第75話 華やかな舞台の裏で(2)
(やっぱり、この玉が魔物を呼び出しているって予想は間違ってんのか?)
依然、襲ってくるどころか、姿すら見せない魔物の影に警戒しながらも、マルヌスはそう考えていた。
それならばいい。むしろそうであってくれたほうがいい。
自分たちの考えが杞憂であってくれたのなら――。
そう考えるマルヌスの後ろで、人知れず、もぞもぞと動き始めるものがあった。
それは、マルヌスの――影。
マルヌスの影は、その場から動いていないマルヌスとは対照的に、徐々にその長さを伸ばしていく。
時刻はお昼を少し過ぎた頃。太陽の位置はまだ高い。
そんな中、マルヌスの影だけが異様に伸びていく。
しかし、唯でさえ人通りの少ない通り。
おまけに、道ゆく人々は皆、何らかの目的地に向けて歩く人ばかり。
誰も、道端に立つ少年の影が不自然に伸びていることなど気付かない。
――いや、正確には一人だけ、その異変に気付いている者がいた。
それは、一人の小さな男の子。
ただ父親の買い物に付き添っていた彼は、この場で唯一、何らかの目的地を目指していない者であった。
この場にはたまたま、大荷物を抱えた父親よりも先に到着していただけ。
後ろからのっそのっそと遅れてやってくる父親を少しだけ待つ――ただそのためだけに、この場に留まっていた。
故に彼だけは、その場に起きていた異変に気付くことができた。
しかし、具体的に何が変なのかということまでは説明できないほどの、幼い男の子。
彼は、勝手に伸びるマルヌスの影を、ただただ不思議そうに見つめるだけだった。
レンガ調のブロックが敷き詰められた地面に沿うように伸びていくマルヌスの影。
そうして十分な長さまで伸びた影は、いよいよマルヌスを襲うべく、地面から垂直に飛び出した。
――動く影。歴とした魔物である。
「……あっ」
この光景を見ていた男の子から驚きの声が上がる。
それはとても小さな声。
目の前の光景に対して、理解が追いついていなかったのだ。
しかし、仮にこれが大人であったとしても、同じように小さく声を上げるだけだっただろう。
影が伸びているのに気付けなくとも、直立するこの影を見れば、流石に道ゆく大人達でも異常事態に気付く。
しかし、この時声を上げたのは、この幼い男の子のみ。
――この影はタイミングを見計らっていたかのように、周りに大人がいない頃合いで飛び出てきたのだ。
まるで人型の上半身だけを模したようなその影は、マルヌスの無防備な背中を見据え、怪しい笑みを浮かべた。
そしてすぐさま、鋭い爪のように尖った手を大きく振り上げた。
しかし次の瞬間、マルヌスは右腕を後ろに向けて、光の弾丸を撃ち出した。
――敵は宿主の影に潜伏している。だからこそ、宿主であるマルヌスは、その影の存在に気付きながらも、体の向きを変えるわけにはいかなかった。
鋭い爪で宿主を切り裂く――そのために適切な距離を取るべく、ゆっくりと伸びていた影。
しかし、間合いを測っていたのは宿主であるマルヌスも同様であった。
撃ち出された光の弾丸はマルヌスの影に直撃すると、ボフッと鈍い音を立てる。
――直後、マルヌスの影と光の弾丸は、文字通り霧散した。
目の前で一部始終を目撃していた男の子は、口を半開きにして、唖然としていた。
そんな男の子の視線に気づいたマルヌスは、彼の顔を見るなり、悪ふざけをした後の子供のような笑みを浮かべる。
そして、人差し指を口の前に立てると、「しー」と小さく呟いた。
マルヌスの仕草に、こくりと小さく頷く男の子。
そんな男の子の様子を見て、ニコリと優しく微笑んだマルヌスは、再び足元の玉を見やる。
(――この場は、もう大丈夫かな)
マルヌスは、既に輝きを失ったその玉を拾い上げた。
そして再び、サーロン役だった男を追いかけるべく駆け出し、その場を後にした。
「……おーい。もう少しゆっくり行こうな。お父ちゃんを置いてかないでくれよ」
しばらくして、大荷物を抱えた男性が、ぽつんと立ち尽くす男の子の元まで歩いてきた。
彼はこの男の子の父親だ。
息子のただならぬ様子に異変を感じた父親は「どうした?」と訊ねる。
そんな父親の顔を見ることなく、男の子は力強く呟いた。
「父ちゃん。俺、大きくなったら魔法使いになる……ッ!」
「……何言ってんだ? お前は八百屋の息子だろうが」
目を輝かせながらそう言う息子に、父親は首を傾げるのだった。




