第1話
「お家断絶の危機?というわけか。私にまさか・・ああ、まさか」
実頼は誰よりも頂点に立ち、栄華を極める、予定だった。
不比等より続く藤原四家の筆頭である北家の藤原長者となる。その子孫らがまた、帝の外戚となり、朝廷の第一位に座り続ける。藤原氏の繁栄方法だ。それしか考えたこともない。
だが、ある時、息子が実頼の子孫が途切れると告げた。
帥輔がお家断絶を呪い、実頼の娘はことごとく子を産まず、次代の成明親王に入れる娘もすぐ死ぬ。息子も呪われて死ぬ。と。
奇妙で怖ろし過ぎることだった。お告げで聞いたと言う。
話は、秘かに祈っていたという寺の僧都から、聞いた。
その夜だ。実頼の息子は夢を見た。帥輔も祈願に来た、と。だから、不幸の背後には、帥輔がいる。と息子が告げた。
夢にしてはあまりに現実的で、何か良からぬ胸騒ぎもしたので、父の実頼にすぐに報告した。
「何と言う・・・本当なのか。だからか、我が娘が朱雀天皇の御子をみごもらないのは。次代の成明親王も、我が娘を拒否し、帥輔の娘を大事にしている、というのは」
後宮では、実頼の娘が入内しているが、待てど暮らせど、懐妊の報は来ず。どうやら、朱雀天皇もあまり良く思ってないらしい、というのは聞こえていた。
帥輔の懇意の高明も、実頼の娘を与え、正室にしたが、どうやら、娘を冷遇している。と聞いた。娘が不満を吐いた。夜の営みがないと。
(そう言えば、ことごとく、子孫に関しては外されている。どの娘も、夫から拒絶されて、子から縁遠い。まさか、あの、帥輔が・・・・?)
実頼は言われてみたら、思い当たることがあった。
時平亡きあと、父がすぐさま藤原長者となり、従三位の位に駆け上がった時、帥輔も実頼も二十歳代で、朝廷に入りたての新参者だった。父は実頼を第一に引き立ててくれたが、だが、あの時も取り立てていたのは、帥輔でなかったか。
その後、右大臣源光が没し、父忠平が右大臣を拝命した時も、帥輔は父について雑事を担っていた。だが、あの時も、父は部屋に呼び、帥輔と共によく行動してなかったか。
(まさか、事変の背後で、父の栄華出世を手伝い、私の前途を塞ぐよう画策していて、あやつの手は汚れていたのでないか・・・?)
実頼も兄だ。実弟の帥輔が繁栄するのなら、自分が繁栄すること同然だ。実頼は懐の深い兄だ。弟を責める狭量の兄ではない。
(裏切者を我が一族は許したことはない。我らの繁栄を途絶する者は・・・だが、あいつは弟)
たとえ失っても。実頼は老齢の忠平に代わり、朝廷を率い、実質藤原長者であり、座は安泰だ。
しかし、実質、子孫がいなくなれば、実頼は帝の外戚になることも出来ず、ただ人臣位を極めた地位に座るだけになる。
(私の娘は見向きもされず、朱雀天皇も、次代の天皇も・・・?)
忠平も年を取り、実質、座から引いて、次代の後継者に任せる時が近づいていた。
父忠平のように、実頼がいて、帥輔がいたら、父は引退後、家にいても高うちわだ。
だが、帝の子の祖父にもならず、帝の義父にもならず、皇太子もおらず、ただ抜け殻の置き物同然の身となれば、誰からも相手にされなくても、誰も注意も払わないだろう。
とたんに北家のほか、式家などの反抗する。他の一族との均衡も崩れ、勢力も時世も覆るかもしれない。
だが、従来通りの後継者がいたら、今まで通り。藤原氏全盛の支配だ。
実頼が引退後、帥輔が太政大臣、もしくは帥輔の子孫が天下を取ったらどうなるだろう?帥輔の子孫が栄華を独占することになろう。
そのため、気づかないうちに、実頼の子孫がことごとく外され、もしくは、生まれないようにされていたら?
そうすると、実頼は実質、置き物同然。
引退後は、孤独な老人だ。
(まさか・・・)
重鎮らが鎮座し、子孫の活躍、結婚や楽しい旅の話など、きらびやかな栄華を自慢するのを聞くと、己がその栄華を失うのがありありと想像出来た。
実頼は思考した。雨の日も、暑い日も、夜の星空の明かりの下でも、長く、深く、熟考した。
(胸の騒ぎが収まるには、全て排除するしかない)
気づいた。ぽつんと一人栄華から取り残される可能性に。いや、今の状況なら、父の栄華を引き継ぎ、藤原長者の全ての財産をあまねく受ける身からの転落など一瞬だ。
悪夢だ。だが、現実だ。今のままでは、父の栄光と安泰の温かい傘下の中で、転落者になる。いや、もう失っているのだ。
この悪夢の実現を阻止するには、邪魔者は全部排除するしかない。
実頼の心は春の野のような明るい木漏れ日の中の様を好む。心が休まるには、不安を追い払うしかない。汚点や曇りは全て消すと、空は晴れる。栄華を消す邪魔者を全て消すことでこそ、先は安泰なのだ。
その日から、実頼は思考を変えた。己の前途を阻む者を早期に見つけ、離反する危険分子も探し、取り除くために行動した。
ある時、池に移る顔を見て、己が父と違う、疲れた顔をしていることに気づいた。三十かそこらで藤原長者となり、実質朝廷の第一位に君臨。以来、四十年の長きに渡り、人臣の位を極める父は、老いてでも、穏やかな気品があった。だが、己の容貌は、疲れ切った顔だった。
忠平も十五で昇殿した時から父の姿を見つづけている。朝廷では、したたかでありながら、明るく、泰然自若とし、堂々としたものだった。人に対しては誰でも優しく、温厚で会った人ぜんぶが朗らかになる人柄だ。実頼の顔は暗い。
(どうして、明るい顔になぜ、なれないのか?)
