第8話
「高明様、民衆が来ました!」
とうとう、羅城門に、邪宗の軍団が姿を現した。
黒い群れだった。迫りくる群衆は、蠢いた蛇の筋だった。あちこちからうごめき、女の髪の毛だった。
いったいどうしたらいいか。高明は民衆を守るか、帝を守るか。剣を抜くか、抜かないかの瀬戸際だ。民を守れば帝を守れず、帝を守れば民を守れぬ汚名だ。汚れに汚れて、しがらみのある世界を大義名分で渡るか。だが、汚名など着て、生きれるだろうか。高明は、分厚い神経の持ち主ではない。自分で分っている。
(人の波はまるで水のよう、堰き止めても、どこからでも入り込む。いったいどう群衆を止めたらいいのだろう)
「援軍はまだか?」
かなり待てども、将軍忠文の兵はまだ来ない。
(期待しても無駄か。東の将門の時も来なかった。西の純友の時も来なかった。今回もまた、来るはずがない。あの方は)
「高明殿、忠文殿が到着しました」
「なんだと、到着した?」
部下からの報告では、確かに着いた。だが、高明は信じられなかった。
忠文も何か、自分でも納得してない様子だった。
だが、隣にいる従者に、やいのやいの言われて、困ったり、腹立たしさに顔を赤くしたり、とにかく、落ち着きがない。従者と思われたのは、男の格好をした、まるで女の子みたいな子で・・・
「え?久子?」
「いったい、お前というのは。何だ、人のことを横着の横領だの、挙句の果ては、使い込みだの、謎かけして遊んでいるのか、血行を促しているのか、確かに年で、血流が悪くなっていれども。あ。高明殿」
「忠文殿、来られましたか」
「来られたとはまた失礼な。来るのは当然だ」
高明は思わず、口を閉じた。言いたいことを言わないためだ。
「京の守りを固めてくれますか」
「分かった。ほら、だから言っただろ。京の守りを固めていたのだ。ここに全員集合しては京の町が守れないからな。ああ、何か発汗効果でやる気が出て来た」
忠文はいつもより活力旺盛で、闊達とし、笑って歩いていった。
「高明様、間に合いましたか」
「よくやった。久子。間に合ったぞ」
羅城門の欄干の前の高明に久子は駆け寄った。高明は久子を褒めた。
「しかし、我々は失敗だ。鉢合わせしてしまったからな」
だが、高明は顔を曇らせた。
「え・・・?」
高明の懸念先を見ると、すでに涼影と晴明が睨み合っていた。
「お前があの時、何をしたか」
すでに若様と晴明の言い合いが始まっており、涼影は剣で差し殺そうと狙う。晴明は術をかけて、使役魔を飛ばして、涼影を倒そうとする。涼影と晴明はお互い血だらけ、傷だらけだ。
涼影は地面を切り裂くほどの怪力で、晴明を切ろうと追いかける。晴明はすらりすらりと交わす。術を唱えたら、剣のようなものが涼影を切りつける。その戦いの間は、ずっとあの時はお前が、まだ言うのか、が続いている。
(互いに、一歩も譲らない。実力も互いに引けを取らない)
「あ・・・あれは」
新興宗教の集団がずらりと現れた。先頭には、白い頭巾を被った教祖がいた。神輿に乗り、大勢に担がれている。
踊り、歌う囃子の音。太鼓を叩く者たち、念仏の読経、大勢の人のわあわあ言う声、足音。どどどうっという地鳴りが、どんどんと大きくなった。と共に、辺りの森の前に続々と人が現れた。
各地から集まった一般人や農家の人々だ。
「源高明殿。我らは新興宗教だが、これほどの民を持っておる。帝に拝謁したく候。お上に我らを認めてもらいたい」
神輿に載った教祖が、羅城門の上にいる高明に告げた。
ダンダンダン・・・ピーピー・・・
音楽と合わせて踊り、わあきゃあ、わあ・・・・と歓声が上がった。
「どうします?」
「うーん。どうしろと?私に聞くのか?とにかく、都の前に並べ、都を防御する」
高明が周りの者に指示し、緊迫感が高まった。
どーん。
その時だ。地を揺らすほどの轟音があったかと思うと、もくもくと土煙が上がった。羅城門の二階にいた高明と久子は一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「な・・・なぜ、また妖魔極滅を使った!」
土煙の前には晴明が立っていた。多くの民衆に対して、晴明が術をかけたのだ。術は一瞬にして、四方八方を破壊する強力な攻撃だった。まるで台風と竜巻とが来たようになって、群衆が凄まじい圧力で殴打され、殺された。力はさらに地面まで丸くへこませた。
(これが・・・晴明の最大の攻撃?)
