第3話
京の都。
(また戻れるとは思ってなかった)
懐かしい町に戻って来ると、失われたものが痛切に身に沁みた。
家はどうなっただろう?
毎回、帰っていた家の道だ。つい足が向きかけた。
(私の幸運は、人にあげるためにあったものではない。私が父や母からもらった。生きていくのに、私がもらったものだ。使うのなら、恩義がある多くの人や世のため人のために使う。必ず取り返す)
無念のまま逝ってしまった父の冤罪を晴らすことを再び、決意した。
でも、駄目だ。役目を負っている仕事の途中だ。家を見に行っている暇はない。ぎりぎりと歯ぎしりするような悔しさがこみ上げた。
父は自分のことはそっちのけで、学問や仕事に打ち込んだ。なのに・・・自分の幸運が失われたとなると、よけいに腹立たしい。悔しくて悔しくて、行き場のない憤りで涙も出そうになった。
取り戻したところで、大した幸運ではないかもしれない。
後宮に住まう姫君のような姫でもなく、涼影のような類まれな生まれの貴族でもない。
でも、誰でも同じと思うのだ。そこらへんの犬でも猫でも。生まれた者は誰でも大事な命の源を持っている。そのため、誰もが輝き、生き生きと生きているのだ。
久子の目から涙がこぼれてきらめいたけど、久子は構わず歩き続けた。
薬の流通を見るため、船から荷車の流れから、市場の様子を見て回った。
「うわ、こちらへ来るな」
「疫病者だ近寄るな」
「怨霊だ、怨霊だ」
炉端で具合の悪そうな人がいて、平安庶民は嫌がって逃げて行く。
平安の人々は、病の原因は、怨霊や悪霊と思っており、祟りを怖れていた。
きゃああだとか、穢れだとかで、人々は見るのも嫌がる。
衛府の兵士が後を追いかけたり、怨霊騒ぎというのは本当らしい。
(いつに増して・・・少し離れただけだったけど、都も不穏な空気だ)
例の邪宗の集団が来ている影響もあるだろう。
(前も確かに、怨霊騒ぎなど多かった)
先の右大臣の追放から、雷が落ちたり、富士山が噴火したり、将門純友の乱が起こったり、大きな噂は耳に届いた。
けれど、まだ、その時は日中は家の中に閉じこもりがちな姫君だったから、外のことは遠い世界のことだと思っていた。以前は、意外なほど、世間を知らなかった。
そして今、様変わりした都を見ると、これほどまでに変化があったのかと驚かされる。怨霊の噂や邪宗の噂に恐怖で焦った人々が走り回って、まるで競争場だ。
(怨霊がいる?)
ぞくり。とした。久子も何か感じた。のだろうか。勘づいた、かもしれない。
(あれは・・・黒服の法師陰陽師?)
引き寄せられるように見ると、黒い被り物を頭からすっぽり被って、全身、黒い上衣の男がいた。
醜悪な邪気を発している。周りには見えないのだろうか?
顔は見えない。被り物の下で、真っ黒だ。手も色黒くて、全身黒っぽくい。何だろう。影だろうか?ある部分、特徴がある。
(あいつだ。あいつがいる)
店の店主と、やり取りしている。
布、野菜、日用品、器などいろいろな品を買い物をしているようだ。誰もが気に留めないが、久子の目は釘づけだった。
(あの黒服の陰陽師だ。京にいるんだ。また、妙な商売をしているわ)
都では、地方の村でもいるが、御多分に漏れず、闇の中で暗躍する危険な商売人がいた。
許可を得てない外部や外国からの者、犯罪組織の潜入者、闇市の商売人、密輸、偽物売買、窃盗等、むしろ都だからこそ、多い。
いろいろ闇の商売人がいる。
平安京では、京職があって、京の町中を監視しているが、取り締まっても次々に抜け道を作り、取り締まり切れてないのが現状。官吏と裏で汚職でつながり、野放しの悪癖も治らない。
久子も万事何でも仕事を請け負っていて、存在を見ることもあった。
でもあの者たちは、慎重で、尻尾を安易に出さないから、一般商売人などとは取引して、足がつくようなことはしない。だから、久子が今詰め寄っても、のらりくらりと逃げるだけだ。むしろ、因縁つけた、と逆に攻撃されかねないだろう。
(これはこれは、調査のしがいのある)
普段は何をする者なのだろう?