振り向いたら、菅公がいた。と思う。
姿は行商人の格好だ。昆布茶を飲まぬか?と誘われ、実頼はその夜、菅公と庭の東屋で一晩中語らった。
(あれは・・・何だったか)
明けて朝から、実頼は変わった。何か意味が分からなかったが、分かった気もした。
きっと、いつか来るぞと。怨霊が告げたのだ。
頭脳の中では嫉妬と怒りが入れ狂う怒った実頼は、帥輔に詰め寄り、言った。
「お前が私の家を呪ったというのは本当か?」
「いったい何のことだ?」
「不動明王の寺で聞いたと言うのだ」
実頼がおかしい。
「門の前で菅公と話をした」
とも言う。
「お世継ぎが生まれないことを、お前は呪ったのか?」
「そんなことは決してない」
その時、犬の死体が投げ込まれる事件が続き、帥輔がしたのでないか?という噂が立てられた。
朱雀天皇を、次の皇太弟にしようと、排除しようとしている、というのだ。
皇太子弟が立てられ、今や帥輔が皇統を続ける藤原長者になるとも、噂が。
聞いた帥輔は、実頼が流したことを勘づいた。
ある時、高明の邸宅に帥輔が雨に濡れて、飛び込んで来た。まだ夏の盛りであるので、濡れても構わぬが、雨具も使わず、家臣も置きっぱなしで来て、ぼたぼたと雨がしたたり、全身びしょびしょで、体が冷え切っては、健康に良くなかった。
「どうしよう、高明。「止足の分を知らず、専横の心有り」、と言われた」
「菅公と同じ文言だ。誰かが引用したのだろう」
実頼らの一派が、帥輔に言ったのだ。お前は菅公と同じでないか、と。
帥輔が知らされるのは、噂。はっきり誰が言ったとは聞かされていない。
朝廷とはそんなところだ。周りから耳打ちされて、裏で根回しをして、共同体の結束の力で、追い落とす。
「これは、もしかしたら・・・・」
「もしかしたら・・・と実頼を疑っているのか?」
「高明殿、実頼は狂ったぞ。犬まで投げ入れて、嫌がらせだ」
高明も最近、実頼がおかしいと言うのは知っていた。
「お年なのだろう。実頼殿も、もう中年を過ぎた。目に見えぬ病気などがあるかもしれぬ」
「権力を奪われる夢を見ただの、怨霊を見ただの、日ノ本の中枢にいるのだ。いわば、呪いなど受けて当然。権力の高みにいて、悠長に狂うな。今更、何をほざいている。怨霊を盾に、己の欲望が首をもたげたに過ぎないんだ」
帥輔も兄には追い込まれた。高明も実頼は気に入らぬけれど、帥輔の兄でも、同僚でもあり、立場的にも、己を爆発させることも出来なかった。
「怒った。私にも考えがある」
「何をする気なんだ?帥輔。毎度の朝廷の権力争いでないか。怒ってどうする?」
高明はたしなめたが、帥輔はあらぬ嫌疑をかけられ、憤っていた。実頼が突然、恨み、妬み、攻撃し始めたのだ。
「藤原氏の宿命だ。兄弟と言えど、相争う。もちろん兄弟の情はある。だが、権力は能力を競合するものだ。情で曲げて、周囲を率先するわけがない。率先力と頭脳、根回しを見定められる。兄も力を見せる時だ。私も。とうとうやるのだ。私も。運命だ。それでこそ、次の左大臣が決まる」
「とは言っても・・・お前は何も出来ないではないか」
ただの大納言でないか。実頼が藤原長者となるため、一族は、全ての実権を実頼に集めた。他の弟たちは実頼の飾り物程度にしかなってない。
「いや・・・私にだって、何か、ある」
陽気な女好きの半面、帥輔は才がひらめく所がある。その顔はあまり良からぬことを考えているものだ。帥輔は女狂いで大人しい記録係だ。繊細で常人ならぬ記憶力を持ち、能力は実頼以上。実質、女への手練手管は凄まじい思考力だ。本当は政治家としてやれば、熾烈な競争相手だった。それを実頼へ向けたら、一撃でも倒せるだろうに、今まで帥輔はしなかった。兄弟ゆえにと知っている。高明は。
「私も呪いたくなったよ。ときどき、思うんだ。父も言っていた。怨霊になりたい時があると」
「怨霊だと・・・?」
どきりと、高明はした。
(まさか・・・帥輔が怨霊となる?というのか?帥輔、も、菅公のような道を辿ると言うのか)
「帥輔を牢へ」
怒った実頼は、帥輔追補の触れを出し、牢へと収監した。
(実頼め)
高明もふつふつと怒りが沸いた。
「あなた、実頼殿は朝廷の第一位になられる方、帥輔様に味方せず、実頼殿についたら?」
