第10話
「なんだ、お前、いつからいた?」
久子が庭で掃き掃除をしていると、いつの間にか、背後に晴明が来ていた。
(あら、晴明。ここにこういう人もいたわね)
晴明。ご主人様の嫌いなやつで、怨霊を倒す超人。
バケモノ、妖怪、怨霊。そして方替えの宮。といろいろ見て、晴明も含めて、世の中には、変わったものがたくさんいるのを知った。今の現実世界が夢なのかと疑う。最初の殺人事件で死んだのかもしれない。いや、現実とは、予想以上に不思議なのだ。そもそも。
「前からいたわよ。何を今さら」
「前にも見て妙に思ってた。戦場には来るし、涼影の屋敷をうろちょろしているし。女はすかん。色で男を落す。出ていけ」
と言われるが、出て行きません。なんて、失礼な奴。と思った。
(私は単なる奉公人)
「それとも怨霊か?怨霊も好かぬ。怨霊は、昇天させる」
「私は人間です」
(本当にやりそうだから、シャレにならないわ)
確かに何度か死んだけど、怨霊呼ばわりされるなんて心外も心外。人を怨霊呼ばわりするなんて、まったく失礼な奴、と思う。
「・・・な。何よ」
晴明は久子を見下ろして、じいっと久子の顔を覗き込む。
「ふん、運がないな。まるで貧乏神ほどに。なかなかいないぞ。そこまで低下したやつ」
久子はあの有名な賀茂忠行に視てもらったのだ。弟子であり、まだ官位ももらてない晴明ごときに、あの良い響きを、打ち消してもらいたくはない
「だが、ここが良い。ここが良いやつは何をするか分からん」
「褒められた?」
「褒めてない。計略、策略のずるがしこい奴という意味だ。お前も涼影と同じ。桁違いの能力を持って、人間世界でそれを使う。妖魔と変わらん」
「な、何よ。人のこと」
「鬼の涼影と、不死身の女か。まあ、揃いも揃って、集まったもんだ」
「何なの、あなた。ご主人様より年下のくせに、上から目線で」
「ふん、まあ、いい。観音様に見守られているのなら、何かわけがあるのだろう。しばらく、俺も放置だ」
そう言って、安倍晴明は姿を消した。どこかに飛んだ?みたいに消えた。本当にどこかに飛んだのかもしれない。
怨霊と妖の品が行き交う地帯で、久子は商売をする。怨霊や妖に会い、久子も商売で関わる。なんて・・・思わなかった。
(人って、ただ物を売って、銭を儲けるだけが、人生ではないのね)
よくわからない感想を抱いた。
(もっと手広く商売に精を出さねばならないわね。私も資金稼ぎをして、再裁判のために貯蓄せねばならないけど、若様からも期待されてる。ここで、店や食事屋、いえ、もっと人気があるもの、そう、甘味処をしようかしら?一応、農村の人らもいるし、都への通り道からも人も来るし、広い屋敷だし、何にでも出来るわよ)
ぶつぶつと考えて唱えていると、庭の掃き掃除までしていると、じゃりっと砂石を踏む誰かの足音がした。
見ると、何者かが門にふらりと現れた。
「いらっしゃいませ」
(さっそく客?甘味処でもやろうと思っていたところへ、偶然、人が現れた)
これは偶然なのか、天の声かもしれない。お菓子を出す飲み物屋をしろ、と言う。とにかく愛想良く出迎えた。
声をかけても、その男はぼうっと立っている。
掘り深い顔立ちで若い時はさぞ美しかっただろう。
だが、時を経て顔に刻まれたしわが艱難辛苦を表しており、白髪交じりの髪は年老いて縮れ、あちこち解けている。口ひげにも、白髪が多く混じっている。
「私は・・・行商人でね。ちょっと、こちらに立ち寄ったのだ。ここは、飲み物屋はないかね?このあたりには、まるで座って食べられる料理店もなくて」
「ああ、そうですね。農村の地域ですから、一品料理を出すところはあるのですが、お役人様のような方は入られません。こちらへどうぞ、良かったら、飲み物などをいかがですか」
「お役人と、なぜ、分かった?」
「すいません。髭の形が整われていたので。このあたりの農村の方なら、そこまで整えませんから」
「しまったな。つい習慣でしていたよ」
貧しい粗末な衣服を着ているが、威厳のある顔つきと、きちんと整えられた髪や髭から、お役人とすぐ分かった。
久子が言うと、男は笑みを浮かべる。
「今はしがない行商人だよ。ここに、商品の飲み物がある。どうだ。買ってくれぬか?ここは大きなお屋敷。商売をする人もいるだろう?」
いわば、商売人は涼影か、久子しかいない。仕方ない、商売の機会は失えない。
「ええ、確かにここで商売をしている人間はいます。私です」
「お前が?ここは店なのか?」
「まあ、広い屋敷です。何でもあり、なのです」
