第56話 魔法の杖(5)
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――さてと、どうしたものか。
俺はレタリーさんの顔を伺う。
彼女が浮かべる表情は、感情というものを全て失ってしまったかのような冷たいものだった。
『書記の座を狙っていますね!?』
そう言って試合開始前に見せた、俺に対する焦りの感情は見る影も無くなっている。
まるで血の通っていない、鉄のような表情。
なるほど。無表情のことを『鉄仮面』とはよく言ったものだ。
しかも――
彼女は鉄仮面を崩さないまま、ササッと素早く羽ペンを動かす。
その動きに合わせて、火球が俺に向かってくる。
当然、彼女のあの行為には、魔法を発現する上で何らかの意味があるのだろう。
しかし、一体何を書いているというのか。
文章を書いているとは到底思えないスピードで書き終えている。
――速記。簡単な符号などを使って、素早く文章を書き取る技術だと、試合前に委員長が言っていた。
レタリーさんが今やっている事は、まさにそれに当たるのではないだろうか。
つまり、今の彼女の所作こそが『速記サイボーグ』と呼ばれる所以か……。
俺は横に走って、連続して飛んでくる火球を躱す。
俺の走り抜けたすぐ後ろを、複数の火球が通過していく。
まるで、俺の進んだ経路をそっくりそのまま後追いするように。
その時になって初めて、とある考えがふとよぎる。
――これ、誘導されてる……?
そう気付いたときには遅かった。
次の瞬間、駆けている俺の足が着地した地面はドロリと液体化。
ズボッという鈍い音が聞こえ、俺の両足は地面に沈み込んだ。
「……捕まえた」
レタリーさんは小さく呟くと、無表情な鉄の口の端を僅かに吊り上げた。
これは後で聞いた事だが、彼女はトドメを指す瞬間だけは、鉄仮面のまま口元だけ笑うらしい。
怖すぎ。
――っとと!
彼女の顔を見て青ざめている場合じゃない。
俺が足を突っ込んだのは、さながら泥沼だ。
重い泥が足にまとわりついて、思ったように動けない。
もちろん、頑張れば抜け出せる。
でも、頑張る必要がある。
だから、今、この瞬間に火球で狙い撃ちされれば、俺は躱せない。
試合開始直後にやったように、俺の魔法で相殺させるしか……。
そう考えた瞬間、頭上を覆う大きな影に気が付いた。
「おおーっと!? レタリー選手!
マルヌス選手の頭上に巨大な岩を形成していますッ!」
恐る恐る見上げてみる。
なんと、オレガノさんの実況の言葉通り、巨大な岩が宙に浮いているではないか。
……おいおい、あれを落とすつもりか……ッ!?
まだ形成途中とばかりに、ガッシガッシと岩幅を広げているが……。
あれ、下手したら俺の後ろの観客席の最前列くらいなら、一緒に飲み込んじまうんじゃないか!?
通りで、後ろの生徒達がワーキャー騒いでいると思ったんだ。
それにしても、あのサイズは……俺の魔法じゃ相殺出来ない。
「マルヌス選手! どう切り抜ける!?」
俺は――。
右手に巻きつけるようにして、しゅるりと植物の蔓を生やす。
編入初日に見せたきり、久しぶりに使う木属性初級魔法だ。
同時に、前方上空の空間に小さな防御障壁を展開。
そう。ああいう取っ掛かりが欲しかった。
俺は防御障壁に向かって、右手を勢いよく振り抜く。
それに合わせて、植物の蔓がギュンと伸びる。
そうして蔓は、俺の展開した防御障壁にグルグルと巻き付いた。
「潰れちゃえ」
いよいよ、レタリーさんはこの上空の巨大岩を落としにかかるつもりだ。
だが。
――縮めッ!
俺のコントロール通り、蔓は一気に縮む。
それにより俺の体は、前方上空に設置した防御障壁に引き寄せられるように急上昇。
泥沼から抜け出すことに成功した。
「なっ!?」
レタリーさんの顔に動揺の色が浮かぶ。
よしっ! ようやくその鉄仮面を剥いでやったぞ!
そんな彼女の様子をよそに、先程形成された巨大岩は予定通りに落下した。
どうやら、ぎりぎり観客席は巻き込まれずに済んだようだ。
ズシーン! と、とてつもない音を立てて落下した巨大岩。
それを見て、もしもあの場に留まっていたらどうなっていたかと、想像するだけでゾッとする。
束の間の一息とばかりに、ホッと胸を撫で下ろしたいところだったが、生憎レタリーさんはそんな時間を与えてくれなかった。
前方の防御障壁に引き寄せられるように、斜めに上昇する俺の体が、急にガクンと落下したのだ。
「――うわぁぁ!?」
どうやら、取っ掛かりとなっていた俺の防御障壁が、レタリーさんの魔法で撃ち抜かれて砕けてしまったらしい。
空中で支えを失った俺の体は、だらしなく伸びた蔓とともに、無情にも落下していく。
その最中、俺はレタリーさんを見やる。
「……この! 私のシナリオを……台無しにして……!」
蒸気でも立ち昇るんじゃないかとばかりに顔を真っ赤にして、鬼気迫る顔のレタリーさん。
今までしっかりと抱えていたはずの本を前に突き出しながら俺を睨んでいる。
……申し訳ないが、そんなに怖くない。
そしてなにより――彼女は確実に動揺している。
俺があの巨大岩を避けた時と同様に、彼女の鉄仮面は剥がれたままだ。
これは――チャンスなのかもしれない!
空中で無理やり上半身を捩る。
その勢いに下半身がついてくるようにして、俺の体は横に半回転。
その流れの中で、俺は右手を再び振るい、残っていた蔓をレタリーさんに向けて一気に伸ばした。
無防備に落下していく俺の体なんぞ二の次だ。
着地なんて気にしなくていい。
今はとにかく、蔓のコントロールにだけ集中するんだ。
狙うは、レタリーさんが前に突き出したあの本。
俺の狙い通りに、蔓は彼女の持つ本にしゅるりと巻きつき、再び俺の手元に戻るように素早く縮む。
そうして俺は彼女から――本を取り上げた。




