第9話
「どうして、私を助けた?」
「若様は私の主。目の前で、若様が死にかけていたら、手を差し伸べざるを得ませんでした」
「お前の大事な珠が、一つ、欠けてしまったな」
「いいのです。あの、若様、こちら、どうぞ」
若様は緑色で苦い薬を、顔をしかめて飲む。庭の薬草園の煎薬だ。熱々をまた、黙って文句も言わず、飲む。
「一つ言うと、私には寿命がまだあって、この宝珠の色がある限り、私は死なないのです」
「猫又みたいだな、いくつもの寿命がある。だが、それも尽きようとしている」
「目的を叶えるためには、構いません」
「お前の思いはよく分かった。だが、化け猫でもなし、寿命がいくつもあるのが人間ではない。寿命は大切にしろ」
「若様こそ・・・」
鬼と同化して、若様も妖魔を散り散りに殺す鬼となった。そして、友人を救う鬼と化して、念願叶って、敵の望みを叶えてあげたのに・・・久子が逆転させた。
優しい若様は、咎めることはなかった。ただ、残念そうにしていた。
(下僕が差し出がましかっただろうか。責任を取りたい若様を、無理に引き戻した。もう、後悔しても遅いが)
「若様・・・どうして、阿修羅丸にわざと、負けたのですか?」
「阿修羅丸にとって、それが最善なら、私があいつのためになることをしようと思った」
若様は今回のことで、大きく傷ついた。体もそうだが、心が。体は中にいる鬼が回復してくれるが、他はまだ回復してないのが分かる。
「旦那様がいなくなれば、帝が困るのでは?」
「私の役目は、帝の傀儡。帝にとっても、私は肩代わり。太后にとっても。さらに太后には目ざわりの目の上のたんこぶ。私の生涯は誰かの肩代わりの役ばかり」
若様は自分のことを影と呼ぶ。帝の影になり、太后様の目が光るのから隠れて生きる。
世間からも隠れて生きる人生を選び、影として、日ノ本を守っている。
本来はもっと、栄華繁栄の道もあるのに、影の道を歩む。
でも本当は、光があるほうへと歩むべき人だし、本来、明るい未来がある人だ。身分も能力も、知性も高明殿と同じ。だから、もっと前面へ出て生きて、幸せな人生も可能だ。若様が高明殿と同じ輝く人生は、これからもある。
(今はただ、少々、歩む道を外れているだけ)
「太后にとっても私は目障り。阿修羅丸にも、なら、私はこの世から去るべきか、とも考える。なら、阿修羅丸に、皆の復讐の全目的として、果たしてやるのも悪くない、と思ってな。お前も復讐したい気はあるだろう?お前はどうして、それほど人助けもしながら、前へ歩み続けられる?」
「私も、奴隷印も押されて、この世の誰もからも、もう眼中に入らない者になった。でも・・・」
若様が少しでも心が軽くなるのなら、久子の物語を、少し話してみようと思った。久子程度の人生、若様に語るのは恥ずかしいが。
「今までして来たことから、私思ったのです。運命や宿命は背負ってしまわないほうがいい。ないのに越したことはない。でも、背負ってしまったら、とにかく歩み続ける。そうすることで、新しいものがまた手に入ります。次はきっと何とかなると思えます。それを、恩義を受けた仏様に、少しずつ返していけたらと思っています」
「それは・・・私はそうは思わぬ。お前は良いかもしれんが、人が良過ぎないか。それでは。私は警備を担う職ゆえ、悪党は野放しにせぬ。裏切者は容赦なく殺し、悪党は成敗する」
「え・・・」
強く射すくめられる目で見られて、語られ、久子は戸惑った。若様は何ら感動しなかった。
「え・・・それでは、阿修羅丸・・・」
「あいつは私の元随身。裏切ったわけでもなく、事故でああなっただけ」
涼影は、人を思い、許す心を持っている。戦場で、若様は阿修羅丸を許した。久子なら、阿修羅丸も義母親子も久子は許せない。でも、若様は久子よりも数倍も何倍も、許せる。人間の器が大きいのだ。
(と思ったけど、阿修羅丸のことだけ、異常に執着するのね)
思ったより、若様の阿修羅丸への思いは、根強い。そんじょそこらのことでは、変えられなさそうだ。
(若様の思いが通じて、阿修羅丸に届いたらいいけど・・・)
向うはそう思ってなさそうだ。
「のんきだな、それでは。さすが、ひょうたんのひしゃくだな」
若様こそ、阿修羅丸は裏切ったと思うが、それで良いのだろうか。
(若様は、子犬のように見たものを、昔見たものを母犬をと思ってたら、どうする?)
