第2話
「ちょっと、出て来るが・・・なんだ、まるで男だな」
部屋にいたら、涼影がいつの間にか現れていて、形の良い腕で顎に手をやり、切れ長で涼し気な目で久子を見ていた。
知らぬ間に見られていたのかと思うと、恥ずかしくなって、久子は帳簿を持って顔を埋めた。
(今は男の格好だからなあ)
久子は仕入れの役を任されるようになって、外に出ることが多くなったので、男の格好に変えた。
朝廷もだが、外で買い付けをするのも、男社会だ。
前も少々やっていた。女の着物を止めて、男の扮装に変えて、外では男として働く。頭に萎烏帽子。前合わせの直垂に、裾を絞った袴。たいてい女が男の格好なんてして歩いていないので、大勢の人はこれで男と思う。
(若様に変な人間て思われてないか、ちょっと恥ずかしい)
涼影は明るい水色の狩衣を着ていて、貴族らしい姿だ。大人しく地味な貴族の一面をたまに出すが、爽やかで華々しいし、男らしくも見える。若様の本来の姿だ。
「こちらの格好のほうが、よく動けますし、営業もしやすくなりますので」
「そこまでしなくても、いいのでないか?」
「家の商談の取引に、女子供が顔を出すことは出来ません。営業や資金繰りの話にしても、男でないと話すらしてくれませんよ」
「ふうむ、色気もくそもない。ますます、ひしゃくだ」
「私は奉公人ですので、ひさごでも、ひょうたんでも、構わないのです。色気で惑わすこともありませんので、動きやすいのが一番です」
「ふうむ、色気を使って、凋落はせぬのか?何でもする所存なのだろう?」
「まさか、若様、私に隠密の類をさせる気ですか?忍びではありませんよ。建設的に利を得る、中抜き、商売の財から利を得る。そんな商売人です。私は。実はあまり体力はありませんので、だから、利を得る商売をしたいのです」
「ふうん。男であれば、ひさことも呼べないし、ひしゃくべえか、ひさごろうだな」
「何とでも。若様について行きますので、呼び名は若様が決めればいいです。それで、若様、何用です?」
「そうそう、話を戻すが、ちょっと用事が出来てな、出て来る。高明殿といっしょに動く。あとのことは任せた」
「わかりましてございます」
爺とは阿吽の呼吸のやりとりをする。
家令の爺やが、毎度お手の物であるごとく、頭を下げた。久子も若様の手前、お言葉、かしこまって承った。
だが、久子には何も意味が分かってなかった。
(何かあったのだろう。いつも前置きして出ていくことはない)
バタバタと警護や家来らも付き従っている。普段は前置きすることもなく、どこかへ怨霊退治へ飛んで行ってしまう。
(今回は現実で何か、あったのか)
若様も、若様に付き従っていく家来たちも、急いでどこかへ向かっている。
「爺やさん。なぜ、この取引、ぜんぶ、終わってるの?これを全部、集めたらものすごい金額ね」
久子は資金を清算するのに、屋敷の奥で、爺やに会計を報告していた。その時、ちょうど、爺やの机に開きかけの帳簿を見つけて、目を止めた。その科目の多さと大きな金額に驚いた。
「官制の荷の輸送をすると言っていた。年に何回か、地方から送られてくる大きな納税がある」
(官制の荷と言えば、父が冤罪で捕まった事件の・・・官制輸送?)
久子にとっては因縁の相手だ。と気づいた。
また、官制の荷。そこへ巨大な金が動く。
(ご主人様、また困りごとかしら?)
日ノ本を守った大戦に勝ち、生き残った若様なら、任務は任せても大丈夫だ。でも、久子も己が大事だ。若様が問題ないのならそのまま見守り、そばで商売でもすればいいと考えて、涼影が出て行くのを見て、久子は後をつけた。
日々、晴明の宮を見回ったり、妖魔と退治をしたりするが、涼影は誰にも気づかれずに行き来する。
でも今は家来や警備らに囲まれて、慌ただしく出て行った。久子はますます興味を持って後をつけて走って行くと、川の分岐路がつながる岸の船が多く着く港についた。
(ここは、官衙・・・?)
都近くの警備兵などが滞在する兵舎みたいなところだ。大勢の警備兵も出ている。
久子はかつて知ったる京近くの周辺だ。男の格好をしているし雑用係のフリをして入ると、多くの出入りがある港だ。誰も気にする者はおらず、中を突っ切れた。建物の裏に回ると、こっそり木造の壁に耳を押し当てた。
「すまぬ。途中までは約束は確かだった。だが・・・」
(この声は)
中にはご主人様の仲間の高明殿と帥輔殿がいるらしい。
「もう、困り果てておる、すまぬ」
びええええ。と、色恋男が泣いていた。あまりの泣きっぷりに、こちらが憐れになる。
(まさか、大の男が泣いているのだろうか?)