なんという破壊力。なんという凄まじい力だ。何千人という人を一息に殺してしまった。
「どうして民衆を殺したのよ、晴明!」
若様の心の傷になっている攻撃だ。若様も何度も止めようとしていたのに、若様の止める声も聞かず、晴明はまた、術を使った。まったく人の話を聞かない。生意気どころか、横暴で横柄で、人を傷つける。何者にも構わず、大きな力を振り回す。何度も何度も、若様が止めようとしていたのに、なのにまた、静止も聞かず、使ったのか。
「カン違いするな。こやつらは人間ではない。人間は石清水へ向かった」
久子の声に、晴明は背中を向けたまま、怜悧に答えた。
「えっ・・・?」
そう言えば、若様もそれ以上言ってない。ただ術を使ったことに怒っている。人間にまた同じことをしたら、若様も今のように大人しく見ているわけがない。
「そうだ。確かに、石清水へ行きたいというから、石清水へ送ったはずだった」
欄干の上で、久子に高明が答えた。
「だから、こいつらは・・・」
その時、新興宗教の主が神輿から飛んで来て、晴明に拳を食らわした。一瞬の出来事だった。晴明は石礫のように青い空を高く螺旋を描いて吹っ飛んで、森へと落ちた。
同時に、新興宗教のもう一方の教祖神輿から、弓矢が飛び、若様の胸を貫いた。
「久子、来るな、これはあいつだだ。阿修羅・・・」
その時、若様の体から、どす黒い煙が立ち上がった。
胸を押さえ、苦悶に表情をゆがめ、目の前の男へ手を伸ばす。
「ふふふ、バレたか」
新興宗教の祖から出て来たのは、阿修羅丸だ。
赤い衣を着て、髪も蓬髪に逆立ち、形相も醜悪に歪み、頭に角が生え、口には牙が生えている。元人間だったと言うが、ほんものの鬼だ。手には黒いカギ爪が生え、剣を持ち、くるくると遊ぶかのように振り回している。
「鬼と同化しているから、なまかなかことでは殺せん。だから、お前に毒を仕込んだ。魔界の魔植物の種だ。体の中に入って、だんだんとその主の体を蝕む。新興宗教は、仮の姿。この行列は、まあ、本物が混じっていたが。だが、本物はどこかへ向かったから、置いて来た。最初は本物の列だったが、お前たちを誘い出し、お前たちを集めるのに、利用した。お前らを、集めて殲滅してやろうと思ってな。お前らを消した後、俺らが京へ入京する。新興宗教の主の神殿だと?俺らの御旗を上げてやるぜ。京を乗っ取りだ!」
おお、と群衆らが歓喜の声を上げて、拳を振り上げ、一気に、妖魔の姿に変わった。
(な・・・)
各地から人々が集まり、自然と行列になったと思われた、人々の無数の群れ。念仏を楽しく唱えるだけで、浄土へと行けると歓喜し、列に参加し、大行列になった人の群れと思われたもの。それは、悪鬼たちだった。
各地から集い、長蛇の列を作り、ならず者や盗賊まで参加し、各地は荒れながら、都へ大行進して来た。その中に、妖魔の一味も紛れていたのだ。
先頭は阿修羅丸。最初は本物の教祖はいたかもしれない。だが、本物はどこかへ移動した。
中には、本物の人も混じっていただろう。突然現れた妖魔の集団に、本物の人間たちは逃げて行く。
「なんてことだ。あいつらが、妖魔?大胆にもよく来たものだ。皆、迎え討て、追い払え!」
高明が叫んだ。すでに妖魔の軍団は羅城門を取り囲んでいた。怖ろしい異形の者たちが、四方八方から攻め込んで来た。
「さあ、京の中で、帝でも食わせてもらおうか。実頼も、合わせて味わってくれる。いや、藤原氏は、腐っているから、やめよう。味がマズイ。切り刻んで、悪鬼に食わせよう。あいつらは、人間の肉が大好物だからな。今日は大勢いる。骨までしゃぶってくれるぞ。酒も用意しておけ。飲み干してやる。祝い酒だ。京の最高峰の酒を。だが・・・その前に、お前。お前を殺さねばな」
あまりのことに、放心していた久子だったが、阿修羅丸が剣を振り上げるのを見て、目が覚めた。
「やめて、阿修羅丸!」
羅城門から、久子は叫んだ。涼影のところまで駆けつけようとするが、間に合わない。だから、久子は門の上からそこらにあるものを投げた。武士の武具だ。当たらなかったが、門の下で、がらがちゃがらんと、大きな音を立てた。