すでに高明も実頼に首根っこを押さえられている。実頼の娘だ。妻だ。
帥輔の娘の妻ももらう予定だが、幼すぎてまだ来てない
実頼の娘は実頼そっくり。見かけではなく、強情で、可愛くない。自己中心的で、人の言うことを聞かないのだ。朱雀天皇も同じでないかと思う。続く次代の成明親王も同じでないか?とも思う。
「私に帥輔を助けるな?というのか?帥輔は私の友だぞ。帥輔を見殺しにし、実頼を助けろと?」
「父実頼は、醍醐天皇の落胤、すなわち、あなたの腹違いのご兄弟の空也に各地の慰撫をするのに資金提供してくれています。ご慈悲の心は日ノ本全土に広がり、父の心は広いです。牢へ入れられた帥輔殿など、助ける必要はありません」
改めて、高明には朝廷の力関係でものを言える相手が帥輔以外にいないと思い知った。朝廷は、藤原氏ばかり。天皇の血族でも、高明には味方が少ない。
「そんなことが出来るはずがない」
実質正妻だ。だが、高明との子はない。高明も子を実頼の娘と子を作る事はあまりする気がなかった。実頼の子と思うとさらに可愛く思えて来ない
長い間、己の前に立ち塞がる強面の男の顔をじっと見続けているのだ。家でも夜に女の顔に親の顔があって、ずっと抱いて寝られるわけがない。それは朱雀天皇も、成明親王もそうだろうと思っている。
「力を失うのではない。友を失うのだ。大事な・・・」
妻に理解しろと言っても、無理な話だ。それ以上、高明は話すのを止めた。
「帥輔を見捨てたら、私を恨むだろう。私も帥輔を失くして、今の地位が保てるのか。いや、保てない。こんなにも、私は弱かったのか?源家はこれほどまでに、藤原家に右往左往させられるものか。朝廷で仕事上、あいつらが言ったことをやったが、力の均衡を保つために、人材を選び抜き、制限したため、周りには私の味方になるものはいない、なんて、私の権勢を削ぐためでないか。今まではぜんぶ、あいつらの思う通り」
高明らは、改めて帥輔の重さを感じた。帥輔を失えば、朝廷の座から転がり落ちるだろう。
己がいかにもろい砂上に立つのか。権力には縁遠い身だと、思い知らされた。
「だ、旦那様」
高明の家令が急ぎ、入って来た。
心配しないでくれたまえ。いつもの兄上の癇癪なのだ。すぐに出されるから、いらぬことをするでないぞ。
帥輔からの文だった。
「心配したのに、何だ」
高明の体に血流が戻って、温かくなった。
「ほらみろ、帥輔がいるだけで、周りの空気から暗さが吹き飛んだようだ。毎日の景色が、何でもない様子が、何より大切なのだ。帥輔がいるかいないかでも、これだけ温度が違う。私は帥輔を支持するぞ」
「それはそうですが、実頼様の御意向も考えねば、実質、権力は実頼様が、帥輔様は実のご兄弟。実頼様も本気には。忠平様もおられるゆえ、そのうち牢から何事なく出て来られますよ」
家令が言ったけど、高明には怒りしかなかった。
「朝廷で孤立し、藤原氏から排除され、発言力を失い、地位は吏部王のように形だけの王卿になった者は、この世にどこにも居場所がない」
「それはそうですが、しかし・・」
「私にやられてみろ。帝をお守りせねばならぬから、私がいるのに、私をないがしろだ。兄弟のような、薄い板一枚の座しか与えぬ。あらゆる権力が己の手から消えると、私は裸だ」
一歩先は闇。菅公のように罪を着せられたら、藤原氏から追撃された罪人となる。
だが、光の輝かしい栄光も用意されている。朝廷に君臨する唯一無二の席、太政大臣の道だ。
己が藤原氏の二番手として、一生背中を見つめて見つめているのか。怯えて生きる生き様から脱却するか。果たしてどの人生が正しいのか。
闇から抜け出して生きるしかない。闇に支配されたら、あがいても出られない。高明の望むのは光だ。不安もおどかしもない所が人が住まう適地だ。人は誰でも、安泰しか望まない。
光の中に帥輔もいるか?いるだろう。必ず、実頼に対抗し、帥輔と共に、朝廷で生き残るのだ。
闇から抜け出した先には、平穏もあろう。排除すべきを排除し、不安を終わらせれば。
(平穏で暮らすには、帥輔殿と共に行動し、邪魔者は消すしかない)
朝廷の安泰を奪うのであれば、狂った実頼らの連中は、邪魔になる。