男は背にかけた行李から、木の筒状の箱を取り出す。久子は受け取って、蓋を開けた。緑色の粉で、良い香りがする。鼻を近づけて、中の匂いを嗅ぐと、一気に別世界が見える自然の香りがした。
「ちょっと、お湯を入れて持って来てくれぬか」
「はい」
急いで台盤処へ走って、湯を入れた水差しと茶碗を持って戻った。
「これを溶かして飲む」
天然石の腰掛とその前にある天然石の机に男は湯、木の筒箱を並べる。久子はあやふやながら、木の筒に入っている粉を茶碗に入れ、湯を注いだ。
「すごく、美味しそうな匂い」
「だろ?飲んでもわかる」
飲んでみると、とろっとして、ふくよかな旨味がある。自然の滋養をたっぷりふくんだ野性味溢れる旨味があり、甘く、爽やかだ。ここいらの山のものではない。
「これは?」
「昆布さ。昆布を粉にしたもの」
「へえ、昆布。昆布は曰く、衣比須女(えびすめと言い、味は鹹(塩辛い)で、毒が無い。海草には他にも。にきめ(邇岐米)、あおのりなどがある」
「よく知っておるな、おぬし」
「学者の父の手伝いをしていたものですから」
「先の帝の皇女が作られた編纂書だな。藤原師輔殿。限りなく色好みの男の妻になったが、どうしているだろう。どれ、この書を見てくれ、これがお前に分かるか?」
「こちらは、橘逸勢の書ですね」
「やっぱり分かった。分かると思ったんだ。私と同じ気配がしたから」
「恐れ入ります」
男は他にもいろいろ見せてくれた。
「あの頃は、学問が推奨され、文士らが賑わっていて、とても良い朝廷だった」
やはり、男はお役人だ。
「が、ついこの間、お役御免となってね。私も帝のご命令で、同じく博物誌や法律、地理等、あらゆる成り立ちをまとめた辞書を作った。だが、用なしだと思ったら、すぐクビさ。仲間内から外へ追放されてしまった」
「それはさぞ大変な苦労をされましたね」
「いやいい。昔のことだ」
編纂、辞書。帝仕え。
(男は朝廷の重鎮だっただろう)
「お役人様もどうですか?」
「ありがとう」
男は昆布茶を持った茶碗を持ったまま、立ち上がり、庭の植木を眺めた。
「今は梅の花が見ごろだね。私は梅の花が好きでね。緑の飲み物には、梅の花が似合う」
まだ咲かない梅の花がいつの間にか、咲いていた。
男は庭木に生えた梅の花を一つ取り、茶碗の中に浮かべた。
薄緑色のとろっとした水の中に、淡い桃色の花が咲いている。
「風流ですね。梅の昆布茶になりました」
「これを売ってくれぬか?私の発案として」
「梅もいっしょに入れたら、確かに売れます。良い案ですね。こちらで梅の昆布茶として名前をつけて、民に売りましょう」
「じゃあ、取引成立だな?」
「もちろん。仕入れさせていただきます」
男は石の腰掛にすわり、梅の入った昆布茶を飲みながら、梅の花木を眺めた。
「ちまたでは、名のなる陰陽師が抗争に明け暮れているとか、お前は知っているか?」
「知りません」
知っていたが、久子は朝廷から遠く離れたその他大勢の人々と変わらない。屋敷の主人は世界を救う戦いとか言うが、その屋敷の付属物。それも選ばれた家来でもなく、単なる奉公人。下女だ。
妖魔大戦だの、怨霊の方替えの宮だの、直接的には久子は関わることはない。ただ村で仕入れ、屋敷を駆け回り、掃除しているだけだ。日ノ本を守る戦いは、上の者がやること。下々の久子は、ただ日々の仕事をこなすのみ。たまに、若様の仕事を手伝うが、下々が知ることは多くない。知る、などは、さしでがましいことだ。
「ここは、天上の楽園のよう。怨霊でも、誰でも、分け隔てなく、過ごせる」
「そうですか。それでしたら、良かったです」
久子は男にもう一杯、湯を注ぐ。
「ここは世の中の風も来ません。私は学者の娘ながら、ここで売る品を見定め、商売をやろうと思っています。
世の中のことは分かりません。でも、時に厳し過ぎると思います。ここは郊外の地。誰もが通り過ぎ、またどこかへ帰っていく。呼ばれるのかもしれません。
この中ぐらいは、何にも縛られず、うるさくならないようにしたいところでございます。
帝もお天道様もただ、来ては帰っていくだけでございます。
鬼も妖も、この地で、安らぎ、滋養を得て、また戻って行く。そこを手伝っていく。やれることは全てやって。これからは、私も、そんなことが出来たらと思っています」
「万屋だな」
「万屋?」
「何でも商売にしてしまうこと」
もしかしたら、そうかもしれない。何も思わず、考えず、思い付くまま、生きて行くこと。
そう言われることを自分はしているのかもしれない。自分はいろいろな職をやれる、万能下女かと思っていたけど、なるほど、万屋か、とも気づいた。