「お前か」
阿修羅丸は気づいて、久子を見上げた。
例の斎王の帰京の時に、久子も見た。身内の裏切りにより、鬼となった元人間。鬼ですら、敵わない魔物だ。ご主人様の元友人で、ご主人様の心は阿修羅丸で一色だ。
「どうして、若様を、若様はあなたを大切にまだ」
「なぜか?それが俺だから。男がいったん決めた道を翻すかよ」
阿修羅丸は元随身。涼影の元友人だから、頭も良い。人間の道を外れた鬼。道を外れた時から、割り切ったのだ。説得をしようとする試みは、無駄だった。
「外野は黙っていろ。とにかく、今すぐトドメを刺してやる。でないと、この男はまた、復活するからな」
魔界の植物で身を蝕まれた涼影は、体の中から外から、茨がどんどんと巻きつき、がんじがらめだ。植物が力を吸うのか、力を失い脱力していて、上から腕を取られ、地獄の悪鬼たちに取り押さえられた。
阿修羅丸の剣が、閃光の速さで動いた。かと思うと、涼影の肩から胸へ大きな傷が入った。涼影の首元から、潜血が噴き出す。人間では即死の傷だ。
「ふふふ、今回は手が込んだことをした。晴明も騙してやった。ようやく俺が勝ったな。とうとう、お前を殺したぜ」
「こ、これで、気が済んだのか、お前は・・・」
「ああ。これでカタがついた」
大量の血を失って意識を朦朧とさせ、涼影は言葉をつかえながら膝をついた。
どばと大量の血が流れ、どたっと涼影が地面に倒れ伏す。
阿修羅丸は悪びれもせず、赤い目を近づけ、涼影を見つめ、じっとりした目で最後まで見つづけた。
「なら・・・良かった」
そう言って、若様はがくりと力尽きた。悪鬼らも投げ捨てた。
「藤原忠文、ただいま、見参」
そこへ、羅城門周辺で警護に回っていた将軍忠文の軍が大勢の騎馬兵を連れて現れた。
(忠文殿の軍が、ようやく来た)
平安市民が悲鳴を上げて逃げ惑う。それをあわよくば引き返そうとまだ膠着していた都のそばで、目の前で惨劇が起こった。
悪鬼が暴れ、若様も晴明も倒され、とうとう、将軍も自分が行かねば誰もいないと気づいた。それで、泡を食って出て来た。
晴明に一気に殲滅されたから、妖魔の数は忠文の群に劣り、一気に形成は逆転した。
「引き上げだ」
阿修羅丸は手で相図し、仲間たちとともに次々異空間へ消えて行く。無残な戦いが繰り広げられた現実に、久子は呆然とした。
京周辺の人々は、悪鬼の姿と、殺しの現場にパニックで、すぐに騒動は収まらなかった。
悲鳴を上げて逃げる人々と、軍隊で、土煙と混乱が混じり合った。
「だ、旦那様!」
一番早く駆けつけたかった久子は階段を降りるのももどかしく、涼影に駆け寄った。
「泣くな、久子。これでいいんだ。阿修羅丸の犠牲になって死ぬのが私の運命」
「旦那様、そんな」
職を失う。だがそれだけではない。奴隷市場から助けてくれた涼影は、久子の心の中に大事な存在としてある。涼影を失う?まさか・・・涼影を失うことなど想像出来ない。
(若様、こんな時まで、阿修羅丸を守って、本当に殺されてしまった)
善良で、友人を守って、本当に死んでしまった。目を閉じて冷たくなるご主人様を抱いて、久子は憐れでならない。若様の思いは、あの人に届いただろうか?少しでも。
若様が全生涯をかけて思うほど、あの人は若様ことを思い返してはくれない。残酷で、非情な思いしか、与えなかった。若様の得たものは、本当にごくわずかだ。
若様が得たものは、何だろう。生涯かけて、日ノ本を守る戦いに身を投じて。それでも人は上級貴族、金持ち、王家の世間知らず。そう言う。本当は、金持ちの苦労人。誰よりも銭は使いこそすれ、元手には残さず、利益は防衛費へ渡し、私的なものは一切ない。
久子は誰にも報われないと義母親子を責め、人はいつまでも変わらないと断言し、憎悪した。でも若様は非情な友人を責めず、報いも求めない。
涼影は、久子と同じ人間だ。奪われて、身を落とした。でも、涼影は、久子に比べて、心が大きい。憎しみ、恨みを取り返そうと思っている久子とは、違う。日ノ本を守る肝心だ。こんな人を、この国は失ってはならないだろう。そこで、久子も救われた。