確か色恋男は、三十路越えの男だったはずだが。
「分かった。何とかしよう」
「だが、涼影」
「帥輔殿は常に気配りをして、上手に取り仕切っている。たまには間違うこともあるだろう」
「たまには、だって?そりゃ、荷の件は帥輔が何とか取り付けたが、それだって庇えたものでない。それに」
高明が机を叩いた。がた、がしゃんと水差しが揺れ、何かが落ちて割れた。
「お前、また私の妹に手を出しているのか?」
かなりの怒りようだ。色恋男に、兄もとうとう切れる。
がらがら、がしゃん。
しばらくして、涼影が出て来た。ばちっと目があった。
(あ。若様だ)
ずいっと威圧的な目線が合って、久子はどきりと留まった。気づいているぞ、だ。
「久子姉貴、今日は重要な仕事なんだ。ついて来るな」
言われても、久子は竹べえの後について、若様に付き従う家臣の列に入った。
(ついて来るなったって、もう来たものはしゃあない。若様の仕事なら、私のこと。放置はできない。私も参加する)
「久子、お前、何しに来た?」
「あ、若様、気づかれていましたか?いったい、何が起こってるのですか?」
「いや、ただ、帥輔がまた女に手を出して、その件で問題が起こってな。正室が怒ってその女を追いかけ、女は大事な官衙へ運ぶ薬を持って逃亡した」
「え・・・?」
それは大変な問題が起こっている。朝廷の重鎮なら、大失態だろう。
「帥輔は正室から逃げ回り、逃げた先があろうことか、正室の我が妹の康子のところだ。怒り心頭だった正室の我が雅子の怒りが、妹のことでも、また燃え上がり、康子と言い合いに。雅子と康子に怒られた帥輔は、ここ官衙まで逃げ、雅子と康子も追いかけて来た。その上、薬がないと追いかけて来た官吏もごっそりと来て、醜態を見られぬように、追い返す羽目に。わが異母妹の康子が泣いて喚き、その後、正室の我が異母姉の雅子が帥輔の頬を平手打ち。離縁状まで、叩きつけた。今、帥輔が泣いている。泣きたいのは、我が死んだ異母姉妹の謹子だろう。謹子は帥輔の最初の被害者だ。雅子と内通していながら、謹子に手を出し、可哀想な異母姉は、30で死んだ。私も泣きたい」
「同じく、私も」
若様と異母兄弟の高明殿も泣きそうだ。
「それは、また・・・」
二重、三重にも手を出した結果、帥輔は泣いた。というわけだ。
(因果応報だが、さぞ修羅場だっただろう)
醍醐天皇の子供たちは数が多い。だから、帥輔も手を出す数が増えたのも仕方ない。で済ませられるものでもない。
「あの女たらしは自業自得だが、仕事で問題までやってくれた。まったく、困ったものだ。稀代の女好きは」
(帥輔殿にとっては、天皇の娘と婚姻関係を結び、権力の場で力を持ちたいのだろうけど、兄や弟からしたら、姉妹ばかり狙われては迷惑よね。
その意味で、藤原氏の男なんて、腹黒一族と言われて仕方ない。稀代の女好き。汚名と腹黒でもう、どうしようもないヨゴレ。救いようがない。でも、そんなものが権力の座では、この女好きが、と憎れ、連呼されて、逆に名が売れて、力を持つのよ。不思議よね)
内裏の男なんて、所詮はそんなもの。悪名が立ってこそ、出世する。官吏の父から話を聞いていたから、内裏ってそんなところだって聞いている。
久子は若様も見る。若様も朝廷の高官であるなら、女の数を競う風習にあってもおかしくはないが、若様もそうだろうか?