「久子はひょうたん。ひさご。ひしゃく。ひしゃくの名前でも、これだけ活用が出来るのだ。まさか、父は活用術を狙ってつけた?」
愚痴の次は、絡んで来た。そんな涼影は始めててだ。
久子の顎を持ち上げ、頬をつんつんとつつく。まるでひよこのように。そんな愛おしむような目で見られると、久子は動けない。
ここは見守ろうと、じっとすると、涼影はとたんに機嫌を良くする。つまったく、よく分からないご主人様だ。
「やれやれ。一度死んでみると、見方は変わるものだ。確かに、死んでいたら、今の景色は、見るものではなかった。お前と、この薬も、外の景色も・・・なかっただろうね。改めて、今、というのが大事なものだったと思う。今見る世界は死んでたら見なかったものだと思ったら、生きていて、良かったと思う」
(あ・・・いつもの若様)
穏やかで、地味で、静かに冊子や絵巻を見ている知的な本来の姿だ。本来の若様が戻って来た。
「だが、死んだ者は、手に入らないもの」
若様も頭では分かっている。
すこし、前向きになられた。それなら、見込みはある。
久子にとっては、これからが出発点だ。若様がまた、生き続けてくれるように、忠義を尽くすのだ。せっせと薬をすり鉢ですりつぶす手が回り出した。
「旦那様の幼き頃の友人に代わる者などいないでしょう。私の父も母も、誰もがそうです。ですが、代わりの者ならいませんが、新しい者ならいます。平安の町には大勢の人がいますから。これから先にきっと、また良いこともあります。友も新しく出来ますとも。こんなことを言うと生意気、身分を弁えない者と言われるかもしれませんが、私で良ければ、友になります。旦那様はお優しい方、友がいくらいてもおかしくありません。今も、いるではありませんか。高明様や帥輔様が」
「身内だからさ。あの連中は、もともと。友でもない。親戚兄弟だ。私は、鬼だが、毛嫌いせぬのか」
「旦那様は私の命の恩人ですから。主人としてお仕えすることはもちろん、城南の封じられた鬼でも番人でも、何でも構いません」
「友、か」
若様は飲み物の器を置いて、月夜を眺めた。
「思えば私は、友に振り回されっぱなしだった。そして命を失った。これからは、己のために生きるほうが、いいのかな?」
「いいですよ、そのほうが、もちろん」
「確かに、今一度、やり直せとこれは、運命の思し召しかもしれないな」
若様はしみじみと味わうかのように言葉を口にした。
「ああ・・・なぜ、気づかなかったのだろう。私は悲しみと憎しみの中にいた。過去の出来事に縛られて、過去を変える事ばかり考えて、そんなものはわずかで、不可能なことなのに。日々、かけがえのない大切なものも通り過ぎた。私は、、本来、大切なことを忘れていた。周りの人々の明るい日々も、こうして見る美しい世界も」
「若様、なら、いっしょに新しくやり直しませんか。復讐を捨て、新しい何かを求めて、これから、やり直すのです」
「やり直す・・・?」
大事なもののために、全てを賭けても、でも、何も生み出さない。結局、復讐で何も変わらなかった。命を落としても、ただ若様が戦場で死んだし、阿修羅丸は元に戻らず、地獄へ戻った。
久子も義母親子に復讐を果たしたら、結果、惨劇だけで何ら得られないだけで、終わるだろう
「私達は、復讐ではなく、素晴らしく、良いものへ向かっていかなければ、。私達も、周りの人々と同じように。若様も本来、光のある所にいる方。もっと明るく、良いところで活躍出来るでしょう。私といっしょなど、畏れ多いですので、私といっしょと考えなくてもいい。私は下僕ですから、若様を応援します。私は私でそうしますから」
「そんなふうに言ってくれる者は、いなかった。私もこれから人生やり直しだと、考えねば何をすればいいか分からぬ。やり直すなど言われても、いったい何をしたらいいか・・・分からぬなど、なかったな。今まで。なんだか、子供の頃に戻ったようで、周りが見知らぬもので満ちて、不安もありながら、期待もある。だが、そんなこと、本当に、出来るだろうか?」
