第77話 華やかな舞台の裏で(4)
「……ッ!?」
突然発光した橙色の玉。その強烈な光に、その場にいた三人の男達は思わず目を瞑る。
しばらくしてその光が収まってくると、「ギャッ、ギャッ!」という不気味な笑い声が聞こえてきた。
そしてそれと同時に、三人は自分たち以外の何らかの気配を感じた。
何が起こったのか分からなかった彼らだったが、恐る恐る目を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「なんだこりゃあ……」
ぽつりとそう呟くサーロン役の男。
そんな彼の様子から、この状況は、彼の狙ったものでは無いと察したマルヌ役の男は、より一層この光景に驚愕した。
そして何より、恐れ慄いた。
彼らの周りには、人間の子供ほどの背丈でありながら、醜悪で狡猾な小鬼――通称、ゴブリンと呼ばれる魔物の姿が無数にあったのだ。
ゴブリン達は口の端から涎を垂らしながら、いらやしい笑みを浮かべている。
先程聞こえた不気味な笑い声は、間違いなく目の前のゴブリン達から発せられたものだったとわかる。
――ゴブリン達もまた、普通の生態系の中には存在しない、幻獣種の一種である。
知能は低く、個々の力も弱いが、その分高い繁殖力と、群れをなして行動する習性がある。
(――というのを、昔読んだことがある)
マルヌ役の男は、自身が主演を務める舞台の原作であり、発刊当初から大好きだった『対魔十英雄譚』の本を思い出していた。
彼はゴブリンというものの存在は知っていた――本の中のみで。
実際に見るのは初めてだった。
そしてそれは、その場にいたサーロン役の男も、サクリー役の男も同様だった。
もちろん、彼らがギルドに登録している魔物ハンターではないということも理由の一つではあったが、決してそれだけではない。
それほどまでに、幻獣種というのは人々にとって無縁な存在なのである。
なぜ魔物が突然、街中に現れたのか。
それだけでも卒倒しそうなほどの状況にも関わらず、加えてその魔物は幻獣種であるという異常事態。
ゴブリン達は、最初は自分たちが置かれた状況が理解できない様子で、キョロキョロとあたりを見回していた。
しかし、しばらくすると、「ギャハハハッ!」と高笑いしながら、散り散りになって街中を駆け出した。
「あ!」
短く声を上げたマルヌ役の男。
(このままでは街中の人に被害が出てしまうのではないか?)
そう思う心と裏腹に、体は動いてくれない。
足がすくむ。息が止まる。
(……そもそも、たかが『いち役者』である自分に何が出来る?)
「ギャッ、ギャッ!」
そんな中、一匹のゴブリンが、サーロン役の男とサクリー役の男の方へにじり寄っていく。
手には、木の枝を乱暴に削って作られた太い棍棒を持っており、それをズリズリと地面に擦りながら、ゆっくりと歩み寄る。
体は小さいものの、その凶暴さを隠すことなく全面に押し出して迫り来るゴブリンの姿に、二人は思わず尻餅をついてしまう。
そんな二人を嘲笑うかのように口角を上げたゴブリンは、棍棒を振り上げた。
「――危ないッ!」
直前まで足がすくんで動けなかったマルヌ役の男だったが、次の瞬間、サーロン役の男とサクリー役の男を庇うようにして二人の前に飛び出す。
そして、目の前に防御障壁を展開した。
バシィィィッ!
ゴブリンが振り下ろした棍棒と防御障壁がぶつかり、激しい音が響く。
しかし、防御障壁は崩れない。
ゴブリンは跳ね返された反動で身を反らすが、すぐさま体勢を整えると、不思議そうに首を傾げた。
「――ひいっ!」
情けない声を上げて目を硬く閉じ、頭を抱えるサクリー役の男。
その声がお気に召したのか、先程のゴブリンは汚い歯を見せてニタリと笑うと、再び手にした棍棒を振り上げ、防御障壁に殴りかかった。
一方で、サーロン役の男は目を見開き、驚きの表情でマルヌ役の男の背中を見つめた。
「……なんだよ? なんでだよ!?