目的は何なのか、まず知らないといけない。
黒服はうらぶれた壊れた廃墟に入り、フードを脱ぐと、唸り出した。
「私は何者か・・・。暗黒の運を売り、気運を集め、何をすべきか」
はあはあと息を吐き、がたりと床に手をつく。目がランランと光った。見ると、若者だ。
後をつけて行くと、黒い上着を着た、似たような者たちが大勢いる宿舎に辿り着いた。
見続けていたら、黒服の陰陽師がまた動き出して、久子は後をつけた。
「誰だ?」
久子は逃げた。だが、黒服陰陽師は追いかけて来る。
辻を曲がったところで、荷を担いで野菜売りに来た女の子と遭遇した。そのまま走り抜けたが、背後でその子供の悲鳴が上がった。
「止まれ、この子がどうなってもいいのか?」
男は通行人の少女を人質に取り、首に刃物を当てる。
「わ、分かったから、その子を離して」
相手の気を荒立てないように、とりあえず、大人しく従った。
「お前は誰だ?」
男はじりじりと後退した。一瞬の隙をついて逃げようとしていた。しばらく蛇に睨まれた蛙と同様、見合った。蛙は久子か、男か、分からなかった。
「私は、あんたに幸運を売られた者よ。返してよ」
今か今かと逃げようとする男が焦り出した。逃がしては二度と会えないかもしれないと、とうとう久子も、叫んだ。
「幸運?ああ、お前の?お前の幸運か。残念だな。売った幸運は二度と取り戻すことは出来ない」
「あなた、何者なの?なぜ、こんなことをするの?私の幸運買ったのなら、買い戻せば、返してくれるの?」
「もうない。ここには。売ったものは、消費される。もう二度と返せない」
「な・・・どこへやったの?」
「だからもう、二度とついて来るな。次は本当に殺すぞ」
黒服陰陽師は女の子を突き飛ばして放し、走って逃げた。
「大丈夫よ、御免ね。怪我なかった?」
追いかけようと思ったが、殺すまで言われて、今は思いとどまった。女の子を助け起こして、抱いて背中を撫でた。女の子はわあわあと泣き止まず、鎮まるまで時間がかかった。
(もうない?)
いずれ正体は分かる。いや、調べて必ず、明らかにする。だから、今は思いとどまるだけだ。焦っては、ことを仕損じる。いずれ明らかになれば、いろいろと対処も分かって来るだろう。だから、今、とりあえずは・・・
(どこへやったの?私のものを)
明らかに、普段は見られてはマズイ商売をする者だろう。人の幸運を売買するとか、女の子を人質に咄嗟に取るとか、素人には思えない。
(あの法師陰陽師。普段は、どこに潜んでいるのだろう)
家に戻って、女の子に謝罪に銭を渡したことを報告して、詫びた。
「ああ、その者たちは、松の商団でないか?都によく出るならず者たちの一団だ。一見、関係のない小悪党でも、裏の闇市場では、必ず松の商団に辿り着く。だが、悪党集団も狡猾だから、捕ってもトカゲの尻尾切りだ。
旦那様からも、毎度、積み荷を奪い取り、旦那様も追いかけるが、尻尾を切られて成功した試しがない。旦那様に抜け荷の罪を着せたりもする。今も、荷を盗んで、旦那様に横領の冤罪をかけておる」
「旦那様に横領の疑いが?」
「なあに、毎度の濡れ衣だ。業務上横領のほか、窃盗、殺人、謀反、転覆。日を変え、人を変え、飽きることなく、被せて来る、松統領は」
「そんな犯罪者、取り締まれないのですか?」
「捕っても捕っても、悪党だから、子分を切り捨てるのさ。トカゲの尻尾切りは上手い。京の町で裏の商売をしており、同じ商売をする旦那様と抗争を繰り広げている。松殿、通称は松統領」
「松殿・・・何か若様に恨みでも?」
「何やら、王家の一族とかいうが、分からんね。桓武天皇の子孫とか、仁明天皇の子孫も、多くいるからな。庶子たちが勝手に名乗っていることもあって、あちこち乱立しているのじゃ。その点では源家平家というのも怪しい名だが、うちのご主人様はれっきとした皇族の分派だ。比べると、失礼じゃぞ。そやつらと若様は何の関係もない。源家、平家と言えば通るという輩がカン違いしてる。とにかく怪しい生業をやっている犯罪まがいの集団じゃ。若様も、全体的に手を焼いている。そ奴らのせいで、身を落とした者も多いのだ。久子、もし、お前の事件がそ奴らと関わるのなら、それは官衙に任せたほうがいい。あまりに粗暴で凶暴な輩で、一般人では手に負えん。近づけば、生きて帰れぬかもしれぬ」
気は若い、年の割に矍鑠とした家令の爺が、甘酒をすすりながら、教えてくれた。
(松統領?そう言えば、うろ覚えだけどその名は何度か聞いたわ。京の町でも、やばさ度は相当高い。密輸とか強奪、密売や麻薬取引と、表には出ない裏側の商売人たちだ)
「旦那様も今、ちょうと今、官物を運んでいるから、面倒な連中だ。いちいち省庁の官吏に取り調べを受けたり、運送が滞る。まったく、迷惑なことじゃよ」
爺やは深いため息をついた。
今回の邪宗の行進は、都の警備の要職にいる涼影らが、対峙している。
加えて、疫病で各地から薬が必要なのに、途絶。今は、あちこちからかき集めている最中なのに、都の悪党が横行三昧とは。若様に負う重荷が多い。一人では到底賄い切れないだろう。
(都の悪い連中が、若様の商売敵)
都で受けた被害だから、何か背後で闇の存在が関わっていると思っていたが、もしかしたら、最も危険で凶暴な連中が関わっているのかもしれない。
だが、久子の人生の大切なものを奪った売買とは、いったい何なのか。
(官物・・・?)
久子の父も被害を出したのと同じだ。涼影も被害を受けている強奪事件は、官物だ。
(官物の運送とはいったい、どういう流れになるのだろうか)