「竹べえ、有沢。各頭首へ言って、薬を集めさせよ」
「は」
若様はてきぱきと仕事をした。若様も内裏の男だけど、若様は違う。と思う。もとは詩歌管弦を楽しむ大人しい地味な貴族だ。鬼でない時は、穏やかで、不満を言うこともしない。普段は奴隷女を助けようしてくれるぐらいの優しい人だ。
だから、若様が帥輔殿と同じようにするとは思えない。同じ貴族では数人の妻を持つのは普通だ。異母兄弟の高明様もまだ一人ぐらいと聞く。
だから、まるきりヨゴレの藤原氏とは別だ。
人とは違った生き方をしながらも、真面目に現世でも働く若様を見ると、立派だと思う。久子は若様なら、信じられる。
(な、なぜ。そんなことを思うの?別に若様の恋人になるわけでもなし)
余計な考えは不要だ。若様の元にいる限り、資金稼ぎが主なのだから。
白い毛皮のチョッキを来た竹べえと、重い剣を持つ剣士が走って行くのを見送ってから、久子は涼影に近づいた。
「若様、何かお困りなら、私もお助けします」
「また、お前・・・」
「へへ」
涼影は何事か考えていたが、都に来る人々の往来を見ながら口を開いた。
「今、都の外から邪教の集団が近づいて来ている」
「え・・・」
何やら、辺りがざわついているなと思っていたのだ。いつもより人が多い。京へといろいろな人が来ていた。何の祭りか、安売りかあるのだろうか。と思っていたのだが、大変な問題が起こっているようだ。
「と共に、疫病が流行っている。その薬がない。せっかく手に入った薬も、帥輔の女たらしのせいで、持ち逃げされた」
女たらしの話がつながった。大事な薬が消え、ふんだりけったり、というわけだ。だが、帥輔殿だけではない。薬を手に入れたい若様らも問題に遭遇しているということだ。それも大変なことだ。
「どのような疫病ですか?」
「風邪のようでもあり、流行り病のようでもあるようだ。我らは怨霊の仕業も疑っている。そのあたりは、賀茂親子や晴明らが調べるが、万一の備えて薬の用意をしようと思う。が、肝心の薬がない。いったいどうしたものか」
先ほど、話し合いをしていたのは、それだ。なるほど、だんだんと話が見えて来た。
若様でも困るということは、相当に事態が悪いということだ。
若様は都でも大きな店を持っている棚元。世間には秘密にされているが、ある程度、市場には顔が聞く。
「若様、なら、私にまた、仕事をやらせてもらえませんか?」
「断ってもどうせついて来そうだし、それに、お前にも出来そうなことだから、言う。特別扱いするわけじゃないからな?お前だけが可愛がられているなんてないからな?あくまで雇った奉公人だから、万一があっても、お前は下女として」
「はいはい、そうです、そうです。それで?」
朝廷の高官が、屋敷の新入り下女に頼るなど、プライドがあっても言えない。なら、そういうことにしておきましょう。若様のためにも。
若様は一度、呼吸を整えてから、言った。
「今邪宗の集団が近づいて来ているが、同時に、流行り病も入って来ている。
都に入ったら、大勢が混乱するため、朝廷に大量の薬を用意する。そのため今、竹べえらに指示をし、薬の調達を急がせている。が、今、薬が、どこもない。だから、全販売商人を当ったり、地方へも回っているが、ない。今は、どこも、ほぼ入手不可能だ。帥輔殿はああ見えて、薬を入手していた。だが、紛失した。忠平殿から薬の手配を任せられ、今回失敗すれば、父から断罪され、失脚もあり得る。邪宗を追い払うのも、都は足が浮き、守りがおろそかになり、突破されかねない。そうなれば、帥輔殿も浮気癖などで磨かれた八方美人で、いくら隠し上手に隠しても、都が崩壊すれば、一貫の終わりだ。我らもだが。私も都の安全を守る身。
私は、薬を手に入れるため、あらゆる手を打つつもりだ。
ひしゃく、お前も何かツテがあるのなら、お前も薬を仕入れて来てくれるか。 我が家にも薬の備蓄はあるが、今後に備えて、倍以上、蓄えようと思う。どこでもいい、誰でもいい。どこから薬を持って来たらいい。何でも、歓迎だ」
「分かりました。それなら、私なら、出来るかもしれません」
「お前も元商売人。知り合いぐらいいるだろう。今、どんな商売人でもいい。持って来たら、買ってやる」
「なら、若様。間違って、偽商人からまがい物を買わぬよう。品薄となると、偽物が横行しますから」
「ああ。そんなのは当然だ。お前も選別眼は確かだ。にわか仕込みの警護の有沢や竹べえでは、本物か偽物かの区別もつかないから、課題がこなせるか分からない。だから、今こそ、目利きの久子の出番だ」
確かに普段は警護をしている竹べえらでは 薬の区別は素人では難しい。同じく商売人の若様なら目利きだが、現場では即判断がいる。
「分かりました。私もそうなれば、また都へ出入りしますし、どこかへ遠出もするかもしれませんが・・・」
「お前は出ていけと言っても、出ていかない。お前は私のところにいたいがため、私を助ける。私がお前の職業安定所だ。だから、お前は必ず、私の役に立とうとする。押しの強さでは、追い払っても戻って来てしまう、押し売りみたいなものだ このままでは居座られて、また、役に立たれてしまう。だろ?」
「へへ」
若様はよくご存じだ。
「断わっても、私のために働くのなら、いっそ、命じてやる。だが、帝や高明殿のためにならぬことはするでないぞ」
「もちろんです、はい」
「行ってこい」
流行り病はときどきある。時にひどいのもあって、都中が大騒ぎになる。
それなら、涼影が久子まで刈り出すのも分かる。
(その薬が、女たらしのせいで、事故に遭って滞っている、というわけか)
若様も相当に困っている。久子でも竹べえでも、猫の手でも借りたいというわけだ。非常も非情の、非常事態だ。こんな混乱はでも、いつも平安の世はやって来る。
(若様が私など相手にしないと言って、頼りにしてくれている)
京の市場に関係するのなら、かつて知ったる庭だ。
(騙されたものを掴まされたら、時間の浪費だ。仲間の帥輔殿の危機でもある。間違ったものを掴まされたら、高明殿も困る。帥輔も父上から追放を言われて、職を失うかもしれない。そうなると、若様が危機になる)
これは何としても、若様のお役に立たねば。