なんで俺たちを守るんだよ!?」
サーロン役の男は理解できないとばかりに叫ぶ。
「やめろ! テメェが俺たちを守るんじゃねぇよ!」
そればかりか、身を挺して庇ってくれているマルヌ役の男を罵倒し始める。
「魔法学園を中退したくせに、一丁前に防御の魔法なんか使うんじゃねぇよ!
顔だけの役者かぶれが!
みんな言ってるぜ! なんでお前なんかが主演なんだ、ってな!」
そのどれもが、マルヌ役の男の心を抉るには十分な威力を持つ罵詈雑言。
それでも彼は、防御障壁を維持し続け、後ろにいる二人を守ることをやめなかった。
――尤も、今この場で防御障壁を解除しようものなら、まず最初にゴブリンからの襲撃を受けるのはマルヌ役の男になってしまうのだが。
依然として、ニタニタと笑みを浮かべながら防御障壁を殴り続けるゴブリン。
その邪悪な姿を前にして、マルヌ役の男の中で、次第に後悔の念が湧き上がってきた。
防御障壁を維持するだけで手一杯の彼には、この状況を打開する術は思い付かない。
(なぜ庇ってしまったのだろう)
……こんな事を考えてしまう自分に嫌気がさす。
そんな彼の葛藤をよそに、突然、彼の後方から乾いた笑い声が響いた。
それはサーロン役の男から発せられたものだった。
「……ははっ! そうか。クスリが切れたんだな。
これは幻覚だ……そうなんだろ?」
誰に問うでもない、独り言。
サーロン役の男の虚な目が、次第に怒りに包まれていく。
そしてついに、彼は勢いよく拳を振り上げた。
「――消えろぉぉぉッ!!」
あろう事か、サーロン役の男は、マルヌ役の男の頬にその拳を叩き込んだのである。
思わぬ不意打ちによろめくマルヌ役の男。
同時に、それまでなんとか形を保っていた防御障壁は、まるで術者が殴られた衝撃を体現するかのように歪み、そのまま崩れ去ってしまった。
(――まずいッ!)
マルヌ役の男は、自身が殴られたことよりも、目の前のゴブリンの棍棒を防ぐ術が無くなってしまった事に焦った。
見ればゴブリンは、既に腕を大きく振り上げている。
――幸か不幸か、サーロン役の男に殴られた事で、マルヌ役の男は体勢を崩し、ゴブリンの棍棒の軌道からは逸れた。
代わりに、サーロン役の男には直撃する軌道であった。
(このままでは彼の頭がかち割れる。
だめだ。守れない。くそっ!)
まるで目の前の光景がスローモーションのように見える。
この一瞬で、彼の中でさまざまな感情が駆け巡った。
(……こんな事なら、クスリの話など、追求するんじゃなかった)
怒り。悲しみ。悔しさ。そして――諦め。
(……僕はやっぱり、ダメなやつだ)
――ピシイィィィッ!
直後、硬いもの同士がぶつかった音が響いた。
しかし、棍棒が頭に直撃したような鈍い音ではない。
もっと鋭い――。
同じ音が直前にも響いた。
これは、防御障壁と棍棒がぶつかった音。
マルヌ役の男は困惑した。
自分は防御障壁を展開していない。
だから当然、この音は、自身の防御障壁によるものではない。
何より、自身のそれよりも、さらに強度のあるものの音だと一瞬で理解できた。
「間に合ったぁ!」
若い少年の安堵の声が響く。
知り合いではない。
だが、マルヌ役の男はこの声に聞き覚えがあった。
「君は――。
さっきの……騎士君……?」
――ほんの一時間ほど前。
劇場の出口へ向かう列の中で、人形のように美しい少女を後ろから見守っていた、肩肘を張った小さな騎士。
それが、息を切らしながらこの場に駆けつけた少年――マルヌスに対する印象だったと、確かに記憶していた。