「なら、またいつか、私が来て、お前が万屋として出会った時、その時は、受けてくれるか?お前とは趣味が合う。風流なお前なら分かってくれる。絵巻の鑑定を頼もう」
「もちろん。何でも屋、何でもいたす所存でいます。万、お任せですから」
男は楽し気に笑う。心から笑っている笑顔だった。
花の散るのを見て、目を緩める。温かい飲み物に、頬を上気させ、ほっと安堵の吐息を吐いた。
「そろそろ、行こう」
「ここを出たら、晴明とか言う者があなたを昇天させると言ってます。
お気をつけて」
「ありがとう」
道真は茶を飲み、銭を受け取り、満足して戻っていった。
いってらっしゃいませ、またどうぞ。ありがとうございました。
ついに、道真の怨霊が現れた。
(まあいいわ、ここに来たら、対応したらいいだけだし)
商売をやらせてもらう分には、誰であっても商売だ。
(いつでも、ご接待します)
久子は頭を下げて、遠くへ消えた道真を見送った。
ここは方替えの地で、悪い気運から都を守っている。そこに晴明が怨霊退治した鬼とか妖怪を放り込む。怨霊大戦に召喚するための一時の避難地だ。召喚するための魔物や怨霊が蓄えられているのだ。だから、あの御仁は、いわゆる蓄えられた、というべき者だろう。
(あのおじさん、晴明に放り込まれたのか)
としたら、あのおじさん(道真)もいつか、召喚されるのだろうか。
(あのおじさん味方になったら、強そうだ)
日本三大怨霊の一人が、のんきに梅昆布茶を売っていた。なんて、言ったところで誰が信じるだろうか。
確かに方替えの地として、絶大な効果だ。
(この辺り一帯は広い。いったいどれほどの、妖の仕事人がいるだろう?)
怨霊もここでは生活資金を儲けるため、職人をしていたり、商売人になったりしている。あの見事な銅製の逸品もそうだった。
彼らが何を作って生活費を稼いでいるのか。それを思うと、久子はわくわくした。
ついに登場、菅原道真。
梅の花をご鑑賞ください。ええ、ここはお代はけっこうです。
(なーんて、ね)
気が付いたら、梅の木は元に戻っていた。
はっと気づいて、天然石の机を振り返る。木の筒はまだ残っていた。
(梅の塩漬けを作ろう。梅の塩漬けをいれて、昆布茶として売ったら、梅昆布茶になる。道真の梅の昆布茶として、売り出そう。都の人、驚くかしら)
ひらひら、と梅の花が待った。一枚だけ、手のひらの上に落ちた。
じゃりっと音がして、花びらの向こうから、涼影が現れた。
「あの者も、ここに来たのか?」
「はい。甘味処として、接待しました」
「私の家を甘味処か・・・私の住まいだぞ」
「資金稼ぎは商機の時がありますので」
「商機?また商売か」
若様は颯爽と現れて、鼻白んだ。
「あの者も人間。何にせよ、良い思いをして行ったのなら、良い」
「私・・・道真から仕入れました」
「え・・・?」
「道真の梅の昆布茶です」
「それを売る気なのか?」
「ええ、これを基本に、量産して、売ります。都では話題になるかと」
「お前の商売根性には呆れる」
「あら、資金を得るには、複数の商売が必要です。若様もそうおっしゃったでしょう。だから、ここを店や飲み物屋でもしようかと」
「またお前、銭銭と」
「だって、ご主人様、生きて行くのに銭は必要ですもの」
「やれやれ。お前の頭は銭ばかりか。どうしてそうなってしまったのか」
呆れながら、涼影は久子の額をつんとつつく。
「お前、銭の鬼だな。姫の雀のひしゃくだろ?ぜにぜにぜにと鳴く。だから、ここに現れた、雀の姫、ひしゃく」
「お言葉ながら、私は単なる水汲みのほう、ひょうたんのひしゃくかと」
「ひしゃくか」
若様はくすっと笑って、機嫌が良くなると、部屋へ向かって歩き出した。
「あの五位の銅の付喪神の品、都では評判だったぞ。売れてるみたいだ。でも、名前を明かすな。売れたら、お前の給料も弾んでいい」
「はい」
涼明は久子をおかしそうに笑いながら、行ってしまった。
若様は支配者で、怨霊を退治しながら、封じ込められた地を守っていて、久子のご主人として君臨する。
この地でご主人様も商売をしながら、資金も集める。
久子も同時に何でもして、涼明の屋敷に資金を入れる。
ご主人の商売がすなわち、久子の商売だ。そして、久子はモノを売る。モノ以外でも、何でもやる人間になる。京の人々に、問題解決を提供するのだ。
その裏では、賀茂忠行、安倍晴明の怨霊との戦いが繰り広げられている。都も守られている。
お守りするのは、怨霊に悩まされた朱雀帝。
はてさて、久子の資金繰りはどうなるだろうか。
何の因果か、転落人生で、ここに来て、世の裏と、その行く末を見てしまうことになったようだ。