「きっと、出来ます。確かなことは分かりませんが、きっと。何が良いか、何があるのかなんて、分かりません。これから向かうので、若様も仕事や朝廷のものももっと、上が良いかもしれませんし、私は私で儲けるため、店とか甘味処とか」
「そなた、まだ私の家を食事とか、甘味処にする気なのか」
若様はぶっと噴き出し、久子の目を覗き込む。
「お前の言った通りだな。何があるか分からないけど、先へ進む。と」
「え・・・」
目元を緩める微笑みに、鬼の笑みが混じる若様の微笑みは、優しいのかからかっているのか、久子は分からない。いつも若様の笑みは、温かな日差しだ。
「お前も姫君でありながら生まれ変わり、魔を秘め、力を持つ。私と同じだな」
若様は久子の頭に手を置く。顔が近い。
「ここにいて、何かをしたいなら、私が守ってやる」
微笑み、どきりとすることを言われる。
久子が新しい良い所を目指すと思えたのは、若様がいたからだ。天から降りて来た救い主のように神々しく、。若様がくれた希望があったから、前が見えたのだ。
それを久子も、若様に見て欲しい。これから。もっと・・・
「なら、これからは。私の相棒になるか?」
「あ、相棒?」
「これからも、いるのだろ?お前は私の家来として、ついて来る。そうだろ?」
「もちろん、そうですが・・・」
「だから、このまま、行くしかない。お前も入れて。どうせついて来るだろ?」
「そうです」
若様は毎度、久子のすることを見抜いている。
「なら・・・私のそばにいるがいい」
若様が穏やかに笑った。心から笑っている。少し、明るい気持ちになったのかもしれない。若様が明るい気持ちになれるのなら、何でも良かった。
「また、一からやり直し、か、私も」
若様は恨みっぽい目をして上を向いて月を眺め、顎に手をついて、少々忌々し気な怒りを含めて言った。過去と区切りをつけたのだろう。
(私も)
久子もだ。若様を見ていたら、ふんぎりがついた。
月影の若様は、とても美しい。
(あの時・・・)
疫病の治療で倒れて、若様に目標は何かと聞かれた時、最終的には己の興味がある薬や仕事で世のために働く、と言ったけれど、ひとつ言ってないことがあった。それは若様の鬼を治すことだ。
出来たら、若様にはもう一度、己の人生を取り戻してもらうと思っている。若様から鬼を治すか、封印するか。どっちでもいい。晴明みたいに陰陽師でないから出来るかまだ分からないけど、元通りになって若様が幸せに生きてもらう事。それも考えている。
(今は妖魔大戦の最中だから、若様も呼び出されることが多く、鬼を消すなど言えないけれど、いつか・・・)
それも久子の返す若様への恩義の一つだ。
若様は久子にとって、大事な恩人だ。最初からそうだったけど、今はもっと、大事な人だ。
若様に薬の効果が出始めたのは良かった。まだ若様には治る余地がある。これからも、治るように、久子は薬草園も続けねばならない。
若様は久子を見て、かすかに笑う。
「それなら、私も、これから新しい世界を見てみよう」
若様が少し、気分を明るくされて、久子は安堵した。
若様が生き続ける、つまり、久子の仕事場がある、ということだ。若様は、久子の職業安定所。生き続けてもらわねばが困る。
若様を久子の職業安定所とする魂胆を、若様も知っている。知っていたから、くすっと笑ったのだろう。
若様の世界に、久子もいる。若様の考えの中に久子も置いてくれるなんて、家臣としたら光栄な限りだ。だが、正式に取り立てた家臣でもない。家の下女だ。己は若様に、どこまで銭銭と言う雀と印象付けられることをしただろう。
振り返れば、そら恐ろしい事をして来た、ような気がした。斎王の帰京とか、忠文殿の頬をひっぱたくとか。都中の薬を回して買い漁ったとか。
妖の品を売ったり、かの三大怨霊と飲み物を作ったり。
あ、笑われたなと思って、久子は魂胆が丸見えになったのに気づいて、恥ずかしく思った。
まあいい。今は、若様がやる気を出してくれただけで、いい。