「これであいつの気が晴れるのなら、私はこれでいい。私は死んでもいい」
「そんな、死んでいい人なんて、いますか。死なないで、旦那様」
(出血多量で、これはいけない。手当をしないとすぐ死ぬ)
人は普通、大量に出血すると、命が危うい。特に心の蔵や内臓から大量の出欠をすると、即死する。久子は溢れる血を押さえるために、胸に手を置いたが、とても止めきれないほどの出血だ。止めても止めても、後から後から血が溢れ返る。 阿鼻叫喚の地獄絵図の中、驚いて逃げ惑う人々に踏んずけられ、久子は涼影を守った。
「泣くな、久子。お前の仕事は、家令が何とかしてくれる」
「こんな時に、私の仕事の心配ですか?」
「私はお前の職業安定所、だろう?」
「若様は・・・」
涼影の一番の危機なのに、久子はまた助けられなかった。また、万能屋の看板倒れだ。最も大事な人を助けることが出来ず、また、大事な宝が手の平から滑り落ちて行く。悔しくて、悔しくてならなかった。
本当に、おひとよしだ。阿修羅丸に己を捧げ、帝に己を捧げ、平安京の民のためにも、日ノ本のためにも常に戦っている。
若様ほど善良な人がいない。この世で最も貴重な存在だ。久子の大切な主人でもある。かけがえのない、仕事仲間でもある。
「阿修羅丸、本当にこれで気が晴れるの?若様が血を流して死んでいるだけ。あなたの友が一人、死んだだけよ」
天に向かって叫ぶ。もう阿修羅丸に声は届かない、
(憎んで恨んで、復讐心を晴らしても、無駄だ。人が死ぬだけだ)
復讐を果たしたというのに、阿修羅丸は人間に戻らない。昔、失った仲間も家族も、戻らない。死んだ人は、もう取り戻せない。過去も変わらない。現実は血しぶきが舞う地獄絵図だ。忠文が矢をいかけ、悪鬼が踊り狂う。過去より、さらに悪化している。
(復讐は何もならない)
久子もどこかに憎しみがある。だが、それも役に立たない。憎しみは現状を変えることはないのだ。苦しい、悲しい。悔しい。失いたくない。失っても、取り戻したい。地獄へ行って、地獄の鬼を切り殺してやりたい。でも・・・大切なものを失うのだ。
(久子・・・・あなたにとって、若様は何?)
失うものの大きさに、身が震えた。久子は涼影を抱き締めた。
久子にとって、若様は・・・この世の中で、誰よりも大切な人だ。
「誰かを倒して、何かを補てんは出来ないの。殺して、何かを得られるなんて、何もないの。誰かを傷つけて、得られるものなんてないのよ」
「もういい、久子。阿修羅丸を許してやれ。お前は、疫病の人を多く助けた。これからも、あの家で、私の代わりに・・・尽くしてくれるか?」
「え・・・・?」
「民を・・・平安の民を、多くの人を助けなさい。これからも、私がいなくても」
「そんな。私など到底無理です。若様がいないと、私なんて何も」
「爺もいる、竹兵衛も、お前は一人ではない。お前を支える」
若様は久子より、心の大きい人だ。
若様がそう言うのなら、久子も若様に従おうと思った。
「わ、分かりました。若様。私、言う通りにします、でも、若様も生きてください。私、若様がいないと・・・・若様!」
(そうだ、これ・・・)
久子は胸の宝珠を取り出した。前に一度、死んだ者が生き返るかどうか、試しに小鳥で確認したことがある。久子が念じると、死んだ小鳥の中に宝珠の色が移って、小鳥は生き返った。
現世の理に背く。その理を破れば、怖ろしい天罰が下るだろう。いくら仏様のご加護で久子が数珠と気運を与えられているとしても、天に逆らう行為は許されない。だが、天に背いてでも、久子は涼影を助けたい。
仏様・・・・どうかお許しください。そう願って、久子は宝珠を出した。
「仏様、お願いします。旦那様を生き返らせてください。旦那様は善い人です」
念じて、涼影の胸の上で宝珠をかざした。仁爾色宝珠は多様な色で輝きながら、一個。ただの白い石に変わった。代わりに、多様な輝きが涼影の胸の中に入って行く。
「う・・・・ごほ」
それで傷がみるみる塞がり、涼影は命を吹き返した。
(仏様が・・・助けてくれた)




