・・なんて、ぞっとする。二人で、笑い合っている場合ではない。
引っ張り出して引きずり回すのは、今度は久子のほうだ。阿修羅丸の衣を引っ張って、屋敷の裏の路地へと引きずり出し、地面へ放り倒した。
「あんた、妖怪でしょ?人様に迷惑かけて、悪ふざけして遊ばないで。はやく出るのよ。ほら。悪鬼のくせに地獄から出て、そこらへんをうろつかないで」
「なんだ、俺は箪笥の荷物かよ。出て来るのも悪いのか」
「当たり前よ、のんきに昼間から出しゃばらないで」
「お前も俺を怨霊呼ばわりか。お前はなぜ、女子なのに、商売をする?見たところ品の良さそうなお嬢さんだ。下女ではあるまい。お前の役回りが分からぬ。我らの戦いの中で、お前はいったい何だ?」
「あんた、私を始末するため、出て来たの?」
「気分次第でな」
即答は、当然という意味だ。ぶるぶると、手が震えて、久子は離した。
「私は、旦那様の任務を完遂出来るようにしたかっただけよ。旦那様がいないと、私は居場所がないの。人生終わるのよ。名前も家も、何もかも失うの」
「涼影の屋敷にいるのは、側室なの?奴のお手付き?」
「違うわ。私は下っ端の下女。若様は高貴な方で、下々の女なんて手を出しません」
「ふうん。じゃあ、本物の飛び入りってわけか。飛んで火にいる虫ってことだな。つまり、涼影の相手でもなし、単なる貴族の家の下に扱われる虫ケラってことだ」
「む、虫?虫ケラって何よ?虫だって、一生懸命生きてるわよ、馬鹿にしないで」
「ははは、面白い女だな」
阿修羅丸もそれは苦労して、こんな悪鬼の有様になったと聞く。けれど、人を当然のごとく殺す鬼だ。本当に虫ケラの思いを分かるのか。
「返して欲しいか?」
「返して」
阿修羅丸は木箱を久子の鼻先でぐるぐる回して見せる。久子が手を伸ばす。そこですいっと交わす。
「あなたこそ、どうして旦那様と対立することばかりするの?旦那様はあなたのことを心配しているのよ。あなたが恨みを持つのなら、旦那様に言えばいい」
「涼影はあの計画を実行させた。あいつも体制側の一味だ。誰が信用するか涼影は殺す。俺に殺される。俺が殺すに決まっている
「それで殺して、思いは果たされて、納得したの?」
「納得するか!」
急に懐の剣を抜いて、雑草相手に振り回した。よく切れる剣で、雑草が飛び散る。
「ほら・・・やっぱり、納得してない」
「あいつはまだ生きている!」
「でも一度殺したじゃない。それで復讐は果たされたでしょ」
「だが、まだ元凶が生きている。たとえ、涼影が死んだところで、許せるか。許せと言うのか。あいつの善意で、命で、お慈悲で許して、納得しろと?」
青々した葉っぱが、はらはらと舞う。何度も何度も、剣を振り回し、草を刈っていて、河原の砂利道へはらはらと舞った。
「そんなの旦那様に言えばいいのよ、旦那様は全て解決してくれるわよ。藤原実頼だって、怒ってくれる」
「涼影は母を見殺しにした。誰も許さない。俺に復讐を果たされるまで、涼影は許さない。俺には、今の涼影はただ、それだけの男だ」
「涼影様はあなたをずっと、大切に思っている。あなたをずっと救おうとして来た。あなたをずっと友人と思ってる」
「たとえ、涼影が善人だったところで、俺はもう地獄へ落ちて、死んだ。大勢殺した。もう、涼影がいくらどうのと言ったところで、遅いのだ」
「だって・・・今も、若様は」
(もう、遅い?それは本当に・・・?)
悪鬼が本当に怒ると、尋常ではない空気になる。久子は圧倒されるのを感じた。人間よりはやり悪鬼だ。人にはない寒気が走る。身がすくんで止まった。




